第19話 神無月の夜②

「その、質問なんですけれど……」

 作戦開始前のブリーフィングで恐る恐る手を上げた叶は、周囲の視線を一身に浴びる。

「九郎さんは無事なんでしょうか。5か月以上もあの孔の中にいて、何の支援もなく……」

 彼女の言葉は言外に「生きているのか」と尋ねるに等しかったが、四谷は眉一つ動かさず淡々と答える。

「卑神の核である『御』を破壊されなき限り、卑神憑きの肉体が脅かされることはありません。例え水や食料、空気がなくとも卑神は神威顕装を解除しない限りどんな環境でも生存が可能です」

(……試したことがあるのだろうか)と訝しむものの、無事な可能性があることに胸をなでおろす叶。しかし四谷は「ただ……」と言葉を続けた。

「彼が今現在、どのような精神状態に置かれているかは分かりません。孔の向こう側で五か月、たった一人で」

「それは、前後不覚の状態に陥っているということですか? 先日の創一さんのように」

 隣の百合が挙手をして尋ねると、四谷が首を横に振る。

「もっと単純な問題です。5カ月間も音や光が満足になく、己を脅かす神性にいつ遭遇するか分からない。そのような状況で、いつまで精神を健全に保っていられるかは偏に彼の――根性にかかっています」

「そこはもっと、才覚とか……」

「人間、結局最後にモノを言うのは個々に培ったです」

 やや呆れ気味になった彌月に対し、四谷はそう言い切る。

「そして……彼にはそれが備わっていると、私は信じています」



 無限に続くと思われていた、孔内部の闇の深さ。しかし一部分には緩やかな丘陵の如き「底」があり、凄門はそこに横たわっていた。叶は地上へと細かい位置を伝え、クレーンは凄門の傍らへと殻烏を着地させる。

「九朗さん、聞こえますか!」

 語り掛ける叶の声に対し、凄門はぴくりとも反応を示さない。

「駄目です、意識はないみたいで……」

『外傷等はありませんか?』

「……あります。致命傷ではなさそうですが」

 四谷の言葉に凄門の体を改めた叶は、その異常をすぐに見つけた。凄門の左腕には夥しい数の刀傷が集中している。「これは……」と呟きながら、殻烏は傍らに落ちていた直刀を拾い上げた。

『恐らく自傷でしょう、意識を保つために』

「……ッ、とにかく予定通り回収します」

 殻烏はハーネスの一部を外し、凄門へと巻き付ける。併せて直刀も広い、凄門が帯びている鞘へと納めた。接続が問題ないことを確認し、頭上を見上げる。入ってきた"孔"からは外光が差し込んでいるはずだが、星の瞬きほどのものも見えない。

「凄門を確保しました、引き上げをお願いします」

『了解です』



「それではクレーン班と山科君、お願い致します」

 四谷の声に応じ、クレーンが低音とともに起動する。また傍らにいた創一――鍾馗も、引き上げられる注連縄を握った。

「行きます、付喪神よ! 伏してお願い奉ります!」

 創一が叫ぶとともに、ぶるりと注連縄が振動する。巻き上げられると同時に、注連縄自身も己の意思があるかのように自ら動き出した。

『同調、順調です。そのまま引き上げ続けて下さい』

「了解!」

 この日のため、出雲から古びた注連縄を調達したのは伊達や酔狂ではない。年を経て付喪神となった器物を操る鍾馗の能力。それにより、凄門の回収をより円滑に果たすことが目的だった。事実、クレーンのみで引き上げるよりも速く殻烏達はビルの屋上へと近付きつつあり――

「神祇院外局より入電、『八洲霊異図』に異常ありです!」

 本部テントに詰めていたオペレーターの一人が叫び、四谷達が色めき立つ。

 神祇院外局に設置されている、日本のあらゆる霊地・霊脈と繋がり霊的異常を察知するための地図「八洲霊異図」。それが異変を察知したということは、日本のどこかで卑神等を原因とする異常の発生を意味していた。

「場所はどこですか、やはり……」

 四谷の言葉に、オペレーターが頷く。

新和市ここです」

 一同の視線が、注連縄の垂らされた孔に集中する。そして――


『下から……来ます!』


 彌月に着けられた糸を伝い、叶の声が四谷の耳朶を打った。



(やっぱり、易々と行かせてはくれないか……!)


