#探偵失格

@Hitumabusi

第1話 #カッコウの餌食①

 しめった土の匂い。

「……う」

 最悪の目覚めだった。階段を転がり落ちたせいで身動きするたびに鋭い痛みが走る。

 特に痛みがひどいのは頭だ。触ってみるとぬるい液体の感触が手に付いた。それが何かは見たくない。

 あおむけに寝転ぶと都会には珍しく、星がはっきりと見えた。近くに他の光源が無いからだろう。

 綺麗に輝く空の星。

 対して、地上で芋虫みたいに這いまわる私。

 真実に気が付けなかった結果がこのざま。

 あきらが言う通りだ。

 私は何も見えていなかった。

「くそっ……」

 手のひらで顔を覆った。

 ……私は探偵失格だ。

 

 事の始まりは三ヶ月前にさかのぼる。


 教室の窓から見えたのは、うんざりするほどの桜の吹雪。薄桃色の花びらが舞い散り、地面を染め上げていく。片付けるのに苦労しそうだ。

 桜は二番目に苦手だ。

「はい、そこまで。西園寺、次の箇所読んで」

 散るものこそが美しいという感性が理解できないからだ。美しいものにはいつまでも美しいままでいて欲しい。そう考えるのは悪いことなのだろうか。

「西園寺?」

 一番苦手なのは、桜が好きな人。

「西園寺実桜、せめて返事をしなさい」

 例えば、娘の名前に桜を付けるような。

「あ、すいません」

 慌てて手元にある教科書を取る。顔に近づけると新しい教科書の匂いが鼻をつく。

 困った。考え事をしていたせいで授業を全く聞いていなかったのだ。大勢の視線がこちらを向いている。恥ずかしさに顔が熱くなる。

「実桜、実桜っ」

 ささやき声に従って顔を右に向けると、椿が自分の教科書を広げていた。彼女の指が十一ページの四行目に置かれている。

 ページをめくり、そこに書かれている文章をつたない音読で読み上げる。

「はいそこまで。じゃあ、次は彩芽」

「まかせて、順ちゃん」

「先生に向かって順ちゃんはやめなさい」

 ごめんなさーい、と全く気持ちがこもってない謝罪をすると、私の続きから読み始めた。

 音読中になぜか彼女と視線が合う。

 教科書で顔を半分隠していても、椿がにやにや笑っているのがわかる。

 苦手だ。


 ホームルームが終わるとすぐに『サイン』を開く。

 『サイン』は十代から二十代を対象としたソーシャルメディアだ。

 混然としたタイムラインは台風の後の河川のようだ。ユーザーは思い思いのことをつぶやき、叫び、吐き出している。

 タイムラインを横にスワイプし、本命の情報を探し出す。一番上にあるダイレクトメッセージが目当てのものだった。

『相談希望。希望日時:五月二十六日』

「ね、アレだよね」

 顔を上げると背後に椿が立っていた。

「何のこと?」

 ごまかすも彼女にはバレていた。

「お仕事。今日こそ私も行くからね!」

 鞄に教科書をしまいながら応える。

「大人しく部活に行きなさい」

「今日は休み。私がそう決めた」

「怒られても知らないよ」

「練習ならいつも道場でやってるし」

 腰に手をあて胸を張る。

「探偵には助手が必要不可欠でしょ?」

「それは違う」私は反論する。

「確かにシャーロックホームズにはワトソン、ドルリー・レーンにはクェーシー、想くんには可奈ちゃんがいるけど、フィリップ・マーロウみたいな一匹狼の探偵もたくさんいるわけだし、そもそもミステリとは多種多様な形が存在するから、探偵には必ず助手がいるという理論は暴論だと思う。ミステリにおける助手の役割としてはいくつかあって、例えば一般人の視点が……」

