第5話 #アカウント泥棒
「私、人が死なない映画って苦手」
独り言のような私の呟きに、隣に座る少女が唇を尖らせた。
「たまにはいーじゃん。実桜だって見れば絶対ハマるって!」
「……そうかなぁ」
「絶対そう!」
……その自信の根拠を教えて欲しい。
私と隣の少女、椿芽衣はいわゆる幼馴染である。しかし、マンガや映画で描かれるような魅力的なものではない。単に家が近くて、学校が同じだけ。趣味も性格も全然違う。……特に映画の趣味は。
公開初日ということもあり、映画館内はほどほどにぎわっていた。特に私たちと同じ年頃の男女が多い。きっとデートだ。
「タイトル何?」
「『嘘つき狼の真っ赤な恋』」
「……あんまり内容知らないけど、私多分」
私の言葉をさえぎるように椿が顔を寄せる。
「また苦手って言おうとしたでしょ」
「……うっ」
図星だった。苦手は私の口ぐせだ。
「今日は苦手って言うの禁止!まずは楽しもうよ!ほら、始まるよ」
映画が始まる。
内容は良く言えば無難、悪く言えばありきたり。一目惚れの恋、徐々に縮まっていく男女の距離、素直に話せない気持ち、二人に迫る恋の障害。
正直どうでもいい。
映画予告でよく見るような、主人公が泣きながら叫ぶところで私は真剣に見るのを止めた。私はこの手の映画が致命的に苦手だ。
次の瞬間にゾンビか忍者がやって来て登場人物を皆殺しにしてくれないだろうか、そうすればずっと面白いのに、なんて不謹慎なことを考え始めていた。
イライラを抑えるためにポップコーンのカップに手を突っ込んだ。一掴みしたそれを乱暴に口に入れ、ぼりぼり噛み砕く。ちょうど良い塩気にバターオイルがしみ込んでいて美味しい。色気より食い気、とはよく言ったものだ。
ふと気になって、私はちらりと隣を見た。
「……」
綺麗な彼女の瞳から、一滴の涙がこぼれていた。椿はそれを右手でぬぐい、食い入るように画面を見つめている。
何故かショックだった。
物語の終盤、主人公とヒロインがキスをする。近づく二人の気持ちがようやく通じ合う。
私は主人公にも、ヒロインにも、この劇場にいる誰にも共感することはない。
恋に恋することなどしないから。
「良かったでしょ?」
「うん。……そこそこ」
そう答えながら、私はカップをゴミ袋に放り込んだ。握りしめたカップが袋の中を滑っていく。
「でしょ?私マンガも買ってるんだ!今度貸してあげる」
「ありがと。また今度ね」
多分その「今度」は来ることはないだろう。
外に出ると夕暮れになる寸前の空が、徐々にあかね色に染まっていく所だった。肌に感じる湿った空気が夏の始まりを私に告げていた。
私は大きく伸びをする。
「今日は帰ろうか」
「え、もう?まだ四時だよ」
疲れたから、と嘘をついて彼女を駅まで送り届ける。改札を通るところまで見送ってから、私は本来の目的地に向かうことにした。
私、西園寺実桜は一応探偵である。
一応、と前置きしたのは、偉大な先人達と比べものにならないくらい私が未熟だからだ。
春先の事件ではその未熟さのせいで私は大けがを負った。少し間違えれば椿も大けがをしたかもしれない。
だから、私の仕事に彼女を巻き込みたくないのだ。勘の鋭い椿の監視をかいくぐるため、私は興味もない映画を見に行った。
いくら彼女の勘が鋭くても、今から私が依頼人に会うとは思わないだろう。
待ち合わせ場所に指定した喫茶店はそこそこ混雑していた。依頼人はすでにテーブルについているはずだ。
窓の外から観察する。お茶をする老夫婦、カウンター席でおしゃべりする女学生、パソコンを開いている大学生風の男。
しかし、彼らは誰かを待っている様子はない。……たった一人を除いては。
「……」
ずっとスマホをいじっている男の子。ロゴの入った野球帽をかぶっているため、表情は見えない。二人用のテーブルにたった一人で座っている。
まさか。
店に入った私は少年がいる席に近づく。
「……えーっと、高橋龍太郎、くん?」
彼は顔を上げた。
「そうだけど。お姉さん、誰?」
「マジ?あんたがプラウさんなの?」
「年上に向けてあんたよばわりは無いでしょ」
「ま、いいよ。俺の探し物を見つけてくれるなら、誰でも。俺、すっごく困ってるんだ!」
彼がテーブルを叩くと、グラスの中のオレンジジュースに波が立った。ストローにはくっきりと噛み跡があり、相当苛立っていることがわかった。
身構えた私に小さな依頼人が言った。
「ゲームのアカウント取られたんだ!」
一気に肩の力が抜けた。
どうやら彼は探偵のことを便利屋と思っているようだ。
「ゲーム会社の運営に相談するのは?」
「した。けど、何も連絡来ないんだ!」
