第18話 神無月の夜①

 浄衣に身を包んだ神職達がテントの前に列立する。所役の先導によりビル屋上の中心に設置された祭壇、その所定の場へと着いた。

 祭場の中心には神籬。その背後に据えられていたのは、あのコンテナから取り出された石塊であった。結局あれが何なのか叶達は未だに知らされていない。

 神事への参列は任意と聞かされていたが、「折角なので」と叶は彌月達とともに祭場後方の椅子に座していた。木と布でできた簡素な椅子は「胡床」という名前だそうだ。

「神事っていうのは、本来月が出ない夜にやるものなんだって」

 小声でそう言う彌月の言葉に、叶は頭上を見上げる。雲一つない夜空、星々が瞬いているのは見えたが、確かに月は浮かんでいない。

「見づらくないんですか?」

「それがいいんだって。『神事は神々が照覧するものであって、人が見るものではない』とかなんとか」

 へぇ、と感心していると横に並ぶ百合が手を上げた。

「あ、鍾馗なら暗視ができるよ!」

「だから見えちゃ駄目なんですってば」

 創一が呆れたのとほぼ同時に太鼓の音が鳴らされる。時計を見ると腕時計の針が午前0時ちょうどを指していた。日付が変わり、11月10日。旧暦の11月――「神無月」の始まりである。


 神職の一人が大幣で石塊、神職、そして参列者を順に祓い清める。続いて三管両絃三鼓にる雅楽「越殿楽」が響くなか、三方に盛られた神饌が次々と祭壇へ献じられていった。

 斎主が祝詞を奏上したのち、祭壇の前に千早を纏った巫女が進み出た。微かな明かりを反射して銀色の髪が夜の祭場に輝き、百合が驚き混じりで呟く。

「あれ、二条さんだ」

 雅楽の音に合わせ、扇を持って優雅に舞うその姿。居並ぶ者たちはしばしの間寒さも忘れ、その姿に見入っていた。

「……綺麗ですね」

「本当。四谷さんの秘書ってことしか知らないけれど、あんなこともできたんだね。意外だわ」

「彌月さんは舞われないんですか?」

「ムリムリ、私の巫女装束なんてコスプレみたいなもんだから」

 叶はちらりと隣の彌月へ視線を向ける。同じ白衣緋袴とはいえ、確かに言われてみれば随分と印象が違うように感じる。そういうものか、と自分を納得させて叶は祭典へと向き直った。

 二条が舞を納めたのち、神前に案――木でできた簡素な机が設置され、その上に四谷が葉のついた瑞々しい榊の枝を奉る。玉串奉奠、という名前だと事前に彌月から聞かされていた。そして四谷に合わせ、参列している神祇院外局の職員と全員で二礼二拍手一礼の作法を以て参拝した。

 従来であれば、ここで神饌を撤し神事は終了となる。だが、彼らの神事はだった。神饌や神籬を載せていた案が撤され、あの石塊が露わになる。巫女装束のうち冠と千早とを外し、彌月と同様の簡素な姿となった二条が石塊へと相対した。

 叶もその背後に立ち、仮面を額へと押し戴く。


「神威顕装――殻烏!」


 力強く叫んだ言葉とともに、叶の体が変化する。暗い夜空の下、その夜のなかにも一際強く黒い色を纏った異形が姿を現した。

 その体に、作業着姿の職員たちがハーネスを取り付けていく。ビル屋上に設置された巨大なクレーンからは冗談のように太い注連縄が垂らされ、ハーネスへと接続されていた。


「ロック解除。九十九式機動具足参號『鍾馗』、起こします!」


 創一の声とともに、絡繰の異形が立ち上がる。体の各部に装着されている器具や古道具などは相変わらず何に用いるのか叶には見当もつかなかったが、先日戦った際の装備とは違うものが多いように見受けられた。

「それでは二条さん、よろしくお願い致します」

 四谷の言葉に、千早を脱いだ巫女装束の二条が頷く。屋上の中央へしずしずと進み、祭壇の撤された石塊に向き合う。

 その場にいる叶や彌月、全ての職員が見守るなか彼女の白く細い柔手が石の表面に触れる。

『職員の皆様は顔を伏せて下さい、決して見ないように。叶さんと彌月さんは仕方がありませんので、見たものは他言むように願います』

 スピーカーを通して四谷がアナウンスする。職員たちが顔を伏せたのを確認して四谷が頷き、二条が石塊へと触れた。そして――


「掛けまくも畏き、アメノトリフネノオオカミ」


 その言葉に呼応するかのように、四谷の触れた場所を中心として石塊が淡い光を帯びる。波紋のような、そして脈打つような光は徐々に大きくなっていく。


「――御扉みとびら開扉かいひ


 石全体に漂っていた光が、その表面に幾何学模様を描く。丸、矩形、数本の線。地図のような、あるいは何かの生物を模したような模様が次々に移り変わり、目まぐるしく変化していく。変化が次第に緩やかになっていき、再び模様が一つの形に固定された時だった。


「……開きました」


 風が、吹いていた。

 ビルの屋上、遮蔽物は何もない。風などいくら吹いても違和感はない。それでも、その風は異質だった。

 11月である。身を切るような冷たい風が吹いていれば何の問題もなかろうが、その生温い風は叶たちの体に纏わり付いた。

「この風、どこから……」

「叶さん、足元!」

 彌月の声に叶――殻烏が地面へ視線を向ける。"孔"は、すでにそこで開いていた。

 屋上に設置されていた夜間作業用のライトが向けられる。LEDの眩い光が一点に注がれたが、"孔"は深海のように光を飲み込み、静謐な黒一色を保っている。かつて見た、あの蛇が出てきたものに比べると小さい。せいぜい車一台が通れるほどの大きさだろう。しかし、"孔"の向こうに広がる闇はあの時見たままだった。

