第17話 私は、そんな青人が羨ましかった
――青人視点――
少なくとも夜ではないが、港を出て何時間たったかは、もう覚えていない。腕時計などは持ってきてはいたのだが時間を気にする気にはなれなかった。
今、俺は、朱音に言われて、船の中の食堂で、食料を取りに来ていた。流石の朱音もこれ以上食事が保存食なのは我慢できなかったのだろう。その朱音曰く、俺たちが奪った船は、軍が使うだけあって大きかったし、作戦の内容的に何日か船の中にいることになるのだから、保存食以外の食料は置いてあるだろうとのことだ。
結果的にその意見はあっていた。食堂のところにまるで光を放つかのように冷蔵庫があった。俺も保存食には参っていたので、その三種の神器のうちの一つを見て、ため息を漏らした。
冷蔵庫を見た後も辺りを物色してみたが、思ったよりもいろいろな食材があった。とりあえず今回はまともな食事が食えそうである。食材を料理するため、調理場に行こうとすると、食堂に誰か入ってきた。
幸である。はて、幸も来るとは聞いていなかったが。
「どうした、幸。こっちは一人でも大丈夫だぞ」
俺は、そう言ったが幸は静かにこう返した。
「だって、青人。料理下手」
・・・それを言われたら、何も言い返せない。そういえば俺は調理のことまで考えていなかった。俺は、少し不満げな表情をしながら、手で調理場の場所を示し、近くのいすに腰掛けた。
手ぶらで朱音たちのところに戻るのも嫌なので、料理をしている幸の姿を見ながら待つことにした。会話のない部屋に米を研ぐ音だけが一定のリズムで聞こえてくる。俺と幸にとってこういう時間はいつものことであるが、今日は、すぐに俺が沈黙を破った。その理由は、居心地が悪かったからではなく、今置かれている状況に、少しの希望を抱いたからである。
「幸。俺が行ってから、白羽に何か変化はあったか?」
俺がそれを聞いたとき、幸は手を止め、先ほどよりも小さな声で言った。
「何もない。ずっと、黙ってるだけ」
「そうか・・・」
俺は、それを聞き、少し俯いた。
俺たちは、北島の港で無事に船に乗ることができた。二人の命、そして三人の安全と引き換えに。そして、その犠牲による影響は、思ったよりも大きかった。どんな影響かと言えば、白羽が、壊れてしまったのだ。今あいつはうつろな目をしたまま、何もしゃべらないし、当然、戦闘も思考もままならない。だが、そんな中であいつは、船の操縦だけはこなしていた。
昔から白羽は、責任感の強いやつだった。今、白羽が運転できているのは、自分以外ここには船を運転できるものはいない、という責任感が体を動かしているからだろう。しかし、白羽を壊したのもまた、その責任感であるのは間違いない。
白羽は、一昨日東島に来るときも、俺に軍に協力者がいるなどの情報を教えるため、眠りはしなかった。それに加え、今朝も、この船を盗る方法を夜通し考えていたと聞く。つまり二日間一睡もしていないことになるのだ。さぞかし疲労もたまっていることだろう。そんな状態のときに、目の前で、自分の知り合いが二人も殺されたのだ。しかも死んだ一人のうちの黒川は、白羽にとって、本当によい親友であったと聞いている。それほどの悲しみがそれほどの疲労状態のときにくれば、壊れないはずがない。
朱音に聞いてみると、何日か休ませる以外、治る方法はないらしい。つまり、俺たちは、これから白羽なしで軍から逃げなければならない。今の白羽は、船の操縦ができていること自体ありえないくらいだ。それ以上のことを望むのはあまりにも酷である。
そしてそのことを考えてみれば、きっと今、ゆっくり食事をしているときではないのだろう。白羽なら少しでも時間があれば、今ここで軍に見つかっても、うまく逃げ出す方法を考えるかもしれない。しかし、疲れているのは俺たちも例外ではない。白羽の崩壊はもちろん、港での二人の死にだって相当ショックを受けているのだ。今俺たちには、白羽のようにすることはとてもできなかった。
俺は、幸に向って言った。
「なあ、幸。何で白羽がああいう風になってるか分かるか?」
