第7話 #アカウント泥棒③

本格的な調査を開始したのはその週の水曜日からだった。いつものように寝坊してきた椿と合流し、例の少年の家に向かう。少年の話では水曜日は親の帰りが遅いため、家には誰もいないのだという。

 少年は住宅街にある一戸建てに住んでいた。

 椿は見上げて、「ここに住みたいなぁ」

「頼んでみたら?」

 どうやら裕福な家庭らしい。少年が小学生にしてスマホを持っている理由がわかった。

 洋風の家の近くには小さな物置小屋があり、一台の自転車が壁に身を預けていた。大きさから考えるに少年のもののようだ。ダイヤル錠で硬く施錠されている。

 扉の前に立ち、インターホンに指を置く。

 しかし、私が指を押す前に、扉が勝手に開いた。開いた扉からは小さな女の子が怪訝そうな表情を浮かべている。

 眼鏡をかけ、三つ編みにした髪を後ろで束ねている。カバンを肩にかけ、これから出かけようとする所だったようだ。

「……」

「……」

「……」

 三者三様の沈黙。

 先に口を開いたのは少女の方だった。細目をぱちぱち瞬かせなら、おずおずと口を開く。

「あの、家に何か?」

「あ、ええっと」

 口ごもる椿に代わって答える。

「ごめんね、驚かせちゃって。私たち、龍太郎君と会う約束してたの」

「兄と、ですか?」

「そう!そうなの!だから、全然怪しくないの!本当だよ?」

 見るからに怪しい態度で椿が同調する。妖しくない人は自分のことを怪しくないとは言わないのだ。

 少女がぺこりと頭を下げた。

「すいませんでした」

「え、ええっ!」

「きっと、すごい迷惑をかけたかと思います。ちょっと待ってください、今お母さんに電話を……」

 スマホを出す手を慌てて止める。これ以上話が複雑になると、私の仕事にも支障が出る。

「ど、どうしてそう思うのかな?」

「私の兄ですので。すごくわがままなんです」

 そう彼女は言い切った。

 どれだけ信用されていないんだ、龍太郎君。

「違うよ。別の悪いこととかじゃなくて、ほんのちょっと彼とお話したいことがあるだけ。お母さんに連絡しなくていいから」

「そうですか。それなら良かったです

 そして、彼女は間髪入れずに行った。

「私、塾があるので、行きます」

 それだけ言って、彼女は立ち去った。

 背を伸ばし真っすぐ歩く後ろ姿が見えなくなってから、椿がほっと息をついた。

「木刀持ってこなくてよかったね」

 椿は私の探偵活動の際に木刀を携帯する。本人が言うには、凶暴な犯人を捕まえるときのため、だそうだ。人の家に木刀を持って入り込むのはさすがにマズいと止めて正解だった。

 思わぬハプニングはあったものの、私たちは家に入ることができた。見るからに高級そうな家の中を二人で恐る恐る歩いていく。

「お、来た」

 私の依頼人は家のリビングでアニメを流していた。片手間にスマホをいじっている。

「妹さんがいるなんて聞いてないけど」

「言ってないし。真紀のことなんてどうでもいい」

 兄妹仲はあまり良くないようだ。

「もっと仲良くしたらどう?」

「嫌だ。あいつわがままなんだもん」

「あの子は君がわがままだって言ってたけど」

「お姉さんもあいつの言うこと信じるの?」

 龍太郎君は嫌そうに眉間にしわを寄せた。

「それよりさ、早く調べたこと教えてよ」

 生意気な言い方は相変わらずだが、今回は無視することにした。私は彼の教師でも親でもない。そもそも説教しても聞く耳は持たないだろう。

 話をする前に彼から許可をもらい、冷蔵庫の中の麦茶を飲ませてもらう。その日は夏らしく暑い日でのどがカラカラだ。

 涼しげなグラスに麦茶を入れ、それを一息に飲み干す。かわいたスポンジが水を得たときの気分だ。

「まず、今回はお友達にアカウントを取られたかもしれないって仮定で話すね。無理なら諦めて運営会社の返事を待つこと、いい?」

「うん、それでいいよ」

 渋々だが頷いてくれた。椿が隣にいるときは良い子になってくれる。ありがたいことだ。

「話を続けるね。もし、君の友達がアカウントを盗んだとしたら、そのやり方はこうだ」

 スマホを貸してもらい、横にあるボタンを押して一度スリープモードに戻す。

 同じボタンを押すと、ロック画面が現れる。四桁のパスワードを入れないと先に進めないようだ。

「まず、このスマホの暗証番号がわからないとダメ。逆に言えば、これがわかるなら後は簡単」

 アプリには自動でログインできるし、設定画面からアカウントのメールアドレスとパスワードも変更できる。

椿が口を挟む。

「でも、パスワードを変更したら普通メールが届かない?」

「届いたメールは削除すればいい」

「なるほど!」

「そこは気づいて……」

 気を取り直して話を続ける。

「ゲームのメールアドレスとパスワードを直接知っている可能性も考えたけど、それはあんまり現実的じゃないね」

 四桁のパスワードに対してゲームのパスワードは七文字以上で英数字混合だ。まさかパスワードを彼が持ち歩くわけもないし、彼のアカウントに別の端末からログインするのはほぼ不可能だ。

