第11話 幕間①
「誰かが来る前にここを離れましょう。茜さんは私が運ぶから、叶さんはどこかから糸で降ろすわ」
「待って下さい、茜ちゃんはどうなるんです」
ビルの屋上に横たえられた茜の亡骸を一瞥した彌月は、少しの間逡巡したものの叶の目を見返して言った。
「『祟り』になって命を落としました……なんて、御遺族に伝えることはできないわ。命を落とした卑神憑きには外傷が残らないから、多分……急性の心臓死という形で処理されるように神祇院外局が手配する」
「……そんなのって、ないですよ」
叶が漏らした一言に、彌月は「最低なことを言っているのは分かっている」と応じる。
「でも、今までずっとこんな風に人の命が奪われてきたの。卑神憑きや『祟り』を法で裁くことはできない。この国はもうずっと目には見えないものと歩むことを止めてしまった。それでも彼らは存在し、結果として多くの人命が失われてきたわ」
「茜ちゃんだって、その一人です」
叶の言葉に首肯する彌月。横たわっていた茜の亡骸を抱き上げると、ビルの屋上から屋内へと通じるドアに手を当てた。糸が伸び、施錠されていた鍵が音を立てて開く。
「この子が自ら望んで『祟り』になったのか、『祟り』となった卑神憑きの末路を知っていたのか、もう誰にも分からない。ただ彼女の尊厳を守り、これ以上同じような人が増えないようにする。私にできる償いはそれだけよ」
冷たい金属音とともにドアを開き、暗い屋内へと歩を進める叶。下へ向けて延々と続く階段へ踏み出したが、すぐに彌月へと振り返った。
「九朗さんは、どうするんです」
「外局へ戻って何か方法がないか探すわ。あの仏頂面にあなたとの約束、守らせないとね」
「……分かりました」
叶は彌月へと向き直り、頭を下げる。
「茜ちゃんのこと、よろしくお願いします」
「……ごめんなさい。結局あなたを私たちの都合に巻き込んでしまった」
「ここへ来たのは私が選んだことですから。それに――」
「それに?」
叶は躊躇いながらも、続く言葉を口にする。
「私も結局、八雲さんの言葉通り傲慢だったんだと思います。茜ちゃんを助けたかったんじゃなくて、ただ見過ごすことができなかった。許せなかっただけで――」
「私心なく他人を助けられるなんて、誰にでもできることじゃないわ。自分のためでも他人のためでも迷いなく動けるのなら、それは叶さんの美徳だと思う」
「……今はまだ、その言葉を素直に受け取れません」
照明が落ち、どこまでも闇の続く階下に視線を落としながら叶が返す。彌月は首を横に振り、穏やかに眠っているかのような茜の顔を見ながら言った。
「死んだ人のために生きることなんてできないわ。遺された者にできるのは、死者に恥じないような生き方をするだけよ」
叶は応えることなく階段を降り始める。彌月はその背中を見つめながら、自分の言葉が叶に届いていることを願うほかなかった。
ビルの周囲は大勢の野次馬が取り囲んでおり、叶たちは非常階段の目立たない一角から吊るした糸を伝って降りた。いつの間に手配していたのか自動車が待ち構えており、彌月はその後部座席に茜を座らせる。
「本当は、叶さんの仮面もこちらで預かるべきなんだろうけれど」
助手席に乗り込みながら彌月が振り返る。
「いつまたあなたの前にあの人が現れるか分からないから」
あの人、が誰を指すか確かめることもなく叶は首肯した。
「嫌だなぁ。もう叶ちゃん一人にはちょっかいをかけないよ、それに……」
街の喧噪の中で「あの人」――八雲は、まるで叶たちの会話に相槌を打つように独り言ちた。見上げた先には街で一際高いビルの上。先程までの「くちなわ」による異常を目撃した人々が未だにたむろしており、一様にビルを見上げながらどよめいていた。
「早く帰ってきてほしいのは、私も同じなんだよ。ねぇ、九朗」
八雲はビルに背を向け、群衆の中へと姿を消した。
●
一夜明けた新和市は大混乱となった。その中心となったのは磐座会支部のビル。「集会に行った家族が帰ってこない」という通報を受けて中へと立ち入った警察官が目撃したものは、大量の信者たちの遺体だった。
所感の警察署は記者会見を行ったものの、発表できることはほとんどなく「現在調査中」と繰り返す署長の姿が連日報道された。被害者がどのように命を落としたのかも詳細は伏せられたままで、地方都市だった新和市には特ダネを掴もうと報道陣が押しかけている。
物々しさを増した街の雰囲気に呑まれ、叶の通う学校も授業が終われば早々に下校するように校内放送が流れていた。それを聞きながら、叶は教室の一角に視線を向ける。
一輪の花が挿された水差し。それが置かれているのは、茜の机だった。下校途中に人知れず心臓発作を起こし、そのまま息を引き取った――それが茜の死に添えられた辻褄合わせ。神祇院外局が手を回したように、彼女の死は磐座会支部の凶事とは全く無関係ということとなっている。
「叶、大丈夫?」
教室で一人机を見つめる叶に、背後から萌黄が遠慮がちに声を掛けた。
「うん、ごめんね。ちょっとボーっとしてた」
心配させまいと努めて明るい声を出しながら教室を出る叶に対し、萌黄は何か言いたげな顔をするも押し黙る。隠し事が不得手な彼女ではあったが、黙るべき時には黙る彼女の沈黙が叶には心地よかった。
叶の遺骨は弟の暁とともに父親が引き取ったと、叶は風の噂で聞いていた。母親は磐座会支部の凶事に巻き込まれることはなかったものの、心の支えとしていた磐座会を失い行方知れずとなっている。
あれ以来、卑神が関わっているような事件は起きていない。脅威は去った、はずだった。
――本当に?
しかし街は、まるで怯えているかのような空気で満たされている。いつまた同様の事件が起きるのかと不安に思う人々は少なくない、それは叶とて例外ではなかった。
一度夜に蠢く卑神という存在を知った以上、もう傍観者ではいられない。
「叶。顔、ちょっと怖いよ。本当に大丈夫?」
傍らを歩く萌黄が、物々しい雰囲気にたまらず声をかけてくる。
「昔っから危なっかしい所あるんだから。変に義侠心なんか出しちゃダメだよ」
「分かってるよ、大げさだなぁ」
●
(……なんて、言ったはものの)
街を見下ろし独り言ちる叶。その身に纏っているのは殻烏だった。
彌月と別れてからの数日、毎夜のように神威顕装を行った叶。すでにその身は殻烏に馴染んでおり、かつてのように別の意思によって動かされることはない。
眼下の街は、やはり以前のものとは異なっているように思えた。活気や活力といった精彩が色褪せて見える。この街の人々も、叶ほどではなくとも影に息づくものたちの存在を感じているかのようだ。
「そんな所で引きこもっている場合じゃないですよ、あなたは」
振り返った殻烏が見るのは、九朗が消えたビル。「くちなわ」の影響により窓ガラスだけではなく内装が大きな被害を受けており、現在も立入りを制限されている。夜に明かり一つ灯らないビルが街に屹立する様は、尋常ならざる何かが諸人を監視するために建てたかのようだった。
「彌月さんも待ってます。きっと二人で引っ張り上げて、そうしたら……」
その時、自分は再会を喜べるのか。それとも彼を怨むのか。今の彼女にはまだ答えは出せなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます