第6話 刻印の王子様

 馬車の中で、ラスターは眠っていた。疲れているのだろう。乱れた髪を整えることもせず、静かな寝息を立てている。

 街は全ての人々が避難した後で、ラスターと軍の魔法使いが、街を分断する形で大きな土壁を築いた。幅が厚く、高さもあり、更に長さは街の外にまで及び、街の外からでもその壁を見ることができた。

 土壁を築いたことで街は完全に地形が変わり、それでも土が足りなかったため、近くの畑の土を掘り起こして充足させたようだった。

 ただこれでしばらくの間、被害が広がらないことだけは確かだった。塔や街の高い建物の上に監視を置き、壁が突破された際に対応する人員も残された。

「魔法ってすごいですね」

ラスターが来るのを、街の外に止めた馬車で待っている時、晶が彼の従者ハースに言った。

 彼は同意して頷いた後、「ほとんどが、ラスター殿下のお力によるものです」と少し誇らしそうだった。

「そうなんですか?」

「普通の魔法使いが百人集まって、ようやく街の中に中程度の壁が築ける程度でしょう」

 なるほど、初めからなぜ街に魔法で壁を築かなかった理由がわかった。ラスターは桁違いに強い魔法使いであるようだ。

 晶は「すごい」と、その途方もなさに感心した。

「ラスター殿下は特別ですので」

 ハースは誇らしそうだったが、同時に悲しそうにも見えた。

「確かに特別ですね、こんな壁を作れるなんて」

「ええ」そう答えて、少し黙ったあとで「……賢者様、新聞に『刻印の王子』と書かれていたのを覚えていらっしゃいますか?」とハースが晶に尋ねた。

 晶は頷いた。

 晶がこの世界に来て、ラスターが空から落ちる彼を助けた時のことが書かれた新聞記事には、ラスターについて『聖女様に護られし刻印の王子』と書かれていた。

 その二つ名が、魔法のことと何の関係があるのだろう。

「この国には、花の形をした『刻印』を持って生まれる子どもがいます。」

 ハースは手帳に、その刻印を描いて見せた。薔薇の花だ。

「この刻印が、身体のどこかに現れるのです。

その子どもたちは必ず魔力を持ち、かつその魔力も普通と比べてかなり強い……」

 晶は、ハースが『子どもたち』と表現するのが気にかかった。ラスターは、詳細な歳はわからないが、少なくとも晶より年上に見え、子どもと言うには大人になりすぎている。

「この国で魔法が使える人間は、それだけでその後の人生が保証されるほど貴重です。軍はもちろん、政府でも民間でも、常に力のある魔法使いを欲しています」

 ハースはふうと長く息を吐いた。

「ただ、刻印を持つ子どもたちは、みな短命なのです」

 晶は驚いて、短い声をあげた。

「え、でも、ラスター様は……」

 なんと表現していい言葉が出なかったが、ラスターは元気で、健康そうで、死にそうにはとても見えない。

「珍しい例です。殿下は来年で二十歳になられます。普通は、五歳から十歳のうちに亡くなってしまいますから、長生きということになるのでしょうか」

 儚く命を散らしてしまうのは、強い魔力を持って生まれた代償なのだろうか。小さな体に釣り合わない大きな魔力が、彼らの体を壊して、命を削ってしまうのだろうか。

 ハースは街の方を、不安そうに見つめている。

「殿下はおひとりで行動されても問題なくらい、とてもお強い。ですが……」

 ハースはその先を言わなかった。彼の不安が、伝わってくるようだった。

 晶は意識を記憶から引き戻し、向かいの座席で眠るラスターの顔を見た。

 隈もなく、健康的な顔。頭を窓に凭れたためにのびた首筋は色が白いが、病的な色ではない。身体も痩せ細ってはいない。

 正直、思わず見とれてしまうほど美しい。月下の雪原のように輝く白銀の髪、サファイアのように煌めく青い瞳は白い瞼の下で今は見えないが、それを縁取る白い雪のようなまつ毛、薔薇色の薄い唇。

