第18話 そして彼は、英雄になる

 俺たちがボートで連れて来られたのは、港で一度見た船だった。飾りは少々悪趣味だが、割と性能は良いらしい。先ほどの音は船と船をぶつけた音だろうが、凹みがあったのはこちらの船だけだった。


 半田が船上のベンチのようなものに腰掛けた。無論こっちは、手を縛られて立ったままである。半田はその様子を満足そうに眺めながら言った。


「ずいぶんと苦労かけてくれましたねえ。どうです捕まった感想は?」


 俺は歯を、強く強く食いしばった。こいつらが来るのは予想はついたが、それに対して全く対策を立てなかったのも事実である。まだ大丈夫だろうと思っていた慢心が、白羽なら絶対にしない油断が、このようなことを引き起こしてしまったのだ。


 半田は、その俺の表情を見て、いっそう笑みを浮かべながら、幸に向っていった。


「では、ドラゴンさん。予想はつくとは思いますが、これからあなたには、戦争に協力してもらいます。とはいえ、あなたが自分からやってくれると言わなければ連れて行けないんですよ。無理やり連れて行っても、働いてもらわなければ意味がありませんから。そこであなたに聞きたいんですが、私たちに協力してもらえますか?」


 俺は、その言葉が言い終わるや否や、即座に声を張り上げた。


「ふざけるな。そんなこと、誰が納得するか」


 半田は、今度は少々めんどくさそうな顔をしながら、俺に腰にあった拳銃を向けた。


「誰もあなたには聞いてませんよ。どうします、ドラゴンさん。一応選択権はあなたにありますよ。まあ、断ったら、それなりのことは覚悟してもらいますが」


 幸は、その様子を心配そうに見つめながら、口を開こうとした。だが、俺が幸の言葉をかき消す。幸が言うことは分かっていた。そして、幸がその言葉を言うことのほうが、今突きつけられている銃よりずっと怖かった。


「だめだ、幸。俺のことなんてどうでもいいから、絶対にその言葉だけは言うな。それを言ったら、今までの頑張りが無駄になるんだぞ」


 その言葉を言い終わったときに、半田の雰囲気が変わった。そして、さめた顔をしながら俺の顔にまわし蹴りをし、倒れた俺に向って、何度も蹴りを入れた。


「うるっせえんだよ、お前は。黙ってろって言ってんのが聞こえねえのか。そんな金にならねえ偽善振りまいてんじゃねえよ」


 痛みを感じ朦朧とした意識の中で、幸の声が、涙声が聞こえた。なんていったかは分からなかったが、内容は分かる。俺は力を振り絞って声を上げた。


「駄目、だ。行く、な。絶対、行くな」


 すると蹴りがやんだ。顔を上げると、部下に何か指示をした後、こちらを冷めた目で見て、言った。


「むかつくなあ。お前みたいなやつが一番むかつく」


 それを言い終わると、部下から棒のようなものを受け取った。ようやく視界がはっきりしてくるとその棒の先端が轟々と燃えているのが分かった。何をする気なのか分からなかったが、幸はそれに過剰に反応した。


「いや、やめて、やだ、やだ」

「もう遅い。いいか、竜泉青人。そんなヒーロー気取ったって、結局それはお前のうぬぼれなんだよ。いずれもっとでかい力の存在を理解することになるんだよ。今からそれを教えてやる」


 そして、半田は、その火を持って、俺たちの船に近付く。そして、そのときようやく俺は半田の意図を悟る。あいつは、船を燃やす気なのだ。朱音と白羽が乗っているその船を。


「おい、やめろ、やめろよ。やめろおおおお」


 しかし、半田はその声に耳を傾けることもなく、それを投げた。


 煙のにおいが鼻を突く。火の音がどんどん大きくなる。熱さがここまで届いてくる。目の前で幸がヘナリと座り込む。周りの兵士たちも唖然としている。どうやっても、このリアルな感覚は、夢にすることはできなかった。


 俺は、痛みを忘れて立ち上がり、ありったけの敵意を半田にぶつけた。

「どうして、どうしてお前らはこういうことができるんだよ。どう考えたっておかしいだろ」


 半田は、再び俺を蹴り飛ばし、踏みつけながら言った。


「これが戦争だからだ。いいか。お前の感情も友情も、弱かったら、何の意味もなさない。お前がどう思おうと、勝った人間が、正義を決める」


 それを言い終わるとき、半田の表情は冷めたままだったが、その雰囲気にはただならぬものが感じられた。自分の人生そのものをその言葉に乗せたかのような……。だから、俺は一瞬だけ何も言い返すことができなくなってしまった。


 そして、その一瞬に、一人の兵士が言葉をはさんだ。その言葉は、異常なまでに震えていた。


「は、はんださん、甲板に、ひ、人が、出てきます」

「あの火の中でだと。どこだ?」


 半田の声に応じて、その兵士が、震えた指でその方向を指差す。ほかの兵士も俺も幸もその方向を見る。そしてその人間を見たとき、俺は、驚き固まった。今は動けないはずであった。何もできないはずであった。だが、確かに今甲板を歩いている。気を失っている朱音を肩に担ぎ、火の中を進んでくる。


 そいつは、白羽だった。目は虚ろで、歩き方もおぼつかない。おそらく、まだ、あいつは壊れたままだなのだろう。だから、あいつ本能が体に指示を出し、あいつの朱音を助けるという異常なまでの意思がその体を動かしているのだ。


