第四章 それぞれの思い



四四年一二月四日俺と相方である佐藤の二機は万朶隊と呼ばれる特攻部隊の護衛を務めることになり一路海上を飛行していた。


護衛対象は一機あったが護衛期は私のほかに相方だけという大変少数での護衛であり敵に見つかれば正直護り切れるかどうかは怪しかった。


しかしながら俺たちが護れなければ敵艦に体当たりするという壮絶な覚悟を決めた勇敢な飛行士を犬死させることになる。


当然ながらたとえこの命が散ろうとも護ろう。そう、決めていた。


なのに……………


敵機に遭遇した時、既に奴の機影は遠くに霞んでいた


逃げたのだ


結果、護衛機だけが敵中に取り残される形になり守るものもないまま敵の攻撃を一身に受けることとなってしまった。


護るものもない護衛に意味はないと早々に離脱を試みたが敵が許してくれるはずもなく、エンジンカバーを吹き飛ばされ命からがら離脱した……



「貴様!また戻ってきおったな!しかも味方を見捨てて!

長官からは確かにやり直してもよいといわれておったがな、

味方を見捨てて、囮にして逃げ帰ってきてよい

とは一言も言うておらんのだぞ。

貴様それほど命が惜しいのか!この腰抜けめ!」


「連絡をしなかったのは申し訳ないと思っております。しかし、たったの二機で私を守り切れるとはとても思えなかったのです。この分は、また沈めてまいります」


「体当たりのほうが確実に当たり、敵を撃破できる。そうすれば、帳消しどころか英雄になれる。そのことを、忘れるな……」



四四年一二月五日出撃前の滑走路上には角を生やしたヨンパチとその横にはもう一回り小さな単発機、九九式襲撃機が三機鎮座していた。

そのさらに横で整備士たちは最後の点検をしつつよくあるちょっとした話に花を咲かせているのであった。


「…何度でも帰ってくるというふざけた幽霊はあいつか?」


「そのようです……全く、本当にふざけてる。私たちは死ぬ覚悟を決めてるっていうのに。幽霊は毎回毎回堂々と帰ってくる。陸軍初の特攻隊隊員といいますが…その風上にも置けませんね。」


「全くその通りだな。そんな奴と行くなんて鉄心隊のやつらも浮かばれん。」


「それぐらいにしなさい。

彼はまがいなりにも何度か敵を沈めている英雄だ。

新入りの中には彼のように帰れるかもしれないとわずかな希望を持つのもいる。

それに、彼だって死ぬ覚悟を決めていないわけじゃない。

空を舞う戦士である以上覚悟は決めているはずだ。

きちんとした戦果を挙げて帰ってくるならだれであろうとどんな任務であろうと文句は言うもんじゃないよ。

それと、彼を侮辱することは同じく出撃する中尉は勿論、他の特攻隊員、何なら世界中の飛行士を侮辱することになることぐらいわかっているよね?」


「………っ!こ、これは司令官閣下申し訳ありませんでした。」


「別に良いよ。君の考えがわからないわけではないからね。

ああ、それと。もし、他に君と同じ考えの人がいるなら私にいってくれと伝えてくれ。彼に帰ってこいといったのは紛れもないこの私だ。

彼を、責めないであげてくれ。」


「はっ!しつれいしました!」


慌てて去っていく整備士たちの様子に笑みを浮かべて見送った後、そのままの顔で佐々木たちの方へ向き直り…


「さて…………佐々木君、松井君、今日も新しい戦果を期待しているよ。その芯を曲げることなく責務を全うしてくれ。」


「ご心配には及びません。今回もその責務を無事全うしてまいります。司令こそ最近お身体の調子が優れない御様子。健康には十分ご注意ください。先に行かれては困りますので。」


