第三章 出撃
帰った後も、もちろん、猛訓練が続いた。
しかし、その士気は桁違いに大きくなっており、とても隊長が不在とは思えぬほどたった。あの時と同じように怒鳴られ、笑い、悔し涙を流した。
そんな、どこか夢のような日々が永遠に続くのではないかと思えたがしかし、ここは戦場。当然、有力な部隊を放っておくわけがない。
温存されていた万朶隊にも、ついに目覚めの時が来るのであった…
一九四四年一一月一一日レイテ沖から敵機動部隊発見の報が響き渡った。
「諸君、君達万朶隊についに出撃の命が下った。田中、生田曹長、久保軍曹、奥原、佐々木両伍長、栄えある皇国の存亡は貴官らの奮闘にかかっているといっても過言ではない。なに、最後の晩餐はここいらの酒場で一番のところを抑えた。十二分に士気を養い出撃の覚悟を決めてくれ。以上解散」
当然がごとく用意された宴会には挨拶をした司令はもちろんのこと多くの将兵、記者等が集まり大変大規模なものとなった。
まあ、それ自体は何の問題もなく、楽しめたのだが…
問題はその後だった。
宴会も翌日に支障が出ない程度で終わらせ、基地に帰還すると…
鵜沢が今にも泣きだしそうな顔をしながら待ち構えていた。
「お?どうしたんだ?鵜沢そんな顔して」
「………」
「え?なんだって?」
「…っ…じ、じ、自分も一緒に乗せていってください!お願いします!」
「鵜沢……それは…できない…」
「な、何故です!お願いです。行かせて下さい」
「すまんな鵜沢。お前の気持ちは痛いほどよくわかる…自分が足手まといになっているみたいでいやなんだろう?
でもな、今回は、俺たちだけで行かせてくれ。
今はたとえ怪我をしていたとしても、兵が惜しい。
だから、どうしてもというのならその傷を癒してそれから、立派な一、パイロットとして散ってほしい……
今言ったことと矛盾しているかもしれんがな、まだ、お前のような若者には皇国の未来を背負っていてほしいと私は思っている。」
その日、多くの涙が地を濡らした。
その日、空に叫ぶ声が木霊した。
その日、五人の飛行士が腹をくくり、再び現世に別れを告げた。
一九四四年一一月一二日、空は晴れ渡り、雲はところどころ漂っているがそれも美しき空の模様として映えていると言えよう。
そんな美しき空の下、花々はいま、散りゆく前の最後の輝きを見せようとしていた。
一本の槍と二発のエンジンを積み、唸り声をあげている四機の航空機
五人の遺骨を抱えた飛行士達
数名の将校と機体のそばで待機する整備士
それぞれが、それぞれの顔を見せ
基地は独特の空気に包まれていた。
司令は一人一人と固い握手を交わし
その時の目から私は
帰ってこい
という声が聞こえた気がした。
「いよいよ万朶隊出撃の日が来た。
諸君らは一人一人が比類なき忠誠心と勇気を持つ陛下の兵であり神国である日本の精神と正義を発揮してくれるであろうことはこの私が保証しよう。
しかし、その陛下の子である諸君らの命は残念ながら鴻毛よりも軽い。そして、その敵艦撃沈という任は富士の御山よりも重いこともまたまごうことなき事実である。私からの言葉を忘れずにその任を果たしてきてほしい。」
「私も参謀として、天佑神助の下作戦の成功を祈る」
「はっ!万朶隊田中曹長以下九名出撃いたします!……搭乗!」
機体に乗り込み整備士が離れたことを確認してから出力を上げ滑走路から飛び立つ
空はいつにもまして美しく見え、戦の世ということをいつも忘れてしまいそうになる。
その空には現在一四の影が浮かんでいる。私たち三機とその護衛の隼一一機。
万朶隊の編隊が一機減っているがそれは奥原の機がエンジン不調で帰還したからであって、別段撃墜されたわけではない。
故障なんてよくある話だ
それ以外旅路は順調に続き
このまま何も起こらないのではないかと思われた矢先
太陽の中からぽつぽつと影が現れた。
三胴双発の機影……
間違いない、敵のメザシだ。
メザシは双発で速力も早く火力も高い。だが、数はこちらが上だ。
奥には敵の艦隊らしき姿も見える。おそらくあの編隊は艦隊の直掩だろう。
通例通り敵は隼たちに任せ私たちは離脱する……
そこまではよかった、そこまでは……
離脱に夢中になっている隙に編隊からはぐれてしまったのだ。周りには味方の姿はない。敵艦隊の方に行けばよいのだろうが……それも見失ってしまった。