 孔を占める闇のなか、注連縄によって引き上げられ続ける殻烏と凄門。その二人を追って、眼下の闇のなかからゆっくりと姿を現すものがあった。巨大な半透明状の物体――先程遭遇した海月である。

 一見緩慢な動きではあるが、そもそもの体躯が生物としては常識外れに巨大だ。今どれほど距離が空いているのかすら正確には視認できず、油断していれば今すぐにでも掴まれる気さえする。

『御崎さん、大丈夫ですか⁉』

「さっきのクラゲです、捕捉されました! 何とか振り切って――ッ⁉」

 脅威なのは体躯だけではない。

 海月の外周に無数の何かが蠢いたかと思うと、それらが一斉に殻烏達へと襲い掛かった。夥しいほどの触手である。

「この数、それに……!」

 殻烏を狙い、襲い掛かる触手たち。しかし数もさることながら、問題なのはその大きさであった。接近して初めて分かるその大きさ、一本一本が最低でも列車ほどの太さがある。それらが上下左右、あらゆる方向から彼らを狙っていた。

「回避はこっちで何とかします、引き上げは続けて下さい!」

『分かった、何とか急ぐ!』

 接近する触手を盾で防ぎ、蹴りつける反動で跳び、要は上を目指す。しかし海月の上昇速度は殻烏たちよりわずかに速く、追いつかれるのは時間の問題であった。

 そして、問題なのはそれだけではない。


(上に出られたとして、このままあのクラゲを連れて行ってもいいの……⁉)


 脳裏に浮かぶのは、あの"くちなわ"の姿。

 海月が"くちなわ"と同様に外へ出るつもりなのか、出たとして何をするつもりなのかは分からない。しかし今まさに自分たちを狙うあれを、このまま誘導し続けるのは得策とはとても思えなかった。


「一体どうすれば……!」


 一際大きな触手を盾で受け止め、殻烏が痛打に晒される。しかしその陰に隠れていた複数の触手が背後へと回り込んだ。"先読み"で予測はできたものの盾は一枚、対応する術はない。

(こうなれば、九朗さんだけでも……!)

 自らを結えるハーネスに殻烏が手を掛けた、その時。


「頭を下げろ、御崎叶!」


 反射的に体が動く。迫る触手を背後から照らす、白い炎が瞬いた。


「零落神名帳――累祀かさねまつりて不知火しらぬい!」


 2人に迫っていた触手たちを、白光に輝く刃が薙ぎ払った。溶断され、"孔"の底へと触手が落ちていくなか殻烏が振り返る。


「もしかして、ずっと起きていたんですか? 九朗さん」

「半分死んでいたよ、さっきまでは」


 そう言いながら九朗――凄門は、注連縄を掴む己の右腕を見上げた。生々しい刀傷が至る所に残っている。


「零落神名帳・ひだるで体力の消費量を最低限にまで落としていた、お陰でほとんど仮死状態だった」

「仮死状態って……こんな場所でよく生きていられましたね」

「それに関して勝算はあったんだが……いや、今はいい」


 そう言いながら周囲を見渡す凄門を叶は訝しんだものの、今はそれどころではなかった。海月は未だに距離を詰め、こちらへ向けて触手を伸ばしている。まだ周囲を囲むだけに留めているのは、先ほどの〈不知火〉を警戒しているからだろうか。