「ハッハッハ、ついに君にまで心配されるようになってしまったか。

大丈夫、見た目ほどは疲れていないよ。それに、君たちを見送るのが私の責務の一つでもあるんだ。

散々責務を果たせと言ってきてそれを自らが怠ることはできない。君たちの幸運を祈っているよ。いってらっしゃい。」


「はっ、鉄心隊並びに万朶隊出撃します。」


機体に乗り込み羽ばたいていった四つの機影を見送る富永の顔は佐々木の言う通り目にはくまが出来、やつれた顔をしていた。

しかし、彼らを見送る場でだけはその様を見せないよう、

散りゆくかもしれぬ彼らの舞台を照らせるよう、

彼もまた戦っているのであった。



今日の空は程よく低い雲が出ており敵に見つからずひっそりと近づくには最適であり、編隊が乱れることもなく無事レイテ湾へと進出することが出来た。


敵艦隊上空へ向かって雲を使って接近した後、一機に襲い掛かる


敵からは無数の弾が飛んできており機体の周りは敵弾で埋め尽くされているように見えた。


しかし、今日も帰る。

あそこにいる敵大型艦を沈めて帰る。

たとえ機体がボロボロになろうと

不時着する羽目になろうと

ジャングルを彷徨う羽目になろうと

帰る。あの基地へ。


何度でも、何度でも。


怯まず機体を敵艦へ向けて突っ込ませる。

海面がぐんぐん迫り、敵艦の姿はどんどん大きくなり

敵弾が至近を通る回数も増す。

がもう慣れたものだ。

敵艦にぶつかるギリギリまで引き付けて投弾する。


戦果を確認する暇もなく、回避運動をしながら海面すれすれを離脱する。

ちらりと見た限りでは煙こそ上がってはいないもの艦は傾斜しており撃沈は確実とみて間違いはなかった。


今日も今日とてあの基地へと帰還する……

隣を舞う機影は…無し。


鉄心隊の奴らは皆敵艦に突っ込んだか、悲しいが撃墜されたとみて間違いないだろう。

にしても空しいものだあんなに生き生きとした目をしていた飛行機乗り達が、もうこの世にいないなんて…俄かには信じがたい。

だが、それが現実だ。それが戦だ。


実に……悲しいものだ……



空戦パイロットとして空を舞えるだけの技量があるのなら民間のパイロットとして多くの空を紡ぐことだって、エンジニアとして多くの人を救い、皇国を繁栄に導くことだってできただろう。しかし、もうその未来が訪れることは二度とない。


私が彼らに対しできるのはその責務を全うできたことを祈り、彼らがその胸に秘めし思いを受け継いでいくことだけだ。



さあ、帰ろう。忌々しき基地へ



無事帰りついた翌日、佐々木は司令に呼び出され司令部へと出頭した。


「こんにちは、幽霊…いや、死んだのは二回目だから幽霊でもないのか亡霊とでも呼ぶべきかな?」


「なんとお呼びいただいてもかまいませんが死ぬのが二回目というのはどういうことで?」


「いや、これまでは最初の出撃以外、正式に死んだことにはなっていなかったんだけどね?

