第17話 私は私のための私でありたい

「寒っ――」

 叶は羽織ったコートの襟元を立てる。吐く息は白く残り、夜の空へと消えていった。まだ冬まで時間はあると思ってはいたが、殊更に寒く感じるのは佇む場所のせいかもしれない。

「大丈夫ですか?」

 いつの間にか傍に立っていた百合が紙コップを差し出す。「ありがとうございます」と礼を言いながら、叶は湯気が立ち昇るそれを受け取った。

「玉屋さんは、もう御準備は終わったんですか?」

「私のことは百合でいいですよ。こっちは創一さんも準備は終了、鍾馗の調整もバッチリだよ」

 彼女の視線の先には、懸架台に吊るされた鍾馗が見えた。その周囲にはあの鉄棒をはじめ、さまざまな武器や道具が並んでいる。

「そういえば鍾馗って、もう新和市で動かしても大丈夫なんですか? 前はここに来たせいで暴走したって……」

「実はこの街が危ないっていうのは、早い段階で分かってはいたんですよね。対策として鍾馗が呑まれた際には強制的に行動を停止できるよう、外部から作動させられるキルスイッチを準備してはいたんだけれど」

「……けれど?」

「叶さんが戦った"顎女"とは別の付喪神が出現していて、どうしてもそっちに対応しなくちゃいけなくて……。キルスイッチが完成する前に、創一さんが鍾馗を装着して飛び出していっちゃったんですよねぇ」

「なるほど、それで私が顎女の後に鍾馗と連戦する羽目になったんですね」

「いやそれは本当に面目ない……引っ張るねぇオヌシ」

「冗談ですってば」

 叶は何度か神祇院外局に通ううち、百合とこの程度の軽口を叩ける程度には打ち解けていた。初めて会った時、てっきり同年代だと思ってしまったことはまだ伝えられていない。

「この街の気に鍾馗が当てられないようフィルターになるパーツも取り付けたし、動かす分には大丈夫です」

「なるほど、安心しました。……それにしても凄いですよね」

 頭上を見上げた叶たち。彼女らがいたのは新和市で最も高いビルの屋上――かつて九朗がくちなわと戦い、ともに"孔"へと姿を消した現場であった。ビルはあれ以来入居していたテナントのほとんどが撤退し、市内で最も目立つ場所にあるにも関わらず現在は墓石のように影を落としている。

 そして屋上にはあの蛇より小さいものの、彼らを睥睨するが如き巨大なタワークレーンはが聳え立っている。今日のこの日のため、神祇院外局が協力関係にある建設会社の手を借りて準備させたものだった。

 屋上にいるのは二人だけではない。創一を始めとして神祇院外局の職員たちが詰めかけている。ある者は設置させた機器を睨み、ある者は神事の準備を進めるなど、まるで統一感がない。そのいで立ちも白衣白袴や狩衣、山伏や襤褸をまとったような者などさまざまである。

「みんな……九朗さんのために」

「本当、手間がかかるわ」

 いつの間にか叶達の傍へと歩み寄っていた彌月は、ふんと仮面の奥で鼻を鳴らす。

「――これで帰ってこれなければ、首に釣り針をかけてでも釣り上げてやる」

 仮面越しでも、その表情が緊張しているのが伝わる。この作戦の行く末を思うと気が気ではないのだろう。ここしばらくの彌月は、まだ付き合いの短い叶ですら感じ取れるほど張りつめていた。


 ごん、と音を立ててタワークレーンが作動する。ツナギ姿の職員らが誘導灯を振るなか、屋上の中心に一箱のコンテナが下ろされた。

「あれは?」

 同じくクレーンを見ていた彌月へと叶は尋ねたが、彼女は首を横に振る。

「私も詳しくは聞かされていないの。秘密ばっかりの組織だけれど、アレは別格。百合さんは?」

「私も聞いたことは。局長と二条さんが手配したらしいとは聞いていますが」

 コンテナが開き、内部が露わになる。取り出されたのは石とも金属とも判別しない、不思議な光沢を放つ巨大な塊だった。

「ただ、今回の作業の要だとは聞かされています」

 屋上に建てられていたテントから四谷と巫女装束を纏った二条が姿を現す。その塊を見上げ、手でゆっくりと表面を撫でる彼女の表情はこちらからは見えない。

「そろそろ最後の打ち合わせね、行きましょう」

「……はい!」

 「本部」と墨書された木札が掲げられた大型テントへ向け、三人は歩き出した。



「――神事の諸役は予定通り。修礼しゅらいも滞りなく終了しました。次に救出作戦の実働役について最終確認を行います」

 配布された資料の該当ページを開きながら、四谷が声を張る。叶は隣に座る百合をつついて、小声で尋ねた。

「百合さん、修礼……って何です?」

「神主さんがお祭りをする際の予行演習みたいなものだよ」

「お祭りって……たこ焼きや焼きそばでも売るんですか?」

「違う違う、それは本来の『お祭り』じゃないの。お祭りってのは神主さんたちの『神事』のことで、叶さんが言ってるのはそれに付随する賑やかしみたいなもの」

「なるほど……」

 ひそひそと話す叶たちを横目に、咳ばらいをした四谷は話を続けた。

「まず山科君は鍾馗を着装した上でタワークレーンへ待機。ワイヤロープは出雲で100年以上保管されていた注連縄を転用しているため、付喪神として鍾馗のコントロール下にあります。山科君にはその最終操作を担当していただきます」

