第2話 肝試し
「じゃ、行ってくる」
「何時に帰ってくるの?」
「さぁ。ツヨシとヒサ次第かな」
「もう、あんまり遅くなっちゃダメよ。日付が変わるまでには帰ってきなさいよ」
「それ、一人暮らしの息子に言うことじゃないと思うんだけど」
やや過保護気味の母親に見送られ、俺は実家を後にする。
思えば、昔から母さんは心配性の部分がある。地元を離れ、大学に行きたいと言った時も、いの一番に反対してきたのは母さんだった。それに対して、父さんは俺の意見を尊重して、進学を許してくれた。干渉してくる母と、放任主義の父親。この組み合わせがありふれたものということに気付いたのは地元を離れ、大学に入り、似たような境遇の人たちと出会ってからだった。
外はすっかり日も暮れ、周囲は闇に包まれている。ふと、空を見上げると、満点の星空が目に入った。数年前まではこの星空も見慣れたものではあったが、都会ではこのようにはっきりと星が見えることはまずない。以前までは特に気にもかけなかった景色ではあるが、こうして改めて見ると、とても美しい輝きを放っているものだ。電飾や機械が放つ人工的な偽物の光では決して敵わない、生命が放つ光とも言える。この星の輝きを見ると、いかに自分が矮小な存在なのかを痛感させられる。
いや、なんで俺は呑気に星を眺めているのか。そろそろ、ツヨシが家に迎えに来る時間なのに。スマホで時刻を確認すると、待ち合わせ時間を十分も過ぎていた。夏だから蒸し暑い程度で済むが、これが冬なら寒さで震えて地獄に違いない。
そんなことを考えていると、右方向から車のライトかと思わしき光が見えた。やっとご到着のようである。
「おう、待たせたな」
「遅いって」
「まあ気にすんな。ほら、乗れって」
待たせた方が「気にするな」というセリフを吐くのはおかしいだろと内心で呟きながら、俺はツヨシの車に乗り込む。同行しているはずのヒサの姿は見えなかった。
「ヒサは?」
「あぁ、先に待ってるぞ。んじゃ行くか」
エンジンが掛かり、目的地を知らされないままツヨシの車は走り出した。
一体、どこに連れていかれるのだろうか。せめて、法に接触しない場所であってほしい。俺の心にあったのはただそれだけだった。
「到着だ」
「え、ここなのか」
数十分、車に揺らされ、到着した場所に俺は間抜けな声を放つ。その場所は──どこかの山の麓だった。目の前には巨大な山の影が見えており、周囲にある建造物は街灯が数本立っているのみである。
確かに、一般道にしては道が舗装されておらず、車体が大きく揺れていたことを疑問に思っていたが、まさかこんなところに来るとは思わなかった。猿でもこんな何もない場所で歓迎会はしないだろう。ツヨシたちは一体何を考えているのか。
「おっ、来た。来た。待ってたぞ」
唯一の光源である街灯の傍で、ヒサはスマホを弄っていた。こいつもこいつでよくこんな薄気味悪い場所に一人で待機していたものだ。少なくとも、俺は
「ではノブ君の帰郷を祝って──肝試し大会を開催しまぁす!」
「……は?」
ツヨシの一言に、俺は耳を疑った。肝試し大会、と今言ったのか。こんな山の中で。どこから突っ込めばいいのか分からない。
「いや、マジで言ってるのか?」
「当たり前だろ。大マジだ」
「お前が帰ってくるって聞いて、こっちは十日前から準備してたんだぜ」
やはり、ろくでもないことだった。大人しくノコノコと着いてきた自分の愚かさを恥じる。夜道の山を歩くなんて、どう考えても危険だろう。下手をしたら遭難し、数日後の朝刊に名前が載ることになる。
「いや……さすがにこんな真っ暗の中で肝試しなんて無理だろ」
「安心しろって。これがある」
そう言うと、ヒサは鞄の中から花瓶程度の大きさがある筒を取りだした。
「何それ」
「懐中電灯だよ」
そう言うと、ヒサは筒を俺に向けた。瞬間、強烈な光が目元に当たり、咄嗟に首を振る。
「眩しいって」
「ははっ。こんだけ明るかったら大丈夫だろ」
ヒサが持参した懐中電灯はかなりの強い光を放つ代物だった。恐らく、ホームセンターなどで売っている防災用のライトだろう。物によっては数百メートル先まで照らすことができると聞いたことがある。
「まあ、これなら怪我をするってことはなさそうだけど……それでも、夜の山に入るのは危険じゃないか。遭難するかもしれないし」
「なんだ、そんなこと気にしてたのか。お前、ここに見覚えないのか」
見覚え──どういうことだろうか。まさか、ここは俺の知っている場所なのか。夜の闇に目が慣れたということもあり、俺は周囲をよく観察する。
すると、山道に入る入り口付近に、ある看板が見えた。看板には山のハイキングコースの道程が描かれており、その下にはハイキング中の家族の絵が添えられている。ペンキが剥がれかけており、相当昔に建設されたことが察せられる。
「あっ」
歯車と歯車が噛み合うような音が俺の頭の中で響いた。
「ここって、もしかして
「おう、ようやく気付いたか」
九句里山。それはここで暮らす者にとっては馴染み深い名だった。標高は四〇〇メートルほどの決して高いとは言えない山ではあるが、傾斜が緩やかであり、子どもでも登山が可能な山として地元の人々には親しまれている。特に、小中学校ではよくハイキングとして選定される場所でもあり、俺も学校の行事でもう何度訪れたのか覚えてないほどの場所だった。
「ここなら、目を瞑ってても遭難なんてしねえだろ」
「そ、そうだな」
九句里山の登山コースなら、俺も飽きるほど登頂しているということもあり、嫌でも体が覚えている。例え夜道だとしても、道なりに進めば迷うことは決してないと断言できた。
だが、どうしても──俺はこの肝試しに対して、乗り気にはなれなかった。
「どうした、ノブ。ビビってんのか」
「いや……そういうわけじゃなくて」
ツヨシやヒサは知らなくても無理はない。あの出来事は家族以外には誰にも喋っていないのだから、当然だ。
俺はこの九句里山に対して、若干、いや、かなりの苦手意識がある。昼ならともかく、夜なら尚更だ。まだ過去に殺人事件が起こった心霊スポットの方がマシだと思える。しかし、今のこの状況でふたりの誘いを断れるか、どうかと聞かれたら、答えは当然「NO」だろう。
十日前から準備をしていたと言っていたし、かなりの時間と労力をかけて、俺を出迎えるためにこの肝試しを企画したはずだ。もういい年をした大人がすることではないとは分かっていても、彼らの好意を裏切るのは心が痛むし、我ながら、かなり空気が読めていないとも思う。
断れない日本人の気質というやつだろうか。とにかく、選択肢は残されていなかった。
「あ、あぁ……もう、分かったよ。行くよ。行けばいいんだろ」
「おう、そうこなくっちゃあな」
「よし、じゃあ行こうか」
ツヨシとヒサに連れられて、俺は九句里山へと一歩踏み出した。
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