 とはいえ、四桁のパスワードでも千通り以上の組み合わせがある。こちらも偶然ログインできる可能性は低い。

「だから、私が確認したいのは二つ。誰かにスマホを使われた可能性はあるか。スマホの暗証番号を知られたことはあるか」

「えっと、スマホは学校に持ってくこともあるから、体育の時間とかでカバンから離れたときに使われるかもしんない」

「ふむふむ」

「でも、パスワードは知らないはず。教えるわけないじゃん」

「それはそうね。でも、簡単な暗証番号だったらどう?同じ番号を続けたりはしてない」

「ないない、絶対しない。俺、完璧だから」

 その自信がどこから来るのかは知らないが、とにかくパスワードがわかることはないようだ。事態は再び暗礁に乗り上げていた。

「誕生日とかにしてない?」

「俺の?してないよ」

 自然と眉間にしわが寄る。

 意外にも停滞した状況を破ったのは椿だった。嵐を呼んだ、ともいえるが。

「じゃあ、好きな人の誕生日、とか?」

「まさか、そんな」

 ちらりと視線を少年に向ける。

 龍太郎君の顔が真っ赤に染まっていた。

「まさか……」

「お父さんに自分の誕生日以外で、って言われて、それで、たまたま思いついたのが、それだったんだ。べ、別に、大した意味は……」

 容疑者候補がゼロから無限に変わった瞬間だった。この露骨な様子を見るに友達は大体知っているだろう。悪ふざけで入れたらたまたまログインできたという可能性もある。

 さらに最悪なことに彼は学校にスマホを持ち込んでいた。クラスは三十人程度、全員にチャンスがある。

 三十人から一人の犯人を探す。それがどれだけ難しいことか。

 天秤が『不可能』の方に傾き始めていた。

「実桜」

「ちょっと待って。今考える」

 黙り込んでしまった私の横で、椿と龍太郎君が和気あいあいと話をしていた。どうにか間を持たせようとしてくれるのが心苦しい。

「前から気になってたんだけど、前のアカウントがどうしてそんなに大事なの?私の友達もやってたけど、新しいアカウントって簡単に作れるって言ってたよ。リセマラ、だっけ、そういうのできるんでしょ?」

 少年は唇を噛みしめる。

「思い出があるんだ」

「思い出?」

「転校しちゃった友達がいて、そいつ光弘っていうんだけど、今海外にいるんだ。最後に一番遊んだゲームで一番上を目指そうって」

 後で聞いた話だが、どうやらあのゲームはストーリーモードだけではなく、PVPが有名なのだとか。彼と光弘君は都大会の小学生部門で準優勝まで進んだらしい。

「一番にはなれなかったけど、実績のバッチをもらったんだ。新しくアカウントを作っても、あのバッチは二度と手に入れられないから」

「それだ!」

「うわっ!」

 私の大声に龍太郎君が驚き、彼の座っていた椅子が後方に倒れた。

倒れたままの彼に私は言う。

「今すぐその友達に連絡取れる?」

「え、と、取れると思うけど、でも……」

 彼が言いかけた言葉を椿が続けた。

「でも、どうして光弘君に?」

「……ずっと考えていたの。なぜアカウント名を変えないのか、って。アカウントの名前を変えるくらいすぐにできるし、その方が犯人にとって安全なのに」

 誰が犯人か、という観点から捜査をするのは不可能だ。今の私が考えるべきは犯人の目的が何か、という点。アカウントの名前を変えないのではなく、変えることができないのだとすれば。

「なぜアカウント名を変えないのか。龍太郎君のアカウント名である必要があるから。でも、龍太郎君の周りの人はアカウントが盗まれたことを知っている。つまり、犯人の目的は、龍太郎君を知っていて、龍太郎君のアカウントが盗まれたことを知らない人になる。そんな人、一人しかいない」