「……」

 目の前に視線を戻すと、困り顔の椿が口元に愛想笑いを浮かべていた。早口になりつつあった口を閉じる。私の悪い癖だ。

「……とにかく、私に助手はいらない」

「じゃあさ」

 ぐいっと彼女が顔を近づけた。私の心臓のビートがワンテンポ上がる。

「友達としてついて行くから。それとも、探偵に友達はいらない?」

「それは、違う。でも、色々危険で」

「危険な時こそ助けるのが友達でしょ。私のこと、友達じゃないって言うんなら話は別だけど。……私のこと嫌い?」

 その切り札は反則だ。

 嫌い、と言えるわけがない。

「嫌い、では、無い」

 椿は口角をつりあげ、意地悪な笑みを浮かべた。

「じゃあ、問題ナシってことで」

「……勝手にして」

「やったっ」

 小さな子みたいにはしゃぐ彼女。

 今回の仕事が簡単なものでありますように。


 待ち合わせにはわざと遅れて行く。

 この仕事で始めに学んだ技術だった。想定外の事態が起きているときこそ、その人の本質が理解できる。

 道行く人を装い、待ち合わせ場所に指定した喫茶店を外から観察する。

 予約された席に座る依頼者の男性は、しきりに腕時計を確認していた。黒ぶちの眼鏡をかけた気弱そうな男で、古びたスニーカーがとんとんと足元でステップを踏んでいた。神経質な性格なのだろう。