 白羽の歩き方は不恰好だった。しかし、俺も幸もそれを醜いとは思わなかった。半田もほかの兵士たちも誰一人今の白羽の動きを阻もうとする人はいなかった。この場の全員が白羽がこの船にたどり着くまで、見ていることしかできなかった。


 白羽は、朱音をまだ火の回っていない所にそっと置いた。


 全員が唖然としている中で、沈黙を破ったのは、声を荒げた半田だった。


「ああ、もう、何でだよ。何でこんな中で生きようとするんだよ。何でもがくんだよ。まるであの時の俺が間違ってたみたいじゃねえか」


 半田は、そういいながら拳銃を構えた。狙いは、朱音のようだった。


 目の前がスローモーションになる。俺の頭が異常なまでに考えを張り巡らせる。


 ――まさかこいつは。殺す気なのか。白羽が命を欠けて守った朱音を。


 ――させるものか。白羽の命を無駄にできるはずがない。


 ――しかしどうやって防ぐ。力も何もない一人の人間が。


 ――違う。できるかじゃない。やるしかないんだ。あの白羽のように強い意思で無理やり可能にするしかない。


 ――強く幸を守りたいと思え。強く朱音を守りたいと思え。守るためになら手段を選ぶな。自分の敵には容赦をするな。


 ――殺すことさえためらうな。


 手の縄が、自分の力で千切れる。半田の拳銃を持つ手を掴み、拳銃を奪い、思いっきり蹴り飛ばす。そして急に、幸、朱音、白羽以外の人間が消える。いや、消えたのではない。その人間が石ころのような無価値なものになった感覚に陥ったのだ。


 ふと、あの伝説のことを思い出した。一人の男が何人ものドラゴンを退治し、英雄と呼ばれたあの伝説だ。


 昔は、尊敬していたが、幸というドラゴンと過ごすにつれて、あの男がどういった気持ちでドラゴンを退治したのか気になったことがあった。残虐非道な行いをされたとはいえ、それをそのまま暴力で返し、人の言葉もしゃべれるドラゴンをどんな気持ちで退治したのか。


 しかし、今ここで答えが出た。あの英雄は、きっとドラゴンを生物としてみていなかったのだ。あの男にとって敵の生命を奪うのは、ものを消失させるのと同じ感覚なのだ。


 俺は、英雄に対して恐怖を覚えながら、かつての夢であった英雄になった。

 

 甲板にある物の数は、半田を抜いて、八つある。とはいえ、今の状況を見て、即座に動けるものなどいない。俺は、蹴り飛ばされた半田を呆然と眺めている二人の頭を撃つ。


 残り六つ。冷静に考えれば、今甲板に居るものが、半田が船に乗せた全てではないだろう。おそらく、中に何人か居るのかも知れない。そんなことを考えている最中に、手を後ろに向けて、引き金を引く。


 残り五つ。その時点でようやく全員が気付いた。自分の命が危険であることを。しかし、すぐに動けない兵士も居た。銃を抜こうと慌てているものに、その動悸を止めてやろうと、心臓を撃つ。


 残り四つ。この段階になって、やっと全員の臨戦態勢が整ったらしい。先ほどの男を打つまでの間に三つのものに囲まれていた。俺は、その様子を見て、少し笑い、先ほどからその場から動いていない幸に言った。


「幸。お前は朱音をボートで助けに行って来い。そしてこの船に戻って来い」


 幸は、何も言い返さず、逃げるように去っていった。そのときどんな顔をしていたかは、見ることができなかった。


 しかし、今は、そんなことを気にしている場合ではない。幸が行ったのを確認すると、俺は、早速動き出した。物たちは、まさかこの状況でも動くとは思っていなかったのだろう。反応が遅れている間に一人の額に向って、足元にあった死人の銃を蹴り飛ばし、もう一人を銃で撃つ。


 残り三つ。ここでようやく、敵の銃声が聞こえた。先ほど手をつけなかった一人のものだ。だが、その銃は俺の頬を掠めた。少し裂けた頬は気にせず、その銃を撃った男に近付く。その男の腰にあるナイフを掴み、銃を構えて、耳にささやく。


「銃はもっとしっかり持ったほうがいい」


 そのナイフで男の頚動脈を切り飛ばし、その最中に額を押さえている男を撃っておいた。


 さて、残り一つ余っているのだが、姿が見えない。探しに行こうと思い、船の周りを見てみると、一人の男が海に浮いていた。どうやら自害したようである。この状況的にも正しい選択ではあったろう。


 俺は、ようやく半田に眼を向けた。半田は立ち上がっておらず、ひざひとりはを立てて座ったままこちらを見ていた。


 俺は、その目を見返し、銃を向ける。しかし、半田はその状況にもかかわらず落ち着いていた。


「なるほどな。これは勝てない。なあ、竜泉青人。きっと今のお前は、何でもできるだろう。もしかしたら、蛇塚さんにも勝てるかもしれない。でもな。絶対に今のお前は、周りを不幸にする。必ずだ」


 俺は半田を撃ち殺した。


 不幸にする、そんなはずはない。今の俺なら、幸も朱音もこれ以上どんな人も守りきれるはずだ。


 俺は死骸の山を冷めた目た後、船内へと走った。


 全てを一時間もかからずに殺し終わり、死体を軽く片付けた後、俺は、ぐっすりと床に倒れ眠った。

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