不死の呪いと入れ替わりの奇跡

@shikaku83

第1話

ある地方都市に佇む雑居ビルの屋上に、黒いセーラー服に身を包んだ女が立っている。


「青秀、お前が死んで600年経った」


強い風に黒髪がたなびく。今にも飛んでいきそうな細い体はしかし、ビルの縁から足を滑らせることもなく、ただ遠くの空を見つめて佇んでいる。


「春翠も死んだよ。3人で遊んだのを覚えておるか?」

「お前の知る者は、ワシを残してみーんな居らんくなった」


女は足下を見た。ビルとビルの間には雨樋の管やエアコンの室外機がひしめいている。地面のよく見える位置を探して歩く。


「ワシに不死を与えたお前を恨んだこともあった。しかし今はただ……」


建物の縁に背を向け、目を閉じる。


「今はお前にもう一度会いたいよ」


そう空に吐き捨てて、女は背後へ崩れ落ちるように身を投げた。細い体は建物の凹凸をすり抜けていく。






**********






藤原トウジ(28)は道を急いでいた。バイト先の定食屋は隣の通りにあり、そこへ渡る最も近い道は50メートル先の交差点。しかしそれでは定刻に間に合わないと、雑居ビルの間を通り抜けるショートカットに挑む。


「はあ、はあ、あーー、ズボンが」


1人なら苦労せず通れるはずの路地だが、室外機やら何やらがごちゃごちゃとしている所を急いで進もうとしたため、ただでさえ履き古したチノパンがどこかに擦れて、黒い汚れが付いてしまった。


店主に不衛生だと怒られてしまうのを憂いながら汚れをはたいていると、頭上に何かの気配を感じた。風を切るような、布が勢いよく擦れるような。上を見ると、黒い塊が宙に浮いていた。しかも、どんどん大きくなっていく。


「は!?」


大きくなっているのではなく、落ちて近づいているのだと気づいた時には、もう避けられない距離になっていた。その時、黒い物体の隙間に青白い肌が見えた。人だ。黒い服を着た────


考える間もなく、雷が落ちたと錯覚するような轟音が鳴り、額から腰まで衝撃が走った。もう自分が立っているのか倒れているのかも分からない。目や耳から生温い液体が溢れて、すぐに何も見えなくなった。






**********






体の痛みで目を覚ますと、トウジは自分が硬い地面に寝そべっていることに気がついた。なぜこんな路地で寝ていたのか、記憶を辿りながら立ち上がるが、すぐに強烈な違和感に注意を奪われた。


周りのものが大きい。というより、自分が小さいのか。その自分は高校の制服のようなものを着ているし、袖からは見慣れない細腕が伸びている。何より、全身血まみれだ。


気を失う直前、空から降ってきた女と頭をぶつけたことを思い出した。その衝撃で人格が入れ替わったのか?まさか。トウジは自分の考えに失笑した。しかし、この状況は他にどう説明できるだろうか。


落ち着いて周囲を見ると、少し離れた血溜まりの中に横たわる人を見つけた。トウジの履いていたズボンだ。汚れの位置も一致している。本当に入れ替わっているなら、目の前にある自分の体の中には見知らぬ誰かが入っているはずだ。恐る恐る顔を覗き込んだ。


「し」


死んでいる。顔が跡形もなく砕け散って、誰がどう見ても完膚なきまでに死んでいた。不思議なことに、入れ替わりなどというフィクションめいたことはすぐ思い当たるのに、人の頭と頭があんな速度でぶつかったらそうなるだろうという物理的推論は全く働かなかった。


ではなぜ、女の体は無事なのだろうか?


『これは酷い……なんまんだぶなんまんだぶ』


突然耳元でうろ覚えのお経のようなものを囁くのが聞こえ、トウジは驚いて横を見た。するとそこには、黒いセーラー服を着た半透明の女がふよふよと浮きながら死体に手を合わせていた。


「うわ」


トウジが声を上げると、女の幽霊(?)もそれに気づいたようで、2人は顔を見合わせた。


『うおわーーーー!!ワシがもう1人おる!!?』






**********






『落ち着いたか?』


自分の方がさっきまで余程取り乱していただろうに、幽霊は少し上からトウジに声をかけた。


話によると、彼女は600年以上も前から生きている不老不死の超人で、不死の辛さに耐えかねて自殺を図ったらしい。どうせ死なないと思っていたが、たまたま通りかかった人間にぶつかって入れ替わり、その後死んだために不死の体から解き放たれたのだろう、だと。


「落ち着けるわけないでしょう……!どうするんですかこれ」


どうする、とは主にまだ足元に横たわっているトウジの死体のことであるが、具体的にどうして欲しいというビジョンもないのが正直なところだった。生き返らせて、元の体に戻して欲しい……?


『ふはは、お前も不死者になったんだから細かいことは気にするな!』


幽霊はトウジの背中を叩きながらそう言った。実際叩かれているのは女の背中だし、幽体はそれをすり抜けるから、叩いているふりと言う方が正しいか。それにしても、さっきまで自殺を試みていたとは思えないほど朗らかだ。


「不死者になったんだからって、その不死が嫌だったんでしょう」

『ああ。しかしお前のおかげで解放された。まさかこんな方法があったとはのう!感謝しておるよ』

「感謝とかじゃなくて……あの、バイトとか……あるんですけど」


ここでバイトが出てくるのも何だか違うと思ったが、それしか思い浮かばないのも事実だった。


『細かいことは気にするなと言うとるのに。冴えない男からピチピチの女子に生まれ変わったんじゃ。むしろ得したと思え!』


絞り出した異議は虚しく幽体をすり抜けて、勝手に冴えない男と認定される始末。


「これからどうすれば……!?」

『好きに生きろ!耐えられんくなったらさっきと同じ方法で死ねば良いじゃろ』


なんて無茶苦茶なことを言うのか。今日と同じことをもう一度なんて確率的にあり得ないし、意図的に引き起こせたとして、やっていいはずもない。


『じゃ、ワシはお先に…………』


そう告げると、女は手を合わせながら少しずつ天へと昇り始めた。引き留めようと手を伸ばすが、幽体を掴めるはずもなく、女の姿は遠く離れていく。




そのまま天国にでも行ってしまうのかと思ったが、ビルの5階あたりで上昇が止まり、何やらあたふたとしている様子が下からでも見て取れた。しばらくすると、女はバツの悪そうな顔を覗かせながら地上へ戻ってきた。


『成仏ってどうすればいいんじゃっけ……?』

「知るか!!」

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