第6話 #アカウント泥棒②

話によるとつまりこうだ。

 彼が遊んでいたゲームのアカウントが盗まれたらしい。

「運営にもメールを送ったけど、全然帰ってこないんだ」

「じゃあ、それを待つしかないね。今頃盗んだアカウントは名前を変えて、どこか知らない人に売られた可能性が高い。私じゃ無理、ゲーム会社が探してくれるのを待つしかない」

 そもそも私は探偵であってサポートデスクじゃない。そんなことを言われても、その、困る。

 始まってすぐに終わりかけた事件。

 しかし、次の一言は私の興味を引いた。

「……名前が変わってないんだ」

「どういうこと?」

「アカウントの名前!」

 彼がログインできなくなったのは先週の月曜日のことだ。パスワードが違う、と言われてしまい、何度やっても上手く行かなかった。

 しょうがなく新しいパスワードを設定しようとしたところで彼は気が付いたらしい。メールアドレスも変更され、アカウントは奪われていた。

 しかし、彼の友達が言うには、彼のアカウントはいつもと同じようにログインしていたそうだ。名前も変わらず、フレンドを削除することも無い。友達に頼んでチャットを送ってもらったところ、『忙しいから』と返って来た。

「確かに変ね」

 つまり、犯人の目的は龍太郎君のなりすましということになる。

「きっと俺の周りの誰かが盗んだんだ!」

「犯人の目的に心当たりは?」

「それは、わからないけど……」

 私はため息をついた。わからないことばかりだけど、とりあえずできることからやってみよう。

「ゲームの名前を教えてくれる?」


 一通り情報を聞けたので、その日は解散することになった。家に帰った私は、さっそくそのゲームをプレイすることにした。

 別にアカウントを探すためだけであれば、ゲームをプレイする必要はないかもしれない。ただ、今回のような難しいケースでは少しでも情報が欲しい。

 ベッドに寝転びながらスマホをいじる。

「えーっと、アカウントを作成、っと」

 メールアドレスを登録し、企業アカウントを作成する。ゲームのイベントが近づくとメールが届くそうだ。

 全ての登録が完了すると神秘的な音楽と共にゲームが起動する。綺麗なムービーが流れ、その後、主人公である星の旅人を操作することになる。主人公の目的は頼れる仲間や強い武器を集め、捕らわれた妹を助けることだ。

 ゲームをするのは小学生以来だ。特にアクションゲームはやったことがほとんどない。瞬時の操作を必要とする作業は大体苦手だ。

マルチプレイとチャット機能があるので友達と協力すればクリアできると書かれていたが、誘う友達もいないのでソロでプレイする。

結局、最初のボスを倒すまでに大分時間がかかってしまった。レベルを上げ、三回目のコンティニューでようやくクリアした。

 ドラゴンが倒れ、主人公は街の英雄として称えられる。しかし、冒険はまだまだ始まったばかりだ。

「……もうちょっとだけやろうかな」

 明日は学校だけど、もう少しだけ遊べるはずだ。諸々をすませ、ゲームを始めたのが十時。明日七時に起きるとしても充分時間はある。まだ遊び始めて二時間くらいだろう。

 ベッドの上にある時計を確認する。

 午前四時。

「……」

 目をこすった私は再度時計を確認する。しかし、何度確認しても時針は四を指していた。心なしかカーテンの隙間から見える空も白くなっている。

 私には二つの選択肢があった。

 一つ目の選択肢は、このわずかな時間を睡眠に使うことだ。たった三時間だが、寝ないよりはマシだろう。

 もう一つは。

 心の中の悪魔がささやいた。


 結論から言おう。

私は失敗した。徹夜なんてするべきではないのだ。あの時の私は正気じゃなかった。

苦手な数学もいつもの十倍難しく感じた。今にも机の上に落ちてしまいそうな頭を手で支え、左手でシャープペンシルの芯を腕に押し付ける。さながら最前線で塹壕に身を隠す兵士の気分だ。

