第8話 王子の胸中(ラスター視点) 第1節

「自分が死んだって、わかってはいたんです。でも、もう帰れないんだって思ったら……」

 晶がそう言った時、ラスターは驚きで息が止まった。

 死んだ?

「十七です」

 まだ十七歳の少年が、この世界を救うって、どういうことだ。

 怒りで手が震えた。

 神も、聖女も、何を考えているんだ。

 何かの間違いではないのか。

 深呼吸を繰り返しても、怒りは収まらない。

 自分にも、腹が立っていた。


 王国北西部の街シージエは、かつて魔石の採取地として栄えた街だ。近年は国外製の安い魔石の流通によって需要が減ったためこの魔石鉱での採掘は行われておらず、現在は観光に利用されている。

 そのシージエがシーファ山脈からの瘴気によって甚大な被害を被っているとラスターが知ったのは、先月の半ばのことだ。公務で南西部の街へ視察に出ていた折、その土地の顔見知りの担当者から噂について聞いたのだ。

「そういえば最近噂になっている例のお告げ、『異国の青年が授けられる』って言いますけど……」

「お告げ?」

「あれ、殿下、ご存じないのですか。王都の神官様のところに、サンスーン神からのお告げがあったって」

 詳しく聞かせてくれとラスターがせがむと、担当者は『お告げ』つまり神託についての記事が書かれた雑誌を渡してくれた。

『異国の青年が賢者としてこの国に授けられる。その青年が西の山脈の瘴気からこの国を救うだろう』

 四の月の光の日に、大聖堂の神官らのもとに、そのような神託があったという。大窓から強い光が差し込み、床石にそのように刻まれたという。

「西の山脈といっても、どのあたりの話なのですか」

 山脈は国の北西部から西部にかけての、広い地域に渡っている。

「シージエだと聞いております」

 はじめは仕事の合間の噂話だったのが、ラスターの真剣な様子に担当者も真面目に答えた。

 お告げからは一ヶ月近く経っている。『西の山脈の瘴気』は、神託以前から発生しているだろう。

 だがラスターはそのようなことを、これまで耳にしたことがない。

 王宮には情報が届いていないのか?

 いまシージエの人々は、どうしているのだろう。

 視察を終え王宮へ戻ると、王からの伝言を渡された。シージエに行けとのことだった。どうも貴族の間でも噂になっており、神託の影響で教会への寄進が増えたことによって領地での税収が減ることを恐れ、対応して欲しいと要望が上がったようだった。

 着いてみればシージエは酷い有様だった。

 街の西部にあった畑は、瘴気とそれによって凶暴化した野生の動物『魔獣』によって荒らされており、商人も寄り付かなくなったことによって蓄えていた食料を切り崩すしかなくなり、それもほとんど底を付いていた。人々は栄養を失ったことにより、少しの怪我や感染症でも持ち堪えることが難しくなり、診療所は満床。医療従事者にも不調者が続出しており、わずかに残った者たちで対応していたが、彼らも今にも倒れそうだった。魔獣によって街壁が壊されたことにより怪我や感染症自体も増えており、人々は怯えて暮らしていた。

「いつから、このような状態に」

 市長に問うと、彼は憔悴した顔をして「四の月の、最初の土の日です」と答えた。

 それは二ヶ月も前のことだった。

 連れてきた兵と魔法使いに指示を出し、まずバリケードを組み上げた。住民が作っただろう、家具を用いたバリケードのそばに、もうひと回り大きな物を。

 それから食料の配給、医療体制の立て直しに奔走した。

 その中で、もうこの街に住むことは難しいことがはっきりとわかった。

 魔獣は、一向に減らない。

 倒せども倒せども、魔獣は新たに発生し、また街を襲いに来る。

 山の中に瘴気が発生する場所があり、そこが塞がれない限りこの被害は終わらない。

 瘴気を払い、封じる手立てはない。

 いまバリケードを築いている場所に、大きな土壁を作る。街を縦断し、その外側にまで広がる大きな土壁だ。街の西側を犠牲にして、その土を利用したとしてもまだ足りないだろう。出来る限り多くの土が必要だ。街の外の土も、集めなくては。

 兵士も魔術師も、くたくたになりながらラスターの指示に従っていた。

「おい、ラスター殿下の真似はするなよ」

 魔法使いが、無理をして大量の土砂を運ぼうとする後輩にそう言っているのが、たまたま耳に入った。

「あの方は刻印持ちなんだから」

 刻印。

 ラスターには生まれつき、薔薇の形をした痣がある。尋常じゃない量の魔力の証だ。それと同時に、短命の凶兆でもある。

 優れた魔法使いとしての羨望と、夭折への哀れみ、そしていまだ死なざることへの好奇。十五歳で王宮に戻ってから、その囁きと視線に晒されるようになった。

 気にならないわけではなかったが、気にしても仕方のないことだ。母は「平然としていなさい」といつも言っていた。彼女もまた刻印を持つ者として、王宮で好奇の視線に晒されていたという。その毅然とした態度は、ラスターの憧れだった。彼女の姿を真似て、ラスターはなんと言われようが冷静さを保つように心がけた。

