第4話


 鶏肉を焼く音は、工事現場から薄い壁を貫通して伝わってくる削岩機の爆音によって掻き消されていた。焼き色がついたので弱火にし、持っている調味料を駆使した特製のタレを浴びせる。香ばしい匂いが漂うと同時に、布団からのそっと弓月が起きてきた。


「‥‥‥どっから入った」


「合鍵だね。昨日は友達と遊んだから、そのついでに作っておいた」


「ふざけんな!よこせ!」


「今日は学校どうする?今日までならギリギリ休めるけど」


「‥‥‥休む」


「別に申し訳そうにしなくていいよ?体調悪いんだし仕方ないでしょ」

 

 弓月は浮かない顔をしつつも頷き、鶏肉にその小さい口でかぶりついた。俺は餌付けしている気分になりつつも、確実に弓月の信用は得てきていると確信していた。その証拠に弓月の髪を撫でても、手に噛みつかれて少し出血する程度で済んでいる。お詫びに弓月が最近好んで飲んでいる紙パックのフルーツジュースを与え、俺は今後の事を考える。


(やはり、友達が一番だな)


 俺が高校に行く理由を改めて考えると、現実的な将来の為というのは置いておくとして、友達と勉強と部活が思い浮かんだ。しかし弓月は俺とは違い進学校ではないため勉強だけしていても浮くだろうし、帰宅部だと確認しなくても分かる。そうなるとやはり友達、欲張って親友が欲しいところだ。しかし、唯一の友人であった人物とは絶交したらしく、新しい友達も弓月の無愛想な性格では作るのは難しいだろうと勝手に決めつけた。


「昼はそこに置いてあるからね。何かあったらすぐコネクトで連絡してよ?」


「‥‥‥お前さ、自分はちゃんと食べてんのか?お前が何か食べてんの見た事ないぞ」


「少食なだけでちゃんと食べてるって。じゃあ行ってきます」


 さぞ当たり前かのように弓月の部屋から登校する俺に「行ってらっしゃい」は無いが、今はこれでいいとひとりごちて学校へと向かう。








 学校に到着すると廊下で他クラスの友人達とふざけあったりいじりあったりして、個々に合わせた話題で談笑する。これは一見益体もない事のようで、実は学校生活を快適に過ごす上でとても大切な事だと俺は考える。特に会話で重要だと思うのは、相手に同調するだけでなく、疑問を投げかけたり関連した新たな話題へと展開する事だ。だが、俺のように何本もの薄く広い繋がりを持つよりも、一本でも強固で深い繋がりを持っていた方が、一般的な精神性を持つ人間にとっては良いのではないかと思い始めてきた。弓月にもこれは当て嵌まるだろう。

 ようやっと教室が見えてきたところで、廊下にいる雄星と萌が見えたので即席の笑顔を張り付けながら手を振る。


「おはよう〜!」


「ちょ、ちょっと楓君!こっち来て!」


 萌がトテトテと疾走感のかけらも無い走りで俺を廊下の端に連行した。


「楓君は、何をしたの?」


「何って?」


「惚けないでよ。私の噂とか雄星の事、楓君が何かしたんでしょ?」


「まあ、したね」


「‥‥‥私の本性を知って何で楓君は——」


 俺は萌の困惑の表情の中に、他者への渇欲を垣間見た。俺は萌の肩に優しく手を置き、その大きな瞳をじっと見つめる。自己の容姿を理解しているからこその俺の行動に、萌は頬を薄桜に染める。


「単純に友達だからだよ。本性って言うけどさ、普段の柔和モードの萌さんも、昨日の辛辣モードの萌さんもひっくるめて本性だと思うし、俺は両方好きだよ。‥‥‥昨日萌さんに言われた事は、的を得てると思う。俺は未だに、友情とか愛情とかに幻想を抱いてるからね」


「‥‥‥ごめん」


「いや、別に怒ってないよ。仲直りしよ、ね?」


「まだ友達でいてくれるの?」


「俺が友達でいて欲しいの」


 そこで予鈴が鳴り、少しの嫌じゃない静寂が流れた後、俺と萌はどちらともなく教室へと戻った。









 全授業がつつがなく終了し、部活が休みだった俺は急いで春日里高校へと向かった。春日里の正門の付近には昨今若者に人気のカフェがあり、俺はその店に入ろうと試みる。だが部分的なガラス張りの外壁から見える景色は、ピンクを軸にしたカラフルな椅子や机に座る、謎の液体を飲み青春に全身全霊を傾ける女子高生達の桃源郷だった。ポップでオシャレでハイカラなその光景に、芋臭い自分ごときが足を踏み入れるはどうかと戸惑うのも仕方がなかった。


