第2話 #カッコウの餌食②

 記念すべき一回目の捜査はその週の土曜日だった。いつも通り朝の遅い椿とお昼に待ち合わせ、近くのチェーン店で簡単な食事をすませることになった。

「交友関係を探る、って言ってもさ」

 頬にケチャップを付けながら椿が言う。休日ということもあり店内は騒然としていたが、彼女の声は自然とよく通る。剣道で声を張り上げるからだろうか。

「探せるの?」

「できなければ諦めるだけ」

「諦める、って」

 私はつまんだポテトで椿を指す。

「解決できる事件ばかりとは限らない」

 事実、私の仕事の成功率は六割を切っている。おおよそ半分の仕事は未解決だ。

「でも、ネットでは凄腕の探偵だって」

「椿はネットの評判に期待しすぎ。失敗したときのことを人はわざわざ表に出さない。結果として良い評判だけ広まる」

 というよりも、私がそう仕組んでいる。

 報酬をもらわないのは失敗したときの悪評を避けるためだ。無料のことに悪口は言い辛い。もちろん成功したときには大々的に広めてもらう。

 必然的に良い評判だけが広まり、私のアカウントが多くの人の目につくようになる。

 報酬も建前だ。私の母親について知っている人などごくわずか。そのわずかな人の目にとまるように、私はフォロワーを稼ぐ必要があるのだ。

「それ、いいの?」

「あなたの目の前にいるのは、お金も人脈もない、二十五メートルも泳げない貧弱な女子高生。あんまり期待しないで」

 椿は口をへの字に曲げていた。

「……」  

 こういう所が苦手だ。

 文句でも悪口でも好きに言えばいい。何を言われても私は気にしない。慣れているから。

 でも、彼女は何も言わない。沈黙こそが私を動かす最適解だとわかっているから。

 彼女の瞳から逃げるように私は顔をそらす。

「別に適当にやるわけじゃない」

 ポテトを口に運ぶ。時間がたってしなびたポテトはほとんど味がしなかった。

「ベストは尽くすわ。結果は何であれ」

 椿の口元がすぐにほころび、笑顔を作る。

「うん、頑張ろう!待ってて、すぐ食べちゃうから」

 椿は大きな一口でハンバーガーの残りをほおばると、包み紙をくしゃりと丸めた。私は立ち上がろうとする彼女に紙ナプキンを渡す。

「ふぁい?」

 自分の頬を触りながら私は言った。

「ケチャップ付けたまま聞き込み捜査するつもり?」


 大原里香さんはあまり人付き合いの得意な人物では無いようだ。近所づきあいは一切無く、アパートの隣人も「何も知らない」とだけ返した。

「静かになってくれて良かったわ」

 それだけ言うと、隣人はすぐに扉を閉めた。

スーパーのパートをしていたこともあるが半年前に突然辞めている。電話でやめると言われたオーナーはなぜ辞めたのかと首を傾げていた。

 ここ半年について情報はほとんど見当たらなかった。捜索範囲を広げ、もっと過去を探す。

 高校卒業後、彼女は親元を離れて都会へ一人引っ越した。親とあまり仲良く無いらしく、彼女の実家にも電話してみたが、冷たくあしらわれた。

「うーん、ダメかぁ」

 電話を切った椿がぼやく。

「当然。これくらいの調査で見つかるなら、そもそも世良さんは私たちに依頼しない」

「探偵って大変なんだね……」

「やめてもいいよ」

「絶対やめない」

 調査は続く。

 引っ越し後、彼女は小さな弁当屋で働きだした。大通りから一本外れたとおりにある弁当屋で、三時過ぎの暇な時間ということもあり、店主は私の質問に快く応じてくれた。

「覚えてるよ。真面目で良い子だった」

 弁当屋の店主はカウンター越しに言った。

「最近連絡はありませんでしたか?」

 私がそう尋ねると、男は肩をすくめた。

「全く。結婚を機に辞めてから、ほとんど会ってないよ」

「誰か同僚で親しい人はいましたか?」

「仕事終わったらすぐ帰っちゃう子だったからなぁ」

 椿と目を合わせる。今回も情報無しで終わりそうだ。

 見切りをつけ、立ち去ろうとした私の背中に店主が声をかける。

「何か危ないことに巻き込まれたのか?」

「いえ、そうと決まったわけでは」

「実は彼女、変な男に付きまとわれてんだ」

「ストーカーってこと?」

 椿の言葉に男は深刻な顔で頷いた。

「俺は警察に相談した方がいいって勧めたんだが、ほら、あの子って引っ込み思案だから、中々言い出せなかったんだ。夜道で後を付けられたり、しつこく言い寄られたり。結構困ってたよ」

「それ、どうなったんですか?」

「ストーカーを止めたのが世良さんだよ。最近は来ないけど、あの人ウチの常連でね。で、里香ちゃんから相談を受けた世良さんがストーカーを追いかけてさ、胸ぐら掴んで二度と近づくなって警告したんだ。ほら、あの体格だろ?流石のストーカーもビビったみたいで、それ以来ストーカーは姿を見せなくなった」

