第8話 王子の胸中(ラスター視点) 第4節

 一行は王都に帰ることとなった。ひとつには賢者の健康状態について検査が必要なことと、もうひとつには国王から帰還し報告するように求められていたからだ。加えて、賢者を王に謁見させるためだ。

 ラスターはその道中で、賢者に国のことを説明することにした。

 アイリーン国は二千年の歴史のある王国で、神サンスーンによる助力によって建国された。そして初代女王メティスからいまに至るまで、幾度かの戦争を経験しながらも、その加護とともに栄えてきた。その長い歴史の一部を掻い摘んで賢者に説明した。彼も理解できたようだった。

 それから旅程を地図で示す。王に謁見しなくてはならないと聞いた賢者は、緊張した面持ちで「何日くらいかかるんですか」と旅程をラスターに尋ねた。

「そうですね……。一週間以上はかかるかと」

「七日もかかるんですね、結構遠いんだ」

 賢者は地図を見ながら、そう呟く。

「七日?」ラスターは聞き返した。

「え、一週間かかるんですよね」

 どうやら賢者の国とでは一週間の長さが違うらしい。彼の国は一週間が七日あり、ひと月が三十日もしくは三十一日で構成されており、かつ一年のうちひと月だけ二十九日になる場合もあり、更にその月も年によっては三十日になることもあるようで、複雑な仕組みであるようだった。

「賢者様の国は、どのようなところですか」

 このアイリーン国と賢者の国とでは、日にちを数える仕組みに始まり、文化の面も大きく違いそうだった。国外にほとんど出たことがないラスターは、純粋に興味が沸いた。

 賢者は少し考えた後で、

「俺が住んでいた国は島国で、ほとんど山でした。平らなところがあまりないので、そこに人が集まってる感じで。俺が住んでいたのは、首都のとなりの県でした」

 と答え、紙の上に国の形を描いた。いくつかの大きな島と小さな島とが集合している国で、どこも大陸と接していないのだという。

「海に、囲まれているのですね」

「はい。海鮮がおいしいですよ」

 その海鮮料理が余ほどおいしいのか、賢者の目がキラキラと輝く。

「海鮮は、この国ですと南の方へ行けば食べられますね」

 南方には国を代表するような有名な行楽地が集まっている。王都よりも暖かい地域で、暑い時期ははもちろんだが、特に寒い時期になると貴族や豪商といった生活に余裕のある層が、こちらの別荘に避寒に訪れる。海鮮も人気で、大きな海老が食べられることでも有名だ。行く機会があれば、賢者も気に入るかもしれない。

 説明しつつふと賢者を見ると、彼は少し泣きそうな顔をしていた。どうしたのだろうと思いながら、「お好きなのですか?」 と尋ねる。

「え」

「海鮮、お好きですか?」

「あ、はい、特にホタテを網焼きしたのとか。バターとしょうゆをかけて食べるとおいしくて」  

「ホタテですか」確か、大きな貝柱の二枚貝だ。しかし『しょうゆ』というものは聞いたことがない。「それはどのような料理ですか」

 そうラスターが問いかけている間に、賢者の表情は曇り、あっという間に彼の目からは大粒の涙がこぼれていく。

 何度拭えども溢れてくる涙。嗚咽。

「お父さん……お母さん……」

 賢者が、急に子どもに見えた。いや、子どもなんだ。彼はまだ子どもだ。その面差しには幼さが残っており、故郷からも親から離れてたったひとりで心細かったのを、これまで彼は気丈に振舞っていただけだったのだ。

 ラスターは賢者の隣に座って、ゆっくり彼を抱きしめてその背中をさすった。昔、家と両親が恋しくて泣いた夜、こうして抱きしめてもらったことを思い出す。ゆっくり、不器用に自分の背中をさする優しい手のぬくもりにとても安心した。 寂しくてたまらない気持ちが和らいで、その後は、そのまま泣きつかれて眠ってしまったのだった。