「何してんの?はよ行ってくんね?」


 そこで後ろから女子高生の正論が突き刺さり、俺

は勇気を振り絞ってドアを開ける。漂ってくる甘い匂いに脳が焼き切れそうになりながらもレジカウンターに辿り着いた俺は並べられたメニューを凝視したが、お経かのような意味不明な文字列に頭が混乱し、何とか端に書いてあったアイスコーヒーをもたつきながら注文した。オタオタしながら財布から小銭を取り出していると、店員の綺麗なお姉さんから「ゆっくりで良いですよ」と花のような笑顔で言われ俺は羞恥心で死にたくなったのを最後に俺の記憶は途絶え、気がつけば外から丸見えのカウンター席で一段と苦いアイスコーヒーを無心で啜っていた。


(俺は何でこんなキラキラしたところに居るんだろう?)


 目的を見失いかけた俺だが、人探しがしたかったのだと、ガラス越しにギリギリ見える春日里の正門を見て思い出した。正直こんなにカフェというものに手こずるとは思わず、目的の人物はもういない可能性もあるが、取り敢えず春日里から出てくる学生を観察する。光明とは違い女子はスカートが短くチェック柄であったり、制服の内外にカーディガンなどを着用していて、男子はボタンを開け放っていたりとあまり厳罰な校則でない事が窺える。他にも髪を染めていたりピアスを付けている生徒が見え、自由化が図られつつある昨今の教育現場に思いを馳せつつも、一人一人の生徒に注視する。暫く経っても目的の人物は現れず、諦めようかとしたその時俺の目は今や絶滅危惧種になりつつある「ギャル」と呼ばれる存在を捉えた。俺は席を立ちカフェを出るとその派手な後ろ姿に声をかける。


「ちょっといい?」


「‥‥‥は?何?」


 振り向いたそのギャルはアイテープとカラコンによって作られた瞳に存在感のあるまつ毛が付属しており、ピンク系のリップが塗られた唇と鮮明なモカブラウンの髪に白いカチューシャが小麦色の肌によく似合っていた。おまけに見たことが無いくらい肌が露出しており、健康的なそれとお風呂上がりのような匂いの香水が彼女のエロティックさを助長して際立てていた。