 それにしても、と叶は先程の光景を思い返す。触手を薙ぎ払った〈不知火〉が、間合いも威力も以前と比べ強大になっている気がしたからだ。


「御崎叶、これを外してくれ」


 凄門は自分を縛るハーネスを指さし、事も無げに言い放つ。


「まさか、一人で残るつもりじゃないですよね」

「あんな海月と一緒に置いて行かれるのはご免だ。あれをどうにかしないと上へ戻れないだろう、一つだけ手がある」

「……信じますよ」

 殻烏がハーネスを解除し、凄門は腕一本で注連縄にぶら下がる。

『ちょっと、叶さん!』

 糸を通して強い声が叶の耳朶を打った。糸を通しての伝達役に徹していた彌月が、とうとう我慢できなくなったらしい。

『そこにいるんでしょう、何かしでかそうとしている大馬鹿野郎が! なんだか嫌な予感がするんだけれど……!』

「だ、そうですよ」

 彌月の声を伝えると、凄門はかぶりを振る。

「安心してくれ、俺一人が身を捧げたところで満足して帰るようなタマじゃないだろう。海月あれは」

「……何をするか先に聞いておいても?」

 九朗は頭上を見上げる。先ほどよりは上昇しているものの、孔の出口にはほど遠い。

「できるだけ高度を稼いでから、海月あれに一撃加える。あとは底に落ちる前になんとか拾ってくれ。どうせこのロープも上で山科創一が操っているんだろう」

「ロープじゃなくて注連縄ですよ、これ」

 叶の言葉に、ぎょっとして凄門は今握っている注連縄を見た。 

「何をさせているんだよ、あの局長は。……まぁ、やることは変わらない」

「一応確認しておきますけれど、私との約束。忘れていませんよね」


――生き残れたらあなたと……ちゃんと話をさせて下さい。今度は私を置いて行かずに。


 九朗が"くちなわ"によって孔へと引きずり込まれる前、叶と交わした言葉。


「このうんざりするような孔の中、仮死状態が途切れるたびに思い出すのは……今まで殺した奴のことと、果たさずにいるその約束のことだったよ」

「……分かりました、今は信じます。――どうぞ」

 殻烏が眼前で盾を構える。その意図を理解して九朗が頷いた。

「何があるか分からない、防御の構えだけは緩めるなよ」

「あなたの首に縄をかけてでも連れ帰るって決めてるんです、気にせずやって下さい」

「努力する!」

 凄門は注連縄を握る手の力を緩め、殻烏の構える盾の上に着地する。そして殻烏はボールをレシーブするように、凄門の体を打ち上げた。その瞬間、凄門も恩頼を発動する。


「零落神名帳・姑獲鳥〈うぶめ〉!」


 質量の減少した凄門の体躯が、殻烏の膂力と合わさり穴のはるか高くへと打ち上げられた。遥か眼下に見えるのは注連縄の先にぶら下がった殻烏と、その向こうの巨大な海月。

 直刀の柄に両手を添え、大上段に構える。技術も小手先の技もいらない、力任せの大上段。今はこれこそが最善手だった。


「"くちなわ"に、八雲あの女も――俺にをやらせたいんだろうが!」


 丹田に意識を集中し、そこに内燃機関を空想する。慣れているはずの動作、しかし今やそこに荒れ狂うほどの火力を秘めた液体が注ぎ込まれているような、制御不能の領域があるように感じていた。


「神力励起――彼目如赤加賀智而彼その目は赤加賀智の如くして!」


 脳から血液が一気に失われたかのような負担が九朗を襲い、意識がそうになる。〈累祀〉を遥かに超える、精神への負担。


「神意接続――身一有八頭八尾身一つに八頭八尾有り

 神気装填――其身生蘿及檜榲其の身に蘿と檜・椙生ひ!」


 己の中で荒れ狂う力を必死に制御しながら、九朗は意識を繋ぎ止めようと必死だった。暴風雨のなか大海原で一艘の小舟を、沈まないよう必死で操作するような心地。緩やかに落下し続ける凄門を目掛けて、海月が再び触手を奔らせる。


 やがて凄門の体内で生み出した熱が、直刀を経て外界へ発現した。


「神格隷属――其長度谿八谷峽八尾而其の長は谿八谷峡八尾に度りて

 神話再誕――見其腹者悉常血爛其の腹を見れば悉常に血爛れり!」


 落ちていく凄門の前で刃が緩やかに光を放つのを、殻烏は見つめ続けていた。

 叶は目を見張る。どうして、と声さえ漏らした。

 凄門の持つ直刀が燃えていた。しかしその炎の色は、〈鑪〉の赤でも〈不知火〉の白でもない。でも、知っている。その炎の色を知っている――それは世界を焼くほむら


 彼女の記憶の奥底で、今も燃え盛っているあの炎の色だった。


「零落神名帳断簡――汝、八俣遠呂智やまたのをろち也!」



「ああっ――」


 新和市の街中、ビルを見上げる一人の女の姿があった。女は周りの目も気にすることなく――実際のところ、周囲の人間はまるで彼女が視界に入っていないかのように振る舞っている――感極まった声を上げ、膝を突く。顔を覆う両手の指の隙間から漏れるのは、間違いなく女の涙であった。