 手巾で涙を拭うと、彼は「……ごめんなさい」と小さな声で謝った。

「なにも謝ることはありませんよ」

 ラスターはそう言って賢者に飴玉を渡した。家族から離れて寂しいのは当然のことだ。

 賢者は飴玉を口に入れると、だいぶ気持ちも落ち着いてきたようで、深呼吸をしてから口を開いた。

「自分が死んだって、わかってはいたんです。でも、もう帰れないんだって思ったら……」

「え、死んだ……?」

 ラスターは驚いて、賢者の顔をまじまじと見る。

「神はあなたは異国から来たのだと」

 死んだというなら、彼はなぜここに居る? 頬には確かに血が通い、温かく、とても屍とは思えない。

「たしかに違う国なのは、そうなんですけど。事故って死んだので、たぶん魂? だけ、この世界に来たんだと思います」

 違う世界というものを、にわかには理解できなかった。違う世界で死んだら魂だけがこの国に来た、という賢者の説明も論理的なものには思えなかった。

 しかし彼が事故で死んだ、というのは本当らしかった。彼自身が、はっきりと言い切っていた。

「賢者様はいま、おいくつですか」

「十七です」

 自分よりもふたつ下だ。まだ子どもだ。

 そんな子どもが、事故で命をなくし、いまは国を救う『賢者』なのか? 何かの間違いではないのか。

 神も、聖女も、何を考えているんだ。

 自分も、十七歳の子どもに期待をかけて、挙句、追い詰めていたのか。

 己の愚かさに腹が立ち、不条理にも腹が立った。

 彼は『賢者』である前にひとりの人間として、尊重されなければならないはずだ。自分はこれまで、彼をひとりの人間として扱えていたか? 『賢者』と呼んで、心のどこかで都合のよい存在だと認識していたのではないか?

 確か、彼の名前はクジ・アキラと言った筈だ。

「アキラと、名前で読んでも構いませんか?」

「あ、はい」

 急なことで、賢者……いや、アキラは困惑しているようだった。アキラという名前は、この国にはない。発音が難しかったが、通じているようでよかった。

「お友達になりましょう」

 アキラはこの国にいま、たった一人でいる。彼には、心を許せる人物が必要だ。

「はい」

 アキラは驚きながらも、承諾した。

「私のことは、ラスターと呼んでください」

 少しでも彼が心を許すにはどうしたらいいのか。まずは形から入るのが良いだろう。親しい友人はラスやラースと愛称で呼ぶが、おそらくそこまでは、慎重なアキラの性格上、今すぐは許容されないだろう。せめて名前で呼ぶことによって、親しみを感じてくれれば。

 アキラは戸惑いながらも首を縦に振って、了承した。

「アキラ、王都につくまでの間に、この国の綺麗なところを見て回りましょう」

 ラスターは地図の上を、何箇所か指差した。指が震えているのが、自分でもわかる。怒りが、手を震わすのだ。感情を意識し、制御する訓練は何度もやって来たはずだ。落ち着け。

「急がなくて、いいんですか」

 アキラの指摘のとおり、視察の報告を王に上げなくてはならないし、今回被災した町の住民のための対応の承認をもらうためにも、早く王都に戻らなくてはならない。それに、賢者であるアキラを王に謁見させるようにとの命令も来ている。

「構いません。なんとでも言い訳ができます」

 報告は書類を移動中に作成して鳥で送ればいいし、承認に関しても同様だ。担当部署に書類を送付して許可を得るのは、王都に着かなくてもできる。必要なら魔石通話機を利用して、説明すればいい。謁見に関しては、賢者の体調を盾に取れる。

 おそらく、アキラが自由でいられるのは今だけだろう。王は、『賢者』を自身および王宮、政府の印象向上のために利用するだろう。王都ではまだ『瘴気』および『魔獣』による被害は深刻な問題であると認識されていない。しかし彼の存在価値、利用価値はかなり高い。神サンスーンにより予言され、聖女サフィアによってもたらされた『賢者』であることが重要なのだ。聖サンスーン教会も黙ってはいないだろう。

 不安げな、異国の少年。

 いま彼を守れるのは、ラスターだけだ。

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