第15話 新和市付喪神絵巻④

「私、車を取ってきます!」

 そう言い残して走り出した百合の、どう見積もってもせいぜい中学生にしか思えない背中を見送ってから、叶は「え?」と彌月の顔を見た。

「あの子……百合さん、免許持ってるんですか?」

「びっくりだよね、あれで私より年上なんだよ」

 その返答で、叶の目が大きく開かれる。

「てっきり同い年か年下かと……」

 何か失礼な物言いをしてしまってはいないだろうか、と記憶を反芻している叶。彌月はしばし逡巡していたが、やがて思い切り「あの、さ」と叶に話しかけた。

「ごめん、ほとんど挨拶もせずにこの街を去って……その後連絡も寄越さなくて」

「……本当のことを言うと、最初はちょっと落ち込んでました」

「それは――」

「君をこれ以上巻き込みたくはなかった、という彼女の気持ちを分かってあげてほしいんです」

 言葉に詰まる彌月だったが、二人の会話に男の声が割り込んだ。

「創一さん、大丈夫なんですか!?」

 鍾馗からゆっくりと身を起こした青年は、まだ体の節々が痛むのか苦悶に顔を歪めながらも言葉を続けた。

「不始末を謝罪するなら自分が弱っている今だと思いまして……でも、まずはお礼を」

 体を支えようとするミヅキを制止し、創一と呼ばれた青年は叶へと頭を垂れた。

「このたびはご迷惑をおかけしました。誰かを傷付ける前に僕と『鍾馗』を止めていただいたこと、心から感謝申し上げます」

「それは……ご丁寧にどうも」

 何と言っていいのか分からず、とりあえず叶も頭を下げ返す。

「『鍾馗』というのは、その甲冑のことですか? 卑神とまともに戦うことができる以上、見た通りの甲冑ではないようですが」

 先程まで殻烏と激しい戦いを繰り広げていた甲冑は、今は眠っているように静かだった。心なしか色あせてさえ見える。

「これは……正確には卑神ではありません。各部に『付喪神つくもがみ』を装着してその技術を利用してはいるものの、あくまで人間の手による『甲冑』です」

「付喪神……?」

「そこからは、私が説明致します」

 通りの方からガラガラと音を立てながら百合が台車を押して現れた。

「あれ、百合さん車は?」

「いやぁ、よく考えたらここまで車を入れるのは難しくって……」

 確かに彼女の言う通り、彼らがいるのは路地裏だ。車が通れるような余裕はない。

「鍾馗は解体してこれに積むことにします。それと……改めまして、御崎叶さんですね。話は彌月さんからおおよそ伺っています」

 名を呼ばれて叶が背筋を正す。改めて見るが百合という女性は、とても運転免許を取得しているようには思えない。

「私は玉屋百合、そしてこちらは山科やましな創一そういちさん。神祇院外局で九十九式機動具足参號『鍾馗』の整備その他もろもろと、装着しての戦闘を分担しています」

 差し出された手を握りながら、叶は質問で返した。

「先ほどもお聞きしましたけれど……『卑神』と『卑神憑き』、ではないんですね」

「そう、鍾馗はあくまで具足です」

 百合は跪き、創一の体に装着されていた鍾馗のパーツを解除していく。鍾馗の部位は芯となる甲冑と、全身に散りばめられた古道具の二種類に大別されていた。

「鐘馗に装着されているのは付喪神――年経た道具が卑神憑きとなった、卑神の亜種です」

「道具が?」

「古い道具……だいたい作られてから100年以上経過したものには、魂が宿ることがあります。さらに稀ですが、彼ら自身が向こう側の『卑神』と交感することも」

 そう言われながら叶は、かつて博物館で見た「百鬼夜行絵巻」を思い返していた。道具に手足が生え、まるで人間のように振る舞いながら列を成して行進する――確かそういう内容だった。

「もちろん滅多に発生することはありませんが、今のこの街は別です」

 百合は未だ気絶したままの女装男性に近寄り、その傍らに落ちていた鋏を拾い上げた。

「卑神が視認できないのは人間の認知が異常を否定し、『見えない』と思い込んでいることによるもの。そういう話を九朗さん達から聞きませんでしたか?」

 叶は記憶を思い返しながら頷く。

「確か、正常性バイアスの一種だとか」

 首肯しながら、百合は鋏を台車に乗せていた箱にしまい込んだ。箱の鍵はいやに仰々しく、叶が一見しただけでは開き方も定かではない。

「今年六月に発生した『くちなわ』の出現により、新和市に住む人々はいつもより『異常』を受け入れやすい状態になっています。つまり、異常が発生しても『気のせい』だとは思えなくなっている。それが彼岸と此岸との境目を曖昧にしているんです」

 確かに百合の言う通り、新和市の雰囲気は「くちなわ」の一件以来、どこかタガが緩んでいるように感じられた。パトカーや救急車等のサイレンを聞かない日は少なく、学校では何度もホームルームで早く帰宅するよう呼びかけられている。

