第8話 王子の胸中(ラスター視点) 第2節

 浄化の力があれば、土壁を建設する必要はない。よって、たくさん運んでしまった土砂を戻さなくてはならなくなった。

 翌日、ラスターは不要になった土砂の処理についての打ち合わせや、治療院の手伝いに奔走していた。賢者に、浄化について詳しく聞きたかったので時間が取れず残念だったが、仕方がない。

 仕事をこなしていると、部下が息を切らしてこちらへ走ってきた。

「殿下っ!」

 息も絶え絶えで、言葉がうまく出せないようだ。

「賢者……さまが……」

「賢者様が、どうした?」

 治療院で、医師の手伝いをしていた時だった。周りの目も気になるのか、部下はなかなか言い出さないので、個室を借りてその先を促す。

 しかし彼は続きを言えず、代わりにあと駆けて来た別の部下が「申し訳ございません! 屋敷から賢者様の姿が消えてしまいました」と蒼白な顔で報告した。

 賢者が消えた?

「どこへ行ったか、わかるか?」

「街の者が、見慣れぬ少年が西側へ走って行くのを見たと」

 賢者に違いない。

 診療所を飛び出た。近くに馬はいない。

 確か、母が幻馬に乗っていたことがあった。あれは何で作られていた?

 考える暇はない。

 風を固めて形を作った。それに乗って、街の西側へと向かう。

「この辺りで見かけ、あちらへ向かったそうです」

 部下が指を差す先は、街の西門だ。その外は瘴気によって汚染された農耕地が広がっている。そもそも途中にはバリケードがあって超えられないはずだ。

 しかしラスターが屋根に上がって確認すると、西門に備え付けらえた通用口は開けられていた。そこから瘴気とともに、魔獣が街へと入り込んでいる。

「住人の避難はどうなっている」

 屋根から降りて、部下に確認する。

「街の東部へと移動が済んでおります」

「わかった。避難所へ集まるように指示を出し、警備を固めてくれ。それから人を集めろ、魔獣が街へ入ってきている」

 ラスターは風で足場を作り、バリケードを超えた。

 再び馬に乗り、街の外を目指す。魔獣の相手をして、時間を割くことはできない。魔獣の間をすり抜けて駆ける。一刻も早く、賢者を見つけなくては。

 何があって、賢者は屋敷を、街を出たのか。

 しかも、瘴気の発生源へ向かって。

 ラスターには皆目見当もつかない。神の意思も、聖なるものの思考も、想像の範疇外だ。

 もしかして、賢者は早速浄化を試みようとしたのだろうか。そうだとすれば願ってもないことだったが、それにしては胸騒ぎがする。

 駆けて駆けて駆けて……。馬も消え、体も消え、風になったかのように、農耕地を駆けていく。けれども、賢者の姿は見えない。

 幻馬を走らせ続けていると、森に近いところに人影があった。しかし、状況は尋常ではない

 背の高い男が、黒い闇の塊を手に立っている。その足元には、賢者が倒れている。男は今にも賢者を殺しかねない様子だ。

「賢者様!」

 叫ぶと、男の注意がこちらに向いた。邪魔が入り、残念そうな顔をしている。

「賢者様から離れろ」

 男に、剣の切っ先を向ける。男はひるむ様子もなく、ラスターを見返した。

「ああ、その眼、その髪。あなた、聖女のいとし子ですね」

 聖女サフィアもラスターのことも知っているようだ。しかし、ラスターはこの男に見覚えがない。

「お前は、誰だ」

「俺が誰か聞いてどうするんですか。名前を使った呪術は時間がかかりますよ」

 少しずれた答えが戻ってきた。

 男はラスターに切っ先を向けられているのも構わずに、賢者の腕を掴もうとその長い足を屈めようとする。

「それに、俺はあなたに用事はない。この中にいる彼を、起こさないといけないんです。放っておいてもらえますか」

「賢者様に触るな」

「ああ、これが『賢者』ですか。先代とは随分雰囲気が違う……」

 この男は、サクラコ様のことも知っているのか? 一体何者なのだ。見たところ、まだ年は若く見える。しかし外見の年齢はその人が実際に生きた年月を推定するのにはあてにならない。

 ラスターは剣の切っ先を男の首元に突き立てた。

「今すぐ立ち去らなければ、ここでお前を殺す」

 心臓が早鐘を打つ。身体が強張っているのが、自分でもわかる。人を殺したことは、一度もない。魔法の訓練も、剣術の訓練も血がにじむほど積んできた。戦争を経験した者たちが教えた、実践向けの戦法も知っている。だがそれはしょせんただの知識でしかない。人を殺す技術を知ってはいても、実際に人を殺すことは容易ではない。手が震えるのを隠すために、剣を強く握った。

「はあ、お優しいと噂のいとし子も、口が悪くなることもあるんですね。いや、『賢者』の存在がそうさせているのか。面倒なので、今回は帰ります。あと、あなたじゃ俺を殺せないですよ」

 男は面倒そうな様子で姿勢を戻すと、賢者から離れて森の方へと歩いていく。

 ラスターは馬を進ませ男と賢者の間に入り、剣の切っ先を男の方へ向け続ける。帰る素振りを見せたからと言って、安心はできない。警戒は解かず、注視し続けた。心臓はまだ大きな音を立てている。