「あぁ、九朗、九朗……! 私には分かる、あなたなのね……あなたが無事に炎を受け継いだのね!」


 掌を下げた女の顔に浮かぶのは、満面の笑みであった。女が気の遠くなるような過去から人々を惑わし、誑かし、卑神という左道を歩ませた、人の形をしているだけの災厄であると知っているものであれば、目を疑ったであろう。女――八雲の笑顔は、その少女の如き背格好に何ら恥じることのない晴れやかな笑顔であった。


「長かった、本当に……神代から続く私の命が、牢獄に囚われた魂が、ようやく報われる時が来た!」


 彼女は理解している。ビルの屋上、そこに開いた孔の向こうで九朗が何を継いだのか。


「初めてあなたに会ったあの日……あの村の窟で会ったあの時から、こうなると信じていた! あなたならやってくれる、終わらせてくれると……」


 八雲は両手を差し出す。慈母が赤子を抱くように両手をビルに向け、恍惚とした表情で。


「全部燃やして、炎の中に焚べて……私も、この泡沫のような世界も、全部!」



 力を解き放つと同時に刃を振り下ろし、宿っていた焔が刃筋を無限に延伸する。

 迫っていた触手達――最早触手という言葉に収まらぬ、一打ちで小さな町程度ならまとめて薙ぎ払えるほどの巨大なものだった――が、凄門へ届く前に焔へと触れて片端から焼失する。

 どこまでも続く孔の闇を、剣閃と化した炎が真一文字に斬り裂く。それは触手だけではなく、本体である海月に届き――何の抵抗もなく。焼き切れたのではなく、切断されたのでもない。まるで元からそうであったかのように二つの肉塊となった海月は、悲鳴の代わりか全身をぶるぶると震わせながら闇の中へと沈んでいった。

 その落ちて行く先を見つめていた叶だったが――


「う、そ」


 衝動的に言葉が漏れる。

 海月の奥に、さらに巨大なもう一つの影。深山の巨木が枝分かれしたかのような何かが、凄門の放った炎で浮かび上がった。それだけではない、その炎に呼応するかのように新たな影も揺らめく輝きを放ち始めた。

 あれは。今凄門が放ったものと同じあの炎を纏ったあの姿は――


「……"くちなわ"」


 新和市に出現した首の一つだけではない、一つの尾に複数の首。叶の記憶の奥底に居座り続ける、あの"くちなわ"そのものだった。だが彼女の記憶と決定的に違う点がある。

 首が、一つ欠けていた。 八つであるはずの首、そのうちの一つが無残にも途中で千切られていたのだ。


 一体何が、と不審に思う叶だったが、今はそれどころではない。凄門の体は闇の中へ落ちようとしている。

「山科さん、注連縄を!」

『りょ、了解!』

 創一が応答とともにクレーンを作動させたのだろう、注連縄が伸びて殻烏は再び下降を始める。それは眼下の"くちなわ"に接近することを意味していたが、今は構っている余裕がなかった。叶は一心に凄門へと視線を注ぐ。注連縄が下ろされる速さは凄門の落下する速度を僅かに上回っているものの、二人の距離はもどかしさを覚えるほどに縮まらない。

「九朗さん、手を!」

 叶の叫び声に凄門も手を伸ばすが、それでもなお届くことはない。


(あと、少しなのに……!)


