主我を愛す

矢田川怪狸

第1話

 丁寧に梱包された小さなロボットが私の工房に届いたのは、土曜日の午後も遅くなってのことだった。

 愛玩用ロボットTI-NA2036ーー通称ティナ。

 梅下電器がフェアリーシリーズとして商品展開している愛玩ロボットの初期型であり、製造終了からは半世紀も経っている。すでに部品の保有期間も過ぎており、メーカーでは修理すら受け付けてもらえない。

 だからウチみたいな小さな工房に修理依頼がきたのだろう。

 TI-NAは妖精をイメージして小型に造られているため、段ボールはさほど大きくはなかった。ガムテープは真っ直ぐにヨレひとつなくぴっちりと貼られていて、発送者の几帳面な性格が十分にうかがえた。

 本体の状態については、正直期待していなかった。なにしろ50年も前に発売されたものであり、正規ではない修理を何度も受けているだろうから、むしろ最近まで正常に稼働していたことの方が驚きだ。

 だけど、ダンボールを開けた私は、「あっ」と息を呑んだ。段ボールの中には無機質でそっけないビニール製のエアパックではなく、赤い縮緬で造られた可愛らしい布団が詰め込まれていた。くだんのTI-NAは柔らかい布団に包まれて、幸せに眠っているみたいに見えた。

 私は、まるで小さな生き物にするみたいに、そっと両手でTI-NAを掬い上げた。これが生き物ですらない愛玩用のロボットだということはわかっていたが、もの扱いして乱暴につまみ上げる気にはなれなかったのだ。

 着ているものは公式が発売しているフェアリーシリーズ用の着せ替えではなく、手縫いで丁寧に仕立てられた可愛らしいワンピースだった。私はそのワンピースをそっと脱がせて、彼女の状態を確かめた。

 TI-NAの表面は人肌に近い触感を追求して作られた有機アマロイド性の人工皮膚で覆われている。耐久性は高い素材だが、やはり経年劣化による痛みはいくらかあって、背中の真ん中に丁寧な針目で繕った跡があるのが痛々しかった。だけど汚れはなく、この小さな愛玩ロボットがいかに愛されていたのかを私は思い知った。

 翌日、私はこのTI-NAの分解検査に1日を費やした。そして、これは修理不可能であると判断した。

 正直、不調の原因が配線や駆動部であれば直しようはある。TI-NAは部品の保有期間も終了して久しいためにメーカーから正規パーツを取り寄せることはできないが、それでもフリマサイトでジャンクとなった同機種筐体からパーツどりしたり、同じサイズの愛玩ロボットのパーツを代替品として使ったり。現に彼女のボディを開いてみたら、体内の部品のほとんどが代替品に取りかえられていた。

 だけど、残念なことに彼女の不調の原因はそんな浅い場所にはなくて、小さなボディの最新部にある記憶領域を交換する必要があった。人間でいえば脳を入れ替えるレベルの大手術が必要だということだ。

 代替えパーツのアテがないわけじゃないが、この小さなロボットの人格を形成しているデータを移行することはできない。つまりはボディを生かすことはできても、まっさら新品の脳を入れたそれを元のロボットと同一の存在だと見なすことができるのかという、哲学的な命題が発生してしまうわけで。

 私はTI-NAを丁寧に組み直し、縮緬の布団にそっと寝かせた。

 そして依頼主に電話を掛けたのが月曜日の朝早く。

 電話口に出たのは声を聞くだに人の良さげな、おっとりとした喋り方をする女性だった。声質から言ってそれなりにお年を召しているはず。彼女は自分のTI-NAのことを『ちなちゃん』と呼んだ。

 私は記憶領域の交換が必要なこと、その場合にデータの移行が不可能であることを彼女に伝えた。メカニカルな説明なんてほとんどわからないだろうに、彼女は一言も聞き逃すまいとしているみたいに真剣に「はい、はい」と私の話を聞いていた。

 最後に「つまり、修理できないということです」というと、電話口の向こうで大きなため息をつくのが聞こえた。それから遠慮がちに低めた声で。

「失礼を承知で伺いますが、例えば、他のロボット屋さんに頼んだら治るっていう可能性は?」

 私には彼女の気持ちが痛いほどわかった。だから腹も立たなかったし、逆に必要以上に同情するつもりもなかった。

「修理する場所はおんなじですからね、きっと、おんなじことを言うと思いますよ。つまりですね、電源さえ入ればいいっていうなら、うちでも修理はできるけど、まったく元通りの『ちなちゃん』にしてくれってのは、どっこもできないよっていうことで」

