第5話 父の思いと悍ましき蛇
――守視点――
人生の半分くらいは生きたが、今までこれほど時間が長く感じられたときなどあっただろうか。
今は、首相官邸と首相公邸の近くのアパートにいる。日本軍になったことで寮生活を強制される範囲は広がりはしたが、三等陸佐から上の階級は営外の生活を許可されている。
そしてもちろん、私は一等陸佐であるため、この近くに住む必要もないのだが、今日は、内閣総理大臣の家政婦の鷲沢京子(わしざわきょうこ)という女から、会議が終わり次第あなたを首相公邸へお呼びするので近くのアパートで待機していてくださいと連絡され、このアパートを紹介された。名前に似合わず気弱そうな声の女だった。
そういうわけでこのアパートで待機しているのだが、おそらく首相官邸で決めているのは、もう幸をどうするかという話ではなく、幸をどう捕まえるかの話になっているのだろう。だから、ニュースで映っていた青人の父親である私を呼んだのだ。無理やり捕まえるために、その場所の土地勘のある人材が欲しいのだろう。
だが、もちろん私には、協力する気などまったくない。蛇塚総理のことだ。どうせ幸を捕まえて、戦争しようとでも思っているんだろう。幸は、私にとっての娘であり、その娘を捕まえることに加担するなどありえない。
あまりにも会議が終わった連絡が来ないので、散歩でもするかと思い、外に出たちょうどそのとき、リムジンが目の前に来て止まった。そしてそこから鷲沢さんが出てきた。
「遅くなって申し訳ありません。どうぞこちらへ」
連絡がなかったことに、少々怒りを覚え、鷲沢さんに言ってみるかと思ったが、やめた。よくよく考えれば、鷲沢さんがそんなことを忘れる人には見えない。多分、蛇塚総理が連絡する予定だったのだろう。あの人ならばありえそうだ。
少しずつ蛇塚総理のイメージが悪くなる中で、リムジンは出発した。
首相公邸に着き、入るとそこには二人の人しかいなかった。盛ったたくさんいても言いと思うのだが。二人というのは、蛇塚総理と見たことのない男である。うでっぷしが強そうで、目つきが悪い。うわさに聞く総理とつるんでいる暴力団だろうか。
私は、どういうつもりなのかと、蛇塚総理のほうを見たが、蛇塚総理はそれをまったく気にしていない様子だった。
「ああ、竜泉さん。良くぞいらっしゃいました。ささ、座ってください」
――ずいぶん腰が低いな。
言われたとおり椅子に座り、机をはさんで向かい合わせになると、蛇塚総理の雰囲気が変わった。先ほど、後の男は目つきが悪かったが、このときの蛇塚総理の目は、悪いというよりは、眼光が鋭いといった感じだった。例えるなら、まるで獲物を見つけた蛇である。おそらく何が何でも私を協力させる気だろう。
蛇塚は、にっこりというより、ねっとりと笑いながらその口を開いた。
「それで、今回お呼びしたのは・・・・・・」
「ドラゴンの件ならお断りします」
だが、私も引き下がるわけにはいかない。娘を捕まえる協力などしてはならないのだ。
私が、その言葉を言い終えたとき、目つきの悪い男が机を強くたたいた。恐喝のつもりだろうが、娘を戦場に出すことの恐怖に比べれば、天と地ほどの差がある。
そんな私を見て、蛇塚総理は、また、にやりと笑った。まるで、恐喝に対して、動じない私を面白がっているようである。
右手を上げて、目つきの悪い男を制す。
「熊崎(くまざき)、もうやめていいよ。竜泉さん。理由を聞かせてもらえますか」
直感で分かる。この男に下手なうそは、墓穴を掘るだけだ。ドラゴンもすでに見つかってしまったので、私は、幸と出会った日をありのまま話した。
全て話し終わると、蛇塚総理は、少しばかにしたようにいった。
「はー、そんなことがあったんですか、なかなか泣ける話ですねえ」
私は、少し言い方にいらだちながらも真剣に言った。
「はい。ですから幸は、娘同然なんです」
それを聞いて蛇塚総理は、またにやりと笑った。
「そうですかぁ。なら、娘さんと息子さんどちらか選んでもらわないといけませんねえ」
「はい?」
蛇塚総理は、見下すような目で、私を見ながら続ける。
「もうばれているでしょうが、私、暴力団にコネがあるんですよ。そいつらがこの前、妙なルートでとある国で使われている舟を手に入れたんですよ。だから、もしドラゴンが手に入らなければ、その船で今度、どこかの島を攻めることにしようと思うんです。ドラゴンが手に入らなければ、国民の皆様に戦争の重要性を分かってもらうしかありませんからね。しかし、こんな態度をとられたら、もうどこの島を攻めるかは決まりましたかね」
――このやろう。
私は、かなり感情的に話していた。
「だけどそんな非人道的なこと、できるはずもないし、許されるはずもない」
蛇塚は、それに対して、答えを明確に示さずに、しかし、それでもとてもはっきりと答えてくれた。
