第6話

 笹木辰虎が退職後、再任用や再雇用の誘いをすべて断り、この山奥の空き家と田畑を退職金の一割で買い、夫婦で移り住んだのが十五年前。住民は等しく親切で、実に温かい人情味あふれる田舎らしい田舎だった。

 よそ者である笹木家の二人に対して、一種の壁のようなものを感じなくもなかったが、それは仕方がないことだろう。辰虎にしても、人間の闇に触れ続けていたことに疲れ、この田舎を選んだのだ。ある程度の距離を取って貰うのは有難く思っていた。

 しかし、警察を退職した身だ。他人に干渉してはならない、そういう思いが反動的に強すぎたのかもしれない。あの時辰虎が抱いた胸の奥のモヤモヤを放置していなければ今回の事件は防がれたかもしれない。辰虎は一か月前に目にした光景を改めて思い起こした。

 七月の初め、早朝から降り始めた雨はあっという間にその勢いを増し、上流にあるダムの放水を知らせるサイレンが鳴り響いていた。

 前日には夜半まで風が強く、水路にゴミが溜まってしまっている恐れがあった。排水が滞って水路から水が溢れると後が面倒だ。夏場は中が蒸れてしまうだけの役に立たない安物の合羽には見向きもせず、寝間着のまま家を出た。

 水路が問題なくその仕事をこなしているのを確認でき、中腰で覗き込む姿勢から、慢性的に痛みを感じ始めた腰を伸ばした時にそれは視界に入った。

 野田邸から出て来た三人は、揃って慌てた様子だった。遅刻しそうな学生のように。

 時刻は朝六時。こんな雨の日にあの空き家でやる正しい行いなどないはずだ。明らかに何か悪しきことが行われていたのだろう。

 辰虎は、数人が保全活動とは無縁と思える状況で空き家に出入りするのを見ていた。それがこの時の様子が特に胸に残っているのは、慌てふためく様子に悪しきことを隠す余裕が無かったからだ。

 その三人は、眠ってしまったところ、放水のサイレンで目覚め、朝が来ていることを悟り飛び起きた。そういう様子だった。

 辰虎もこの日以外の時は、野田邸に出入りする人間は掃除のための箒やバケツを手にしていたから、不審な点が少々あろうと相手の思惑に敢えて乗り、気にしないようにしていた。だが、もう目を背けてもいられない。そこに出入りする人数はバラバラでも、必ず飯室幸子の姿があったことに。出入りする女は決まって彼女一人だったことに。

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