「そう、そうよね、ごめんなさいね」

「いえいえ」

 その後で電話の向こうは長く黙り込んでいた。きっと長い長い逡巡があったのだろう。

 私は気の毒になって言った。

「うちには家庭用より電圧がデカい電源があるから、一時的にでいいなら『ちなちゃん』を起動することができますよ」

 その電源を駆動部に通さず記憶領域に直結すれば起動は可能だ。ただし、回路は焼き入れて完全に修理不能になるが。

 電話口の向こうから沈み切った小さな声が聞こえた。

「つまり『最期のお別れ』ってことね」

 それは私の返事を期待しない独り言の類に聞こえた。だから私は何も答えず、彼女の次の言葉を待った。

 その後の彼女は、むしろ無機質に聞こえるくらいのハキハキした口調で、火曜日には私の工房を訪れることができるだろうと言った。だから火曜日の何時ごろに工房を開けておくのかを打ち合わせして電話を切った。

 月曜日の日中は他のロボットの修理にかかりきりで、私はTI-NAに構ってやることができなかった。夜になって手が空いた私は、工房の電気を消す前に縮緬の布団の中をふと、確かめてみた。

 彼女は安らかな顔で眠っていた。そんなわけはないのに、寝息の音が聞こえるような気がした。TI-NAはそれほどに精巧な『人間のミニチュア』である。

 特に梅下電器のフェアリーシリーズのコンセプトは『新人類』であり、初期型であるTI-NAから現在販売されている最新型に至るまで、いかにして精巧な人間の複製を作るかに技術を注いでいる。2年前に発売された最新型のRE-NAは毛穴まで再現されていると話題にもなった。

 しかし大きさは妖精サイズ――技術的には人間サイズの精巧なロボットを作ることも可能であるのに、梅下電器はあくまでもこのサイズにこだわっている。私はこれを人間の傲慢だと感じている。消費電力の関係だとか、見た目の好ましさだとか、表向きの理由はいくつかあるようだが、天下の梅下電器がそんな浅はかで直接的なものをロボット開発の依拠とするはずがない。

 ここに、ロボット工学史に名を残す面白い社会実験の例がある。それは100年ほど前に大手ファミレスチェーンの協力を得て行われた大規模実験であった。内容は至極簡単、人間とは程遠い姿をしたものから全く人間と見分けがつかないレベルまで様々なタイプの給仕ロボットを配し、人間にとって好ましい外見を調べるものだった。結果、一番人気が高かったのは人間とは似ても似つかないおもちゃタイプのロボット群だった。そこから中途半端に人間に近づけたヒューマノイドタイプが不人気だったことは不気味の谷理論でも証明されている通り。

 不気味の谷を抜けた先、人間の複製品タイプのロボットに関しては、さらに面白い実験結果が出た。大きさも人間と同じに作られた完全人型のロボットよりも、人間のミニチュアとして作られた妖精サイズのロボット群の方が、明らかに人気が高かったのだ。

 面白いことに、妖精サイズの配膳ロボットに料理を持たせると、多くの客が配膳を手伝おうとしたそうだ。中には「あんな小さいロボットに労働を強いるなんて、お前の店はそんなに人手が足りていないのか」なんて感情的なクレームもあったそうで、人間にとって妖精サイズのロボットというのはどうやら庇護対象であるらしいという実験結果が出た。

 梅下電器が愛玩用ロボットを妖精サイズで作ったのは、多分にこの実験の結果を鑑みてのことだ。つまり、TI-NAはただひたすら愛玩されるために作られた存在なのである。

 だから実用的なロボットに比べると耐久性はほとんどないに等しい。特に手足のフレームなどシャープペンの芯ほどの太さしかない鋼材を組み合わせて作られているために『骨折』しやすい。華奢さを追求した結果だ。

 コミュニケーション機能は充実しており、他のロボット相手では考えられないような複雑な会話もできる。人の機微にも敏感で、悲しければ一緒に泣いてくれるし、嬉しい時は軽やかな笑い声をあげる。

 愛玩されるための機能しか与えられていない哀れな存在、それがTI-NAである。

 私は眠っている彼女の頬を指先でなぞってみた。有機アマロイド製の人工皮膚は滑らかで、かすかな温もりまであるような気がした。この小さな生き物の眠りを妨げるのは無粋がすぎる。

 足音を忍ばせて電気を消した私は、ふっと振り向いた。寝息が聞こえたような気がした。もちろん、そんなはずはないのだけれど。

 そして翌日火曜日の午前中、TI-NAのユーザが私の工房を訪ねてきた。短く切り揃えた柔らかい白髪をぴっちりと後ろに撫でつけた、品のよさそうな老婦人だった。空港から直接来たと言う彼女は小さなスーツケースを提げていた。

 私がまず驚いたのは、彼女が思いのほか質素な格好をしていたことであった。

 着ているものは黒いワンピースで、仕立てこそいいものではあるが。型はひどく古くて生地が少しテカっている。おそらくは娘時代に育てたものを何十年も大事に着ているのであろう。化粧も薄く、貧乏ではないが贅沢とは縁遠い雰囲気があった。とてもじゃないが古いロボットのレストアに湯水のように金を使うマダムには見えない。

