第4話 #カッコウの餌食④(解決編)
駅に着いた時点では、待ち合わせの時間まで余裕があった。一度解散し、二人の面会について計画を練ることにした。
まず、里香さんには椿がついていく。木刀を持つ彼女が近くにいれば、大抵のことは大丈夫だろう。
私は二人より先に公園に行き、世良さんの到着を待つ。公園内で異常を確認したら、すぐに椿に連絡。面会は無効になる。
二人の思い出の公園は、何もない地味な所だった。世良さんがストーカーにつかみかかった場所であり、後に世良さんがプロポーズした場所である。
ただし、その綺麗な思い出とは裏腹に、申し訳程度の遊具と木々があるくらいの地味な公園だ。さらに夜ということもあり人の気配はない。
何か良くないことを企むなら、ここは絶好の場所だろう。見晴らしの良い階段の上に立ち、最新の注意を払って周囲を警戒する。
スマホが振動する。
「もしもし」
「ごめん、もう少し時間がかかりそうだ」
世良さんはそう言うと再度ごめんと呟いた。
「里香さんはまだ来てませんから、ゆっくりで大丈夫です」
「ありがとう。すぐ行くから」
電話が切れる。
予想外の事態だが、特に必要は感じなかったので椿への連絡はしなかった。
今の彼に危険な様子は見られない。とても家庭内暴力を振るっていた人物とは思えないほど穏やかな口調だった。
まるで。
「人が、変わったみたい……」
私の頭の中にある仮説が生まれた。今まで感じていたささいな違和感、その全てに答えを与えてくれる仮説。仮にこれが真実であれば、私達に危険が迫っている。
どうする?椿に連絡するべきか?
違う。今一番危険なのは私だ。
先ほど切れた番号にかけ直す。
無機質な着信音が静かな公園に鳴る。
その音は、私の背後から聞こえた。
そこから先は説明する必要もない。背後の人物に鈍器で殴られた私は、そのまま階段を転げ落ちて気絶した。
こうして無様にも私は倒れているわけだ。
椿は、里香さんはどうなっただろうか?
地べたに這いつくばる私に知る方法はない。
体中が苦痛を訴えていた。立つどころか指一本動かすことすらままならない。
目を閉じ、全てから逃げ出したい。
どんな悪夢も現実よりはマシだ。
「探偵ごっこは終わったんだ」
どこかの誰かに言われた言葉。
その通りだ。
私がやっていたのは探偵ごっこだった。
私はシャーロックホームズにも、矢吹駆にも、ドルリー・レーンにも、エルキュール・ポアロにも、金田一耕助にもなれない。
彼らのような優れた知性も観察眼も無い。
私はいつも真実と嘘に打ちのめされる。
でも。
拳に力を込める。身じろぎする度に鋭い痛みが走り、口から自然と声がもれた。
近くにあった柵につかまり、私は何とか立ち上がる。
探偵ごっこは終わりにしなければならない。
未熟でも、稚拙でも。
私は探偵なのだ。
あの日、私の母親があきらを誘拐した日。
当たり前のことが当たり前じゃなくなった日。
私は真実から顔をそむけ、逃げた。
今度は逃げない。
公園の時計は待ち合わせの時刻を指していた。二人はもう公園に来ているだろう。
一歩踏み出す度にくじいた右足が苦痛を訴える。今にも力が抜けて倒れてしまいそうだ。歯を食いしばり、ただ前に進むことだけを考える。
風邪を引いたときのようにぼやけた意識の中、私はこちらに近づいてくる二人に気が付いた。
「……実桜?」
ぽかんと口を開ける椿に、私は叫ぶ。
「椿、後ろ!」
椿は私の言葉を信じ、瞬時に行動した。
腰の木刀を抜き、振り向きざまに刀を叩きこむ。鋭い一撃が、背後に立つ人物の頭に命中する。
ぐぇっ、と潰れた蛙の声を上げて襲撃者が倒れた。点滅する街灯に照らされた男に、里香さんが短い悲鳴をあげた。
男の手から離れたバットが私の足元まで転がってから止まった。
足から力が抜けて私はその場にしゃがみこんだ。
駆け寄ってくる椿に私は問いかけた。
「怪我はない?」
私の血を見て、椿ははっと息をのんだ。
「大変!救急車呼ばなきゃ!」
「救急車よりも警察を呼んで」
地面に倒れた男を見下ろす。
良く知っていたはずの人。……本当は何も知らなかった人。
里香さんが困惑した表情を浮かべていた。
「一体この人は誰なの?」
「誰、って、この人が……」
薄れていく意識の中、私は言った。
「違うよ、椿。その人は世良さんじゃない」
「二十日夜中、暴行の疑いで湯場誠一容疑者(三十一歳・職業不明)が逮捕された。
警察によると、男は女性に対して長年ストーカー行為を行っており、女性の別居中の夫を装って彼女を誘いだしたと見られている。
女性は無事だったものの、その場に居合わせた女子高生が頭部を六針縫う怪我を負った。
取り調べに対して男は『あいつらが邪魔だった。彼女を傷つける奴を全員殺そうと思った。あと少しで、僕は彼女を幸せにしてあげられたのに』と供述している。
女性の夫は一か月前から連絡が取れなくなっており、男の供述から警察は殺人と死体遺棄について余罪を追及している」
ため息と共にニュースアプリを閉じた。
