第2話

ワシはなにも生まれた時から不死の化け物だったわけじゃあない。地主の娘として生まれたワシはそりゃあもう可愛い子供じゃった。家のこともあるじゃろうが、主に顔の良さゆえに、求婚しにくる男が絶えんかった。あの方もそのうちの1人じゃ。


16の頃だったかの。婿入りの申し出の多さに耐えかねたワシは、やってくる男どもに無理難題を押し付けて追い払っておったのじゃが、あの方は「不死の果実を手に入れた」と言って訪ねてきた。それまでにも偽の宝を持って来る輩はごまんと居ったが、あやつは左目に大きな傷を作って、「大陸の奥に住む仙人と拳で語り合いました」などと真剣な顔で言うではないか!それが面白くて、持ってきた不死の果実とやらも一口食べてやろうと思ったのじゃ。


果実は今で言う桃のような、しかしもっと淡く儚い、持てば潰れるような見た目をしておった。薄い果皮に刃が入り果汁が染み出した時、20畳もある部屋が芳醇な香りで満たされた。あやつが切り分けた1つを口に運ぶと、それは瑞々しく、壺の中の砂糖を固めて濃縮したように甘く、とにかくこの世のものとは思えん味がした。これは1つしか無いのか?と問うと、その言葉を待っていたと言うように懐から3つ同じものを取り出し、全て差し出しおった。流石のワシもそのまま全部食べ尽くそうとは思わず、3日に分けて1個ずつ大事に食った。


婿入りしてから十数年も経たぬうちに、あの方は病で床に臥せってしまった。一方のワシは、果実を食べたあの時から成長が止まり、若々しいままじゃった。ワシは問いただした。お前はあれを不死の果実と知りながら一切れも食べんかったのかと。あやつはなんと言ったと思う?「大陸であの果実の香りを嗅いだ時、そなたの喜ぶ顔が思い浮かんだ。できる限り多くを差し上げられるよう持ち帰った」だと!


毒味くらいしろと吐き捨てたくなるのを我慢して、今度はワシが大陸に渡ってその果実を持ち帰ると約束した。今思えば、あの時はあやつの側に居ったほうが……………………おい、聞いておるのか?聞け、おい!






**********






『最近の若者は人の話を聞かんのう!』


女は何やら身の上話を語っていたようだが、トウジはバイトや戸籍、将来の心配で上の空だった。


「あんたも成仏?できなくて大変だと思いますがね、こっちだって大変ですよ。自分の話ばかりされてもね。ああ、バイトの時間が……」

『バイトバイトって、そんなもん辞めれば良いじゃろ。働かんでも死ぬわけじゃあるまいし』


今まで自分の中に存在しなかった選択肢を提示され、ハッとした。


『平日のこんな時間からバイトなんて、どうせロクな人生でも無かったじゃろ?そんなもん捨てれば良い。働かんでも死なん。食べんでも死なん。現にワシはこれまでの人生で労働などしたことがない!』


ロクな人生でもない。その通りだ。「せっかく育ててやったのに」と言われるのが苦痛で家を飛び出した。奨学金を借りながらなんとなく選んだ大学の情報科を出て、エンジニアとして最初に勤めた会社は、勤務地が聞いていたのと違うからという理由ですぐ辞めた。エンジニアといっても表計算ソフトをしばいていただけでスキルなど身につくはずもなく、転職のアテもなくズルズルとフリーターを続けているうちに、いつのまにか30歳が目前に迫っていた。


このままの日々に生きがいなんてない。できることなら山奥か海のそばで1人細々と暮らしたい。今ならそれができるのではないか?


「でも、バイトが…………」


掛け持ちのバイトは他にもあるが、まず定食屋の店主の厳つい顔が頭に浮かんだ。このままサボればきっと厳しく叱られるだろう。いや、今の自分は姿が変わってるのだから直接怒られることはないだろうが、自分が居ないことについて、自分に向けて放出するための怒りをその身に溜め込んで苛ついていることだろう。それが嫌だった。


『はあ、しょうがないのう。しかしお前、その姿はどうするつもりじゃ?』

「まあ知り合いという体でいけば……」

『違う違う、血。お前返り血でドロドロじゃろ』


すっかり血の匂いに慣れて忘れてしまっていたが、さっきから顔や服が血まみれだった。これが自分の返り血(?)かと思うと不思議だ。どこかで洗い流さなければすぐに通報されてしまうだろう。


「川?」

『やめておけ、汚い。住宅街へ少し歩いたとこにワシの拠点がある。そこでシャワーでも浴びろ』


こんな非常識な存在に常識的な指摘を頂いたことは不服だが、他にアテもない。トウジは彼女の道案内に従うことにした。






**********






たどり着いたのは立派な庭のある木造の屋敷だった。


『そこの鉢の下に鍵がある』


言われた通りに鍵を開け、恐る恐る中へ入る。玄関は埃もなく、綺麗に整備されている。


「ここは?」

『あー、少し前に娘と嫁を亡くしたじいさんの家でな、それも歳のせいで色々曖昧になって、ワシのことを娘と勘違いしとる』

「…………」


法的にも倫理的にもグレーな話に唖然とする。さっき彼女は「食べなくても生きていける」などと宣っていたが、家にも服にもお金はかかるのだ。都合のいいパトロンが居ないと働かずにはやっていけないだろう。しかしまさか高齢者を食い物にしているとは……。




"拠点"のシャワールームは広く、1人で使うのは気が引けるほどだった。血を洗い流したあとは、綺麗に畳まれていたバスタオルで体を拭き、戸棚から適当に見繕ったジーンズと長袖シャツを着た。棚には女物の服が割合多く置いてあった。娘さんや嫁さんの肩身だろうか。


玄関にあったサイズぴったりのスニーカーを履いてさあ出かけようと思った時、後ろから声をかけられた。


「戻っとったんですか」


振り返ると、身なりの整ったお爺さんが立っていた。家主だろうか。女に尋ねようとすると、いかにも失敗したというような顔をして、どこでもない場所を見ていた。


『そういえばワシ、家出しとったんじゃった……』


話の全貌が分からない。父と娘というような関係には見えないが。


「自殺者が出たって聞いて、てっきりあんたのことかと……」


そう溢すと、お爺さんは急に涙を流し始めた。目はしっかりとこちらを見据えているが、これは自分が対処しなければいけないのだろうか?


『……逃げるぞ!バイト、行くんじゃろ!?』


言われるままに玄関を飛び出した。都合よく操られたのは確かだが、自分としても一刻も早く立ち去りたい空気だった。振り返ると、お爺さんが何か叫んでいるようだった。できるだけ聞かないようにして、姿が見えなくなるまで走った。


走るのは苦手だ。普段から走り慣れていない体は急激に心拍数が上がって、それを脳が勝手に不安と勘違いする。走っているうちは、将来についての嫌な妄想が頭に付きまとう。しかし、逃げるためには走らなければならない。追い込まれるほど休む暇は無くなっていく。


ストレスから逃げ続けた人生だった。このまま死ぬまで逃げ続けるのだろうかと悩んだこともあったが、不死の体を得た今、自分はいつまで逃げればいいのだろうか?

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