どうしたものか……うん?あれは…敵の揚陸艦じゃないか
それじゃあ…やるか……
「結局、故障した機が一機帰ってきただけだったね。」
「仕方がないでしょう。彼らの目は本気でした。司令官一人の言葉程度で変わるものではなかったのでしょう。」
「そうは……思えないのだがな。
そう、少なくともあの人だけは帰ってくる気がした…」
その時、戸を叩く音が響いた。
「入れ」
「失礼します。」
「どうした?こんな時間に」
「佐々木伍長がガヤンに生還したとのことです。」
「なに!?」
廊下中に響き渡る足音を轟かせながらやってきた猿渡参謀の目の前にいたのは呑気に椅子に座っている佐々木の姿だった。怒りを買うのは当然といえよう
「貴様!!どうゆうつもりで帰ってきたのだ!」
「……犬死せぬようやり直すつもりで帰ってきました。」
「っ……貴様ぁぁああ!」
「うぐっ……」
振り上げられた拳が佐々木の頬を襲い、体が床にたたきつけられる。
「猿渡君、それぐらいにしなさい。」
「……大本営にはすでに貴様が特別攻撃により死んだことを報告した。おそらくすでに内地では大本営発表もあっているはず……次だ。次こそ必ず敵戦艦を沈めてこい。このことは、帝国臣民は勿論、恐れ多くも陛下の上聞に達したことを肝に銘じておけ…」
猿渡は逃げるように部屋から出ていき、佐々木と富永だけが残される。そして最初に出た言葉は……
「佐々木君……よく帰ってきた。」
祝福の言葉だった
「前にも言ったけど君が満足できる目標を見つけるまでは、何度帰ってきてくれたってかまわないから。はやまったり、焦ったりする必要はない……ああ!そうそう、一緒にご飯でも食べようと思ったんだがどうやら用事があるんだろう?ほら、これをお土産に持って帰ると良い。基地でみんなと食べてくれ。」
「は、はっ。大変光栄であります。」
「うん、かまわないよ。さあ、あとはこっちで処理しとくから基地へ帰っていいよ。」
「失礼しました」
司令の矢継ぎ早な言葉に思わず困惑してしまったが…やはり司令は最高の司令官だ。表向きは気高く、私たちには気さくに接してくれる。やはり私たち第四航空軍は幸せ者であることに間違いはない。
ちなみに司令から貰った手土産には日本の缶詰が入っており久しぶりに食す故郷の味はより一層帰還の意志を固くしてくれた。
一一月一五日敵の攻撃によって負傷していた石渡軍曹が回復し近藤伍長と前回故障により離脱、帰還した奥原伍長と共に再度出撃の命が下された。
当日は前回の時のように晴れ渡る大空ではなく、雲が多いどんよりとした空。
だがまあ、飛行に影響はあるものの作戦の支障になるほどでもない、なんなら突入の際にいい影になってくれるだろうということで、そのまま出撃することになったのだが…
……これが、間違いだったのだ。
離陸後早速、思ったより低い雲に見舞われ空中集合に失敗、奥原と俺の二人は飛行場に帰還した。
当初石渡軍曹と近藤伍長の二人はその腕をもって合流に成功し、出撃したと予想されていたが、後日特攻機らしき機体の残骸が発見されたとの報告を受け、処理班が現場へと向かった。そしてそこで彼らが見たものは……
今日は墜落したらしい味方航空機のもとに向かう……のだが、既に遠目から見て分かる程の黒煙が原生林の中から立ち込めており、機体が無事ではないであろうことは安易に想像できた。
「うっ…なんなんだこれは……」
そこにはあたり一杯血とガソリンの焦げ腐った匂いが充満していた。
積んでいた八〇〇キロが爆発したのだろうか?機体はばらばらで遺体もあたりに飛び散っており、最早遺体と言っていいのかすらわからない。
これじゃあ、どこの誰だかはわからなさそうだな…
「隊長!」
「どうした?」
「これを……」
それは千人針だった。
―――近藤行雄……か。
「この状況で、よく残ったものだ…くれぐれも丁重に扱え。それと、他に遺品がないか念入りに探すんだ。それが俺ら処理班にできる散った飛行士への唯一の弔いだからな。」
「はっ」
結局、近藤伍長が残した遺品は千人針だけであり、石渡軍曹から突撃の通信もなかったことから特攻は失敗したと判断された。
彼の最期は最後まで分からず終いだったが近藤伍長の機体が見つかっただけでもまだましというものなのだろう……
