四、白石家の異物 2

  ◇


 本当の意味で転機になったのは、約一か月前、生物基礎の遺伝の授業だった。午後一発目の授業は食後も相まって眠くなる。その日のボクも例にもれず、うつらうつらとしていた。担当の三枝先生の声で完全に覚醒した。

「えーつまり、AB型の親からはO型は生まれないんですね」

「え…?」

 母子手帳に書かれていた僕の血液型はO型。父が言ったボクの血液型はA型。そして、血液型を教えてとせがむ美琴に母が教えた自身の血液型はAB型。もしも、母子手帳に書かれている血液型が正しければ、ボクはお母様の子供ではない。

 授業後、三枝先生のもとに直行した。白衣を着たおじいちゃん先生である三枝先生は普段質問などしない生徒が声をかけてきたので少し驚いていた。

「先生!」

「ん?」

「血液型のことなんですけど」

「うんうん」

「AB型からO型が生まれるは絶対にありえないんですか?」

 ボクの勢いに押されて少々のけぞっていた三枝先生は距離を取りつつ、考え考えこういった。

「生物に絶対はないから、ないとは言えないね。白血病の治療や癌の影響などで血液型が変わる人はいる。生まれてすぐの血液型も不安定だから違う血液型として判定されることも少なくない。だからないとは言えない」

「パーセントだとどのくらいですか?」

「一概には言えないから具体的な数値として提示はできないけれど、非常に少ないことは確かだろうね。AB型自体、日本人には少ない血液型でもあるし」

 ボクの顔からは血の気が引けていたのだと思う。三枝先生が「すまないね。気分が悪いなら、保健室に行くかい?」と言ってくれたから。ボクは三枝先生の好意を断り、次の授業にも出席した。もはや意地だった。


  ◇


 帰宅後、父と二人きりになれたのは午後九時を回ったころだった。父の書斎にノックをして応えを聞いてから入る。入ってすぐに後ろ手で扉に鍵をかける。その様子を書斎のいすに腰掛けながら見ていた父は意外そうな顔をした後にすぐに表情を引き締め、そして悲しそうに眉を下げた。

「何かあったのか?」

 ボクの表情は父にはどう見えているだろう。こわばる顔を無理やり動かす。

「今日、授業で遺伝を扱ったんだ。血液型の話」

「そう、か」

「お母様は、ボクの本当の母親じゃないの?」

 ボクは父の顔をじっと見た。否定してほしかった。美琴と父親しか血が繋がらないなんて思いたくなかった。これはカマだ。自分にそう言い聞かせる。生まれたばかりの子供の血液型は安定しない。ボクはO型ではないかもしれない。低確率にすがるしかなかった。しかし、現実は残酷だった。

「ああ…」

 父親の辛そうな顔が全てを物語っていた。答えはイエス。ボクはお母様の子供ではない。

「麗華と結婚する前に、他の女性と結婚していた。そのときの子だ」

 父は再婚だった。そして、ボクは連れ子だった、のか。

 血の気が引いていく。手足が冷たい。いや感覚もなくなっていくようだ。父は続ける。自分の手元を見ながら、ボクから視線を逸らしながら。

「行人には、双子の姉がいる」

 さらなる衝撃に時間が止まったように錯覚する。姉?ボクは弟?

「本当の母親の元で、暮らしている」

 本当の母親と姉は何処かにいる。それが自分とはかけ離れた別の事象のように思える。

「すまない、行人。今まで話せずに。申し訳なかった」

 ボクは何も言えなかった。なぜ今まで話してくれなかったのかとか、これからどうすればいいかとか、頭の中がまとまらない。事実であってほしくないことが事実で、ボクにとっての現実がどこか遠くに行ってしまったようだった。知らないうちに背中がべたついていた。冷や汗で体が冷え始める。

 何も言えないまま父の部屋を出る。廊下を歩いているとお手伝いさんたちが心配そうな目を向けてくる。誰にも今の顔を見られたくなくて早足で自室に急いだ。

 部屋の前に着いたとき、ボクに声をかける声が聞こえた。鈴が鳴るような声。優しい、気遣う声。美琴の声。

「お兄様?どうなさいました?」

 美しい漆黒の豊かな髪。継母と同じ烏の濡れ羽色。栗色のボクのそれとは似ても似つかない。美琴とは、母親が違う。

口の中が乾いている。何か言わなくては。美琴に心配をかけるわけにはいかない。ボクは口元を引き上げ、笑顔の仮面を被った。

「何でもないよ。少し父様と話をしただけ。美琴は?何か用?」

 ボクの態度をどう思ったのか、美琴は目を伏せながら悲しそうに言う。

「いえ、何でも、ございません。ただ…」

「ただ?」

「お兄様とお話ししたいだけです」

「…ごめん。ちょっと勉強が滞ってて、戻らないと…」

 僕は美琴から目線を逸らした。そうしていないと上手に嘘を吐けなくなりそうだ。

「ほんの少しでも、駄目ですか?」

 こちらを見上げる潤んだ瞳、いつもなら「しょうがないなあ」と言って妹の我儘を聞くだろう。ボクは美琴に甘い。シスコンなのは自覚がある。しかし、今は駄目だった。

「ごめんね…」

 美琴を視界に入れないようにしながら自室に入り後ろ手でドアを閉める。そしてそのまま、崩れ落ちた。

 自分の意志とは無関係にこぼれる涙。上がる嗚咽。まだ駄目だ。まだ美琴がすぐそばにいる。我慢だ。そう思っても溢れる雫は止まらない。カーペットのシミは増えるばかり。駄目だ。泣くな。泣くな。美琴に悟られる訳にはいかないのに。

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