 あくまで憶測、可能性は決して高くはない。

それでも、わずかな希望があるなら、できる限りのことはする。それが私の、探偵としてのプライドだ。

彼が光弘君に連絡を取り、返信が来るまでの間私たちは待つことにした。

私と椿は台所を借りて使ったコップを片付ける。布きんで拭いて棚の上に戻す。

「これもやっといて」

 そう言って彼はシンクの中に自分のコップを置いた。その間もずっとスマホを眺めている。

「こらっ」

 私の手刀が彼の頭を叩く。そこでようやく彼はスマホから顔を上げた。心底不思議でたまらない、といった顔だった。

「何?」

「使ったものくらい自分で片付けなさい」

「ついでにやってよ」

「片付けなさい」

「えーっ、めんどい」

「こいつ……!」

 私は一歩も譲る気はない。

 私は探偵で会って彼の召使いではない。

「まぁまぁ」

「椿、こいつの言う通りにするの?」

 椿は背を低くして彼と視線を合わせた。

 気恥ずかしいのか、彼は視線をそらす。

「片付けるの嫌?」

 そう言うと彼女は愛らしく首を傾けた。

 前と同じように彼の顔が真っ赤になる。

「いや、嫌って言うほど、嫌じゃないけど」

「私、自分が使ったものは自分で片付ける方がカッコいいって思うな。実桜もそう思うよね?」

 私が頷くと、彼女は続けて、

「ね?一緒に片付けよ?」

 彼女が笑みを向けると、少年はわずかに顔を赤くしながら、私に向かって言った。

「……ちょうだい」

 彼の使ったコップを上にあげる。

「よく聞こえない」

「片付けるからちょうだい!」

 そこでようやくコップを彼に渡した。

「……意地悪」

「探偵って大体意地悪なのよ」


片づけを終えて私たちは家を出た。親が帰ってくるギリギリの時間まで残ってしまった。今度はもっと時間に余裕を作った方がいいかもしれない。

 帰り道で私はこう切り出した。

「椿って悪い女だね」

「え、何、急に」

(椿がモテないと思うか?)

 龍太郎君だけじゃない。きっと他の人も椿のこと可愛いって思っているはずだ。美人で性格も良い椿に彼氏がいないわけがない。

 どんな人なのだろう。

好奇心と恐怖心がない混ぜになる。

 椿は歩道の一段高い所にひょいと飛び乗ると、バランスを取りながら歩いてく。こういう所は子供の頃から変わらない。

「今日は椿大活躍だったね。椿のおかげで大分捜査が進んだ。……ま、そもそも彼がパスワードをちゃんとしてれば、こんな大事にはならなかったんだけど」

「ねー、驚いたよね。私もまさかとは思ったんだけど、ドンピシャでびっくりしちゃった!」

「小学生でも教わると思うんだけどな。『誕生日以外にしろ』とか、『使いまわすな』とか、『メモは人目に付かないようにしろ』とか。あんな適当ならいつか今回の事件が無くても、いつか盗まれてた」

「……でも、私もやっちゃうかも」

 左手側にいる彼女を見るも、朱色の夕日に隠されて表情を見ることはできなかった。

「そっちの方が楽しいじゃん」

「椿は」

「ん?」

 冗談めかした口調で。

 震える声をごまかして。

「いるの?好きな人」

「いるよ」

声を絞り出す。「そう」

「あんまり背も高くなくて、目立たない子なんだけど。頭が良くて、色んなことを知ってるの。運動は苦手だけどね」

 聞きたくなかった。でも、自分から切り出した話を、自分から止める勇気は私には無い。

「したの?その、告白、とか」

「まだ。今はやめとく」

「どうして?」

「その子、家族の問題で悩んでて。これ以上悩ませたくない。……私がもっと頑張らなくちゃ」

「そうなんだ」

 適当に相づちを打ってから気が付いた。

 背が低く、運動ができず、家族の問題で悩んでいる。一人心当たりがある。

 私じゃん。

(そんなわけあるかっ!)

 脳内で否定する。運動ができないのも家族の問題で悩んでいるのも私だけではない。占い師が良くやる手口と同じだ。多くの人に当てはまる特徴を自分のことだと勘違いしてしまう。

「そ、そうなんだ」

 毒にも薬にもならない言葉を吐く。

 でも、もし。

私だったらどうしよう。

 女同士というのはこの際置いておいて、私だったら、告白されたときどう返せばいい?

 どうすれば椿を傷つけないですむだろう。今後ぎくしゃくすることなく、どうすれば今の関係を維持することはできるのか。

 答えのない問題に私が悩まされていると、

「というのは冗談で。あれ、もしかして、自分のことだと思っちゃった?」

 意地悪い笑みを浮かべ、椿がこちらを見ていた。

「つーばーきー?」

「ご、ごめん!まさか本当に信じるとは思わなくてっ!本当はいません!すみませんでしたぁ!だからローキックするの止めて!すっごく痛い!落ちる!」

「次は無い」

「すみませんでしたぁ」

 私は彼女の脛を蹴る作業を止める。やっぱり椿は椿のままだ。小学生の頃から恐ろしいくらい変わっていない。

「私、ジャニーズの良くんみたいな人が好きなの。でも、中々見つからなくて」

 頭の後ろで腕を組み、彼女は空を見上げる。

 なぜだろう。

「あーあ、良い人いないかなぁ」

 なぜか、目が少しうるんでいるように見えた。その疑問に対して深く聞く勇気も時間も私には無かった。

「私こっち。じゃあね」

「あ、うん。じゃあ、また、学校で」

 駅の雑踏の中に彼女の姿が消えるまで、私はその場に立っていた。

(もし、椿が私のことを好きなら良かった)

 私はひどいことを考えていた。

(椿はずっと側にいてくれる)

 私は友達も恋人も欲しくない。

 ただ、独りぼっちになりたくないだけ。

(最低だ……)

私は自分のことばかり考えている。

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