「素敵っ!世良さんカッコいい!」

「あぁ。実際、それがきっかけで二人が付き合い始めたんだ」

「いいなぁ、私も守られたいなぁ」

 うっとりしている椿に私は指摘する。

「木刀で殴った方が速くない?」

「違う!カッコいい彼氏に守って欲しいの!」

 都大会常連で刀を握れば成人男性をも圧倒する。そんな椿を守る必要があるのだろうか。

 話を戻そう。

「ストーカーが彼女を狙っていると?」

「かもしれない。お願いだ、あの子を助けてあげてくれ」

 店を出ると外はうっすらと暗くなり始めていた。半日を費やして彼女の所在に関する情報はゼロ。まだまだ時間がかかりそうだ。

「ストーカーかぁ。関係あるかもね」

「でも、誘拐されたわけじゃないんでしょ」

「身の危険を感じて逃げたとか」

「まず世良さんに相談しない?」

「それは、確かにそうかも」

 時間も遅くなったことだしその日は解散となった。椿と別れ、世良さんに報告を入れる。帰りの電車で手すりにもたれかかりながら考える。

 正直ストーカーの話はほとんど聞き流していたが、一つ私に考えなければならないことを教えてくれた。

 私は大原里香さんがどこに消えたのかだけを考えていた。それが私の仕事だから。

 でも、もしかすると、今回の事件で一番考えるべきことはどこに消えたのかではなく、なぜ消えたのかではないだろうか、と。

 私はもらった写真を再度眺める。

 ややピントのぼけた写真の中、優しい笑顔を浮かべる里香さんが一人立っている。

 その笑顔の裏に、どんな思いを隠していたのだろう。


 毎日のように調査を続けたが、彼女の足取りは全く掴めなかった。それどころか調査が進めば進むほど泥沼にはまったようだ。

 捜索範囲を広げていくしかないが、それにも限界がある。どこで調査を切り上げるべきかも考えなければならない。

 でも、調査の終わりは中々言い出せない。

「あ、忘れ物した。ちょっと待ってて」

「今日もサボるの?」

「里香さんの方が大切じゃん?」

 そう言ってから椿が教室に戻っていった。

 廊下で待つ私の前を同級生が横切っていく。

 その中で一人、私は見知った顔を見つけた。

「まだ眠いの?授業中も寝てたじゃん」

 中川あきらは大きなあくびをしながら答える。

「寝る子は育つって言うだろ」

 彼女が右手で前髪をかき分けると、眠たげな一重まぶたが露わになる。額には小さなできものがあった。

「これ以上大きくなってどうすんのさ」

「リバウンドが取りやすい」

「それは長所だけどさぁ」

 彼女の背は高く、男子生徒の身長に並ぶくらいだ。元々小柄な私と彼女の間では、大人と子供のような体格差がある。

巨人と小人の視線が合う。

「……あ」

あきらは並んで歩く友達に話した。

「悪い。ちょっとこいつと話がある」

「部活すぐ始まるよ?」

「すぐ行くから」

 友達の姿が見えなくなってから、私は言う。

「私は話すことなんてないんだけど」

「オレはある。まだアレやってんだろ」

 吐き捨てるように私は言う。

「さっさとやめちまえよ、くだらねぇ」

「何しようが私の勝手」

 あきらの手が壁を叩いた。

 がん、と思い音が響き、私は肩を震わせる。

「皆が心配してるってこと、わかんないのか?実桜は周りが見えてない」

「何?自分は見えてるって言いたいの?これは見える?」

 私は中指を立てて見せつける。

 彼女は深く長いため息をつく。

「椿は優しいから言わないけど、オレは言うからな。お前がやってることは無意味だ。時間を使うなら他のことにしとけ」

 ゆっくり、子供に言い聞かせるように。

「探偵ごっこは終わったんだ」

 それだけ言ってあきらは校庭へと走り去った。行き違いでやってきた椿がきょとんとした顔で首を傾げる。

「何話してたの?」

 心の中にあった毒を吐き出す。

「無駄話。話す価値も無い」

「えーっ、探偵団復活のチャンスだったのに」

 あまり思い出したくない過去に気分が悪くなる。椿と一緒にいると黒歴史を引き出される確率が上がる。本人は素敵な思い出だと思ってるんだろうけど。

 あきらの言葉で一つだけ正しいことがあった。

 探偵ごっこは終わったのだ。

 自分は真実を見抜けると思っていた、あの無邪気な日々は戻らない。


 大原里香さんの捜索は彼女の高校時代に及んでいた。彼女の高校時代のアルバムを世良さんから借り、元同級生達についてSNS経由で調べていく。実名で登録している人も多く、探すことは比較的容易だった。