『"孔"の固定は完了しましたが、この先何があるか分かりません。降下のタイミングは叶さんにお任せします』

 スピーカーから四谷の声が響く。殻烏は穴の淵に立ち、その中を見下ろした。見当たるものは何もなく、地球の中心にまで続いているような錯覚を抱いた。

「叶さん」

 彌月が隣に立ち、その視線が仮面越しに殻烏を真っ直ぐに捉える。

「九朗を、お願いします」

「――はい!」

 叶は再度ハーネスと、そこに結ばれた注連縄を確認する。ふぅ、と静かに息を吐いた。


(大丈夫。私なら、やれる)


「それじゃあ……行ってきます」

 とん、と静かに床を蹴り、殻烏が穴へと身を躍らせた。




 前後上下左右、完全な闇。闇を数秒見つめていれば、自分が今どこを向いているのかさえ分からなくなる。上方に見える、自分が入ってきた"孔"から差し込む光でかろうじて上下だけは分かるが、他には何も見えない。

『叶さん、聞こえる?』

 降下前にこめかみへと付けてもらった糸を伝い、彌月の声が聞こえる。

「聞こえます。通信機の方はどうですか?」

 殻烏に巻かれたハーネスの胸元には無線、そして背中に結ばれた注連縄を伝って有線の通信機が装着されていた。どちらも殻烏の周囲からリアルタイムに音を拾い、屋上の本部テントに音を届けているはずなのだが。

『……駄目みたい』

「やっぱり繋がりませんか?」

『その逆、拾い過ぎている。風の音だか、人の叫び声だか分からないけれど……聞いていると胸やけがしてくるわ』

 彌月はそう言ったものの、叶が聞く限り殻烏の周囲は無音だ。音がなさ過ぎて耳鳴りがしてくるほどに。そのことを彌月へ伝える。

『……一体、機械は何を拾っているのかしらね。とりあえず通話は糸のみにしましょう、とりあえず糸は分岐させて局長にも繋げておくわ。そこから何か見える?』

「了解しました。特に視認できるものはありませんので、このまま降下させて下さい」

 叶の言葉通り、クレーンによって殻烏は一定の速度で降り続けた。


 そうして1分弱、代わり映えのない闇を進んでいた時だった。

 弾かれたように殻烏が顔を上げる。その様子に彌月が反応するより早く、叶が声を上げる。

「何か来ます」

 姿は見えない、察知したのは殻烏の"先読み"によるものだ。闇の奥へ目を凝らすように、殻烏が身を乗り出すと――


『駄目、動かないで! クレーン停止!』


 叫ぶような女性の声。それが彌月ではなく二条のものだと気付いた時、叶は喉が引き攣るような悲鳴を上げた。


『音を立てないで、そこにいるモノに悟られる』


 闇の中を揺蕩うように姿を表したのは、まるで巨大な海月だった。

 しかし胴体も、そこから生える足もまるで動物の腸の如き瑞々しさと血の色を帯びており、そして何より大きさが異常である。比較するものがないため正確には把握できないが、その傘は都市一つを容易に覆えるほどだった。


『まだ浅瀬ですが、そこにいるモノはこちら側に基本的に関心を持っていません。しかし一度意識を向けられるだけで、殻烏だけではなく叶さんにもどんなダメージが行くか……、とにかくやり過ごして下さい』


 何もせずやり過ごせと言われても、叶は指先一本に至るまで金縛りに遭ったかのように動かせなかった。あれが従来の生命と同列に扱っていいものかどうかすら分からない、生きている領域レイヤーが違う。蛇に睨まれた蛙どころではない、天災と蟻一匹だ。


 どれほどの時間が経ったか。いつの間にか肉の海月は闇の向こうへと姿を消していた。

「――どこかへ、行きました」

 叶は何とか声を絞り出す。いつの間にか口の中がカラカラに渇いていた。

『分かりました。……降下を続行しても大丈夫ですか?』

 糸を通じて伝わるのは四谷の言葉。こちらを案じる色が滲んでいる。

「構いません。そのまま降ろして下さい」

『分かりました。十津川君のことは心配ですが、二次被害を出す訳にもいきません。くれぐれも無理のないように』

 がこん、音を立てて殻烏の体が再び降下を始めた。

 注連縄の長さが気になるところだが、作戦開始前のブリーフィングでは500メートル弱の長さを確保したと聞かされている。体感ではもう随分長い時間降り続けている気がするが、一体今どれくらいの深さなのだろうか。糸を通じて彌月達に尋ねようとした、その時。

 視界の端に抱く、かすかな違和感。

『どうしたの、またさっきのヤツ?』

「違います。もっと小さな……」

 先程の海月を前に体が硬直したまま、気取られないよう身動きせず闇を見続けたお陰だろう。通常なら見逃すような違和感を捉えることができた。闇に溶けこむような赤黒い色、人に似通っていながらも歪さが残る体躯、そして――閉じられていても闇に残滓を残す、金色に輝く四つの眼。


「いました、凄門――九朗さんです!」


 5カ月ぶりに見るその姿は、確かにあの日――猿咬徒の前へと立ちはだかった、叶の脳裏に永遠に刻み付いた後ろ姿と、何ら変わりはしなかった。

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