 体格は中肉中背、背は少し猫背気味。年齢は恐らく三十手前。指は綺麗で何もつけていない。独身なのだろうか。

「入んないの?」

「もう少しだけ待って」

 首を傾げる彼女を放置して観察を続ける。特に今回は彼女も関わっているのだ。用心に越したことはないだろう。

 ただ、幸運なことに今回の依頼者はマトモな人に見えた。ひやかしや悪ふざけだったり、何かよからぬことを企んでいたりするようには見えない。

 ただし、人を見かけだけで判断してはならない。善良なふりをして悪事を働く人は山ほどいる。これもまた今までの仕事の教訓だ。

「まだー?」

「もう少し。……あと、さっきから思ってたんだけど」

 喫茶店から目を離し、彼女のことを見た。

 できもの一つない綺麗な肌に、ぱっちりとした二重まぶた。鼻梁の通った鼻に、同性の私でさえドキッとしてしまう魅力的な唇。

 ふわふわとした黒髪にアッシュカラーのメッシュを合わせ、おでこの中央で分けている。

 幼なじみなのに私と彼女には圧倒的な個体差がある。椿彩芽という女は人生の不平等を体現した存在だ。

 だけど、成長した彼女でもただ一つ変わらないところがある。

「その腰に付けているものは何?」

 彼女は腰にカーディガンを巻き付けていて、そこに京都の修学旅行でしか見たことが無いものを差していた。

「何、って木刀だけど」

「それは知ってる。私が聞きたいのは、どうして木刀を腰に差しているのか、ってこと」

「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれました」

 椿が胸を張り、豊かな胸部が突き出される、

「探偵には危険がつきもの!運動オンチな実桜に危険が迫ったとき、都大会準優勝の私がばっさばっさと敵を倒すの!」

「……」

「そして言う。『安心しな、峰打ちさ』って。ちょーカッコいいでしょ!」

「……木刀の峰ってどこよ?」

 見た目は良くなっても性格は六歳の頃からまるで変わらない。むしろ悪化しているかもしれない。

「それやめて。目立つから」

「何で?戦国時代なら普通じゃん?」

 おい、今の元号が何か言ってみろ。

 戦国では日常の光景でも、令和の街中では異様である。なまじ見た目が良いだけにさらに目立つ。

 当然、喫茶店からも見えるわけで。

「……」

 依頼人が私たちのことを眺めていた。


「いや、驚いた」

 若干の困惑を見せながらも依頼人は言った。

「プラウさんがこんなに若い子だとは」

 プラウ、それが探偵としての私の名前だ。さすがにインターネットという暗黒に本名をさらす勇気は無い。

「ええ、まぁ……」

 苦笑いで返す。

「それにしても、その」

 彼はちらりと椿のことを見た。

 なぜ木刀が持っているのかわからないのだろう。大丈夫、私もわかっていない。

 微妙な空気の中、当の本人だけがニコニコ笑っていた。

「でもでも、実桜ってすごいんですよ!いくつもの事件を解決してて」

 例えば、と椿は続ける。

「圭吾君の給食費紛失事件とか、凛ちゃんの靴下盗難事件とか」

「ちょっと、やめてよ」

「あと有名なのがあきらちゃん誘拐事件で」

「椿!」

 叱られた猫のように椿が肩を丸める。

「ご、ごめん」

 私は依頼者に頭を下げた。

「すいません、お見苦しい所を見せました」

 彼は首を横に振る。

「いえいえ、こちらこそ誤解を招いて申し訳ない。プラウさんの評判は良く聞いているからね。だから、お願いしたんだ」

「わかりました。大原さんの依頼をお受けします。……ですが、何点かお願いが」

 指を立てながらいつもの約束事を話す。

「まず、私はプロではありません。調査が必ずしも成功するとは限らない。その際には報酬も経費も結構です」

「はい」

「次に、私ができるのは人探しや物探しだけです。それ以外の調査は専門外です」

「うん。……それで、料金は」

 真っ先にお金の話をする辺り、金銭的な余裕はあまり無いようだ。それも私に依頼した理由の一つだろう。

「かかった交通費だけで大丈夫です」

「本当かい?」

「ただし、一つお願いがあります。とある人物について情報が欲しいんです」

「アカウントのプロフィールに書かれていた人のことだね」

私は頷いた。

「西園寺菫について何か知っていることがあれば教えてください。何も知らないのであれば、彼女の話を周りの人に広めてください」

「わかった、約束する」

 特に問題なく契約は成立した。ここから私の仕事が始まる。

「では、お聞きします。何をお探しですか?」

「大原里香。……私の妻です」


 男の名前は大原世良さん。妻である大原里香さんとは三ヶ月前まで一緒に暮らしていた。独身という私の予想は早くも外れたわけだ。

「ある日、急にいなくなってしまったんだ」

 男は思い起こすように言った。タクシーの運転手である彼は朝八時にアパートを出て、午後五時に帰宅した。途中お昼ご飯を食べに家に戻った時にはまだいたらしい。

 つまり、彼が仕事に戻った一時から五時の間に彼女は書置き一枚を残して消えた。

『さよなら。もう探さないでください』

 私は書置きと共に机に置かれた写真を見る。

 写真の中で、大原里香さんは満面の笑みを浮かべていた。

「心当たりはありますか?」

 そう質問すると、世良さんは目を伏せた。

「ないわけじゃない。幸せだったけどケンカすることはあったし、僕の収入も多いわけじゃないから色々迷惑をかけた。でも、僕らは愛し合っていたし、こんなことになるほど問題は無かったんだ」