 しかし、見ず知らずの私が連絡をとっても反応を返してくれる人は少数だった。返ってくる返答も「知らない」の一言ぐらいだ。

 諦めかけたときに、一人の女性から電話で話がしたい、と連絡を受けた。

「里香、大丈夫なんですかっ!」

 電話での第一声は彼女を心配するものだった。私は今にいたるまでの事情と事件性が無いことを話し、電話の向こうにいる相手を落ち着かせる。

「そうですか。それなら良かった」

「ただし、安否を確認できるまでは彼女の安否は保証できません。最近の里香さんについて思い当たることはありませんか?」

「うーん、最近忙しくて全然話せてなくて。……梓なら何か知ってるかも」

「槙島梓さん、ですか?」

「うん。あの二人仲いいの。梓も上京しているからたまに会うんだって」

 意外だった。卒業アルバムに載る槙島梓さんは軽音部所属の快活そうな女性で、大人そうに見える大原里香さんと接点があるとは到底思えない。

 話によると音楽の趣味が合うらしい。

「ありがとうございます。聞いてみます」

 お礼を言って電話を切る。

横で聞いていた椿が渋い顔をしていた。

「でも、梓さんには」

「うん、断られてる。知らないって」

 単純に知らない可能性はあるが、何か隠している可能性は高い。一縷の望みにかける思いで私は槙島梓さんについて調査することにした。

 彼女についての情報はネットで調べてすぐに出た。高校卒業後東京の短大に進学。大学で知り合ったメンバーとバンドを結成し、メジャーデビューを目指して活動を続けている。だから、情報はすぐに見つけることができた。今夜ライブハウスで演奏をするらしい。

「椿、今夜ヒマ?」

「デート?」

「馬鹿。梓さんに直接会いに行くのよ」


 流石に制服のまま行くのはマズいので、一度解散することにした。叔父さんに書置きを残し、今日演奏するクラブハウスへと向かう。

 ライブハウスの前で椿と合流する。

「おーっす!」

「……テンション高いね」

「実桜もテンション上げようぜ!」

「はいはい」

 私はこんな人が多い所最後にしたい。

 チケットとソフトドリンクを購入し、中に入る。思わぬ出費に財布が軽くなる。

 何も成果が無かったら恨むぞ。

「見て見て!実桜、始まったよ!」

 真面目にやれ、と言おうとしたが、馬鹿馬鹿しくなって辞めた。

 椿にとってはライブも私の仕事も同じなのだ。非日常を提供してくれるもの、ちょっとしたドキドキを与えてくれるものというだけだ。

「探偵ごっこは辞めにしとけ」

 誰かが言った皮肉が私の胸にチクリと刺さる。私のやっていることはお遊びでしかないのだろうか。

 一人取り残された私を放置して、バンドは盛り上がっていく。かき鳴らされる激しいギターの音、心地よいドラムの音に合わせて、女性ボーカルが恋と夏を刺激的に歌い上げる。

 スポットライトに照らされた槙島梓さんは、卒業アルバムで見るよりも華やかに見えた。金色に染まったショートヘアが汗に濡れて輝き、情熱的な声がステージを魅了する。高身長でパンツルックなこともあり、男勝りという印象を受ける。歌詞の内容もストレートで力強いものだ。

 バンドの演奏が終わり、会場全体が拍手で彼女のバンドを迎える。彼女は次のバンドにマイクを手渡すと幕の外に引っ込んでいく。

 私はカップの残りを飲み干し出口に向かう。

「待ってっ!私も行く!」

 意外にも彼女は渋らなかった。

「椿は見ててもいいよ?」

 皮肉が私の口からついて出た。

それすらも椿は笑い飛ばした。

「見てたいけど、実桜のことが心配だから」

 心配とは心外だ。これでも私はしっかりしているつもりなのだが。

「椿は定期試験のことも心配したら?」

「大丈夫。そっちはもう手遅れだから!」

「堂々と情けないこと言わないで」


 先んじて外に出て、裏口から少し離れた所で彼女を待つ。春の空気はまだ肌寒く、もう少し着込めばよかったと後悔する。

「うーん、中々来ないねぇ」

 椿の鼻の頭も赤くなっていた。

「もう帰っちゃったのかな?」

「あと少しだけ待ってみよう」

「はーい、ママ」

「誰がママだ」

 一切生産性の無い話をしていると、裏口の扉が開いた。

 少しだけ開いたドアから槙島梓さんが顔をのぞかせる。何かを警戒しているように見えた。

 私はあえて正面から近づく。

「あの、少しお時間いいですか?」

 梓さんは露骨に嫌な顔を見せた。眉をしかめ、唇を固く結んでいる。

「大原里香さんについて聞きたいことが」

「知らない」

 鋭い拒絶の言葉。

しかし、私は引き下がらなかった。

ここで引けば情報が無くなる。

「突然すみません。私は彼女の夫の世良さんから依頼を受けて里香さんを探しています。彼女について何か知っていることはありませんか。何でもいいんです。情報を……」

「耳悪いの?それとも頭?」

 言葉と共に首元を掴まれる。胸元にまで引き寄せた私に、彼女は顔を近づけた。

「知らない、って言ってんだよ」

 そう言うと乱暴に私を突き放した。しりもちをついた私に目もくれず、彼女は逃げるようにその場を去った。

「大丈夫?」

 差し伸べられた椿の手を取る。

「平気。……椿は先帰ってて」

「え、ちょっと、実桜っ」

 彼女の顔を思い出す。怒りの裏には若干の恐怖が入り混じっていた。

 間違いない、彼女は何か隠している。

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