第8話 王子の胸中(ラスター視点) 第3節

 魔獣による攻撃は激しさを増し、街の外壁の門は損傷し、そこからさらに多くの魔獣が街へと入り込んでしまった。

 弓兵と魔法兵によって魔獣の対処を続けているものの、彼らには明らかに疲れの色が見え始めていた。

「サイモン、私が再び彼らと代る。特に魔法兵を休ませてやってくれ」

 魔法兵はこのあと、土壁の建設に魔力を使わなくてはいけない。

 指揮官にそう告げるも、彼は首を横に振った。

「ハース殿より、もう一度殿下が前線へ行かれることがあれば、お引き留めするようにと頼まれております」

 サイモンを説得するのは、骨が折れそうだった。彼はハースに言われたからだけでなく、彼自身もまた、短命であると言われているラスターの身を案じ、無理をさせたくないと考えているのだ。特に先ほど、ハースの監視をすり抜け、かつサイモンにも黙って戦闘に加わっていたために、彼らの目はより厳しくなっている。

「わかった。賢者様の様子を見てくるよ」

 ラスターは大人しく引き下がり、賢者にあてがわれている部屋へ行くと、衛兵が彼は塔にいると教えてくれた。

「殿下にお願いすることではないのですが……」

 賢者の世話をしていた侍女が声に気づいて部屋から顔を出した。ラスターにブランケットを差し出す。

「賢者様は薄着で出ていかれたので」

「渡しておくよ」

 季節はもう初夏だが、山に近いこの街の風は時折冷たい時がある。特に病み上がりの賢者は、少しでも暖かくしていた方がいいだろう。

 塔の階段を上る。塔の小さな窓から見える街は、活気を失い、住む人を失い、悲しみを漂わせているようだった。このような街がもう二度と出ないようにしなくてはいけない。

 階段が終わりに差し掛かった時、「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」という不思議な言葉が聞こえて来た。

 階段の上を覗き込むと、賢者が人差し指を双眼鏡へ向けており、がっかりした様子だった。

「その不思議な言葉はなんですか?」

「えっと、俺の世界の、空想の魔法の呪文です」

 見られたのが恥ずかしかったらしく、顔を真っ赤にしながら賢者が答える。物を浮かせる魔法の呪文だという。エイガというものの中に出てくるらしい。

 ラスターが魔法を使って双眼鏡を浮かせると、賢者は嬉しそうな顔をした。さらに魔法の基礎訓練で行う練習を見せると、賢者は「凄い!」 と喜んで拍手までしてくれた。

「魔法の基礎訓練の一部です」

 基礎練習でここまで喜ばれるとは思ってもいなかったので、ラスターは少し恥ずかしくなった。ころころ変わる賢者の表情が面白くて、どんな魔法を使えばより喜んでもらえるだろうかと思っていると、

「それができれば、また瘴気を晴らせることができるんでしょうか」と賢者が言った。

 沈んだ表情。

 彼は自分を責めている。

 なぜ、彼が自分を責める必要はない。協力を願い出たのはこちらだ。

 魔法のことも、浄化のことも知らなかった。ならば使えなくて当然だ。彼が協力すると応えてくれたのは、私が、彼が浄化を使えると思って願い出たからだ。私の期待を裏切らないよう、彼は協力すると言ってくれたのだ。彼を追い詰めだのは、私だ。

 賢者は両手を強く握りしめていた。爪が、手のひらに深く食い込んでいる。この痛みを感じるべきなのは、彼じゃない。

 ラスターは賢者の手を取り、その手を開かせた。肉に爪の跡がついている。

「この街は、瘴気と魔獣によって多くの被害を受けていたにも関わらず、王宮によって無視されていました。私たちが来るまでの間、怪我、病気、飢えのなかで、一カ月以上も耐え忍んでいたと聞いています。何度も王宮へと知らせを送ったそうです。でも、聞き入れられなかった。神の啓示を得てようやく王宮は動き、私たちはこの街へ来たのです」

 賢者が自分自身を責めなくてよいように、何を言えばいいだろう。考えながら、言葉を紡ぐ。

「この街はもう、捨てなくてはいけません。住民の避難は済ました。今後は前線基地として街全体を利用し、被害が国に広がるのを防がなくてはいけません」

 賢者は顔を上げて窓の外を見た。獣の唸り声、炸裂する魔法の衝撃音が響いている。

「そのような中で、あなた様が来てくださったことは、私たちにとって本当に希望です。賢者様は神サンスーンと、聖女サフィアが我々にもたらした、光なのです」

 賢者が、ラスターを見た。金色の、満月のような瞳。神によってもたらされた、奇跡の光。

「あなたが私たちのために心を痛めて下さることを、心から有難く思います。神があなたに何を言ったのかはわかりませんが、どうか気に病まないでください。元々はこの世界の、この国の問題です」

