ベルと魔法使い

彩瀬あいり

前編

 魔法使いの呪いにかかり、百年間眠りつづけたお姫さまと、姫を目覚めさせた運命の王子さまの物語。

 それは、お伽噺にも似た伝説ですが、ブランデンブルク王国は、その伝説の国だといわれています。国王たちが暮らす城とは別に、少し離れた山間に建っている古い御邸が伝説の舞台となった場所であり、小国にとっては立派な観光資源でもありました。

 しかし「あの伝説のお城」などとうたったところで、実際のところはただの古いやしきです。建立から数百年は経過していますが、だからこそあちこちにガタがきているのです。邸までの道は整備されているものの、それっぽく見せるために這わせたいばら・・・のおかげで、夜になればホラーハウスです。子どもたちの度胸試しの場所と化します。

 財政難に苦しむ大臣たちは、一計を案じました。

 それが、「眠り姫の呪いを逆手に取って人を呼び込もう計画」です。



     ◇



「で、ベルが犠牲になったわけだ」

「だって仕方ないじゃない。クラーラはまだ五歳なのよ。あの子を眠らせるなんてかわいそうよ」

 姉である十五歳のアラベルは、お茶をすすって肩を落としました。

 波打つ金糸の髪と、新緑の瞳。外遊びが多いせいで日焼けをした肌はちょっぴり難があるかもしれませんが、この国の第一王女です。姫として、眠りの呪いを受けなければならないのだとしたら、姉である自分の役割だと考えます。

 王家に伝わる呪いは、絶対に発動するわけではありません。姫が誕生したところで、本当に眠りについた者は記録上わずかです。眠る期間についてもさまざまな、どちらかというとゆる~い呪いでした。いまの王家でも呪いは発動していませんが、意図的にその状態を作り出して、人目を引こうという作戦なのです。

 そして、その魔法を施す役割を担うのが、アラベルの前で薬草クッキーをかじっている魔法使いのエミル。

 眠り姫の呪いをかけたのは、女の魔法使いといわれていますが、エミルはアラベルと同じ年齢の少年です。長めの黒髪で隠しているのでよく顔は見えませんが、奥に隠されている瞳は深い藍色であることを、幼馴染のアラベルは知っていました。

 うんと幼いころは女の子のように可愛かった彼も、長じるにつれぶっきらぼうになりました。愛想をどこに落としてきたのでしょう。きっとこれが思春期というやつねと、アラベルは思っています。

 国家認定魔法使い(見習い)として国王に呼ばれたエミルは、アラベルに眠りの魔法をかけるよう依頼されました。どんな取り決めがされたのか、アラベルはその場にいなかったのでわかりませんが、なにかしらの報酬と引き換えに、依頼を受けたそうです。


 エミルが施す眠り魔法は、伝説の「眠り姫」とは異なっていました。

 まず、期間は十年。

 時短です。

 なぜ短縮させたかといえば、たんに眠っているだけなので、身体は普通に成長するからです。百年も眠っていると、そのあいだに寿命となり、目覚めることはないでしょう。魔法使いとしては、そんな殺人行為に加担できません。

 また、眠り姫への「お触り」は厳禁。

 これについては、ひと悶着ありました。

 そもそも眠り姫は、王子さまの口づけで目覚めるもの。

 眠り姫を興行として考えるならば、「さあ、あなたも眠り姫の目覚めに挑戦してみませんか?」となるのが普通ではないでしょうか。

 周辺国の王子さま、あるいは有力貴族に対して、「運命の相手として姫の伴侶となり、一国の主になれる可能性」という、人参をぶらさげているようなもの。そのご褒美を取り上げてしまうなんて、意味がないのでは?

 アラベルが問うと、エミルはムッとした顔となり、最近すこし低くなってかすれた声で言いました。

「おまえ、寝てるあいだ、誰彼かまわず、何十何百という男どもに口づけされたいのか」

「……う、そう考えると」

「寝てるんだぞ。動けないし声だってあげられないんだぞ。不特定多数の男のまえで無防備に寝て、触られる危険を考えないのか。まして、あれやらこれやら卑猥なことをされ――」

「いい、わかった。ごめんなさい」

「もっと考えろ、莫迦バカベル」

 憮然とした顔のまま、人前でははばかられる内容を淡々と言われたアラベルは、赤面してエミルを制しました。経験は(当たり前ですが)ありませんが、知識は持っています。初めてぐらい、好きな方と望んでそうなりたいものです。