 殻烏の背後、遠くから何かの振動が伝わる。それが彼女の体に装着されたハーネスと注連縄から伝わるものだと気付いた時。


「本ッ当、手間がかかるんだから。アンタは――!」


 殻烏の肩に足を掛けて跳び、彌月が孔の闇へと身を躍らせた。注連縄を伝って彼女も孔の中へ降りてきていたと気付いた時、彌月の体が凄門を抱き止める。

「叶さん、糸!」

「は――はい!」

 跳躍する時に付着させていたのだろう、自分の腕から伸びた彌月の糸を殻烏が全力で手繰り寄せる。ようやく凄門との距離が縮まり、殻烏は凄門の手を握った。

「全員確保しました、釣り上げて下さい!」

 注連縄ががくん、と音を立てて停止し、三人の体が引き上げられる。その姿を、闇の中から七対の瞳が見つめていた。

「見るな。"障る"ぞ」

 九朗が呻き声を漏らし、叶は眼下から目を逸らす。それでも"くちなわ"が視線を向けているということは、嫌というほど肌に伝わっていた。

「まさか、九朗さんがさっきまでいた地面ってこの孔の底じゃなくて……」

「ああ、そうだ。……アイツの尾の上だよ。俺はいままで、ずっとアイツと一緒にいたんだ」


 ゆっくりとだが、徐々に遠ざかっていく"くちなわ"。距離が開き、その姿が闇の向こうへ消えた時にようやく叶はひと心地付いた。

「よく今まであんなのと一緒にいられましたね。」

「……アイツには少なくとも俺に対して敵意はなかったからな。何かを企んでいるのは間違いないだろうが」

「それは、一体――」

「それよりも」

 凄門――九朗は彌月に向き直った。

「そろそろ離しても問題はないと思うんだが」

 凄門の胴体へと、彌月は未だに抱き着いていた。

「アンタじゃなくて私が問題なのよ! ハーネス《それ》着けてるアンタ達とは違って、こっちは何もないんだから!」

「糸があるんだろう?」

「この孔の中に糸一本でぶら下がるなんて正気じゃないわよ……上に出たら覚えてなさい」

「さっき、私たちを追いかけて命綱もなしに孔へ飛び込んだんじゃなかったんですか?」

「……正気じゃなかったってことでしょうね」

 ぼやきながらも、彌月は凄門に回した手を放そうとしない。凄門もまた彌月の背に手を回すのを見て、叶は少しだけ目のやり場に困った。



「見えてきました!」

 創一の声に、ビルの屋上に待機していた職員たちの間にどよめきが広がる。彼らの視線が"孔"へと注がれ、やがて注連縄に釣り上げられた三人が姿を現した。

「二条さん、"孔"を!」

 四谷が叫び、二条が頷いて石塊に再び手を当てる。


「――御扉、閉扉!」


 何らかの操作の後、じわりと輪郭が揺らめき孔が閉じられる。その傍らで彼らのハーネスが外され、凄門は数カ月ぶりに地面へと足を降ろした。緊張の緩みから、四谷は安堵の息を漏らす。

「よくぞ、無事に戻られました」

「まだ無事とは言い難いですけれどね。今まで騙し騙しやっていましたが、神威顕装を解除したら今までの精神摩耗が昏倒すると思います」

「救護班は待機させています、存分に休息を取って下さい……いや、その前に」

 四谷は仮面に手をかけた九朗を制する。

「昏倒する前に、どなたかにお伝えしたいことはないですか? 数カ月も離れていた訳ですし、必要なら我々は席を外しますが」

「伝えたいこと……?」

 凄門はやや首をかしげながら周囲を見渡す。四谷から二条へと視線が移り、創一、百合、そして神威顕装を解除した叶と彌月を見た。彼女らとしばし見つめあった後。

「いえ、特には」

「……そうですか。なら、いいのですが」

 眉間の皺を深くした四谷だったが、諦めたように頭を振る。

「それでは、後を頼みます」

 凄門が顔から仮面を外し、その巨軀が霞のように消える。残された九朗は数瞬立ち尽くした後、糸が切れた人形のように昏倒した。

「よ、っと」

 床に倒れ込みそうになったその体を、彌月が抱き止めた。はぁ、と溜め息を吐きながら彌月が九朗の頭を小突いた。

「こういう奴なんですよ、昔っから。あほで、向こう見ずで、人の気も知らないで、すぐに無理をして、誰にも泣きつかずしまいには自分で無理して背負うんです」

 そう言いながら小突く彼女の手に、糾弾の意志がこめられていないのは火を見るより明らかだった。自分たちに注がれる周囲の生温い視線に気付いた彌月が「……なんですか」と唇を尖らせる。四谷がわざとらしく咳払いをした。

「失礼、救護班の方は担架をお願いします!」

 四谷の声に応じてがらがらと音を立てて白衣の男たちが担架を押してくる。その上に九朗を寝かせ、「まぁ……でも」と彌月が呟きながら九朗の額を指で弾いた。


「とりあえずは、お帰り」

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