「そういえば知ってますか? 一年前に自殺した政治家の事件。怖いですよねえ。僕も自殺までは追い込まれたくはないものです」
その瞬間、体が固まった。まるで蛇ににらまれた蛙のように。脳がこいつには勝てないと判断した。
一年前のそのニュースは私も知っている。死んだ政治家は、清水正志(きよみずただし)。最も、平和主義をやめることに反対していた政治家だ。
そして、前々からうわさになっていたが、今の言葉を聞いてはっきりした。その政治家を殺したのはこいつだ。どんな手を使ったかは知らないが、おそらく清水は、その徴兵令に反対する姿勢を見せてしまったのだろう。そして、見せしめに殺されたのだ。
――化け物だ。自分の目的の達成のためなら、あらゆる手を使い、それで何が起きようともこいつには、石ころを蹴り飛ばした感情ぐらいしかない。あるのは邪魔なものがなくなったという喜びしかないのだ。
自分のことしか考えようとしない化け物。そんなやつに人間が太刀打ちできるわけがなかった。
無力だ。無力だ。どうしようもないくらい、俺は、無力だ。
そんな俺を一つだけ動かす感情があった。だが、それはこの状況を変えられるものではない。ただの知識への欲求だった。
「蛇塚総理、一つだけ聞いてもいいですか」
「なんですか。竜泉さん」
「あなたが、それほど戦争にこだわる理由ってなんですか?」
そう聞くと、蛇塚は、普通に笑って答えた。
「そうですね。戦争はいいものですよ。科学技術も医療技術も豊かになる。私たちがよく利用するインターネットだって戦争があるから生まれた。それ以外にも戦争のおかげで生まれたものはたくさんあります。それに戦争は、いろいろなものを消費するため、需要が生まれ、雇用が増え、どんどん経済が活性化していくんです」
彼は高揚した気分を抑えず、生き生きとした様子で言葉を続ける。
「最近は不況続きで、このままでは到底日本の発展なんて見込めない。私はね、竜泉さん。日本が古い鎖に縛られて、こんなにすばらしい戦争ができずに、衰退していくなんてもったいないと思うんですよ。竜泉さんもそう思いません?」
「それで犠牲になった人たちに対して、あなたはなんて思いますか?」
蛇塚は、何でそんなことを思うんだろうとでも言いたげに、不思議そうな顔をしていた。
「特に何も思いませんが」
まだ、一度しか会ったことはないが、その回答は、本当に蛇塚らしいのだろう。こいつの考え方、感じ方、生き様、全てが出た答えだと思った。
――ごめんな。幸。勝てそうにない。
蛇塚は、俺の顔を確認すると、手を二回たたいた。
「鷲沢。竜泉さんを送って差し上げろ。それでは竜泉さん。娘さんか息子さんを含む何人もの人たちか。いいお返事期待したいますよ」
私は、黙っていることしかできなかった。
リムジンに乗っているとき、私は、横に座っている鷲沢さんに聞いてみた。
「どうして、あんな人の家政婦をやっているんですか」
「どうしてと言いますと?」
「あなたはどこからどう見ても戦争が好きな人とは思えない」
そう、ずっと疑問だったのだが、今回の話を聞いて、どう考えても鷲沢さんと蛇塚が馬があうとは思えない。そして、こんなに遅くまで、家政婦が働く必要はなかったはずだ。私がこの人だったら、とっくに辞めていることだろう。
鷲沢さんは、その理由を教えてくれた。正直聞けるとは思ってはいなかったのだが。
「私は、ある料理屋で働いていたんです。その店長が夫でして、貧しいながらも何とか二人でがんばっていたんです。でも、だんだん厳しくなってきて、お金を借りたんですが、そこがあの熊崎が仕切る金貸しでした。それで、利子がどんどん増えていって、そのとき熊崎に、お前は料理の腕だけはいいから、いつも自分が世話になってる少し変な政治家のところで、家政婦としてただ働きしてこいといわれたんです。そして来てみたら、休みももらえなくて、ずっと主人にも会えていないんです」
鷲沢さんは、そうとしか言わなかったが、決して、家事だけでは済んでいないのは、容易に想像できた。おそらく、その蛇塚の行為は違法であり、訴えることも出来なくはないだろう。だが、あの蛇塚をおそれて、この人は、もう何もする気にならないのだ。
まさに、今の私と同じように。
「そう・・・・・・ですか」
先ほどのアパートに着くまで、私たちは、それからずっと無言だった。
彼女は、私に話すことで救いを求めていたのかもしれない。もしくは一歩踏み出す後押しをして欲しかったのかもしれない。
だが私には何もできなかった。たった今、蛇塚に叩きのめされ、己の無力さを知らされた私が、どんな言葉をかけられるだろうか。
先ほどのアパートに着き、風呂に入ろうとして水面を見ると、幸や鷲沢さんへの無力感や罪悪感で、自分の顔がひどく醜く見えた。
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