幸は、俺のほうを見て、首をかしげながら言った。
「分かるよ。白羽は、私たちのためにがんばりすぎて、ああなったんでしょ」
俺は、その言葉を聞いたとき、安堵とそれ以上の疑問の二つの気持ちがあった。
安堵の理由は、今の言葉が幸に感情があることを示しているからである。
そして、彼の疑問は――。
「俺は、本当にお前に感情を教えてやるべきだったのかな」
これであった。
俺は、幸に感情を教えてやれた。それは最初のころとは見違えるほどである。だが、俺は、今、そのことを正しかったと言える自信がないのだ。白羽は、責任感という感情のせいで今の状態に陥った。黒川や土門さんも俺たちや白羽の力になりたいという感情のために命を落とした。俺は、今、幸がその人たちと同じようになるのではないかと思っているのだ。それに理由はもう一つある。
俺は続けた。
「幸。今こんなことになってる理由、覚えてるだろう。お前が俺を助けてくれたからだ。お前にこうなるリスクを犯しても俺を助けようとする優しさが、感情があったからだ。だから、俺は考えずにはいられないんだよ。お前に感情さえ教えなかったら、お前の命を危険にさらすことさえなかったんだって」
最後のほうの俺の声は、少しかすれていた。どうやら俺は泣いているらしい。その様子を見て、幸が静かに言った。
「また青人、泣いてる。本当に青人は、玄よりも白羽よりも泣き虫」
「ほっとけよ。別に良いだろう」
「うん。私は、そんな青人が羨ましかった」
俺は、それをきいて少し驚いていた。俺は昔、よく泣くほうではあったが、羨ましいと言われたことは一度もない。
「何でだよ」
「初めて会ったあの日、青人は泣いてた。理由はまだ、ちゃんとは分からないけど、ずっと気になってた。そこから青人が泣いているところ、笑ってるところ。泣いているところ。たくさん見た。青人が私に一生懸命教えてくれたから、私は、青人が笑った理由や怒った理由は、少しずつ理解できた。でも、泣いた理由だけは、分からなかったときのほうが多かった。ずっと思ってた。青人みたいに、いろいろなことを感じたいって。青人と同じ理由で泣いてみたいって。そして、今、それができてる」
幸がそう言ったとき、俺は、黙っていることしかできなかった。そのとき俺は、あまりにも綺麗に泣く幸に、見入ってしまっていたのだ。
そんな状態の俺に、幸は近付き、静かに、そして、優しく続けた。
「ねえ、青人。私に感情を教えなきゃよかったなんて言わないで。私嬉しかった。みんなと同じときに同じ表情ができて。今あなたと同じときに、泣くことができて。でも、感情がなかったら、きっとこんな風に嬉しく感じることさえできなかったんだ。それは、本当に悲しいこと。もう二度と体験したくないこと。それに、青人。私、最近また新しい感情が分かった。それは、時には辛かったり、苦しかったりするけど、いつもはとても心地いい感情だった」
そして、幸は、一旦口を閉じた。見ると、少し顔が赤くなっている。その顔が何かを決めたかのように引き締まり、再び幸は口を開いた。
しかし、ものとものがぶつかったような大きな音が、幸の言葉をかき消した。そして、その音と同時に船内が大きく揺れた。
自分が置かれている状況から判断すると、今の音は、ほぼ確実に軍の船をぶつけられた音だ。俺は、幸に早口で言った。
「幸、少しここで待ってろ。船の様子を見てくる」
そういって俺は、船の甲板に向かおうとした。幸の言葉の内容は、ある程度推測できたが、最後まで聞く気にはなれなかった。仮にここで、軍に捕まろうが捕まらなかろうが、俺は幸と一緒には居られない。それなのに最後までその言葉を聞いてしまったら、別れが辛くなってしまうからだ。
しかし、食堂を出ようとしたときに、どの道、幸の答えは聞けなかったことを悟った。
「ドラゴンさん。竜泉青人さん。まさかこのまま逃げられるなんて思ってなかったですよね」
後ろに何人もの兵士を従え、にやりと笑いながら、半田はそう言った。
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