 そうしてアラベルは、整備された御邸の一室で眠りにつきました。王女さまの花婿探しという名の、「国をあげた興行」のはじまりです。



 ずっと眠って、十年後に目覚めるのだと思っていましたが、アラベルには意識がありました。幽体離脱というやつです。長く身体から離れることはできませんが、御邸の内部をふわふわ動くことはできました。身体に戻って夢の中で、食事を取ることだってできます。すべて、エミルの魔法です。

「だって栄養取らないと、身体組織が死ぬだろ。運動しないと筋肉も弱くなるし、さぼってると起きたときに大変」

「エミルの魔法って、魔法なのに、なんか、こう」

「魔法は万能じゃない」

 だから、目的のためには、人間自身があがく必要があるのだというのは、エミルがいつも言っていること。こうしてアラベルの眠りに付き添っているのも、エミルの目的とやらのためなのでしょう。まだ見習いという肩書がつくから、それを正式なものにしたいのかもしれません。

 世界魔法連盟の基準は、非魔法使いのアラベルにはわかりませんが、「眠りの魔法を再現して、国の復興に寄与しました」というのは、かなり大きな仕事だと思います。

 ならばアラベルにできることは、この仕事を完遂させること。前任の魔法使いが拾って育てたという孤児のエミルが、偉大なる「国家認定魔法使い」の座を得るために、協力は惜しまないつもりです。


 物見遊山も含めて、各国からたくさんのひとがやってきました。お触り厳禁のため、基本的には遠巻きに鑑賞されますが、男性にかぎってはエミルの監視のもとで「運命の相手チャレンジ」ができます。

 口づけはご法度ですので、手をにぎり、声をかけるのがせいいっぱいです。アラベルは寝ているあいだに、山ほどの口説き文句を聞きました。

 寝台脇に腕組みをして立っているエミルの隣に浮く霊体アラベル。

「ベル、あの台詞はどうだ」

「うーん、上っ面っぽい?」

「失格。帰れ」

 こんな調子です。

 ごくまれに、霊感の強いひとはアラベルが「見える」らしく話しかけてきますが、そういったやからはエミルが断固排除です。

 そもそもこれは「王家の呪いによる眠り」ではなく、意図的に作り出した「呪いを模したもの」です。運命の相手による目覚めなど、起こるわけがありません。とんだ茶番でした。

 やがて十年の歳月が過ぎ、アラベルが二十五歳になる手前。事件が起こります。

 十五歳になった妹のクラーラに「呪い」が発動したのです。


 大騒ぎになりました。なにしろ、すでにアラベルが眠っています。エセ眠り姫ではありますが、対外的には「呪われている」状態です。妹姫まで眠ってしまうと、これまでの十年間がやらせ・・・だったことがバレてしまいます。国の信用問題にかかわる一大事です。

 アラベルは言いました。

「なら、私がその呪いを肩代わりすればいいじゃない。クラーラが受ける眠りを、私が引き受けるわ」

「でもおまえは、すでに十年眠りについているんだぞ」

 霊体アラベルと向き合って、父である国王は泣きそうな顔をしています。心労で老け込んで、白髪が増えているようです。その隣でさめざめと泣いているのは、母親でした。

「あなたにばかり苦労を背負わせて……」

「お母さま、クラーラの縁談が整ったのでしょう? お相手の方のためにも、クラーラが眠るわけにはいかない。大丈夫、あと少しぐらいどうってことないわ。私にそんなお相手はいないわけだし、なんの問題もないわよ」

 この呪いが解ける条件は、次世代が誕生すること。

 すなわち、次の眠り姫となる者が現れることで、呪いは移るのだと考えられています。

 アラベルの眠り姫効果で、他国からひとがやってきました。アラベルの相手がなかなか決まらないかわりに、妹への求婚者は増大しました。誰だって、生気のある美少女のほうに心惹かれるでしょう。当然です。クラーラはとっても可愛いのです。アラベル自慢の妹です。


 こうしてアラベルは、妹の呪いを肩代わりして、今度こそ本当に「眠り姫」となりました。

 とはいえ、状況はたいして変わりません。あいかわらず霊体として過ごしています。このまま時間が過ぎ、やがてクラーラが相手と正式に結ばれ子どもが生まれたら、眠り姫の呪いは消えることでしょう。

 安易にそう考えていましたが、そこから「姫」が誕生するまでに、十五年もの歳月が必要になるだなんて、誰も想像していなかったのでした。



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