「それが、付喪神を呼び込んでいると?」

「はい。彼女……八雲が姿を消したことにより、新和市で卑神が関与したと思しき事件は一時期皆無となりました。しかし『くちなわ』の影響は大きく、人々に刻まれた違和感は確かに蓄積し続け、それが閾値を超えたことで発生した付喪神が人間を取り込み、操っていたのです。

 叶さんと一緒にいたあの人も、だったのではありませんか?」

 確かに百合の言う通り、新和市は一時期落ち込んでいた不可解な事件が増加していた。幸いまだ死者が出たとは聞いていないが、顎女の振る舞いを見る限りは時間の問題だったのだろう。

「別件で新和市に滞在していた私と創一さんが所轄警察署から情報提供を受け、何柱かそういった付喪神に対処していたのですが……誤算がありまして」

「誤算?」

 疑問符が付いた叶の声に対し、百合と創一の顔が途端に険しいものになる。

「新和市に漂うこの空気に、鍾馗がしまって」

「……なるほど」

 納得し難いが、しかし叶とて卑神にそれほど詳しい訳ではない。それに鍾馗を解除した創一はどう見てもマトモだ、見ず知らずの人間目掛け槍を持って突撃するような人間には見えなかった。

「それであんな……見境のない状態に」

 叶としては一応言葉を選んだつもりだったが、創一が声にならない呻きを上げる。

「で、でも鍾馗が優先して狙う対象は『卑神』となった付喪神と卑神です。人に危害を加えることは――」

「いやぁ、結構危ないところでしたよ。彌月さんが止めてくれなければよくて相討ち、もしかしたら負けていたかもしれません」

 叶の言葉に、今度は百合が呻いた。最後のはフォローのつもりだったのだが。

「そういえば」

 揃って肩を落とす二人をよそに、叶は彌月へと向き直った。

「彌月さんも『付喪神』に対処するためにこの街へ?」

「あー……それなんだけど」

 途端に歯切れの悪くなる彌月に首をかしげる叶だったが、ふと顔を百合へと向けた。

「百合さん、電話が来ます。左のポケット」

「へ? ……うわっ」

 百合は言われた通りのタイミングで鳴り出した携帯電話を慌てて取り出し、ディスプレイに表示された名前を見て「げっ」と小さく声を漏らした。

「局長だ、報告するの忘れてたっ」

 通話ボタンを押し、何事か話し始めた百合を見ながら創一が「凄いな……」と呟く。

「今のが例の"先読み"ですか、確かに戦闘で使えば強力だ」

「それほど便利なものでもないんですけれどね。戦闘を左右するのは結局のところ私自身の強さだって、さっき分かりましたから」

 なるほど、と頷いた創一の前に「あのぉ」と百合が気まずそうな顔で割り込んできた。

「叶さん、たいへん申し訳ないんですが……今週末、お時間ありますか?」

「週末ですか? 特に用事はありませんけれど」

 百合が携帯電話を指差して続けた。

「局長がぜひ神祇院外局に一度お招きしたいと……。これまでのお礼と今後のことを兼ねて是非、だそうです」



 数日後の週末、昼下がり。叶は東京都千代田区の一角にいた。地下鉄の出口を出て、携帯電話の地図アプリを見ながら道を進む。戦後の開発があまり進まず、明治から昭和前期の街並みが色濃く残る一体。首都とは思えぬほど静かな通りを歩いていると指示された場所に到着した……が、そこにあるはずのものが見当たらない。

「確か、この辺りのはずなんだけれど」

 道を尋ねようにも、そもそも周囲に人影がない。きょろきょろと視線をめぐらせていると「あ、叶さーん!」と呼び掛ける声が聞こえた。

「こっちこっち!」

 見ると古びたビルの前で、少女……ではなく百合が手を振っていた。子供っぽい仕草も相まってますます自分より年上だとは思えない叶だったが、結局あの後に自宅まで彼女が運転する車で送ってもらったため、疑いようはなかった。

「時間通りだね、迷わなかった?」

「少しだけ……おかしいですね、確かにこのビルの前を通ったはずなのに」

「だよねぇ、人払いの結界なんて凝ったことするから」

「結界……?」

 凡そ真っ昼間から聞かない類の言葉に叶は引っかかる。

「招かれなければ見つけられないようになってるんだって、不便だよねぇ。お客さんなんてそうそう来ないんだけれど」

 仰々しく「内務省神祇院外局」と墨書された看板を横目に玄関を潜る。ビルには人気もなく、受付も無人でカーテンが下ろされていた。百合がエレベーターへ入り、叶もそれに続く。

「今日はお休みなんですか? どなたもおられないようですが」

「ううん、地上はカモフラージュ。私たちの職場はだよ」

 百合は操作盤に取り付けられていたパネルを開錠し、中のボタンを操作する。途端にエレベーターは静かな音を立てて下がり始めた。叶は行き先階の表示を見上げたが、そこに地下の記載はない。