「は〜ん、なるほどね。いくら?」


「はい?」


「援交代、いくら出せるかって聞いてんの」


「え、援交!?いやいや!制服見てもらったら分かると思うけど、俺高校生よ?」


「歳なんか関係ないでしょ。門の前でうろついてる奴は大体援交目的だから。あんたは違うわけ?」


 俺は住む世界が大きく異なっていることを感じつつも切り込んだ。


「君が弓月の友達の若山美雨さんだよね?」


「友達じゃねぇよ。あと何でウチの名前知ってんだよ」


「弓月から聞いた」


「あんた、あの子の何?新しい彼氏?」


「母です」


 俺はふざけたつもりは毛頭無かったのだが、刺すような視線を向けられ怯えながら首を振った。


「あ、兄です」


「あいつ一人っ子な?」


「し、親戚です」


「ここまで嘘吐いといて信じられる訳ないな?」


「ごめんなさい、俺が悪かったです。唯のお節介な知り合いです」


「関係性薄すぎだろ、アホかお前?」


 俺は既に心が折れそうになっていたが、なんとか言葉を紡ぐ。


「美雨ちゃんは弓月と仲直りする気はない?」


「急に馴れ馴れしいなお前!まあイケメンだからいいけど。あと仲直りも何もねぇよ、あいつがルーカスさんキレさせて勝手に絶交してきたんだから」


「その件は俺がルーカスとかいう軍人を蹴っただけで、弓月は何も悪くない」


「‥‥‥殺されるよ?あいつら殺すって冗談で言ってる訳じゃないからね」


「分かってる。俺の事はいいから、弓月に美雨ちゃんの方から歩み寄って欲しい。あと可能ならルーカスの事から弓月を守ってほしい。それができるのは美雨ちゃんだけなんだ」


 正直俺は若山美雨の事を顔も知らない時から嫌悪していた。悪意があったのかは定かではないが、アメリカ軍人というパンドラの箱に弓月を引き合わせた事は看過できない愚行であるし、最たる違和感は弓月の唯一の友達であったという点だ。あんなとっつきにくい性格に異次元の美貌を有する弓月なら、友の一人もいない方が俺は逆に納得ができた。人格を会ったばかりで決めつけるのは愚者のする事だが、俺にはこのギャルがこの世に存在する数少ない善人だとはとても思えない。しかし、今の弓月には時間がなく、選り好みしている場合ではないし、ルーカスという最大の脅威を考えると、下げたくない頭も下げざるを得なかった。


「いるんだよね、あんたみたいな勘違い男がさ。あの子に惚れて、付き合ってもないのに守ってあげなきゃって勘違いしてるイタイ奴。マジできもい」


「それでもいいから頼む」


 頭を下げ続ける俺に心底嫌そうなひきつった顔をしていた若山美雨は突然表情を一変させた。それは悪巧みをしていそうな顔で、俺は蛇に睨まれた蛙のような気分になった。


「いいよ、やったげる」


「おお!美雨ちゃん!」


「ただし、条件がありま〜す」


「条件?」


「お前、今日からウチの下僕な?」










 

 ウチ、若山美雨は友達と一緒にカラオケに来ていた。ふと携帯から目を離すと、意味が分からないくらい打ち解けている涼風楓が聞いたこともない古い曲を熱唱していた。隣のギャルは動画投稿サイトで原曲を聴き、「似すぎでしょ!」と腹を抱えて爆笑している。その様子を愛想笑いで眺めながら、ウチは正直、下僕にしたこの男をなめていたなと独りごちた。

 普通他校の人と遊ぶとなると、最近流行ってる話題とか身内ノリ的なものが分からずに輪に入れないのが普通だし、ウチもそれを頭の中で思い描いていて困らせてやろうという魂胆だった。しかも光明高校はウチらとは比べるのも失礼なくらい頭が良いから尚更だ。だが、涼風楓は何というか、持っている手札が半端じゃなかった。ジャンルを問わず知識が豊富で、ウチらの大好きな下ネタにも難なく対応している。むしろウチらよりも積極的にすら思えてくる。更に単純に効果的なのはその容姿だ。将来有望で面白いイケメンというだけでウチの股の緩い女共は、サンタクロースからプレゼントを貰った子供のように騒ぎ始め、今もベタベタとボディータッチを繰り返している。

 

「楓君可愛すぎ〜。ねぇ、楓君って彼女いるの?美雨とは付き合ってないんだよね?」


「おい馬鹿、楓は巨乳が好きって言ってたろ?お前のまな板じゃ無理だろ」


「は〜?ちゃんとあります〜!ね?楓君?」


「ウン、オッパイアルヨ」


「棒読みだしそりゃみんなあるでしょ!?楓君酷すぎ〜!」


 ウチは何を見せられているのか分からなくなってきたが、何となくむしゃくしゃしてマイクを手に持つ。最近流行っているフィメールラッパーの曲をいれてジュースで喉を潤す。


「あ!楓君!美雨が歌うよ!」


「美雨ちゃ〜ん!頑張れ〜!ちなみに俺はさっき九十三点だったよ〜!」


「うるせぇ!」


「楓は知らねぇか。美雨は超歌うめぇぞ」


「へぇ〜、でも俺の点数は越えれないでしょ〜」


 結果ウチはその曲で九十三点をギリギリで越え、涼風楓の驚く顔を見る事が出来たのだった。その後、同じバイト先の二人が抜ける事になったため今日はそのまま解散する事になった。最後に涼風楓が弓月の事を話題に出し、「気にかけてやってくれ」と言っていた所をウチは目撃した。馬鹿な連中の気遣いによって二人で帰る事となったウチと涼風楓は夜の帳が下り、雑居ビル群の前の人通りの少ない道を並んで歩く。


「‥‥‥ねぇ。そんなに弓月が大事?」


「まあね。助けるって決めてるから」


「あっそ。‥‥‥てかどこまでついてくるわけ?」


「家まで送るつもりだけど?」


「‥‥‥あのさ、今日泊めてくんない?」


「‥‥‥」


 涼風楓は一瞬怪訝そうな顔をしたがすぐに飄々とした何でもないような顔でこちらを見つめてきた。


「いいけど、弓月に頼んだら?隣だから断られたら俺のところに来ればいいし」


「下僕なんでしょ?文句言わないで」


「‥‥‥分かったよ」


 ウチは先程からの胸を侵食するどす黒いモヤモヤをなんとか吐き出さずに飲み込み、黙って頷いた。










 俺はアパートに戻って弓月が寝ている事を確認すると自分の部屋に入った。そこには我が物顔で寝そべりスマホをいじる我が主こと若山美雨がいた。


「狭い〜」


「まあここら辺の物価からは考えられない安さだしな。学生の一人暮らしなんてこんなもんだろ」


「ふーん。親は?」


「‥‥‥ちょっと遠い場所にいるからもうちょっとの間は会えないかな。まあ、会いたくもないけど」


「へぇ〜。てか腹減った」


「‥‥‥お前さっき俺がたまの贅沢で買ったプリン食べただろ?」


「足りない。なんか作って、下僕でしょ?」


 俺は仕方なく米を茶碗によそい、それから味噌汁を作って割り箸と共に小さな机に置いた。若山美雨はその量に不服そうにしつつも味噌汁に口をつけた。


「何か薄くない?」


「そうか?色々ケチり過ぎたかもな」


「ふーん。‥‥‥ご馳走様」 


「ん。じゃあもう寝ろ」


「え〜、お風呂入りたい」


「‥‥‥バランス釜だぞ」


「なにそれ?まあ何でもいいや」


 そう言うと若山美雨は風呂場に入り、外に服を脱ぎ捨てた。「ボロッ!」とか「ちっさ!」という声が聞こえ、やがてそれを掻き消すようにシャワーの音が響き渡った。青年期真っ只中の俺は妄想を掻き立てられながらもそれを振り払うように数学の課題に取り掛かった。ひたすら微分積分を繰り返しても

煩悩は払えず公式は吹き飛んでいくため溜息を吐いていると、風呂場から「きゃー!!」という悲鳴と共に若山美雨が素っ裸で飛び出してきた。肉感的なそれが目に飛び込んできて、俺の心に湧いたのは興奮ではなく感謝の気持ちであった。


「これが天国か‥‥‥」


「何言ってんの!?でっかいクモがいるの!お風呂に!」


「‥‥‥クモもこんなボディが見れて幸せだろうなぁ」


「いいからはやくとって!!」


 俺は悩殺ボディを横目にクモをティッシュで優しく掴んで外に放り出した。一仕事終えてもう一度目に焼き付けとこうとバスタオルを持って行き、ある事に気づいた。


「‥‥‥その痣どうしたの?」


 若山美雨の左腹部には赤紫の痣があった。咄嗟に手で隠したあたりが、俺に厄介なことになる予感を抱かせた。


「‥‥‥ぶつけただけ」


「‥‥分かった。じゃあこれ着てもう寝ろ」


 俺は自分の服を若山美雨に手渡し、布団を敷いてそこに誘導した。


「ねぇ、今からでも弓月の部屋に泊まらせてもらうってのはどう?」


「はぁ、弓月弓月って‥‥‥おりゃッ!!」


「うわっ!?」


 俺は強引に布団に引き込まれ、倒れ込みそうになって手を若山美雨の顔の横についた。自然に見つめ合うような形になり、化粧の落ちた肌の艶まで分かりそうなほど顔が近づきどちらともなく目を合わせた。何故か俺の瞼は瞬きを拒否し、一方の若山美雨はそっと瞳を閉じた。俺は魅了されたようにその弾力のあり柔らかそうな唇に己の唇を近づけた。甘い匂いと雰囲気に酔って触れ合う直前だった唇はすんでのところで急停止した。


「‥‥‥もう寝ろ」


「‥‥‥そんなに嫌?ウチとヤるの?」


「嫌なら部屋に入れてない。ただそういう事は付き合ってからだと思ってな」


「じゃあ付き合お?」


「‥‥‥保留で頼む」


「何それ。もういい、寝る」


 俺は不貞腐れてこちらに背を向けて寝転がった若山美雨の反応は至極当然のものであると思うと共に、ヤっとけば良かったかなと心の隅で思っている自分を厭う。


(下僕か)


 関わってしまった以上は下僕として主人の幸せを追求しようと意気込んで、俺は背中に僅かな温もりを感じながら目を閉じた。



 

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