 彼も自分なりに色々探してみたらしい。警察にも相談したようだ。

しかし、民事不介入の原則から、誘拐でもない事件に警察は本腰を入れて捜索することはない。

「あまり申し上げにくいのですが、奥様が、その、駆け落ちした可能性も考えられます」

「それならそれでいい」

 彼の表情には決意が見えた。私が言ったことも当然覚悟しているのだろう。

「ただ、会って一度話をしたいだけなんだ」

「……わかりました、行きましょうか」

「どこにですか?」

 シャーロック・ホームズは言った。

『データ不足だ。粘土無しではレンガはできない』

「里香さんが最後にいた場所に」


 世良さんの住むアパートは駅から少し離れた所にあった。

「お邪魔します」

 人の家にあがるのは正直苦手だ。自分の家にはないあの独特な匂いが苦手だし、玄関に靴を置いたときにどうしてもよそ者の自分を実感してしまう。

 それでも彼の家に上がるのに比較的抵抗は無かった。部屋は綺麗に片付いており、悪く言えばあまり生活感が無い。

「ちょっと待って。今お茶を出すから」

 世良さんがキッチンの冷蔵庫を開く。ほとんど空っぽな冷蔵庫のポケットに麦茶のポットが入っていた。

「先に色々見ててもいいですか?」

「うん。僕のことは気にしないで」

 家主の言葉に従い、家の捜索を開始した。

「ね、どこ探す?」

 ひょっこり顔を出した椿に答える。

「私はクローゼットを探すから。椿は他の所を見てて」

 彼女は左手で敬礼をした。

「りょーかいっ」

 敬礼を左手でするのは良くない、と言いかけて口を閉じる。そういう所だぞ、私。

 寝室のクローゼットを開き、大原里香さんの服を探す。几帳面に詰め込まれている下着などは手つかずで、そのまま残されていた。

 失踪事件において服は一つの目安になる。計画的な家出の場合、あらかじめ服まで準備して持っていく可能性が高い。

 つまり、今回の事件は衝動的なものだと考えられる。

「実桜!こっち来て!」

 少しこもった声が私を呼んだ。

 洗面所に入った私をみるなり、彼女は手にしたものを突きつける。筆箱のような形の入れ物で、タンポポの模様で飾られている。

「これ見てこれっ!」

「これ何?」

 私の何気ない質問に、椿が思い切りのけぞった。

「な、な、なんと!メイクポーチをご存じでない女子高生がいるなんてっ!」

 そう言われると何かムカつくな……。

「どうでもいいでしょ、私のことは」

「えーもったいないなぁ。実桜は磨けばもっと光るよ?今度一緒に買いに行こ?」

 手を横に振って拒絶する。

「いらない。……で、何が言いたいの?」

「んーとね、これは外出用の化粧ポーチなの。メイクってご飯食べたりすると落ちちゃうでしょ?だから、こうしてポーチに入れて持ち歩く。でも、ここに置きっぱなし」

「化粧しなくても死にはしないでしょ?」

「でもでもっ、余裕があれば持って行くと思う。そんなかさばるものでもないし、わざわざ買い直すのも大変じゃん?」

 確かにそれは一理あるかもしれない。

「うーん、よっぽど急いでたのかな」

 その後も捜索を続けたが、後にめぼしいものは見当たらなかった。残されたメモ帳なんかも見てみたが、特に情報は無い。

 一度リビングに戻る。お茶をしながら調べた情報を共有した。

「彼女が持って行った物はわかりますか?」

 顔に手をあて、少し考えてから彼が言う。

「うーん、財布とかスマホぐらいかな」

「財布の中にはいくら入ってました?」

「そんな多くはないはずだよ。後で通帳も見てみたけど、その日お金は引き出されて無かった。五万円、多くて十万円かな」

「……ふむ」

 椿がおずおずと口を開く。

「あの、あんまり言いたくないですけど。誘拐とか、連れ去られたとかはありませんか?」

「多分無いと思う」世良さんは即答する。

 彼が手にした紙には急ぎ書きで書かれた文字があった。

「間違いない。これは彼女の字だ」

「犯人が脅して書かせたとか」

「無い無い」今度は私が否定する。

「偽装工作するならメールやチャットを使う。スマホを奪うだけで済むし、家に残る時間を増やしたくないから」

 椿はほっと息を吐く。

「それもそっか。だったら安心」

「話をまとめましょう。里香さんの失踪は事前に計画したものでは無かった。彼女は衝動的に家を飛び出し、急いでいたためほとんど何も持っていかなかった」

 そして、と私は一拍置いて言う。

「一番大切なのは、三ヶ月帰っていないこと」

 お金もほとんど持っていない状況で、三ヶ月間生活できるとは考えにくい。どれだけ安いホテルに泊まった所で一ヶ月が限界だろう。

 それでも、彼女は二時から五時というある程度余裕がある時間の中でお金を降ろそうとは考えなかった。

 つまり、家出後の生活の見通しがある程度立っていた。

「彼女の失踪には協力者がいます」


 その日の調査はそこで終了した。世良さんとの別れ際に連絡を交換する。調査の方法については私に一任するとのことだったが、一つだけ条件として調査の度に報告をするように言われた。私はそれを了承し、彼と別れる。

 帰り際、子供みたいに縁石の上を歩きながら、椿は言った。

「頑張ろうね」

「まさか、次の調査にもついてくるつもり?」

「当然!」

「……」

 これからの苦労を思い、私の視線は自然と上空に向いていた。

 私の気持ちも知らず、春の夕暮れは綺麗だった。

「ねっ、せっかくだし、このままロイホ行こうよ、ロイホっ!」

「夕飯にはまだ早くない?」

「春のイチゴキャンペーンやってるの!ストロベリーパフェが私達を待ってるよ!」

「私甘いもの苦手」

「そうだっけ?昔はそんなこと」

「昔は昔、今は今」

 彼女の顔を見ながらもう一度。

「苦手なの」

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