私の前に座る椿がパフェにスプーンを入れる。あれほど大きかったイチゴパフェは半分以下になっていた。よほど夢中なのか、鼻の頭にクリームがついていることに気が付いていない。
窓にうっすらと映る私の姿はひどいものだった。頭にはぐるぐるに巻かれた包帯、全身の至るところに絆創膏。我ながら良く生きれたものだ。
「ケガは大丈夫?顔色悪くない?」
「平気」
苦い気持ちをコーヒーと共に飲み込む。
「それならいいんだけど、さ。実桜、あの事件からなんか変。ロイボ行こ、って実桜が誘ってくることなんて今まで無かったし。それもおごるんだー、って言われたからビックリしちゃった」
「それは私の謝罪の気持ち」
私は頭を下げた。
「ごめん。あの人が世良さんじゃないってことはもっと早く気が付けたはずなのに」
今回、私以外無傷で済んだのは奇跡だ。私と椿が殺されて、里香さんが誘拐された可能性だって充分ありえた。
「実桜はどうやって気が付いたの?」
「指輪。あの人は指輪を付けていなかった。それって変じゃない?奥さんを探すような人が指輪を外すなんて考えにくい」
「あの人は何で指輪を付けなかったの?」
「弁当屋のおじさんが言ったことを思い出して」
「うーん、わかんない。どれ?」
「ストーカーの話をしているとき」
彼はこう言っていた。
『ほら、あの体格だろ?流石のストーカーもビビったみたいで』
話半分で聞き流していた内容も、今はその重要性がわかる。本当の世良さんは大柄で、犯人とは体格差があった。
当然指のサイズも違う。怪しまれないようにするために、あえて指輪は捨てたのだろう。
「気が付けるような証拠はあった。生活感の無い部屋、彼が見せてくれた里香さんしか映っていない写真」
このささいな違和感に少しでも意識を向けていたら。調査範囲を世良さんにまで広げていたなら、もっと事前に対処することができた。
椿を危ない目に合わせることも無かった。
今でもあの男の目を思い出す。
感情の無い、まるで虫を潰すときのように冷たい瞳。私が声を出すのが遅れたら、椿の頭をバットが直撃していた。
私のせいで椿が死ぬ。考えるだけで胸がきゅっと締め付けられる。
「気が付けないよ、そんなの。だって、依頼人がそもそも別の人だったなんて、わかるわけないし」
「それは言い訳にならないよ。私は探偵で、探偵としての責任を負っている。……私は真実を見抜いたと油断して、もっと本質的なものが見えていなかった」
犯人の行動は私のような常人には思いつかないような大胆なものだった。
それでも、探偵であれば気が付くべきだった。
「ごめん!私はっ、全然……」
目の奥が熱くなる。自分の感情すら制御できないのが情けなくて、こぼれそうになる思いを必死にこらえる。けれど、私の努力はいつも無駄で、涙が頬をつたってこぼれていく。
「私は探偵失格だ……!」
私の頬を紙ナプキンが触れる。
それは、椿が私に押し付けたものだった。
「でも、助けに来てくれた。あんなひどいケガしてたのに頑張ってくれた。探偵として失格かどうかはわかんないけど、友達としては合格!」
「そういう気休めはいらない……私は」
「何が良いとか、何が悪いとか、どうすべきかなんてわかんないけど。私が信じているのは実桜だよ。探偵じゃない」
真っすぐと私に向けられた瞳。
そこには一切の嘘も混じっていなかった。
「あの日、あのときから実桜は私にとってヒーローだった。裏切られたことなんて一度も無い」
私は重い頭を机の上に置いた。
「気休めの嘘はやめて」
「嘘じゃない。私は嘘つかない」
「嘘。みんな嘘つき」
「でも、嘘の嘘は本当だよ」
「わけわかんない」
椿がはにかんだ。
「私もわかんない。一緒だね」
「馬鹿じゃないの」
「馬鹿で良いよ。実桜が笑ってくれるなら何だっていい。悩んでいるのはらしくないよ。ほら、一口あげるから元気出して」
イチゴと生クリームの載ったスプーンが私の目の前に差し出される。
「これ、すっごく美味しいんだよ!食べたらきっと、実桜も元気になれるから!」
「……私、そんな単純に見える?」
「単純でいーじゃん!悩んでるよりずっといいじゃん!」
私は人が苦手だ。
人は平気で嘘をつく。
胸の内に恐ろしい秘密を隠している。
でも、全てが嘘ではないと知っている。全てが悪意でできているわけではないと知っている。……彼女が本心から言ってくれたこともわかっている。
それを受け止める勇気が私に足りないだけ。信じることも疑うことも中途半端にしかできない未熟な探偵だから。
でも、いつか。
私が人として、探偵として成長したとき。
本当の意味で人を信じることができるようになったとき。
ちゃんと目を見て言えるようになりたい。
ありがとう、って。
「あ、ごめん。甘いの苦手なんだっけ」
スプーンが彼女の手元に戻っていく。
私は顔を寄せ、逃げていくスプーンを口で捕まえる。イチゴの酸味が混じった生クリームの甘みが、私の口の中で広がる。
ぽかんと口を開けた彼女に、顔を赤くしながら私は言った。
「……やっぱり苦手」
今は、まだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます