第3話
「伯父さんはどうして亡くなったんですか?」
二日目の朝食の時に、僕は意を決して尋ねた。自分の子どもの死を尋ねられるのがどれだけ辛いことなのか、僕には実感がなかった。
祖母は箸の手を止めて、僕を見つめた。父の目が僕を見つめているようだった。
「……なんてことない、病気だよ」
「お線香をあげにいきたいんですが、伯父さんの家はどこに?」
「律儀な子だね」
ため息のようにそう吐き出されて、それでも祖母は箸を置いて僕に地図を描いてくれた。ここいらは全部川口さんだから、地図には屋号が書き込まれた。
朝食を食べ終わると、僕はナナコと一緒に教えてもらった家の近くまで行ってみた。いきなり押しかけるのは気が引けたので、とりあえず散歩と称した偵察のつもりだった。
伯父の家は、祖母の家の半分しかない、けれど都内の一軒家よりは少し大きい家だった。
遠巻きに見ていたかったけれど、ナナコが元気よく僕を引っ張ってその家に入ろうとするので、引っ張り返さなければない。すると強く引っ張りすぎたのか、首輪が絞まったらしく、ナナコが喉が潰れたような音を出したので、僕は慌ててしゃがみ込んだ。ナナコはそれに抗議するように、二回ほど吠える。
「ナナコ?」
女の人の声が聞こえてきて振り返れば、伯父さんの家から人が出てきていた。年齢から見て、伯父さんの奥さん、つまり、僕の伯母にあたる人ではないだろうか、と思った。
「あなたは……」
女性は僕を見ると、驚いたように固まった。なにかを言おうとして口を開いて、また閉じた。なにから話せばいいか迷っているような顔に、僕は眉をひそめた。
「僕を知ってるんですか?」
「……健太くんでしょう? だって、あの人にそっくりだもの。それに、来るって聞いていたから」
その言葉に、僕は彼女をじっと見つめた。祖母から聞いたんだろうけれど、なんだか変な言い回しだった。そしてふと、ひとつの可能性に気づいて、僕はおそるおそる尋ねた。
「父と連絡をとっていたんですか?」
父が一体誰から祖父の死を聞いていたのか。祖母でなければ、彼女しかいないような気がした。点が繋がって、急に線となって目の前に現れた。
目の前の人は答える代わりに小さく微笑んだ。
「僕の伯母さんですよね?」
「ええ、そうね、そうなるべきね」
伯母だという女性は頷いた。ナナコが尻尾を大きく振って、伯母に笑っている。
「ナナコ、時々おばあちゃんとうちに寄るのよ。おやつをもらえるから」
伯母が困ったように笑い、それから手招きしてくれた。僕は庭の方に回って縁側にナナコを連れて行く。
「お茶でも飲んでいって」
「あの、伯父さんに、お線香をあげても?」
伯母はハッとしたような顔をして、けれどすぐに笑顔になった。
「ええ、もちろん。ナナコはここに繋いでおきましょう」
骨の形をしたおやつを貰って夢中で食べているナナコのリードは、縁側の傍にあった水道に結ばれる。僕は靴を脱いで、縁側から部屋に入った。
和室の端に、仏壇が置かれている。まだ先ほど線香をあげたばかりなのか、一本だけか細い煙を生やしている。
遺影を見ると、クローゼットのアルバムの少年を思い出した。目だけは変わらずも、ほっそりとした男の人だった。優しそうな顔をした、あの少年がこんな男になるのかと感慨深い。僕は失礼がないように、線香に火をつけた。
「癌だったの。よくある話ね」
手を合わせ終わると伯母がそう言ってきた。祖母が言っていた病気というのは本当だったのか。僕は立ちあがり、聞いた。
「父とはいつから連絡をとっているんですか?」
伯母は叔父の死因を無視されたのに気を悪くした風もなく言った。
「正二郎さんたちがここから出て行って、一年後くらいかしら。手紙が来たの。誰にも内緒で、家族の動向を教えてほしいって」
「それから父と? どうしてあなたに……ちょっと待って下さい、正二郎さんたち? 父以外にも出て行った人がいるんですか?」
伯母の眉がピクリと動く。言いにくいように、僕から目を逸らしながら、
「あなたのお母さん」
「母もこの町出身なんですか?」
母の祖父母はとうに亡くなっていると聞いていたが、それ以外のことは知らなかった。出身も父と同じ県としか聞いていなかったので、まさか同じ町だったとは予想外だった。
「そうよ」
伯母の短い答えに、僕は詰め寄った。
「じゃあ、二人が出て行った理由って駆け落ちとか? 今どきそんなの珍しそうですけど」
「いえ、そうではないわ……」
伯母が言いにくそうに唇を噛んだ。
絶縁は二十年前、出て行ったのは僕の両親二人。二十年前のあったことを想像した。なにが原因でふたりはこの町を出ていったのか。
「……僕が原因?」
ふと思い当たり、口にしてみるとそれはなんだか真実味があるような気がした。絶縁の理由は、僕?
