第14話 新和市付喪神絵巻③

 新和市を貫く幹線道路を、一台の小型トラックが走っていた。運転席に座るのは車体に似合わぬ、女学生にも間違われそうな女性である。彼女――玉屋たまや百合ゆりは巧みにハンドルを捌きながら、助手席にちらりと視線をやった。

 そこに座る同僚のことを、百合は嫌いではない。むしろ好感を持って接している。年の割に並々ならぬ境遇に置かれ、それでも相方とともに危険を顧みず任務に身を投じてきた。

 この街で彼女が相方を失ってから、まだ半年も経っていない。以来彼女は気丈に振る舞ってはいるものの、以前より精彩を欠いているのは明かである。有り体に言えば「無理をしていた」。

 ふぅ、と同乗者が何度目かの溜息を洩らした時、百合が「……すみません。怒ってますよね」と口を開く。「えっ?」と驚きの声を上げたのをみるに、溜息は無意識のうちに出ていたもののようだった。

「『準備』でお忙しいのに尻拭いまでさせてしまって、よりにもよってこの街で……」

「いやいや、いいよ! 気にしないでってば。尻拭いさせてるのはお互い様だし、百合さんや創一そういちさんが悪い訳じゃないんだし。アイツがあんなことになったのも、元はといえばアイツが下手を打ったのが原因じゃない」

「それはそうですけれど――」

「次の交差点を左折ね」

「えっ、あ、了解です」

 助手席の同僚はカーナビと、その横に取り付けられたもう一つのディスプレイを睨みながら百合に指示を出す。どちらも表示されているのは同じ新和市内の地図だったが、ディスプレイの中心点は現在地から少し離れた位置を指していた。

「……『鍾馗』の位置、さっきからほとんど動いてない。細かくは移動しているんだけれど」

 赤信号で停車中、百合もちらりとモニターを一瞥する。確かに同僚の言う通りだった。先程まで中心点は市内を飛ぶように移動し、そのたびに東奔西走を強いられていた二人だったが、現在は街の外れに留まっている。ディスプレイを拡大すると、今いるのは古いビルが立ち並ぶ一角の路地裏のようだった。現在地を受信するたびに小さく移動している点を見て、同僚がぽつりと漏らす。

「もしかしてこれ……何かと交戦している?」

「――スピード、上げますね」

 百合がアクセルペダルを踏み込み、トラックのエンジンが一際大きな唸り声を立てた。



 再び盾に衝撃が走る。鎧武者が盾を蹴りつけ、反動で間合いを取っていた。踏み込めば二歩も要らぬ先、鎧武者が敷くその間合いへ踏み込むことを叶は躊躇っていた。


――"先読み"は、無敵じゃない。


 いくら一手、二手先が読めたとしても、情報を処理するのは叶自身の脳だ。限界はある、そしてもし"読み逃し"があった時。


――私は、死ぬ。


 卑神が核である「御」を理解されても、卑神憑きが死ぬわけではない。だが意識を失った自分を目の前の鎧武者が見逃してくれるとは思えなかった。

 当たり前の真実と、そして己の"先読み"を知らず知らずのうちに確信していたという事実。その二つに気付いた時、叶の背筋を冷たいものが這った。


 鎧武者が構える。右手には黒い鉄の棒、そして左手にはどこから取り出したのか赤い縄が握られていた。


(さっきの「加速」をまた使われたら、対応できるの……?)


 叶の不安をよそに鎧武者は身を浅く沈める。そして次の瞬間、爆音とともに加速したその巨躯は殻烏の真横にあった。振るわれる鉄棒は殻烏ではなくその背後――顎女であった男へと向けられる。

「――ッ、させない!」

 二人の間へ身を割り込ませ、盾を構える。

(大丈夫、今度は反応できている。棒を弾いてカウンターを狙う!)

 そこまで考えた時、殻烏の足に何かが絡み付く。一瞥した叶の目に映ったのは、先ほどまで鎧武者が握っていた赤い紐である。それが意思を持っているかのように地面を這い、殻烏の足を捕らえていた。


 そして叶の視界が上下に反転する。

 絡み付いた紐によって、鎧武者にまるでズタ袋が如く投げられたと気付いたのは、殻烏の体が壁面へと叩き付けられた時だった。

「こんな紐ッ!」

 叩き切ろうと手刀を振り下ろした時、紐がまるで蛇のように身を捩ってそれを躱す。嘘でしょ、と叶が声を上げそうになった時、再び鎧武者が紐を振り回し、今度は高度から地面へと落とされた。

