第3話

 集会所の二部屋を警察に貸し与え、四人の警官により住民たちからの聞き取り調査が進められていた。それを終えた住人達は、次々に家路につく。最後に辰虎が呼ばれるまでの一時間に、消防関係者が一度顔を出しただけで、事件直後特有の慌ただしさは皆無だった。

「笹木さん、順番ですよ」

 奥の部屋から出て来た老婦人に声をかけられ、ありがとうと手を挙げて入れ替わりに部屋へ入った。まるで病院の待合室だな。そう冗談を言いながら入室したが、長テーブルに並んだ制服たちの顔は固かった。

 辰虎は進んで最後の順番を選ばせてもらっていた。もちろん聞き取りで得た情報を入手するのが目的だ。元警官とはいえ、今は一般市民だ。簡単に情報は教えては貰えまいと思っていたが、それは杞憂に終わった。

 辰虎が探りを入れるよりも早く、向こうから仕入れた話をまとめたものを聞かされ、意見を求められた。警察機関における縦社会の間違った体制に、この時ばかりは辰虎も感謝した。

「まずこちらで把握していたことですが、最初に通報があったのが午前一時十五分で、その後の五分間で三回それぞれ違う人物から通報がありました。消防が野田邸に到着したのが一時三十分。その直後、一五〇メートル離れた倉庫から出火。両方の焼け跡から、ポリ容器が発見されています。その数は住居に二個、倉庫に一個。倉庫にあったポリ容器は開けられた形跡はなく、倉庫内にありましたが、住居側に残された容器は空で、中身の灯油を布団に撒いた後に裏手の竹藪側に投げ捨てたようです。倉庫の火元は、壁際に積み上げられていた藁で、こちらには灯油等が撒かれた形跡はありませんでした」

 そこまで一気に説明した警官も、最初に顔を見せた若い警官ほどではないが緊張しているようだった。

 辰虎は腕組みをして目を閉じたまま言葉を発する気配がない。やや間を置いたのち、四人の中では一番年長の佐伯さえきと名乗る男が話し出した。

「聞き取りからはめぼしい情報は得られていません。深夜ということもあり、ここの住民全てが眠っていたそうで、不審人物の目撃はゼロ。物音、匂い、その他についても出火以前普段と違うことに気が付いた人もいませんでした。笹木警……笹木さんはそのあたりは何か?」

 報告とは違う質問の形の言葉を投げかけられ、辰虎は顔をようやく上げて答えた。

「何もないな。夏の農作業は体に堪える。夜は疲れてグッスリだ。みんな同じだろうて」

「そのようですね。では、ここ数日間で不審な人物だとか、気になること、なんていうのは……」

「ありゃせん。ここ何年も平凡な変わりのない日々だ。たまに葬式があるくらいでの」

 警官たちは揃って冴えない表情だ。

 放火事件で目撃情報がないというのは、容疑者特定に至るにはあまりに厳しい。物証も多くは焼けてしまうので期待できない。現場の足跡採取も行ったが、空き家の保全を複数人が善意で行っていたこともあり、特定できそうもない。

 都会の放火という行為そのものが目的の場合は、乱暴な話、次の放火を待ち新たな手掛かりを得ることもできるが。

 ふと辰虎の脳裏に一人の人物が浮かぶが、可能性としては限りなく低い、と思われた。

「何か思い出したことでも?」

 その警官は、辰虎の僅かな表情の変化に声をかけた。

「保険はどうなってたろうかな。田舎の人間てのはな、何でも周りに相談して、周りに合わせようとする。以前だれぞやの親戚で保険屋がいてな。ここらの家全部そこの火災保険に入った。野田さん所ももちろん入っとったが……。野田さんの息子に連絡は?」

「先ほど取れました。保険ですか……それは確認していませんが、どうでしょうね。最初は家が燃えたと聞いて驚いた風でしたが、全く関心がない様子で。自分の生家が焼けたというのに、空き家になるとあんなもんなんですかね。最後には、これで処分するきっかけができたとか言ってはいましたが、あれはシロでしょう」

 辰虎はその息子、野田正一の顔を思い浮かべながら話を聞いていたが、確かに今回焼けた家にも土地にも無頓着だった。地域の人間が勝手に掃除をしているとはいえ、そのことに対する礼はおろか、家主の葬儀以来顔を見せたこともなかった。

「現役警察官の皆さんはどういう可能性があるとお考えかな?」

 正直辰虎には何も浮かんでこなかった。仮に野田氏に恨みがあったものがいたとしても、本人はとうに亡くなっている。今更火を放っても仕方がなかろう。唯一火事になって得をするであろう正一の疑いは限りなく薄そうだ。

 普通であれば<放火>そのものが目的であったとなりそうだが、二つの離れて建つ家屋と倉庫が同一人物の持ち物であると知っているのは、この集落に住むもの以外は知らないだろう。外部の人間がたまたま田舎の道に来て、離れた場所にある二つの建物に火を放ったら、たまたま同じ人物の所有物だった、などという可能性はどのくらいだろうか。

 目の前の警官たちも同じようで、今の段階では可能性の話ですら絞られないようだ。

「現時点では何とも。とりあえず火災保険の件については確認してみますが。しばらくの間は、消防と連携して周囲のパトロールを行いますので。本日はありがとうございました」

 期待していた笹木元警視からも有益な情報が得られず、あからさまに落胆した様子の彼らにねぎらいの言葉を一言かけて、辰虎は席を立った。

 そして、家に向かって歩き出した辰虎の背中に声がかけられた。

「すいません笹木さん!」

 振り返ると、終始話を端で聞いていただけだった女性警官が手を挙げて声を張り上げていた。

「ここの鍵はどうしたら?」

「そんなもんはない! 雨だけ入らんように窓と扉だけ閉めといたらええ!」

 そう言って辰虎は背を向けた。

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