 創一と、隣の百合が頷く。

「彌月さんはワイヤーロープに接続したハーネスを着用し、開いた"孔"へと降下して九朗君を捜索していただきます。発見でき次第に糸で捕捉して合図をお願いします。穴の内部と電波による連絡ができない場合に備え、発煙筒と信号弾も忘れないように。

 叶さんはこちらで待機。穴の向こう側がどうなっているかは開けるまで分かりません、不測の事態に備えて万一の場合は殻烏となって対処を――」

 読み上げていた四谷の声が止まる。視線が一点に向けられているのを感じ、列席していた他の職員たちも視線を追った。そこにいたのは、真っ直ぐ挙手する叶の姿。

「彌月さんの役目……私にやらせていただけませんか」

「ちょっと、叶さん⁉」

 隣に座る彌月が驚愕する通り、叶の発案は彼女にも知らされていないことだった。

「彼女の代わりに、"孔"へ降下すると? それは――」

「危険だと仰られるのは重々承知ですが、危険なのは彌月さんも同様です。ですが想定外の事態が発生した場合、対処の幅は私の――殻烏の方が広いと思います」

「いいよ、あなたが行かなくとも! ここにいてくれるだけでも十分助かっているのに……!」

「すみません、急に。でもきっとその方が、九朗さんを救出できる可能性は高いと思います」

「そうだけど、でも……!」

 コートの袖を掴む彌月の手を、叶がやんわりと解く。

「お願いします。私も、自分がやれる事をやりたいんです」

 二人のやり取りを黙視していた四谷が、ちらりと二条を見る。彼女が静かに頷いたのを確認してから、テント内の一角に向けて声を上げた。

「降下者が彌月さんから叶さん……殻烏に変更となった場合、対応できますか?」

 話を向けられたツナギ姿の一団、その一人が「ハーネスに多少の調整は必要ですが、対応はできます」と返答する。

「局長まで!」

「神事班は如何です?」

「祝詞の書換えは必要ですが、その他は問題ないかと」

 白衣白袴姿の職員がそう答えるのを聞き、四谷は頷く。

「待ってください、彼女は民間人の協力者です。危険なことは――」

「お言葉ですが」

 声を上げた彌月を四谷が制止する。

「あなたも、叶さんと同じ『民間人の協力者』であることに変わりありません」

 図星を突かれて口をつぐんだ彌月に、四谷が言葉を続けた。

「あなた方のような、本来背負う必要のない方々に危険を冒させているのは我々の不甲斐なさが原因です。お詫びのしようもない」

「そんなことは――」

「ですが、協力者にいたずらに危険な目に遭わせることは避けたい。そして可能であれば、私はより危険性が低い手段を選びたい」

 叶の隣で、彌月が固く手を握る。納得はしていないようだったが、それ以上反論がないのを確認した四谷が頷く。

「では降下担当は叶さんにお願いします。土壇場での変更となりますが、各自よろしくお願い致します」



 ハーネスの調整を終えた叶が屋上に出て周囲を見渡すと、目当ての人間はフェンス際に佇み、新和市を見下ろしている。叶は背後からそっと近づき、恐る恐る声を掛ける。

「すみません、彌月さん……急にあんなことを言いだして」

「……馬鹿みたいって思ってるでしょ。あんなことで意地張って」

「まさか!」

「いいよ、私もそう思ってるから」

 叶へと向き直った彌月は、手にしていた缶コーヒーを一口啜る。

「アイツさ。"孔"に落ちていく時まで私と糸で繋がってたんだけれど。最後に何て言ったと思う?」

「さぁ……『逃げろ』、とかですか?」

「はずれ。正解は『ごめん』ってさ。何それ、ふざけんじゃないっての」

 ぺき、と音を立てて彌月の手中で缶コーヒーが歪む。女性の力では凹ませるだけでも苦労するはずのスチール缶が、紙コップのようにひしゃげた。

「バカにすんな、私はあんたに謝ってほしくて一緒にいた訳じゃないって……そう言いながら引っ叩いてやるつもりだった。できれば、一番最初に」

「私も、あの人には聞かなきゃいけないことがあります」

「……だよね」

 彌月は頷くと、空き缶を放り投げる。高く放物線を描いたそれは、テント脇に設置されていたゴミ箱に入り高い音を立てた。

「ごめん、あのバカのことお願いね。グズグズ文句を言うようなら、ブン殴っていいから。私が許すわ」

「分かりました。加減するようにします」

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