 鎧武者は再び加速し、鉄棒を槍のように構えて一直線に突進する。迎え撃とうと盾を構えた殻烏の眼前で、鉄棒の先端が陽炎のように。続いて襲い来る衝撃は、先が二股に分かれて刺股へと変じた鉄棒によって盾ごと体が抑え込まれたものだ。


――何なの、鎧武者こいつは⁉


 正体は未だ判別しあぐねているものの、その存在を卑神かそれに類するものと叶は断じていた。だが、それにしては恩頼と思しき手段が多彩に過ぎる。九朗の凄門も同様にさまざまな恩頼を持ってはいたが、今相対している鎧武者の持つ力は同様のものかもしれない。

 そして、鎧武者の手強さは単に速いというだけではない。一つ仕掛ける度にが幾つも既に組み込まれている。同時に"先読み"で与えられる情報が、未だ戦いの経験に劣る叶では処理し切れないのだ。先ほど足に紐を絡み付いた時も、ただ紐が自在に動いただけに限らない。殻烏ではなく背後の男を狙ったのはフェイントだったのだろう、あらかじめ設置していた紐の方へと動くように誘導された――ようやく叶はそのことに思い至った。

 盾と刺股とがこすれ、ぎちぎちと不快な音を立てる。殻烏を抑え込んだ鎧武者は全身の体重を傾け、棘の付いた刺股がじりじりと迫っていた。叶の脳裏に茜の最期の姿が過ぎり――


「――こんなもんで!」


 盾を持つ手に力を入れ、角度を一気に傾ける。刺股は火花を上げながらも大きく反れ、殻烏の頬を浅くなぞった。


「退いてなんかいられないんです、私は!」


 体のバネだけで地面を回転し、鋭く走った殻烏のつま先ががら空きになった鎧武者の胴体へと突き刺さった――かに見えた。しかしそこにあったのは、鎧武者の大袖に結び付けられていたはすの大皿である。死角から空中を移動したそれらが、殻烏の蹴りを受け止めていた。

 それでも勢いを殺し切れなかったと見え、鎧武者はたたらを踏むようにして後ずさる。受け身を取るようにして地面を叩いた殻烏の体が跳ね上がり、その勢いのまま鎧武者へと迫った。

 振り上げられた刺股が今度は薙刀へと変化するが殻烏の勢いは止まらず、大弓を引き絞るように背後へと構えた拳を――


「ちょっと待った!」


 拳を、鎧武者の眼前で止める。薙刀も振り下ろされる寸前で止まってはいたが、それは鎧武者自身の意志によるものではなかった。

 空中にちらちらと光る糸が幾条も走り、薙刀を絡め取っている。

「この糸……⁉」

「叶さん、離れて!」

 声で弾かれるように後ろへと跳び、一瞬後に薙刀が地面を抉る。声が発せられた方へと視線を向け、叶は叫んだ。

「どういうことなんですか……彌月さん!」

 今しがた薙刀を止めるために糸を放ったのは、仮面を着けた巫女装束の女――九朗とともにこの街へと現れたあの彌月だった。一人ではなく、なぜか傍らにはポニーテールに眼鏡をかけた叶と同年代か年下と思しき少女を伴っている。スーツ姿のようだが、何かの制服だろうかと訝しんだ。

「ごめん、色々言いたいことはあるんだろうけれど――」

「分かりました、指示を下さい」

「話が早くて助かるわ、本当に」

 鎧武者は再び大刀を構え、こちらの出方を窺っている。彌月たちは鎧武者と、そしていつの間にか泡を吹いて気絶している女装の男へと順番に視線をやった。

「あのおじさんは?」

「説明するとややこしいので、後で!」

「分かった。人の趣味に口出しはしないけれど、親御さんには迷惑かからないようにしようね」

「はい! ……えっ、ちょっと待ってください。なんか勘違いしてません?」

「人それぞれですからね、最近は女装の人って意外と多いですよ」

「そっちの人も⁉」

 思わず初対面の少女に突っ込んでしまうが、焦る叶を無視して彌月は鎧武者へと相対した。

「そんなことより、今はあっちに集中しよう」

 鎧武者は突如現れた闖入者を警戒しているのか、得物を構えたまま距離を取っている。

「さっき制止されてまさかとは思いますが……あれも、神祇院外局の人ですか?」

「そのまさかなんだよね」

「面目ありません……」

 ばつの悪そうな彌月に、少女の謝罪が続いた。

「ちょっと事情があって前後不覚になってるんだけれど、普段はいい人なのよ。車出してくれるし、お菓子の差し入れとかしてくれるし」

「……パシらせてる?」

「違うからね?」

 ぶおん、と風を切る音が響く。痺れを切らしたのか鎧武者が薙刀――ではなく鉄棒を振り回した。ぐん、と引き寄せるような構え。

「……刺突、来ます!」

「叶さん!」

 彌月が糸を飛ばし、殻烏のこめかみへと付着させる。それを通じて彌月の声が音となって流れ込んだ。

(「鍾馗」……アレの突進はとにかく速いけれど、発動したら止まるまで一直線にしか動けないわ。だから――)

(だから?)