「秘密基地みたいなノリでびっくりするよね、まぁ実際秘密の組織なんだけれど」

「でも、お役所なんですよね……。そういえばこの前の『女装おじさん』はどうなりました?」

「経過観察中だけど、その後は異常なしだよ。交換した鋏は壊れちゃったし、神威顕装をすることはもうないと思う」

「よかったです、大事に至らなくて」

「ただ、やはりあのおじさんだけじゃないみたいで」

 そう言いながら百合は携帯電話を操作し、ニュースサイトを表示した。記事の見出しには「新和市で男性が怪我」の文字。そして記事中には警察の発表として「男性はクマのような生物に襲われた」と証言している旨が書かれていた。

「うちの職員が所轄署の刑事さんとコンタクトを取って聴取したんだけれど、周囲のカメラにはそんな動物が映ってないって。付喪神か卑神だとしたら、早く対処しなきゃなんだけど……」

「九朗さんや山科さん以外に、卑神憑きの方はいないんですか?」

「生憎人手が足りなくて……」

 ごん、と低い音を立ててエレベーターが到着し扉が開く。そこに広がっていたのは、地上の古びたビルからは思いもよらぬ板張りの大広間だった。背広、私服、和服、その他何の服かも分からないような恰好の人々が働いている姿が見える。彼らは叶の姿を一瞥し会釈したものの、すぐに向き直り自身の仕事に専念し始めた。

「叶さんはこっちだよ」

 百合は「応接室」と書かれた扉をノックすると、「失礼しまーす」と間延びした声を上げながら入室する。

「御足労いただきありがとうございます、御崎叶さん」

 そこにいたのは三つ揃いのスーツ姿の男性と――

(……銀髪?)

 彼に付き従うようにして並ぶ女性だった。目を引くのは彼女の髪の色。明らかに染めたのではなく、地毛としか思えぬ見事な銀色だった。伏し目がちなその瞳は落ち着いた赤い色をしている。白子症アルビノかとも思ったが、色素が足りないという風でもない。むしろ元から健全だからこそ、その色になったとでもいうような存在感が確かにあった。

「初めまして、神祇院外局の局長をしております四谷と申します。こちらは秘書の二条君」

 挨拶されるまでその二条という女性に目を取られていた叶は、慌てて頭を下げる。

「お座り下さい。玉屋君は仕事に戻っていただいて結構ですよ」

「了解しました。それじゃあ叶さん、また後でね」

 そう言い残し百合は応接室を出ていく。できれば残ってくれたほうがありがたかったが、無理は言うまいと叶は促されるままソファーに腰かけた。

「十津川君の件といい、そして先日の玉屋君達の件といい、あなたにはいくらお礼を言っても足りないくらいだ。本当に感謝しています」

「できることをしたまでです、お礼を言われるほどでは」

 静かな音とともに、湯気の昇るティーカップを二条が机の上に並べた。その姿をちらりと盗み見たが、やはり銀髪は染色などではないようだった。

「彌月君の報告や『鍾馗』の録画を見ましたが、とても素晴らしい卑神に選ばれたようですね。『鍾馗』も新和市の気にられていたとはいえ、当局では優秀な戦力なのですが」

「……それでも、友達を助けることはできませんでした」

「朱田茜さんのことは、お悔やみ申し上げます」

 その言葉に何と返してよいのか分からず、叶はティーカップを手に取った。彼女には紅茶の味も茶葉も分からないが、鼻孔をくすぐる匂いは不思議と落ち着くものがある。

「差支えなければ、その『殻烏』の卑神憑きとなった経緯をお教えいただけませんでしょうか。彌月君には『話しても信じてはもらえない』と言っていたようですが」

「それは……」

 確かにあの時はそう言った。が、しかし――

「失礼ながら、あなたのことを少し調べさせていただきました。山中で保護されたとか」

「ええ、当時はニュースにもなったようですね。私は憶えていませんが」

「……もしかしたら、そのことと何か関係があるのではないでしょうか?」

 言葉に詰まり、叶は手にしたティーカップに視線を落とす。

 状況はおそらく、今まで叶が思い描いてきたなかで最も理想的なものだ。が、しかし。


(信じて、くれるんだろうか)


 この神祇院外局という場所は、この世界で最も尋常ならざる組織だ。人知れず異形の力を以て人々を守っている公的な組織など、類を見ないであろう。それでも――

「あなたが思っている以上に、私たちはあなたに助けられました」

 叶が顔を上げる。心に染み入るようなその声は、四谷ではなく二条の発したものだった。

「何かとても言い辛いことを抱えておられるのは分かります。もしそのことで何か力になれるのならば、私たちは出来得る限りのことをさせていただきます。

 だから――」

 二条が話し始めるのは、四谷にとっても想定外のことなのだろう。彼の表情には僅かに動揺の色が浮かんでいる。二条は言葉を選ぶよう慎重に、だがはっきりと続きを口にした。

「どうか話してくださいませんか」

 四谷が同意するように頷く。叶は再び紅茶を口に含むと、ティーカップを机に置いた。

「信じて、もらえないかもしれませんが……」


 そして彼女は、あの「くちなわ」の記憶を語り始めた。

 新和市で見たあのな方ではなく、彼女の記憶に眠る「くちなわ」のことを。

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