「面白いものが見られて気分がいいので、さっきの質問に答えてあげます」

 男が急に振り返った。気だるげな緑の眼が賢者を見、そしてラスターを見た。そこでようやく、ラスターはこの男の世離れした美しさに気が付いた。鳥肌が立つほどの美貌が、彼が纏う闇の力と相まって、背筋を凍らせる。緑色の瞳が、真っすぐにラスターを捉えている。

「俺の名前は『アビス』だそうです」

 その名前に、ラスターは驚愕した。

「火焔の魔王アビス……!」

 その存在は、ただの伝説だと思っていた。大人が子どもを怖がらせるときに使う、単なる作り話だと。しかし目の前にいる男がそう名乗っている。

「はあ、そんな大層な呼ばれ方をしているんですね、俺」

 本人はまるで興味がない様子で欠伸をしている。魔王アビスは粗暴であるにも関わらず美しささえ感じさせる仕草で、空中に手をかけた。空間が捲れ、その向こうには闇が広がっている。アビスはそこへ足を踏み入れる。

「また会いましょう、『賢者』」

 魔王は、空間の裂け目へと消えて行った。

 ラスターは安堵して、口から長く息を吐く。

 魔王アビス。二百年前の大戦のきっかけとなったと言われている、厄災の前兆。それがなぜこんなところに。

 わからないが、ともかく、助かった。

 体から力が抜けて、地面に叩きつけられる。瘴気を吸ったことにより、体の自由が効かなくなっていたようだ。気を張っていたために、気付いていなかった。

 体が重い。

 まるで全身が地面に沈み込むように、体を動かすことに困難を感じる。

「早くここから、もどらなければ」

 発した言葉のほとんどが音にならない。

 何かが這いずる音。

 目だけ動かして音の方を見ると、賢者がラスターの方へと這って来ていた。

 少しずつ、少しずつ、けれど確実に、彼はラスターの方へと近づいてくる。

 そうだ、少しでも動かなくては。

 次期に魔獣が自分たちを見つけて、襲いにくるだろう。

 賢者の手が伸ばされる。ラスターはそれを、しっかりと握った。

 眩い光。

 目も眩むような、白く清らかな光の渦が、あたりに広がる。

 見れば、辺りに瘴気はない。体も、自由に動く。

 いまのが、浄化なのか。

 しかし、考えている暇はない。

「いまのうちに戻りましょう」

 風の馬を再び作り出し、賢者と共に乗り込む。そして二人を包むように、空気の膜を作り出した。この空気の膜が瘴気に対してどれほど効果があるのかはわからないが、何もないよりはましだ。

 無我夢中で馬を走らせ、外壁の門までたどり着く。魔法で門を開け、素早く閉じた。街に入り込んだ魔獣はすでに倒されており、野犬の死骸が辺りに転がっていた。

「殿下!」

 賢者を馬から降していると、ハースが駆け寄ってきた。

「ご無事で何よりです」

 ラスターは頷いて応えた。腕に抱えた賢者の体温が、異様に高い。

「先ほどの光は、何があったのですか」

「その話は後で。そんなことよりも、賢者様がすごい熱なんだ。早く医者を」

 街の医師が診たところによると、賢者は急性の魔力中毒による発熱だとのことだった。

 魔力が体内でどのように生成されるのか、詳しいことはわかっていない。だがこの魔力がなければ、元素を動かし、魔法を使うことはできない。

 瘴気を祓ったあの光は、間違いなく『浄化』だろう。そして『浄化』には、魔力が必要なようだ。しかし賢者には魔力がない。おそらくラスターの手を握った際に、ラスターの魔力を使用して『浄化』が行われたのだ。

 今回の浄化は、この辺りの瘴気を一時的に消し去ったに過ぎない。瘴気の被害をなくすには、発生源を絶たなくては意味がない。しかし賢者の様子では、浄化を繰り返す行うことは難しい。

 熱で苦しそうにしている賢者の額に、手のひらを乗せる。とても熱い。浄化の度に、高熱に苦しまなくてはならなくなる。

 瘴気による被害を一刻も早く無くしたい。だがそれはこの国の事情で、他国の人間である賢者に、無理を敷いてまですることなのか。賢者に頼らず、自分たちでできることはないのだろうか。

「殿下」

 考え込むラスターに、ハースが声をかける。

「殿下もお疲れでしょう。お休みになってください」

 ラスターは頷いて部屋を出た。

 扉を閉める間際、ラスターは賢者を見た。

『何ができるかわかりませんが』

 賢者が聖女とともに降臨した晩、確かにそう言っていた。

 また、魔法を使った心当たりはないかと医者に尋ねられ、賢者は『たぶん、俺がラスター様の手を掴んだ時……』と答えていた。

 賢者は、魔法のことも、『浄化』のことも、自分にその力があることも、それをどのように使ったらいいのかも、何も知らないのだ。そしていま、力を使ったことが身体に負担となっている。

「明後日、土壁を築く。より高く、より分厚いものを作りたい。もっと多くの土を集めてくれ」

 ハースに指示を出す。

「賢者様が居られるのに、ですか?」

 驚いた様子で、ハースが聞き返す。

「賢者様の様子を見ただろう。浄化を行うのは、そう容易いことではない。賢者様に頼り切るのではなく、私たちでいまできることをやるべきだ」

「かしこまりました」

 そう言うとハースは一礼して去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る