 そう、これはこの国の問題だ。異邦人である賢者が助力するか否かは、彼の自由だ。だが、ラスターは国の王子の立場として彼に再び願わなくてはならない。

「ですが、改めてお願いです、どうかその力を貸してほしい。私と共に、この国を救ってくださいませんか」

 薄情だ。わかっている。欺瞞と不誠実。だが浄化の力がなくては、瘴気に吞まれる町が増えてしまう。

「協力、したいです。でも俺には魔力がないから、どうしたらいいか」

 彼の言葉に、安堵と罪悪感で心が揺れる。 言葉で縛りつけた、まるで呪縛のようだ。

「一緒に方法を探しましょう。魔力が必要なら、私が分けます。一度できたのですから」

 誠実さを装ったラスターの言葉に、晶はこくりと頷いた。

 ラスターは握っていた賢者の手を放す。彼の手は、思ったよりも小さかった。


 一帯の魔獣をあらかた倒した後、土壁を築いた。当初の予定よりも大規模な土壁で、大量の土砂を必要としたために街の地形まで変わってしまった。魔獣との連戦の後で魔法使いたちの魔力と体力はほとんど残っておらず、大部分をラスターの魔法によって築くこととなった。

 大きな土壁は、一時の気休めにしかならないだろうが、ともかく西の山脈からの瘴気を広範囲に広げるのを防ぐ役目をしばらくは果たすだろう。

 移動の馬車に乗り込むと、ハースに連れてこられた賢者がすでに座っていたが、声をかける余裕もなく、ラスターは眠りに落ちてしまった。こんなに大量の魔力を使ったのは久々だった。

 夢を見ることもなく眠り続け、馬車のものとは違う揺れに目を覚ました。

「あの、目的地についたみたいですよ」

 満月色の瞳が、こちらを見ていた。賢者がラスターを揺さぶっていた。

「ありがとうございます」

 髪と服を整えて馬車を降りる。避難民の野営地だ。今回被害にあった街に残っていた住民はすべて、この野営地への移動が完了した。急ごしらえで簡素な掘っ立て小屋だが、家を失った住人たちはほっとした様子だった。その姿に、また胸が痛んだ。もっと早く街へ行けていれば、彼らは家を失わずに済んだはずだ。

「殿下、この度は本当に、ありがとうございます」

 シージエの市長が、ラスターに礼を述べた。本来ならば、礼を言われる筋合いはない。

 ラスターは礼に応える代わりに、「何かあれば彼に伝えてください」と部下を紹介した。

 具体的な今後の話を市長と部下と三人で話している間、賢者はラスターの近くに居て、周りの視線を気にしているようだった。はじめは少し離れた場所で様子を見ていた彼だったが、見物人が増えたのでラスターの方へ寄って来たのだ。

 小動物になつかれているようでなんだかこそばゆい嬉しさを感じたが、不意に服を引っ張られてそちらを見ると、賢者が真っ青な顔をしていた。

「大丈夫ですか、賢者様」

 ラスターが声をかけると、女性たちの間から歓声が上がる。なるほど。

 市長らの話に集中していてよく聞いていなかったが、どうも群衆は『賢者と王子』に興味津々なようで、賢者はその視線に耐えられなかったようだ。

「ありがとうございます、大丈夫です」

 賢者はそう言ったものの、明らかに顔色が悪い。

「ケラー殿」市長に声をかける。「賢者様がお疲れのようですので、わたくしはこれで失礼します」

 あとは彼が詳しくお伺いしますので、と部下に仕事を押し付けて、賢者の手を引き馬車に戻る。

「あの、ラスター様?」

「なんです、賢者様」

「よかったんですか、その、視察の途中ですよね……」

 賢者は心配そうな顔で、ラスターに尋ねる。

「駄目でしょうね」

「えっ」

「あとでハースに怒られてしまいます」

 賢者の顔が、焦りの色に染まる。その表情の変化が面白くて、ラスターは笑ってしまった。

「冗談です」

「冗談?」

「はい。仕事は終わらせましたし、問題ありませんよ」

 彼の顔が安堵に変わる。

「ならよかった……」

「公務に出て一年経つのですが、ああいった視線に慣れなくて。賢者様を口実にしてしまいました」

「いえ、俺の方こそ。気を遣ってくださってありがとうございました」

 冗談めかして言ったつもりが、賢者に逆に気を使わせてしまった。なれないことはするべきではない。けれど、賢者の顔色がだいぶ良くなったので、ラスターは安心した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る