 彼のどこにも、死の気配を感じなかった。


 馬車は隣町の手前に設営された避難民の野営地で止まった。

 軍が食料を乗せてきた荷馬車を人が乗れるように整え、そこに傷病者と幼子と母親を乗せて、この野営地まで来た。避難所に建てられているのは簡素な小屋ではあったが、住人たちはそれぞれ新しい住居にほっとしたようで、笑顔を見せている。

「殿下、この度は本当に、ありがとうございます」

 市長の男性が、言葉に詰まりながらも、ラスターにお礼を述べた。目尻に涙がたまっていて、今にも泣き出しそうに見えた。

「部下を残しますから、何かあれば彼に伝えてください」

「皆さんに不自由がないよう、最大限お手伝いいたします」

 誠実そうな男性がそう応えると、市長の頬に堪えていた涙が流れた。

 晶はラスターの少し後ろに立って、そのやり取りを見ていた。本当は離れたところに居たかったのだが、避難民だけでなく近くの街の住民が、『王子と賢者』を一目見ようと集まり始めてしまったため、ラスターの近くに寄ったのだ。

「生きているうちに本物のラスター殿下を拝見できるとは」

「ラスター殿下って本当に素敵な方なんだなあ」

「見て、あの青い瞳! 綺麗だわぁ」

「とても強い魔法使いなんだろ、見せてもらいたいなあ」

「でかい土の壁を作ったってはなしは本当?」

 ラスターは人気なようだ。彼の容姿に惹かれる人だけでなく、彼の魔法の力に興味を持つ人も多いようだ。ハースも誇らしいだろうなあと思いながら聞いていると、

「賢者様、不思議な雰囲気の方ね」

「東の出身かね」

「聖女様が授けてくださったって本当?」

「どんな魔法を使うんだろう」

 晶のことを囁く人もいる。

 集まった群衆の自由な声が、耳に届く。視線と、声に、酔いそうだ。

 晶は少し眩暈がして、支えを求めてラスターの服を掴んだ。

「大丈夫ですか、賢者様」

 ラスターが晶の顔を覗き込んだ。澄んだ青い瞳。群衆の女性が綺麗だと言っていたのを思い出して、思わず心臓が高鳴る。

 だがそれも一瞬で、群衆の中から女性の歓声のような悲鳴が上がって、晶はラスターからさっと距離を開けた。

「ありがとうございます、大丈夫です」

 従姉が“そう”だったな、と晶は思い出す。彼女はアイドルふたりの組み合わせを生きがいにしていた。偏見はないつもりだけど、自分が対象になると流石に驚いてしまう。

 晶の様子に、ラスターはほんのわずかに眉を顰めると「ケラー殿」と市長へ声をかける。

「賢者様がお疲れのようですので、わたくしはこれで失礼します」

 ラスターは晶の手を引いて、群衆に手を振りつつも足早に馬車に乗り込む。

「あの、ラスター様?」

「なんです、賢者様」

「よかったんですか、その、視察の途中ですよね……」

「駄目でしょうね」

「えっ」

「あとでハースに怒られてしまいます」

 晶が顔に焦りの色を浮かべ、今からでも戻った方がいいのではないかとそわそわすすると、それを見たラスターは「冗談です」と笑う。

「冗談?」

「はい。仕事は終わらせましたし、問題ありませんよ」

 晶はほっと胸を撫で下ろした。

「ならよかった……」

「公務に出て一年経つのですが、ああいった視線に慣れなくて。賢者様を口実にしてしまいました」

 ラスターは申し訳なさそうに言っているが、彼が晶の様子を見て晶のためにその場を去ったことは明らかだ。冗談も、晶を元気付けようとしたのだろう。あまり笑えなかったけれど。

「いえ、俺の方こそ。気を遣ってくださってありがとうございました」

 晶がお礼を言うと、彼はにこりと微笑む。

 多少の疲れはあるものの、健康的な顔色。ラスターが早世するかもしれないなんて、やはり晶には到底思えなかった。

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