第3話

結局、バイト先の定食屋まで走ってきてしまった。息を整えて中に入ると、予想通り、部活帰りの学生やスーツの人たちでごった返していた。


「半チャーライス中!!」


いつもに増して激しい店主の声が響いた。普段キッチンに店主の夫妻とホールにバイト1人で回している仕事を、今日はそれぞれ1人ずつで分担しているようだ。見るからに忙しそうで気が引けるが、入り口に立っていても邪魔なだけなので、勇気を出してキッチンの店主に声をかける。


「すみません!」

「あいよ!注文だったら表の母さんに言ってね!!」

「えーと、そうじゃなくて……忙しそうですね」

「ああ!?見ればわかるでしょ!?冷やかしなら帰ってくんないかな!!」


言葉を選んだ末に間違え、恥ずかしくて死んでしまいたい気持ちだった。横でふよふよ浮いてる女からも、何を言っているんだこいつは、と責められている気がする。しかし、ここで引き下がると明日も明後日も恥ずかしいと思った。


「手伝いたいんです!!ほら、忙しそうだから!」

「あー……?気持ちはありがたいけどね、教える暇なんてないよ」

「経験者です!」


働かせてください、なんて人生で一度も言ったことがないから自分でもびっくりした。店主はやれやれという顔で注文票を手渡してくれた。






**********






午後9時半、客の居なくなった店内で、トウジはテーブル席の1つに腰掛けていた。そこに、店主が丼を2つ持ってきた。チャーハンの香りだ。


「助かったよ。今日はバイトの子と連絡つかなくて」


すっきりした顔でそう言うと、店主は懐から封筒を取り出した。


「あ、いや、いいんです。バイトの彼が迷惑をおかけしたので、そのお詫びで」

「何、トウジくんと知り合いなの?親戚?彼女……はないか!ワハハ」


デリカシーのないジョークと一緒にグイグイと封筒を押し付けて来る。


「あ、はい、親戚みたいなもので……家庭の事情でもう来られないらしくて、それで……ちょっ、いらないですから」

「貰うものは貰いなよ。どれだけ縁があったって、タダで身代わりにならなきゃいけない責任なんて無いんだから」


そう押し切られて受け取ってしまった。小銭の重みを感じる。店主の性格からすると、きっちり時給を分単位で計算して入れているのだろう。


「この度は本当にご迷惑をおかけして……」

「だからあんたが謝らなくても良いんだって!」




「ああでも、迷惑は迷惑かな」


突然の攻勢に身が縮こまる。


「あの子には週6でホールに入って貰ってて、ちょうど3年くらいかなあ……。たまに遅れて来るけど絶対にバックれなかった」


「うちってバイトが長続きしないんだよ。俺がこんな顔だし口も汚ねえから。代わりなんてすぐには見つかんねえだろうなあ。だから、あいつが居ないと迷惑だ」


なんと言って良いかわからず、レンゲを手に取って、チャーハンを口に運んだ。美味しい。ラードの香りやラーメンと共有のタレの旨さもあるが、働いた後に食べるから美味いのだと、今日は特にそう思った。


『美味いな』


横からそんな声が聞こえた。お前は働いてないだろう、じゃない、お前は食べてないだろう。


『不思議なもんじゃが、お前が食べるとワシも味を感じるらしい。まだワシの体と魂が繋がっておるのかもな。これを切ることができればあるいは……』


そうすればもしかしたら天国(浄土?)に行けるかもしれないが、それを言うなら、こうして彼女の声を聞けるのも、魂と体が何らかの形で繋がっているからではないのか。誰にも知覚されなくなって、成仏もできなかったら、永劫孤独にこの世を彷徨うことになるのだろうか。それは怖い。誰だって嫌だろう。




「……仕事覚えるの早いから明日も入ってもらおうかと思ったけど、そういう事情ならやめとくわ」


店主はいつの間にかチャーハンを食べ終わり、カランと音を鳴らしてレンゲを置いた。


「自分の人生があるでしょ」


本当にそんなものがあるのだろうか。少し考えてみたいと思った。自分のチャーハンをかき込んで、礼を言った。




「送ってかなくても大丈夫?」

「大丈夫です。1人で帰れますので」


店の戸を閉めて立ち去ろうとしたところで、店主に呼び止められた。


「トウジくんに伝言頼みたいんだけど」

「はい」

「家庭の事情っていうからまあ、何かあったんだろうけど、もし戻ってきたら、後ろめたいなんて思わずにまたチャーハン食いにきて欲しいなって」


店主は珍しく、寂しそうな顔をしていた。


「はい、伝えておきます」


会釈して店を後にした。僕が死んだことは遠からず彼にも伝わるだろう。夜道を住宅街の方へ歩いていると、女の霊がわざとらしく顔を覗き込んできた。


『おい、1人で帰れるなんて言っておったが、どこに帰るつもりじゃ?』

「そりゃあ、あなたの拠点しかないでしょ」

『家出中なんじゃけど……』


瞳を潤ませてイヤイヤとアピールしている。顔の幼さも相まって小さな子供のようだ。


「娘と嫁を亡くした独居老人じゃないんでしょう、あの人。あなたのこと本気で心配してた。子供じゃないんだから、安心させてあげないと」

『は〜?お前急に気が大きくなったのう!!ワシから見ればお前の方がガキんちょじゃ!ガキガキクソガキ』

「はいはい」

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