「私が探したところで、正直見つけるのは難しいよ。ていうか、ほぼ無理」
そう言うと、彼は露骨に嫌な顔をした。眉を上げ、っひたいにしわを寄せる。
「は、何で?あんた、すっげぇ探偵なんだろ」
「あんたは止めて。どんなゲームかは知らないけど、何百万人ってプレイしてるんでしょ?そこから一人を見つけるなんて無理」
かみ合わない会話はお互いの妥協点を見いだせず、平行線を維持したまま続いていく。
「大切なものなんだよ」
「……悪いけど、大切かどうかは関係ない」
「絶対に見つけてくれないとイヤだ」
「私はできるだけのことはするけど、絶対見つかるなんて保証はできない。どこの探偵に依頼してもそう」
そう強気にふるまいつつも私は内心困っていた。百パーセント見つけられるわけではないから、絶対できるとは言えない。ただ、そう言わないと納得してくれないだろう。
一番困るのはネットに悪評を流されることだ。それだけは何としても避けたい。ただし、私は子供と話すのが苦手だ。この性格は間違いなく母から受け継いだものだ。
嫌な空気になり始めたテーブルで、私の意識は自然と外へと向いていた。現実逃避か、あるいは、救世主を求めて。
救世主は思わぬ形でやってきた。
わたしにとってはとても不本意な形で。
窓の外でものすごい形相の椿がいた。浮気現場を見つけた妻のような恐ろしい顔だった。
「やっぱりここにいた!」
どかどかと足音を立てて椿が店内に入ってくる。
浮気を見つけられた夫のように、私は定型句の疑問を投げた。
「ど、どうして、ここに……」
「隠し事くらいわかるから」
そう言って椿はぐっと顔を近づけた。
「あ、あの」
「んー?」
「もしかして、怒ってる?」
「仕事の時は付いて行くって言ったよね」
感情の乗っていない平坦な声が逆に怖い。
「……ご、ごめん、なさい」
私は頭をぺこりと下げた。顔の前で両手を合わせ、怒れる荒神へと祈りを捧げる。それでようやく彼女の怒りは治まった。
私から目を離し、彼女は龍太郎君へと目を向ける。
「君が今回の依頼人?」
突然現れた椿に戸惑いながらも少年は言う。
「そ、そうだけど」
「私たち頑張るからね!」
「その、お願いします」
おっと、何だその反応は?
少年がもじもじしている理由を私は知っている。というよりも、よっぽど察しが悪くなければわかるだろう。
白磁の肌に、精巧な西洋人形のように整った顔。急いでここまで来たからか、シャツの第一ボタンを開けており、そこから見える首筋に私はドキッとしてしまう。同性の私ですらそうなのだから、この生意気な少年を黙らせるには充分な威力だろう。
何であれチャンスだ。
「さっきの話も納得してくれる?」
「……うん」
「素直で良い子だねっ」
違うよ、椿。猫をかぶっているだけ。
そう指摘してもよかったが、無駄なのでやめた。大事なことは仕事が順調に行くか、だ。
「じゃあ、詳しい話聞かせてくれる?」
話によるとつまりこうだ。
彼が遊んでいたゲームのアカウントが盗まれたらしい。
「運営にもメールを送ったけど、全然帰ってこないんだ」
「じゃあ、それを待つしかないね。今頃盗んだアカウントは名前を変えて、どこか知らない人に売られた可能性が高い。私じゃ無理、ゲーム会社が探してくれるのを待つしかない」
そもそも私は探偵であってサポートデスクじゃない。そんなことを言われても、その、困る。
始まってすぐに終わりかけた事件。
しかし、次の一言は私の興味を引いた。
「……名前が変わってないんだ」
「どういうこと?」
「アカウントの名前!」
彼がログインできなくなったのは先週の月曜日のことだ。パスワードが違う、と言われてしまい、何度やっても上手く行かなかった。
しょうがなく新しいパスワードを設定しようとしたところで彼は気が付いたらしい。メールアドレスも変更され、アカウントは奪われていた。
しかし、彼の友達が言うには、彼のアカウントはいつもと同じようにログインしていたそうだ。名前も変わらず、フレンドを削除することも無い。友達に頼んでチャットを送ってもらったところ、『忙しいから』と返って来た。
「確かに変ね」
つまり、犯人の目的は龍太郎君のなりすましということになる。ただの小学生のなりすましをすることに何の意味があるのだろうか。
「きっと俺の周りの誰かが盗んだんだ!」
「犯人の目的に心当たりは?」
「それは、わからないけど……」
私はため息をついた。わからないことばかりだけど、とりあえずできることからやってみよう。
「ゲームの名前を教えてくれる?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます