四、白石家の異物 1
固定電話が鳴った。母さんがひったくるようにして取る。
「有紀!アンタどこに…」
姉さんからだったようだ。母さんが電話を切り、こちらに向き直る。
「有紀、まーちゃんちに…、友達んちに泊まるて。まーちゃんじゃ分からんな。広瀬麻結ちゃん、中学んときの友達や。ま、こっち越してきてからやけど」
「越してきてから?」
姉さんと母さんは関西弁で喋る。ボクだけ標準語だ。違和感が拭えない。
「去年の春に仕事でな。イチ君もそん時からや。まーちゃんとイチ君付き合うとるんよ」
恋人関係の二人の両方に面識がある、ということのようだ。悠一君は姉さんのことを呼び捨てで呼んでいたが、麻結さんはどう思っているのだろうか。いや、その姉さんを自宅に泊められるくらいだ。友人関係としては深い部類だろう、多分。
「行人、荷物そのまんまやろ?とりあえずこっちで広げとき」
母さんはそう言って奥の方の扉を開ける。並んだ二つの扉のその一方、向かって左側の扉の向こうには真正面にデスクトップパソコンが見えた。入ってみるとアコースティックギターと思しきケースにキーボードと楽器が並んでいる。近くにある直方体のケースももしかしたら楽器ケースかもしれない。
「
「姉さんの部屋?」
「この隣や。中見る?」
部屋の中はその人の思考が分かる。まだボクを受け入れてくれない姉さんの部屋を今のボクが見るのはおかしな話だ。
「いや、いいよ」
「そう?」
ふと考えた。今日は姉さんが友達の家に、麻結さんの部屋に泊まるからベッドが二つでもなんとかなった。明日以降はどうなる?見たところこの物件はキッチン部分とそこからつながったリビング、母さんと姉さんの部屋、風呂場あとはトイレぐらいなものだろう。客用布団など置いていなさそうだ。となると明日以降姉さんが戻ったら誰かが床で寝るのだろうか。いや、誰かじゃない。いきなり転がり込んだ居候はボクだ。ボクが床で寝るべきだろう。
「明日、布団見に行こか」
「え?」
母さんは微かに笑って部屋を出て行った。ボクの考えを読んだかのように。
のろのろと荷解きを始める。
「
写真が滲んでいく。もう会えないのだろうか。いやどの面下げて会いに行くというのだ。大事な妹を置いてきたくせに。
◇
白石家は二世帯の計六人家族だ。母の両親、ボクから見たら祖父母は同じ家の中に居たが認識としては一緒に暮らす親戚に近かった。故に、六人家族ではあったけれど、認識上は四人家族だった。
父、
白石家は化粧品メーカー『shiraishi』の創業者一族だった。祖父は会長。母は社長だった。そしてそんな環境であるにもかかわらず、ボクは公立の幼稚園に通い、公立の小学校に入り、公立の中学校を卒業した。母は言った。「周囲から孤立するのは嫌でしょう?だから白石の人間であることを悟られぬように生活しなさい」その一方で妹は私立の幼稚園に入り、そのままエスカレーター式に進学した。中学二年生の今、美琴は時雨坂学園の高嶺の花らしい。
不満が無かったかと言えば嘘になる。なぜボクだけ。なぜ妹だけ。それでもぐっと飲み込んだ。ボクが言いたい不満は美琴が言ってくれたからだ。
「お母様、わたくしもお兄様と同じところに行きたいです」
「ごめんなさい、美琴。その我儘を聞くことはできないの。美琴は女の子だから危ない物から守らなくてはならないの」
「でも、わたくしお兄様と同じ景色が見たいのです」
美琴はボクを慕ってくれていた。お兄様、お兄様と後ろをついて回った。仕事で家を空けることが多い両親や人付き合いで出かけることの多い祖父母に比べ、美琴にとってボクは一番身近な家族だったのだろう。ボクも美琴が可愛くて積極的に構った。結果、兄を慕う妹と妹をかわいがる兄という兄妹が出来上がった。
兄妹の間での意識は平等そのものだったが、周囲はそうではなかった。小学校高学年になるころには妹ばかりを優先する周囲に慣れていた。パーティに連れていかれるのは美琴。プレゼントを渡されるのは美琴。衣装持ちなのは美琴。それでも美琴はボクと一緒が良いと言った。それだけが救いだった。年齢が上がっていくにつれて、周囲に「何で何で」を連発することは減ったがその代わりに美琴は僕に愚痴るようになった。
「きらびやかなものなんてあんなに要りません。その分同じものをお兄様にもと思うのは、おかしいのでしょうか?」
それでも兄妹の格差は開いていく。これが普通。美琴は女の子だから。お母様に愛されているから。自分の不平不満を押し込んで、ボクが思う不満を口にする美琴をなだめた。
違和感を感じたのは小学六年生のときだった。父の代わりに父の部屋で探し物をしていたボクは、僕の母子手帳を見つけた。何気なく開き、そして血液型のところに目が吸い寄せられた。美琴が幼いころ、血液型占いをやりたいと言い出し、家族全員の血液型を聞いて回った。ボクは自分の血液型が分からなかったから両親に聞いた。
「二人とも、A型だよ」
父はそう答えた。以来、ボクはA型だと思って過ごしてきた。だが目の前に書かれているのはO型。
父は間違えて覚えていたのかと一瞬思った。しかし、そう簡単に子供の血液型を覚え違えるだろうか。見なかったことにして母子手帳を閉じて仕舞った。程なく、探し物は見つかった。朱肉だ。
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