第7話 「お友達になりましょう」
アイリーン王国は大陸南部にある国で、北西部から西部にかけてをシーファ山脈と接し、頭部と南西部は隣国、南部の一部は海に面している。
建国はいまから千九百九十九年前とされ、初代の王は始祖の娘であるメティス・アイリーンが即位した。それ以来王族はその名を冠し、名乗っている。例えば、ラスター・メティス・アイリーンのように。
始祖は大陸西部の戦争から逃れてきた民衆たちの指導者の男と言われているが、名前は伝わっていない。この始祖と神サンスーンが懇意となり、サンスーンはこの地の開拓に手を貸し、建国に導いたとされている。以降この国はサンスーンの加護を受け、サンスーンを主神として崇めている。
アイリーン王国は神と共に築き栄えた国である。そのために、これほど神による啓示や恩寵が喜ばれるのか、と晶は納得した。
いわゆる”無宗教”である晶には、あまり理解できない感覚ではあった。晶は神を信仰していない。せいぜい、新年に寺社仏閣に足を運ぶ程度で、しかも寺と神社で参拝の作法が異なることを知ったのはつい最近だ。祈りなら、サンタ・クロースに祈ったことの方が、一番多いかもしれない。いまではそのサンタ・クロースも、両親の優しい心が正体だと知っている。だから理解はするものの、神様からの『啓示』や『奇跡』が、いまひとつ、感覚として響いてこない。
移動の馬車の中で、ラスターが地図を指し示しながら、晶にアイリーン国の地理と成り立ちについて説明してくれていた。ラスターは二千年近い長い歴史の一部を掻い摘んで、晶にわかりやすいよう説明したので、とりあえずのことは理解ができた。
いまは王国北西部の町におり、ここから王都まで行くことになる。ラスターの公務の報告と、なにより賢者として王に謁見するためだ。王への謁見と聞いて、晶は口から胃が出るかと思ったが、王都に到着するまでにはかなり時間がかかるとわかって、安心した。
「そうですね。一週間以上はかかるかと」とラスター。
ただこの国での一週間は五日らしい。ひと月が三十日、十二か月で一年。曜日は『火』『水』『土』『風』『光』に分けられ、『光』の日が公的な休息日に当たるという。
より広域の地図を見ると、アイリーン国は周辺諸国の中でも比較的大きい国土を有しているようで、国の中央部にある王都まで一週間以上かかるというのは納得の距離だった。
「西の方は戦争が絶えない関係で、あまり国が大きくありません。我が国は二百年前の大戦時に国土を大きくし、それ以降この国境を守っています」
地図を見ながら、ラスターが言う。
戦争のことも、晶にはあまり理解できないことのひとつだった。晶の世界でも北の大国が戦争をはじめ、その報道が頻繁になされていた。燃える建物、燃える畑、逃げる人々、残らざるを得なかった人々、助からなかった人々……。流通にも影響が出て、日本でも多くの影響を受けていたが、それでも、晶からは遠いことだった。薄情だとは思っていたが、実感として、遠かった。身体が重く動かず、頭の中もモヤがかかったように不鮮明で、一日のほとんどを横になって過ごしていた晶にとっては。
「賢者様の国は、どのようなところですか」
ラスターが尋ねる。
どのようなと言われてもなあ、と思いつつ、「俺が住んでいた国は島国で、ほとんど山でした。平らなところがあまりないので、そこに人が集まってる感じで。俺が住んでいたのは、首都のとなりの県でした」と説明した。
ラスターに紙とペンを借りて、簡単に地図を描く。頭ではわかっていても、いざ描くとなると正確に描写できないのがもどかしい。ふにゃふにゃした日本列島ができあがる。
「海に、囲まれているのですね」
「はい。海鮮がおいしいですよ」
あほっぽい返事だなあと思いつつ、すぐに食の話をしてしまうのは国民性だ。特に晶が暮していた千葉県は、周囲のほとんどを海に囲まれた半島だった。休みに両親が銚子や館山などの海の方へ連れて行ってくれ、海を眺めたり海鮮を食べたりしたのが懐かしい。犬吠埼にある白い灯台や、その近くの寺にあったひまわり畑は、特に好きだった。
「海鮮は、この国ですと南の方へ行けば食べられますね」
南方の地域は国一番の行楽地だという。
晶は地図を眺めながら、日本ににた場所はないかとつい探してしまった。しかし周辺の地域には、日本に似たような場所は見つからない。まったく知らないところ、地球ですらないところに、晶は来てしまった。
「お好きなのですか?」
晶の気持ちが落ち込んだのを察してか、ラスターが声をかける。
「え」
「海鮮、お好きですか?」
「あ、はい、特にホタテを網焼きしたのとか。バターとしょうゆをかけて食べるとおいしくて」
「ホタテですか。それはどんな――」
そう言った後で、ラスターがしまったという顔をした。晶の表情が如実に曇ったからだ。
ホタテとバターとしょうゆ。もう食べられないのだ。
異世界で目覚めて、瘴気のこと、魔法のこと、色々なことがあり、この先への不安はあれど、こうしてこの国のことや自分の故郷について、深く考える時間はなかった。実感として、わかってしまう。
自分は死んだ。
もう帰る場所はない。
あの家には帰れない。
両親の笑顔、声、もう触れることはない。
ここ最近は身体が重く、動くのがつらくて、ずっと世話をしてもらっていた。
なんの恩も返せなかった、返せないまま、死んでしまった。
しかも事故で!