今回、どこぞの亡霊が戦艦とみられる大型艦撃沈の大戦果をたたき出すもんだから流石に無視できなくなってね。

君を戦死扱いにする代わりに金鵄勲章と旭日章をよこしてきた。

要は心を痛めてまで特攻を命じているのに通常攻撃で敵大型艦を沈められちゃ示しがつかないからこれを受け取って死んでくれというメッセージだろうね。

全く忌々しい限りだよ。

まあ、しかし勲章をもらったことは事実だから誇りに思う分にはいいと思うよ。

伝えることは以上なんだけど流石に呼び出さないわけにもいかなくてね。時間を取らせておいて申し訳ないけどもう、帰ってもらってかまわないよ。」


「では、それだけ拝借して亡霊らしく表向きは眠りについておくとしましょう。それに、亡霊というのも案外悪くないかもしれません。なんせ、不死身ですから。」


「はっは。確かにそうだね。では亡霊こと佐々木君にはこれからも任務に励んでもらうとしよう。」


「無論であります。では、私はこの辺で。失礼しました。」



「なあ、猿渡参謀…私は……正しいのだろうか?彼らを死に追いやるだけの死神ではないのだろうか?」


「そうではない……とは言い切れませんが少なくとも彼のように本意を酌んでくれる者がいることは確かでしょう。

それに…この戦に勝とうと負けようと彼らの死が無駄になることは決してありません。なんせ、ここまで危うい作戦を行うほど日本は衰弱しているのです。

この戦の後再び皇国が道を踏み外さぬための分かりやすい道標になってくれると私は思いますな。少なくとも私だったら家族の道標になれるのなら本望です。」



「そう……だろうか?」


「無論です。ですから、私たちを心配させるようなことはしないでいただきたいものですな。

彼らが死なぬよう頭を回すのは結構ですが腹が減っては戦はできぬと言います。

せめて飯ぐらいはきちんとお食べください。肝心な時に倒れられればたまったものではありません。」


「わかった。善処するとしよう。」


「できれば確約を取りたいですが……無理はなさらぬよう…」


「はっは、彼らとともに行くまでは私も死ねんよ。」


「…そう、ですな……………」



彼らと共に飛んでから九日後

今度基地で愛機の隣に並んでいたのは一回り小さい機ではなく逆に一回り大きい機体だった。


軽爆の名がつくヨンパチとは異なり彼らには重爆、呑龍の名を冠している

今日はその呑龍で構成された特攻部隊「菊水隊」とともに出撃、敵を沈めて帰ってくるつもりだった。


が、しかしエンジンの不調で離陸に失敗、彼らを手を振って見送ることしかできなかった。

後日、彼らは敵艦隊到達前に全滅したという報が基地に届いた。やはり、敵艦隊に鈍重な重爆が到達するのは無理があったという事だろう。



翌々日、今度はまたもや単機での出撃。

単機な分、編隊飛行の配慮が必要ないため、爆撃機にしては優秀な速力を存分に生かし順調に空へと舞い上がる。

空は晴れ渡り、雲があたりを漂っている。

日の光は海面に反射し上下から機体を照らす。

たった一機で飛んでいるはずなのに不思議と一人な気はしなかった。


「いた……」


眼下に見えるは敵の大艦隊。ミンドロ島に集った敵の数は遠目からでも三十隻を超えている。敵艦の造形からして空母も交じっているのは間違いない。

しかも、敵艦隊の上空は雲一つない青空

運が良くても敵艦載機に叩き落されるのがいいところだろう。


私の任務は敵をより多く沈める事、こんなところで死ぬことじゃない……


その日、私はまた爆弾倉を空にして飛行場へと帰還した



帰り着いた基地にある我が家「航空寮」にはまた、新たに編成された特攻隊隊員たちがよく引っ越してきており。いつも帰ってくるという噂からか時折私の下へ訪ねてくるものがいた。


その日やってきたのは精鋭と噂の元第七五戦隊、現「若桜隊」池田伍長だった。


「失礼します。」


そのいかにも思い悩んでいますという顔に思わず笑いそうになってしまったがなんとか堪え、とりあえず話を聞いてみる


「そう、硬くならなくていいよ。どうしたんだい?」


「佐々木さんは…その……なぜ、帰ってこられるのですか?」


「…そんな難しい話じゃないよ。そう、ただ犬死したくないから。」


「死にたくないから……ですか、ではなぜ特攻隊に?」


「そうだな……その質問に答える前に、池田さんは少し勘違いをしているようですね。」


「勘違い、ですか?」


「そう、犬死したくない。と、死にたくない、は違う。ということ」


「……どういう、ことですか?」


「死にたくないというのは当たり前のことでしょう。

私たちは自殺願望者とは違うはずです。

『敵を沈める』

その任の上で敵、そして機と共に散るという選択をしているにすぎません。

私だって死ぬ覚悟ぐらい空を飛ぶと決めたときからできています。

空を飛ぶという夢の対価に危険はつきものということぐらい昔からわかっていました。

池田さんだって、そうでしょう。」


「はい。それはそうですが……しかし、つまり、特攻で死にたくない、と?」


「いいえ、特攻だろうと何だろうとそれ以外で自分の役目を全うできなくなる日が来れば、いつだって死んでやります。

しかし、幸い私はまだまだ元気です。

何度だって戻ってきて何度でも敵を沈めることが出来ます。

しかし、特攻前提で出撃してはその機会を無駄にすることになってしまう。

それだけはしたくない。

だから私は帰ってくるし、

だから私は犬死したくないと、機会を無駄にして死にたくはないというのですよ。

まあ、だからと言って特攻で死んでいった彼らが犬死したと言うつもりはありません。

彼らは彼らなりの信念を持って行った。なればそれは他人が犬死と言って穢すことはできません。」


「そう、ですか。すみませんでした。私は一瞬あなたを死にたくない臆病者と勘違いしてしまっていました。すみませんでした。」


「いえ、構いませんよ。なれていますから。それと、もう一つ理由がありまして、私は志願したわけではないのですよ。

気づいたら万朶隊の隊員にされていた。

それで何度か出撃して、幸運にも帰ってこられた。

そして気づけば世間では死んだことにされていた。

だからここいらでは幽霊やら亡霊やら言われている。本国では国を護って散った軍神扱いじゃないかな?

それなら、一度死んで神様になっているのに何を死に急ぐ必要があるんだい?

生きて敵を沈められればそれだけ国の、内地で待つ人々のためになる。

だから私はまた軍神として、出撃するさ。」


「そう……でしたか………」


「ただ、ここにいる皆に共通する受け売りの言葉があってね。

『君たちの任務は敵に体当たりして死ぬことじゃない。敵を沈めることだ』

ってね。」


「……分かりました。ありがとうございます。せいぜい命ある限り戦って見せますよ。」


「そうですか、少しでも悩みが晴れたのなら、よかったです。」


「失礼しました!」



彼と話した翌一八日、またもや出撃の命が下った。横を飛ぶ予定の機は鉄心隊の生き残り長尾伍長でその二人をデング熱にかかったと噂の富永司令が見送りに来ていた。

その顔はとても見送れるような元気な体には見えなかったがそれでも見送りに来ていた。


そして訓示も終わりいよいよ機の出力を上げて出撃という時―――


「頑張ってこい。佐々木!!!」


風防越しに声が聞こえた。司令だ

軍刀を掲げ仁王立ちで叫ぶその姿はとても病人の姿ではない。そう、まさしく軍神そのものだ


「頑張って来い佐々木、わしは何時までも待っておるぞ!!だから、今日も、帰ってこい。敵を沈めて、帰ってこい!!!」


「はっ!」


この距離では聞こえないとわかってはいてもそう、返礼しないわけにはいかなかった。

司令が無理をしてまでここに来ていることはもう、隊員たちの間では周知の事実だったからだ。


今日も、帰らねばならない。


愛しきこの飛行場へ

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