酒と煙草とハンマーと希望
春菊 甘藍
酒と煙草とハンマーと希望
酒は、その日一日の嫌なことを流してくれる。
煙草は、耐えきれぬ苦痛を煙に巻いてくれる。
ハンマーは、身を守ってくれる。嫌な奴の指を砕くのにも使える。
希望は……どうだろうか。
*
今日も今日とて、店への客は多い。
女性を、客の所へ運ぶのが俺の仕事。
性接待を伴うであろう場所に、彼女らを送る忌むべき仕事。ネオンの眩しい路地から、店内に戻るとボーイと呼ばれる仕事へ行かねばならず忙しい。
馴染みの小金持ちが、話しかけてくる。
「最近、流行っているモノ知らない?」
若者の流行について行きたいのか、店内で一番若い俺に話しかけてくることが多い。
「梅毒ですかね」
流行なんて知らない。
こんなスラム街には、洒落たコーヒーショップも可愛い小物を売る雑貨屋も無い。この街には、酒を提供する店か、そうじゃない店しかない。
「
中年間近の男性の声。
店長のモノだ。
「お客様、失礼いたします。今、行きます」
客に軽く頭を下げ、店長の居る事務所へ向かう。
「どうしました?」
四十路手前の店長は、目の隈が消えずいつも疲れたような顔をしている。俺が知ってるまともな大人の顔だ。
「
嬢と客のトラブルの始末。
こういった確認が出る際は、決まって荒事になる時だ。
普通の店でなら、暴力沙汰など無いのかもしれない。でも、多分この店は非合法。いわゆる本番アリなのだからお察しだ。
「はい。客は、一人ですか?」
人数、人相の確認。
「ああ、一人。でもよそ者っぽいおじさんだし、君なら大丈夫だな」
欲しくも無い信頼。
「分かりました」
でも答えなくちゃいけない。
すぐに店で用意されてる車に乗り込み、現地へ向かう。途中、信号待ちでダッシュボードから使い古されたハンマーを取り出す。
「……はぁ」
ため息が出る。
別に暴力は好きじゃない。
目的地へ到着。
薄汚れたアパートは、この街らしい色合いを
「やるしか、ないか」
呟き、車の外へ。
目的の部屋の前には、閉め出されたであろう嬢がいる。
「藤島さん、大丈夫ですか?」
彼女は、下着姿のまま放り出されている。恐らくは手荷物等はまだ中にあるのか。
「米代くん、あのおっさん本番断ったら締め出しやがって、料金も踏み倒しやがったの。まだバッグと服が中にあるから」
彼女が動くたびに、むせかえるような化粧粉の匂いがする。母親も似たような匂いがしていたから、嫌いだ。
「分かりました」
インターホンを押し、数回ノック。
「すいません。●●ヘルスの者です。料金の支払いとスタッフの荷物の返還をお願いします」
ヤニ臭い場所だ。
「うるせェ、帰れ!! こんな下手くそよこしやがって、慰謝料だ慰謝料」
こんな街に住むような低能のくせに、慰謝料は知ってるのかと感心する。
「アイツ……」
藤島さんの期限が目に見えて悪くなっていく。
「……では、料金の方は私が立て替えますのでスタッフの荷物だけでも返して頂けませんか?」
俺の言葉に藤島さんは驚き、
「ちょっと、米代さん」
抗議してくる。
人差し指を立て、静かにするよう促し、手に持ったハンマーを見せる。
「こういうことです」
藤島さんの顔が目に見えて青ざめる。
彼女を含め、嬢の方は俺のやり方は知ってるから。
「ほんなら仕方無いのォ」
インターホンから声が聞こえ、相手に手が見えた瞬間。
「ぁあああああ!!」
気が触れたかのような声を出し、ハンマーを振り下ろす。
「がっ、お、お前。こんなこと、がっ」
狙ったのは手。
でもうるさかったから、顔も殴った。
「料金の支払いをお願いします」
馬乗りになり、次はどこを殴ろうか考える。
「ふざけんな! ぁああああ!」
取りあえず、指の関節を逆に曲げる。
子供の頃、母親が不機嫌な時にされたものだ。
「警察に、」
何を言っているのだろうか。
この街で警察がまともに機能してるはずがないのに。
「料金は、払えますか?」
次は肘を潰そう。
「は、払えない。すまない、悪かった。かならず、かならず払うから」
払えないのか。
「分かりました。では、この契約書にサインをお願いします」
用意していた用紙。
ウチの店は、金貸しもやっている。
つまりは、そういうことだ。
「でも、期日までのお支払いと、スタッフへの乱暴ということで別途、請求いたしますので」
男の顔が青ざめる。
「そんなの聞いて」
ハンマーを振り上げるフリ。
「ヒッ」
笑顔を作る。
「お支払い、お待ちしてますね」
精一杯の皮肉を込めて、ご挨拶。
*
帰りの車内。
藤島さんは、荷物をゴタゴタの間に取り返したよう。
「ありがとね、スッキリしたよ」
あのおじさんを殴ったことか。
「いえ、業務ですので」
ずいぶん汚れた業務だ、全く。
「ねぇ、米代くん。お礼にさ、今度サービスしてあげよっか?」
こちらは運転中だというのに、彼女は俺の左肩に触れてくる。
「すみません、金欠なんで」
噓だけど。
「いいって。何なら、付き合ってくれるなら毎日タダでも良いんだよ?」
ため息が出そうになるのを、
彼女は、俺のようにこの街に住む貧乏人じゃない。楽に金が稼ぎたいと理由で、こんな所まで墜ちてきた女性の一人だった。
「考えておきます。あ、そういえば店長が……」
曖昧にして、別の話題へすり替える。
どうでもいいことだが、俺にも付き合った人くらい居た。
同じ貧困を、彼女と味わった。
貧困故に、彼女は身体を売り、望まぬ子供を宿し、気が狂い、そして死んだ。
まだお互い、十五歳だった。
*
業務を終え、かび臭い自宅へ帰る。
四畳半の狭苦しさは、そのまま俺が生きてるこの街のよう。
「……」
業務用の安酒を取り出し、コップへと注ぐ。帰宅後、うがいもせぬままに、酒を流し込む。
「ふぅ……」
重い頭が、少し軽くなったような錯覚。
「あ、そろそろ買いに行かなきゃな」
取り出そうとした煙草は、もうあと一、二本くらいしか無い。
「……フッ」
火を点し、白く汚れた息を吐く。
ツンとさすような煙が目を刺激するから、涙が出る。
「あ」
着たままの勤め先の制服には、ハンマーが入りっぱなし。どこのホームセンターでも売っていそうな粗雑な作りだが、もう買って数年こればかり使ってる。
「……汚ぇ」
先程の客だけじゃない、血がべっとりとこびりつき取れそうにない。
「汚ぇな……」
何もかもが。
この街に生まれてしまった時点で、行き着く先はどれも同じ。どうにもならない人生は、生まれた時から決まってる。
最近、やっと買えたスマホに通知が入る。
「あっ」
希望があるとすれば、SNSに投稿される無料の漫画が更新されること。
「今日もいいじゃん」
一人、部屋で呟いた。
酒と煙草とハンマーと希望 春菊 甘藍 @Yasaino21sann
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