目の前で、車にひかれて。
最後まで、親不孝だ。
会いたい。
会って、「ごめんなさい、ありがとう」って言いたい。
会えない。もう会えない。言えない。
お父さん、お母さん。
涙が止まらず、ぼろぼろと溢れて、膝を濡らす。
向かいに座っていたラスターが、そっと晶の隣へ移動し、背中をさする。
その温かい手が、優しさが、心に差し込み、更に涙が溢れて止まらない。
ラスターは抱きしめるように晶を包み込んだ。自分の肩が涙で濡れるのもかまわずに。
彼がゆっくりと背中をさするうちに、晶の気持ちもだんだんと落ち着いてきた。ラスターが手巾で晶の目元をぬぐう。
「……ごめんなさい」
涙でびっしょり濡れたラスターの服を見て、晶は申し訳なさと恥ずかしに襲われた。
「なにも謝ることはありませんよ」
ラスターは鞄を漁ると、中から飴玉を取り出して晶に渡す。
「気持ちが落ち着きます」
包みを解くと、中から宝石のシトリンに似た金色の飴玉が出てきた。
「カミツレと蜂蜜の飴です」
爽やかな、確かに気持ちが落ち着く味の飴だった。涙もだいぶ引っ込んだ。
「自分が死んだって、わかってはいたんです。でも、もう帰れないんだって思ったら……」
「え、死んだ……?」
ラスターは驚いて、晶から身を離すと、顔を覗き込んだ。
「神はあなたは異国から来たのだと」
涙を拭いつつ、頬の肉を触ってくる。屍ではないことを確認しようとしているらしい。
「たしかに違う国なのは、そうなんですけど。事故って死んだので、たぶん魂? だけ、この世界に来たんだと思います」
身体ごとこの世界に来たのなら、まず動けていない。魂だけこちらに来た、というのなら説明がつく。
ラスターは何も言わず、晶のことを見つめていた。何を思っているのか、険しい顔をしているが、感情は読み取れない。
「賢者様はいま、おいくつですか」
「十七です」
再び、ラスターは黙り込む。眉間のシワが深くなる。
「晶と、名前で読んでも構いませんか?」
「あ、はい」
話の方向が見えなくて、涙もすっかり引っ込んだ。
「お友達になりましょう」
突拍子もない話しに、何度か瞬きをした。友達って、宣言してなるものなのか? と疑問が沸くが、断る理由もないので「はい」と返事をする。
「私のことは、ラスターと呼んでください」
王族を呼び捨てにするって、まずくない? でも本人が望んでいるから、いいのかな。
晶は首を縦にする。
「晶、王都につくまでの間に、この国の綺麗なところを見て回りましょう」
ラスターは地図の上を、何箇所か指差す。その指が、震えている。
「急がなくて、いいんですか」
王様への謁見が予定されている。なるべく早く着いたほうがいいのではないだろうか。
「構いません。なんとでも言い訳ができます」
ラスターはにこりと笑ったが、その拳が強く握られていたのを晶は見逃さなかった。
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