 だがいま、その冷静さも、ひとより優れた魔力量も、なんの役には立たない。

 大量の魔力があれど、瘴気の前にはなす術がない。その場しのぎの壁を作ることしかできない。この街で再び暮らせるように、瘴気を払うことはできない。

 土砂の運搬が終わった晩、ラスターは先日もらった雑誌を手に取っていた。

 寝台に横になりながら、小さな明かりを灯し、雑誌をめくる。

 普段読まないような娯楽記事や商品の広告の中に、最近注目を集めている噂のひとつとして記事が書かれていた。

『異国の青年が賢者としてこの国に授けられる。その青年が西の山脈の瘴気からこの国を救うだろう』

 民間に流布する伝承では『賢者』は二百年前に一度だけ現れており、その際には聖女サフィアと共に各地を回り、不思議な力で瘴気から国を守ったとされている。だが史実では、『賢者』は聖女の起こした奇跡や聖性を擬人化した存在だとされている。

 そのため神託内の『賢者』に関しては、二百年前と同じように、誰か強力な魔法使いの力を指しているだろうと考えられているようだった。しかしそれでは『異国』の部分の説明がつかないが、それは他国からもたらされる新しい知識や魔法のことではないか、との専門家の解釈が記されていた。

 だが、ラスターはこの『賢者』の存在を強く信じていた。

 いつ、賢者がこの街を救ってくれるのだろう。

 賢者の力で、瘴気を払うことができれば、もう誰も悲しい思いをしなくていい。

 早く、一刻も早く現れてほしい。

「殿下」

 扉の外から、従者であるハースが声をかけてきた。物音に気付いて、声をかけてきたのだろう。

「もう寝るよ」

 幼少より王家と関わりのあるハースは、兄のようにラスターを心配している。そんな彼に無用な苦労をかけるのはラスターも本望ではなかったので、明かりを消して枕に頭乗せた。

 明日、土壁を築く。

 かなり範囲が広く、魔力を大量に使うだろうから、少しでも多く休んだほうがいい。

 目を瞑る。

 静かな街を過ぎ去る風が、木々を揺らす音。

 それに混じって、


「ラスター」


 と、声がした。

 凛とした女性の声。

 しかし、夢だろう。


「ラスター」


 飛び起きた。

 この声は、夢ではない。

 窓の外が、明るく輝いている。

 外を見ると、広場に光が差していた。

 上着も羽織らず、窓から飛び降りて駆け出すと、空から一筋の光が差し、何かが落ちてきている。

 人だ!

「風と土よ!」

 必死で元素に願いを乞う。

「彼を守り支えよ!」

 慌てすぎて、それ以上の文言が出てこなかったが、元素は応えて、その人を支えてくれた。

「アイリーン国王子、ラスター・メティス・アイリーン」

 澄んだ声。見上げれば、上空から美しい光と共に、聖女サフィアがこちらへと歩んでくる。その声で名を呼ばれるのは、五年ぶりだった。

「母様……」

 なぜ、私を王宮へと戻したのですか。

 なぜ、あなたのもとに残り共に暮らすことを、許してくださらなかったのですか。

 なぜ。

 言葉にならなかったが、しかし伝わったのか、彼女は静かに首を振る。

「ラスター王子、神より、この者をあなたに託します。賢者と共に、西の山脈の深くへと赴きなさい。この世が闇に飲まれぬように、世界の亀裂を塞ぎなさい」

 やはり山の奥に瘴気の噴出口があるのだ。そこへ行かねば、瘴気は収まらない。

 サフィアから渡された薔薇は、故郷に咲いていた白い薔薇だった。懐かしい。村中どこにでも植わっていた薔薇だ。

 懐かしさ、安らぎ、そして寂しさで、気づけば涙が流れていた。

「私は……」

 王子ではなく、ただのラスターとして、あの村で生きたい。

 村の子どもたちに魔法を教え、日々のために働き、貴女の助けになりたい。

 しかし再び首が振られる。村の掟は絶対だ。その時が来るまで、戻ることは許されない。

 しかし意外なことに、サフィアの言葉は優しいものだった。

「あなたが自分の力で私のもとへたどり着いたときに、話をしましょう。今はあなたのやるべきことをやりなさい」

 突き放されるかと思った。だが、希望が残された。サフィアの渡した薔薇は、その証だ。

 そして彼女は、ラスターに賢者も与えた。

「アキラ、久慈晶です」

 賢者は、そう名乗った。

 珍しい名前、それに、珍しい容姿だった。

 夜闇のような漆黒の髪に、満月やシトリンのように輝く金色の瞳。見慣れない異邦の顔立ち。

 彼は魔法を知らないようだった。魔法がないと言われても、ラスターには想像ができなかったが、彼の方も魔法に驚いている様子だった。

「あなた様が来てくださって、本当に心強く思っています」

 本心から、そう思った。彼が協力してくれれば、民を救い、この街を救える。もう誰も悲しまずに済む。

「協力していただけますか」

「何ができるかわかりませんが、よろしくお願いします」

 賢者の言葉に、ラスターは本当に安堵していた。

 神の予言は、ここに成就した!

 嘘でも噂でもなかった。

 神により告げられ、聖女サフィアにより授けられた賢者は、きっとこの国を救ってくれる。

 だが、ラスターは賢者の言葉に引っ掛かりを感じだ。

『何ができるかわかりませんが』

 どういう意味だろう。しかし、喜びと安堵によって、その違和感は頭の片隅に押しやられた。

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