同年一一月二五日出撃可能な飛行士が俺と奥原しかおらず、その上戦局は悪化していく一方。
当然戦力回復の機会など与えられるはずもなく三度目の出撃令を受理することとなる。
幸い二度目のように灰色の景色ではなく絶好の攻撃日和といえた。
ただ、失念していたのだ。
空は一つであることを……
「敵襲!」
出撃直前に基地に轟いたのは基地員の歓声ではなく悲鳴と敵機が飛来する航空機独特の飛翔音だった。
「敵は米艦載機群、対空要員以外は退避しろ、急げ!」
この時私と奥原は機体に乗り込む直前であり、滑走路もど真ん中。
退避壕からはとてつもなく離れていた。しかし、滑走路上の航空機というのは攻撃側からすれば絶好の的である。
そこのことは昔攻撃する側であったからよくわかっていた。つまり…
逃げねば死ぬ
「走れ!走れぇぇえええ!」
味方対空砲が空をまだら模様に染め上げるも奮闘虚しく、敵機は刻一刻と迫っており敵編隊の先頭に位置する機からは既に黒い塊が落ち、それが爆弾であることは安易に想像できた。
「奥原、早くしろ!」
奥原の機体は私の機体より滑走路の奥にあり、その分退避壕から遠い位置にあった。
懸命に走る二人。
しかし、現実というのはそう、都合よくは進まない。
二人の上空を敵の攻撃機が通り過ぎた直後……黒い塊が空から落ちてくる…
爆弾だ。
爆弾というもので人にとって最も恐ろしいのはその爆風ではない。
それとともにやってくる鉄片や土煙で、逆に言えば滑走路脇に退避してしまえば問題はない。
幸い私自身は既に退避出来ていたのだが……
滑走路には奥原がおり退避できてはとても言える状況ではなかった。
しかし、私にはどうすることもできず
ただ、できたことといえば
目に映った奥原の絶望に染まったその瞳を目に焼き付けるだけだった……
耳をつんざく轟音と共に奥原の体は散り散りになり最早遺体さえ存在することは許されず、私はただただ敵が過ぎ去るのを待った。
そして敵が去った基地に万朶隊として残っているのは私と数名の整備士だけだった。
当然、次の出撃は単機で出撃したのだが……
天候不良で敵を見つけられず、無戦果で帰還。
勿論その後出撃の命があっても帰ることをあきらめるつもりは毛頭なく、散って言った戦友の分も生きてやろうという気でいた。
そんな時だ。彼からまた会おうという連絡が来たのは。
「お久しぶりです。佐々木伍長、いや、“幽霊”とお呼びしたほうがよろしいですかな?」
「ハッハ、それにしては福湯さん、顔色が良く見えるのではないですか。足も、このようにありますしね。」
彼は福湯さんといって軍の報道員の一人だ。最初の出撃前の飲み会以来仲良くさせてもらっている。
「ハッハ、それもそうですな。まあ、ここに来たのは最期の声を記事にと思って取材した兵が何度出撃しても生きて帰ってくると風の噂で耳にしましてな。
再び取材させてもらう。
表向きその目的で来たのですが……
正直怪我か何かしていて出撃できないだけかと思い、見舞いに来たつもりだったのです。しかし……その様子もない。一体いかがされたのです?」
「いえなに単純なことですよ。たった一隻だけ沈めてむざむざ死んでしまうより何度も何度も帰ってきて生きていると仕事がはかどる。
ただ、それだけです。おたくらがいくら大きいネタでも自分の身を亡ぼすようなネタは書かずほどほどのネタで抑えているのと同じですよ。
それに、まだそんなに出撃したわけじゃあありません。たったの四回、まともに攻撃できたのは一回だけです。」
「そう、ですか……」
「ハッハ、いい情報を提供できなくてすみませんね。」
「いえ、いいんですよ。世の中の不思議は案外単純なことだとも言いますし…まあ、そういうことなんでしょう。
さて、私はこれで失礼してもよさそうですね。
どうやら何か見舞いがいるわけでもなさそうなんで……これも、必要ないですよね?」
そういって彼が取り出したのは……焼酎だった
「いるに決まっているでしょう。宿舎に秘蔵の肴がありますから、ね?」
「仕方がありませんね~一杯だけですよ?」
「勿論です。」
そうして、夜は更けていった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます