番外 満月の瞳

 くすくすと笑う声。

「ほら、起きて」と、柔らかな声が囁く。

 薄く目を開けると、眼前はまだ闇に包まれている。頬に、柔らかな感触。

 闇が遠のいて、満月が二つこちらを見つめている。白いかんばせがこちらに微笑んでいる。

 夜の帷のような長い黒髪に、月を思わせる黄金の瞳。満月が、三日月に変わる。

「いつまで寝ているんだい、ねぼすけさん」

「もう少し、あなたも一緒に寝ていましょうよ」

「僕はこれから沢山寝るんだから。ねえ、今日は僕の我儘に付き合ってくれる約束でしょ?」

 朝日が彼の後ろにさして、その輪郭を浮かび上がらせる。

 白い腕が伸ばされて、頬に触れる。その手は少しひんやりとしていて、心地よかった。

「さ、行こう」

 俺は彼の腕を掴んだ。放したくなかった。光に溶けてしまいそうで、恐ろしかった。

「そんな顔をしないで。十年眠るだけだよ」

 そう、十年眠るだけ。

 けれどもう、千年経った。

 千年経っても、あなたは目覚めない。

 千年経っても、笑いかけてくれない。

 いつまでも、冷たい頬が、動かずにそこにあるだけだ。

 八百年経った頃に、あなたの姿を見に行くのを止めた。笑顔と暖かさに包まれていたあの日々を思い出して、息が苦しくなるだけだったから。

「オニキス……」

 凍り付いている筈の唇の間から名前がこぼれる。

 あなたの夢を今でも見る。未だ忘れられない。

 あなたを目覚めさせるためならなんだってしようと、魔界の力を全て手に入れた。だが、あなたを目覚めさせる方法はどこにもなかった。そうしてただ時間だけが過ぎていった。

 今日、あなたの懐かしい気配が不意に心を刺激した。再び、あなたの月光が私に降り注ぐ日が戻ってきたのだと、期待に胸が躍った。

 しかし、人違いだった。

 たしかにあなたの気配だったのに、全く違う者がそこにいた。落胆した。千年の期待が砕かれ、心が千々に裂かれるような思いがした。

 けれど、その中にあなたが眠っていることに気がついた。

 やっと。やっとだ。

 千年追い求めたあなたが、帰ってくる。

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