(最初は強く防いで、後は流れで)

(ノープランじゃないですか!)

(あ、それなら――)

 二人の会話に、少女の声が割り込む。彌月が糸で中継をしているのだろう。

、お借りしていいですか?)

 彼女が指さしたのは、凄門の足に絡みついたままの鎧武者の紐だった。



 甲冑武者――鍾馗の踵に取り付けられた「火鉢」が、アイドリング状態のエンジンのように火を漏らす。両手で構えるのは何の変哲もない鉄棒。対する殻烏は盾を眼前に把持し迎え撃つ。

 鍾馗が体を傾け、重心が前へ寄る。体が沈み込むと同時に火鉢が炎を解き放ち、巨大な体躯が突進した。その速さは火鉢だけではなく、踏切り、体重移動等を寸分違わず完璧なタイミングで行うことにより実現する純粋な「技術」に依るものであった。

 爆発的な加速で鍾馗の体躯は瞬時にトップスピードへと至る。それは遥か天より落とされた業陰の〈血河流アラカヒク・落錐〉の速度に迫る勢いだった。同時に鍾馗は鉄棒の穂先は十文字槍へと変化させる。さまざまな長柄武器ポールウェポンに変化する鉄棒のうち、殻烏がまだ初見であるもののなかで最大の威力を誇るもの。それを最大速度でぶつけるのが鍾馗の必勝法であった。

 殻烏の盾はせいぜい胸部を隠せる程度、この速度で襲い来る槍を受け止めるのは困難だった。ましてやこの時、鍾馗が狙うのは急所ではなく殻烏の足。先に移動力を潰しておけば仕留めるのは容易――そのような判断だった。


 凄門の元へ十文字槍の穂先が迫った次の瞬間――その巨体が殻烏の背後の壁面へと激突する。

「……良しッ!」

 彌月が歓声を上げる。自分の身に何が起きたのか分からず混乱する鍾馗だったが、目に入ったのは空中に光る細い糸だった。自分ですら認識できない速度による突撃は、ほんの僅かな妨害で着弾点が大いに逸れてしまう。彌月は鍾馗が殻烏に気を取られている間、その目を盗んで糸を張り巡らせていた。

 そして立ち上がろうとする鍾馗の元へ――

「お願いします!」

 少女が紐を投げつける。元は鍾馗が持っていた糸だったが、今度はその意に反して鍾馗自身を縛り上げた。逃れようと踵の火鉢から炎を噴出させる鍾馗を殻烏が押さえつける。

「彌月さん!」

「叶さんはそのまま押さえてて――百合さん!」

 彌月が拳に糸を巻き付け、それを鍾馗の額へと叩き付けた。彌月のもとから伸びる糸の先は少女が握っている。少女は糸を口元へと近付け――


「止まって、鍾馗! 創一さん!」


 殻烏の下で鍾馗が一度大きく跳ね、その体から力が抜ける。

「……本当に止まった?」

「多分ね、もう大丈夫よ」

 彌月はふう、と一息ついて張り巡らせていた糸を回収する。今取った手法が、かつて暴走する殻烏の神威顕装を解除する際の手法から考案したものだとは、叶には知る由もなかった。

「でも、神威顕装は……」

 鍾馗は鎧武者のような甲冑の様相を保ったまま倒れていた。神威顕装が解除される様子もない。

「言い忘れていたけれど、鍾馗は卑神じゃないわ」

 少女が鍾馗へと駆け寄り、その首元の何かを操作する。途端に鍾馗の装甲の一部が蒸気とともに展開し、内部に隠されていたものが露わになった。

「これは……!」

 ただの卑神ではないと思ってはいたが、予想を超えた様相に息を呑む。機械、古道具、甲冑、その他用途の分からないさまざまな部品に囲まれた人型の中に押し込まれていたのは、九朗よりも少し年上に見える一人の青年だった。その顔には濃い疲労の色が滲み出ている。

「創一さん、大丈夫ですか? 私の声が聞こえますか⁉」

 頬を叩く少女の呼びかけに青年は呻き声ではあるものの、微かに反応した。それだけで少女が安堵した様子が伝わる。仮面を外し、ようやく神威顕装を解除した叶のもとに彌月が告げた。

「九十九式機動具足参號『鍾馗』。人が人のまま卑神と戦うために生み出された甲冑よ」

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