第2話 お前の名前は
「イッテー、お前あんなこと言うなよ。いや見たかったけどさ」
「ああ痛いなあ。それにしても、あのドラゴン。テレパシーみたいなのも使えるんだな」
どうやら玄と白羽も目を狙われたらしい。あの一瞬で三人の目を狙えるとは、なんて恐ろしい。だが、このとき俺はその恐ろしさなど上の空であった。
俺は、ポツリと呟いた。
「なあ、あのこ、かわいかったよなあ」
それを聞いた白羽が目を丸くした。
「かわいかったって・・・・・・お前まさか一目ぼれか」
「うるせえな。ちげえよ」
「悪いことは言わないからやめておけ。ドラゴンと付き合うなんて聞いたことがない。それに伝説のようにドラゴンが残虐だったらどうする」
「だから、違うって行ってるだろ。まあ、だけどあのこが残虐そうには見えないけどな」
ついには、玄も混ざってきた。
「なになに、青人ドラゴンと結婚すんの」
話飛びすぎだろう。
「うるさい。もう黙って待ってろ」
そうして俺たちは、ドラゴンの治療が終わるのを静かに待った。
しばらくたった後、ドラゴンを含めた四人がやっと部屋から出てきた。
俺は、葵さんに真っ先に聞いた。
「葵さん、ドラゴンの容態は?」
「貧血よ」
「えっ、ひ、ひんけつ?」
原因が思っていたのと違いすぎて、キョトンとしてしまう。てっきりもっと重いものかと思った。
葵さんは疲れた様子で続ける。
「人型になったら簡単だったわよ。すぐに分かったわ。今度からはこのこにしっかり食事を取らせることね。じゃあ私は帰るわよ。他にもいろいろあるでしょうけど他の事はあんたたちで決めなさい」
葵さんがそう言って帰ろうとしたとき、父は慌てて呼び止めた。
「葵さん。このことは・・・・・・」
「分かってるわ。他の人には言わないわよ。でも、そのドラゴン、伝説通りだとあと十年は居座るだろうから、島の人には説明しておくからね」
「ありがとうございます」
葵さんの対応は当たり前のことだろう。ドラゴンなんてそこら中に話が広まったら、いろいろと大変なことになる。しかし、この島では、前に書いたように恵みを与えてくれる大切な存在だ。島のみんなも受け入れるだろう。
葵さんが帰ってから、俺たちは一旦リビングに集まった。そして、父が切り出した。
「それでこれからどうするかって話なんだが」
朱音は、まだ人型でいるドラゴンに向かって言った。
「まず、名前よ。それがなきゃ話にならないわ。あんた名前なんていうの」
ドラゴンは、とりあえず父の服を着たらしい。ぶかぶかなシャツの袖で腕を組み考えるそぶりを見せた。
「名前、多分、なかったと思う」
ずいぶんはっきりしない回答だが、それは朱音という猛獣を刺激したらしい。何か言い返そうとする朱音を見て、俺は慌てて付け加えた。
「ま、まあ、ドラゴンだし、名前があるとは限らないんじゃないか。これから考えればいいだろう」
朱音は、一つため息をついた。
「じゃあ名前については、後であんたが考えなさい。次は、この子を一体誰が預かるって話なんだけど」
何で俺が名前を・・・・・・と思ったが、どうやら言葉を遮られたことにご立腹らしい。まあ、いい名前を考えるとしよう。
あと、誰が預かるか、か。確かに重要な問題だ。俺は、順番に白羽と玄の顔を見たが、どちらも首を振った。無理ということらしい。どちらもいろいろと問題があるのだろう。次に父の顔を見ようとしたとき、父が言った。
「それなら、竜泉家が預かるよ。私がいないときは毅さんに任せればいいし大丈夫だろう」
毅さんと言うのは、俺にとっての祖父に当たる。父親が祖父を名前で呼ぶのは、父親は婿入りした立場で祖父は義理の父になるからだ。祖父の名前は、竜泉毅りゅうせんつよし、東島の長である。非常に厳格だが、根は優しくいつも家族を思ってくれている人だ。確かにあの人なら、人一人増えようと大丈夫だろう。
父はドラゴンのほうを向いて続けた。
「今日からお前は私たちの家族だ」
父の割とかっこいい言葉にドラゴンはあまり反応を見せなかった。場が少し沈黙する。
すると、ふいにインターフォンが鳴った。俺は、ドラゴンが竜泉家に預けられたくないのではないかと少し不安になったが、俺は玄関に向かうことにした。
「はーい」
ドアを開けるとそこには、大勢の人がいた。
俺は咄嗟にドアを閉めた。
・ ・・・・・どうしてあんなに人がいるんだ。俺は、ろくにない脳をフル回転させて一つの結論に辿り着いた。つまり、葵さんがさっき知らせるって言ってたから、あの人たちはドラゴンを一目見ようと来た島の人たちなわけだ。
・・・・・・面倒だな。葵さん、連絡速すぎるだろ。
鍵は開けておいて、とりあえずリビングに戻った。俺を見つけると父は言った。
「ああ、青人。せっかく家族になったんだから、お前もこの子と何か話したらどうだ」
願ってもいない提案だ。俺はうなずき、そして恐らくニヤニヤしていたと思う。
「分かった。二階で話してくるから、邪魔しないようがんばって」
