第6話 祠

「これだ」


 歩き始めて一分もしないうちに、ツヨシは道端で立ち止まった。


「……なんだ、これ」


 それを見た俺とヒサは数秒、思考を停止させる。ツヨシが見つけたのは下山の手掛かりではなかった。

 ほこらだ。そこにあったのは小さな祠だった。大きさは一メートル程度だろうか。中央には戸があり、何か入っているのがうっすらと見える。これを見つけて、ツヨシは俺たちを呼んだのか。


「なぁ、お前ら。こんなの見たことあるか」


「え?」


「いや、来る途中に、こんなのあったかって」


「……そういえば、なかったかも」


「あ、あぁ。前に見た覚えもないな」


 言われてみると、その祠に見覚えはなかった。それなりの大きさではあるし、いくら夜道でも途中にこんなのとすれ違ったら多少は意識をするはず。肝試しに行く最中ならば尚更だ。加えて、過去に九句里山を訪れた際にも、このような祠があった記憶はない。

 ぞわっと、俺は背筋に嫌なものを感じた。うっすらと鳥肌まで出ている。


「も、もしかしてさ。これってこの九句里山の神様を祀っているものなんじゃないか」


「ど、どういうこと?」


「だからさ。この神様に謝れば、家に帰してくれるんじゃないかって」


「…………」


 俺とヒサは沈黙した。このような場ではさすがにツヨシも冗談は言わない。本気で言っている。本気で、神に祈れば家に帰れると信じている。

 あまりに非現実的だ。そもそも、この祠が神を祀っているものとは限らないし、謝れば許してもらえるとも思えない。実際に幽霊や化け物に襲われているならともかく、現状はただの遭難だ。神頼みをするのは最後の手段だろう──と、普段の俺なら考えるかもしれない。


「そう、だな。やってみるか」


 俺はツヨシの意見に賛成することにした。

 確かに、非現実的、非科学的、非常識的なことかもしれない。だが、今の俺たちが置かれている状況もまた、あり得ない事態であることに違いない。ならば、少しでも可能性があるなら実行するべきだろう。たとえ、それが自己満足に近い行為だったとしても。


「お、俺も賛成」


 ヒサも同意する。彼もまた、俺と同じ結論に至ったようだ。

 三人で祠の前に一列に並び、手を合わせる。


「お願いします。家に帰してください」


 三人で同時に、目を瞑りながら、神に祈った。

 気が付くと、手が、脚が、全身が震えている。まさか、こんな事態になるとは想像もしなかった。きっと、ツヨシやヒサも同じ気持ちだ。無意識のうちに、俺たちの心の中では死のイメージが造り上げられてしまっている。この森を永遠にさまよい、やがては飢えで倒れ、蛆に集られながら骨へと朽ちていく未来が。

 頼む。神様。許してくれ。今、俺の中にあるのは誰に告げているのかさえ分からない懺悔の言葉と、家に帰りたいといった想いだけだった。

 祠の前で祈ってから一分ほどが経った頃だろうか。ふと、俺は何かの気配を感じて、ぱちりと眼を開けた。左右を確認すると、ツヨシとヒサはまだ祈りの最中だった。

 なんだろう。今、確かに、どこからか、声が聴こえた気がした。一体、どこから──っ。

 周囲を見回して、ようやく気付いた。


 祠だ。この祠の中から、声がした。


「はぁっ、はぁっ」


 呼吸が乱れる。全身から汗が流れ落ちて、異常に喉が渇く。たまらず俺は唾を呑み込んだ。


「どうした、ノブ」


「おい、大丈夫か」


 ふたりも俺の異変に気付いたのか、声をかけてくる。しかし、その言葉よりも、俺の耳には先程の声がまだ残っていた。どうやら、ふたりには聴こえなかったようである。

 何か、伝えようとしたのか。この祠の持ち主は、俺に向けて。

 脳内では必死に現在の状況を整理しようと思考回路が全力で稼働していたが、理解が追い付かない。その結果、なぜかこの状況で、俺の脳はある行動を取った。


「……ノブ? 何してんだ?」


 一歩、俺は祠に近づいた。そして、閉ざされていた祠の戸に手をかけた。


「お、おい! ノブ!」


 ツヨシとノブの悲鳴にも近い怒号が響く。

 分かっている。自分でも、何をしているのか分からない。だが、これが多分正解だ。そして、俺は祠の戸を開けた。


「……これは」


 そこにあったのは縄だった。一本の縄が、祠の中に収められていた。


「な、なんだこれ」


「ノブ、なんだ開けたんだ」


 困惑した表情を浮かべながら、ツヨシとヒサは俺の顔を覗く。


「……分からない。勝手に体が動いた」


「はぁ?」


 言いたいことはごもっともだ。俺もどうかしていると思う。だが、体が勝手に動いたとしか言えない。反射的に、本能的に、先程の声を聴いて、俺の脳はこの祠の戸を開くことを選択した。


「……でも、なんでこんなところに縄があるんだ」


 ヒサの一言に、俺たちは一斉にその縄へと視線を向ける。長さはそこまであるわけではない。カタツムリの殻のように巻かれて収納されてはいるが、三メートルもないように見える。ただ、かなりの年季を感じさせられる。数十年、下手をしたら、数百年前の骨董品なのではないだろうか。

 一瞬、神社で見かける注連縄(しめなわ)かと思ったが、それにしても妙だ。あのように太い縄というわけでもない。そもそも、あれは外に置くものじゃないのか。祠の中に置いてあるのはおかしい。

 しばらくの間、俺たちは祠に納められていた縄に釘付けになっていた。時間にしては数分も経っていないだろうが、数十分、数時間も凝視していたようにも思える。


「……な、なぁ。もう、いいだろ。行こうぜ」


 ツヨシの一言により、俺は現実に引き戻された。


「そう、だな」


「行こうか」


 俺とヒサも同意する。お祈りは終わった。ここに長居する理由もない。そそくさと、俺たちは祠を後にして、再び下山ルート探しに戻った。



 それから二十分程度移動した頃だろうか。俺たちは我が目を疑う光景に遭遇した。


「おい……あれ、駐車場じゃないか」


 神への祈りが通じたのか。俺たちはあれほど探し求めていた山の出口に辿り着くことができた。幻や錯覚ではない。確かに、俺たちは戻ってきた。


「あ、あぁ……よ、良かった」


「おい、ツヨシ。泣いてるのかよ」


「ヒサ、お前だって……」


 ツヨシとヒサは涙を流しながら喜んでいた。当然、俺もそうだ。死すら覚悟した。だが、無事に家に戻れる。これ以上の幸福があるものか。ふと、俺はポケットの中から携帯を取り出す。アンテナは──四本立っていた。当然、圏外ではない。

 一斉に俺たちは車へと駆け込む。ツヨシがエンジンキーを差し込むと、無事に車は鈍い音を鳴らしながら、振動を始めた。俺たちは歓喜の声を上げる。


「よし、帰るぞ!」


 ツヨシの言葉を合図に、車は勢いよく発進した。こうして、俺たちは九句里山からの脱出を果たした。

 なぜ、あの山で遭難しかけてしまったのか。なぜ、祠で祈った直後に抜け出せたのか。そもそも、あの祠は何を祀っているものだったのか、俺が聴いた声の持ち主は誰だったのか。あの縄は何だったのか。そして、八月に死者が出る九句里山には何があるのか。

 謎はいくつもある。だが、そんなことはどうでもいい。今は三人そろって無事だったことを喜ぶべきだろう。

 しかし、まだすべてが解決したわけではないということに、俺はすぐに気付かされることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る