 絶対絶命の私は背後の影に気付かなかった。

「大丈夫?」

 思わぬ伏兵に私は肩を震わせた。

 振り返れば、目を丸くした椿がいた。

「ご、ごめん。そんなに」

「平気。ちょっとだけ調べものをしてて」

 ゲームにはまって徹夜しました、とはとても言えない。言えば絶対怒られるから。

「次の授業なんだっけ?」

「体育だけど」

 冗談じゃない。ただでさえ運動は苦手なのだ。こんな状態で体育の授業を受けたら死んでしまう。

「保健室行ってくる。小松先生にそう伝えてくれる?」

「うん」

 椅子を後ろにずらして腰を上げる。

「あんまり無理しないでね」

 椿が無理して浮かべる笑みに、私はちょっと罪悪感を覚えた。

 違うんだよ、椿。

これはただの夜更かしなんだ。


 二階へと続く階段をおぼつかない足取りで降りていく。授業中の廊下には誰もいなくて、どことなく疎外感を覚える。

 いくつかの教室を横切り、廊下を左に曲がったところに保健室がある。扉についた窓を見る限り、先生は留守のようだ。

 扉を開くと、真っ白な部屋に染み付いた消毒液の匂いがした。誰か怪我人でも出たのかもしれない。そう思いながら目当てのベッドに近づく。

 しかし、目当てのベッドにはすでに先客が寝転んでいた。先客の少女は片手で本を顔の上に持ち上げ、もう片方の腕を枕にしている。

 カーテンからのぞくのは見知った顔。

私のもう一人の幼馴染だった。

「使用中だ」

「またサボり?」

「見ての通り病人だよ。休んでる」

 そう言いながら、あきらはページをめくる。

「どこがよ?」

 本から視線を離したあきらが私の顔を見た。

「そういうお前はひでー顔だ。ちょっと前まではフランケンシュタインみたいだったけど、今日はゾンビだ」

 博識な私は彼女の知識的不足を指摘する。

「包帯を巻いているのはフランケンシュタインじゃなくてミイラとかマミーだし、そもそもあれはフランケンシュタイン博士が産み出した名もない怪物であって、フランケンシュタインという名前じゃない」

 私の完璧な正論を彼女は鼻で笑う。

「相変わらず細かいな、お前。だからモテないんだよ」

「むっ」

 モテないのは事実だが、不良のこいつに言われるのは腹が立つ。バスケのことしか考えていないバスケ怪人のくせに。

「そう言うあきらさんにはさぞ素敵な彼氏がいるんでしょうね」

「いるぞ」

 衝撃に私の思考が一瞬フリーズする。再起動後に発した言葉は何ともマヌケなものだった。

「……マジ?」

「男バスの先輩。写真見る?」

 好奇心から頷いた私に、あきらはポケットから取り出したスマホを向けた。

女子としては長身のあきらだが、彼氏は並ぶ彼女より頭一つ分背が高かった。色恋事に疎い私でも、あきらの彼氏がイケメンということだけはわかる。

 何よりも、衝撃だったのは。

写真の中の、あきらの表情が私の見たことないものだったことだ。ピースサインをするあきらの頬が、うっすらピンクに染まっていた。

「そっか、あきらにも彼氏かぁ」

「お前以外は皆いる」

「そんなことない。椿は……」

「頭悪いな。探偵のくせに」

 とんとん、と頭を指でつついて、

「考えてもみろ。椿がモテないと思うか?」

 ぐうの根も出ない。

「それは、そうだけど」

「いい加減認めろよ、時間を無駄にしてるって。くだらない探偵ごっこしてなきゃ、お前にだって友達とか彼氏とかできてたはずだ」

「……あきらには関係ない」

 私の声のボリュームが下がる。

あきらは決して私をイジメたいわけではない。彼女なりに本気で私のことを案じてくれている。それが、たまらなく、嫌なのだ。

「そりゃ母親がいなくなったら探したくなるのもわかる。けどさ、お前が探偵ごっこしている間も時間は待ってくれないんだよ」

 いつのまにか彼女は本を片隅に置いていた。『鋏男』と銀文字で書かれた小説に、クローバーのしおりが挟まれていた。私が昔贈ったものだが、今はどうでも良い。

「説教は後にして」

「実桜」

「とりあえずベッド貸してよ。私も寝たいの」

 はぁ、とあきらはため息をついた。強引に話を打ち切った私に、これ以上の会話は無駄だと悟ったのだろう。

 ただし、説得を諦めたとはいえ、あきらがベッドを大人しく譲ってくれるわけもない。

「お前がオレの言うことを聞かないなら、オレもお前の言うことを聞かない」

 しょうがない。禁じ手を使うことにした。

「鋏男の正体なんだけど」

 飄々としたあきらが初めて戸惑っていた。無理もない。自分が読んでいる最中のミステリ小説のネタ晴らしをされれば誰だってそうなる。

「ま、待て。それはズルだろ!」

「私の言うことなんて聞かないんでしょ。だからこれは独り言。実は鋏男は……」

 彼女は両手を挙げる。

「わかった。わかったからやめろ」

 完璧な勝利だ。あきらが体を起こす。

 退散していくあきらは去り際に言った。

「あんま無理すんな」

「へー、優しいんだ」

「ばーか、お前のためじゃねぇ。……あんまり椿を泣かせんなよ」

「私がいつ泣かせたって?」

 彼女の無駄に大きな背中を見るも、私の問いに対する答えは書かれていなかった。

 ようやく手に入れたベッドに横たわる。

「……考えてもなかったな」

 仲良し三人組のさくら探偵団。私の認識はその日で止まっていた。冬でも半袖を着て公園を走り回っていたあきらはもういないのだ。

 二人はどんどん成長して、私の認識から離れていく。そう考えると少し寂しい。

 それ以上に苦しい。

 理由は推理するまでもない。

「私が、あの日から変わってないから」


結局、私は一睡もできずに五時間目の古典の授業を受けた。定年間近の先生はいつも通り平坦な声で授業を進め、開始して十分後に私はノックアウトされた。

体育で疲れた椿もぐっすり眠り、私たちは二人一緒に注意されたのだった。


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