俺の言葉に、朱音は何か言いたげな顔をし、他のやつは不思議そうな顔をしたが、俺はそんなこと全く気にせずドラゴンの手を引き、階段を駆け登った。
自分の部屋に到着。下がうるさいが気にしない。
呼吸を整えていると、息一つ切らしていないドラゴンが俺に聞いてきた。
「ねえ、なんでわざわざ逃げてきたの」
「逃げてきたように見えたか?」
「うん」
まあ、急に連れて来られたのだから、確かに気になるところだろう。説明しても問題ないので説明することにした。
「島の人がさ。お前を見に来るためにうちに来てたから。そういううるさいのってあんまりいい気はしないと思ったからかな」
「何でいい気はしないって思うの?」
俺は、少し黙ってしまった。
そんなこと聞かれてもなあ。大体こういうのって説明しなくても分かるものだと思うんだけど・・・・・・と途中まで考えてから思い返す。この質問といい人型になったときの恥じらいのなさといいもしかしたら……。
「もしかしてお前感情ないのか?」
はたから見れば失礼な質問だがドラゴンは表情一つ変えずに答える。
「感情って何?」
「何って・・・・・・お前は喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりっていう喜怒哀楽とかはないのかって聞いてるんだよ」
癖なんだろうか、また、腕を組み、考えるそぶりを見せてからドラゴンは言った。
「よく分かんない」
―なるほど、だから家族と言われてもあまり反応しなかったわけだ。ドラゴンというのはそういうものなのだろうか。
確証は得たが、俺はもう一つ気になることがあった。
「お前もここに来るとき、家族と別れてからここに来たんだろう。そのときも悲しいとか・・・・・・」
といいかけて俺は口をつぐんだ。なぜならその話をしたとき、何も感じないはずのドラゴンの顔が、すこし悲しそうにしていたからだ。
ドラゴンはポツポツとつぶやいた。
「家族、分からない。何も、覚えてない。居たはずなのに、覚えてない。何も」
俺はその、元はドラゴンとは思えない小さな姿に、母が死んだ頃の自分を重ねていた。
母は、俺が小学生の頃、病気で亡くなっている。あのときは、何ヶ月も母との記憶を思い出して泣いたものだ。
だが、目の前の俺と同じくらいの女の子は、その家族さえも思い出せない。そして、そのことを悲しむこともできないのか・・・・・・。
ふいに、ドラゴンが話しかけてきた。
「ねえ、どうして泣いてるの?」
俺は、目を軽くぬぐってみた。・・・・・・本当だ、泣いてる。
そうか、こいつのために今俺は泣いていたのか。自分が思ったよりもやさしかったことに驚きながら、少し笑顔で質問を返した。
「どうして泣いてるか、分からないか?」
「うん。私には、分からない」
「いつか分かる日が来るさ、いや、俺が絶対に分からせる」
「そう」
「それとお前の名前も決まったよ。幸せって書いて、幸(さち)。
「幸? どうして?」
「幸がいつか感情を知って、この涙のわけも分かって、幸せって感じて、心から笑ってくれるように」
「そう」
「幸、こういうときはそうじゃなくて、ありがとうって言うんだよ。ありがとうって言って、笑うんだよ」
「じゃあ・・・・・・、ありがとう」
明らかに作り笑いだったが、初めて見た幸の笑顔は、この世のどんなものよりも美しかった。
「あの日」から九年間いろいろなことがあったよな。幸も合わせて五人でいろいろな所行ってさ。北島にある森で、鬼ごっこしたときは、楽しかったよな。玄、めんどくさがりやの癖にあっちこっちに罠仕掛けてさ。帰りが遅くなって、よくじいちゃんに叱られたよな。そのほかの遊びでも、よく怪我して南島の病院行ったけ。あまりにも行き過ぎて葵さんあきれてたよなあ。
幸も東島の学校行くことになってたよな。島の高校なんてないから、みんなばらばらになって、幸だけ一緒の高校だったな。高校受験のときは、俺も幸も頭悪いから、西島の白羽の家に行っていろいろ教えてもらったっけ。受かったときは、結構でっかくなったドラゴンの姿の幸に乗せてもらったなあ。あの時はよく晴れてて、風が気持ちよかった。
高校三年間なんて、あっという間だったな。俺は、東島の人に勧められて、高卒で漁師になったし、玄も実家の和菓子屋継ぐって言って、もう働いてたな。ただ白羽と朱音は大学行くために一人暮らしすることになったよな。朱音は、どこかの医大に、白羽は防衛大にそれぞれ受かってさ。それで、みんな喜んで、四つの島のみんなでお別れ会を開いたよな。幸、知ってるか。俺、あの会の最中に朱音に告白されたんだぞ。でも、断ったんだ。そのとき俺、幸が好きになってたから。幸はさ、始めて会った時に比べたらずっと口数が増えたよ。それに、みんなとも仲良くなって最初よりもずっと笑うようになった。
でも、もう、戻れないんだよな。
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