 私は朝食すら食べていないという彼女を気遣ってお茶を出そうとしたのだけれど、それはキッパリと断られてしまった。

「そんなことよりも、早くちなちゃんに会わせてくださいな」

 彼女の大事な『ちなちゃん』は、工房の隅で、赤い縮緬の布団に包まれて眠っていた。

「ちなちゃん、起きて」

 優しい声で名を呼んで、彼女は悲しそうな顔をした。

「前はね、こうやって『ちなちゃん』って呼んであげると、目を覚ましたんですのよ」

 知っている。登録してある名を呼ぶのは起動コマンドだ。

 つまり記憶領域の不調によりコマンド入力ができなくなっているという、そういった技術的な説明も可能だったが、なぜだろうか――私はそういった無機質な説明をしたくはなかった。

「もう、声も聞こえないほど弱っているんですよ」

 いま考えれば感情的で何の理路もない、あまりにもファンタジックな説明だ。それでも老婦人はうなずいてくれた。

「ええ、わかっています、もう修理もできないほど弱っているんでしょう、でも、

 最期に話をさせて下さるのよね」

 彼女は気丈だった。涙のひとつも見せずに凛々しく顔を上げていた。

「わかっています、ちゃんと覚悟はしてきたんだもの」

「じゃあ、電源を入れますけどね、立ったり動いたりはできない、本当に話ができるだけですよ」

「ええ、お願いします」

 朝方早く起きて、すでに細工はすませておいた。見えないように布団の下に電源コードを通し、ちなちゃんの記憶領域に直結してある。

 私は手元にある高圧電源のスイッチを入れた。ちなちゃんがうっすらと目を開けた。

 ちなちゃんはしばらく無言で、ただパチパチと瞬きを繰り返していた。それは単なる起動待ちの動作なのだが、特殊なコーティングで潤んだ質感まで再現された黒目がちな目のせいで、長い眠りから覚めた本物の少女が戸惑いに目を瞬かせているような、そんな風情があった。

「ちなちゃん」と老婦人は言った。

「お母さんよ、わかる?」

 TI-NAの人工声帯はわざと手作業で作られており、声には個性がある。ちなちゃんの声は幼児に似て甲高かった。

「お母さん」

 それはただのコード確認だ。何か感情があるわけではないと言うことはわかっている。だけど人間の、それも幼子そっくりの声で囁く様子は、私の胸の奥にある何かを甘く引っ掻いた。

 老婦人はちなちゃんに指先を差し伸べて悲しそうに微笑んだ。

「具合はどう、ちなちゃん」

 ちなちゃんは突拍子もない明るい声を上げた。

「元気、元気だよ!」

 本当は、もう布団の中から起き上がることもできないというのに、いじましい。

 老婦人はちなちゃんの小さな手を指先で掬って、静かな声で話した。それに返されるちなちゃんの声は場違いなくらいに明るくて、それが逆に悲しかった

「ごめんね、ちなちゃん、もっと一緒にいたかったんだけど、これでお別れなの」

「うん、一緒にいようよ、お母さん!」

「ダメよ、ちなちゃんはね、ご病気なのよ」

「サポートセンターに連絡してください」

「うふふ、ちなちゃんはいつもトンチンカンね」

「面白い? 面白いでしょ!」

 口元は笑いの形を保ったまま、老婦人の乾き切った頬に一筋の涙が流れた。

「ちなちゃん、あなたはね、死んじゃうの」

 愛玩用ロボットには死の概念がない。だから老婦人の言葉の意味がわからなくてコマンドエラーを起こしたのだろう。ちなちゃんは急に何かを考え込むような顔になって黙り込んだ。

 長い長い無言が続いた。ここまでかと思い、私は電源スイッチに手を伸ばした。

 と、奇跡が起きた。

「お母さん、泣いてるの?」

 ちなちゃんは弱々しく腕を上げて、老婦人の頬に触れようとした。老婦人の笑顔がくしゃっと崩れて、一筋だった涙が二筋三筋に増えた。

「ちなちゃん、お母さんが行くまで、天国で待っててね」

 もしかしたらプログラムされていたワードに反応しただけかもしれないし、あるいはそこに本物の愛の奇跡があったのかもしれない。ちなちゃんは静かな声で言った。

「うん、待ってる、お母さんのこと、待ってるよ」

 あれはもう、哀れな機械人形なんかじゃない。少なくともあの老婦人にとっては。

 私は電源スイッチに伸ばしかけていた手を止めた。そして、そっと工房を出た。

 もうしばらくだけ――せめて記憶領域が焼き切れるまで、そのくらいの電気代は何も惜しくない。ただ、あの親子の別れの邪魔をしたくはなかった。

 庭先に陽の落ちる、静かな静かな、火曜日に午後のことであった。

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