「……そうね」
渋々と言ったように、伯母が答えた。
「母さんが僕を妊娠したから? たったそれだけ? どうして出て行かなくちゃいけなかったんですか?」
確かにこれだけ田舎なら、でき婚とかが認められなくてもおかしくはないかもしれない。けれど絶縁するほどには感じられなかった。だいたい、それならクローゼットにあったプレゼントは一体なんなんだろう。
伯母が苦しそうに顔を歪めた。言いたいことがあるのに、言えない苦しみが伝わってくる。その視線が遺影に向かった。僕はハッとして、その遺影を見つめた。確信に迫ってきた気がして、夏だというのに鳥肌が立った。
「僕が……誰に似てるんです?」
あの人に、そっくり。それが、一体誰のことなのか。急な話に頭ばかりが回転していて、心はついていけずに体温がスッと下がっていくのを感じた。
伯母は僕の質問に答えられず、俯く。それに信じられず、後退りして、次の瞬間には、家を飛び出していた。
ナナコが吠えたが、それを無視して、靴も履かずに祖母の家へと走った。久しぶりに走ったから、心臓がドキドキ言って、呼吸が満足に出来ずにえずく。
祖母は庭で水やりをしていた。血相抱えて走りこんできた僕に随分驚いた様子でこちらに近づいてきた。
「どうしたんだい?」
息が整わず、俯きながら、それでもなんとか言葉を絞り出した。口の中は血の味がした。
「伯父さんは……僕の父さんなの?」
ひゅぅと祖母のが息を呑む音が聞こえてきた。それが完全なる答えだった。
「……どういうことなの?」
辻褄があわない。頭の中で一生懸命、今の話を片付けようとしている。けれど心臓の音ばかりがうるさくて、どうしたらいいのかわからずに、祖母の前に立ち尽くしていた。
「じゃあ、父さんは僕の……叔父になるの? それで、伯父さんが、僕の父さん? どういうことなの? 母さんは、本当に僕の母さんなの?」
「帰るまでに、話そうと思っていたんだけど」
祖母が口を開いた。顔は真っ青になっていて祖母がショックを受けているのはわかったけれど、何を考えているのかはわからなかった。
「美智子さんのところに行ったんだね? ああ、裸足で。とりあえず、中に入りなさい。足を拭くのを持ってきてあげるから。ナナコはどうしたの?」
「あ……伯母さんのところに」
僕は家に入って、足を拭くと、朝ごはんを食べたテーブルの席についた。それと同時に玄関がガラガラ音を立てて、誰かがやって来たのだとわかった。
「ごめんください」
「ああ、美智子さん」
「お義母さん、ナナコ繋いでおきましたから。あと、靴を」
「ありがとうね、上がってもらっていいかね?」
「ええ、もちろん」
伯母の声だった。僕は思わず身を固くして彼女を待った。彼女はキッチンに姿を見せると、少しだけ微笑んできた。
「さっきはごめんなさい。もっと上手く伝えられればよかったんだけど」
大人だからなのか、ずいぶん落ち着きを取り戻すのが早い。いや、違う。取り戻したのではなくて、きっと祖母も伯母も待っていたのだ。僕が知ることを。いつか話そうとして、タイミングを窺って、そして真実を知った時、僕がどうするかをずっと考えていたに違いない。
祖母がお茶を入れている間、僕はなにも言わなかった。なにも言えなかった。だって、本当に数十分前まで、僕は普通の子だと思っていた。それが、僕の父さんだと思っていた人が、本当は叔父だったなんて。どうしてそんなことになったんだろうか。
祖母がお茶を入れて、席につくと、やがてため息とともに話を始めた。
「正二郎は、健太くんになにも話していないんだね?」
こっくり頷いて、受け取ったお茶を飲んでこれから始まる話に備えた。
「まず、健太くんの父親からはっきりさせておこうか。健太くんの父親は、賢一……正二郎の兄だよ」
祖母はあっさりそう言って、続けた。
「誰から話すのが一番正しいのか。そりゃもちろん、正二郎だったんだろうけど……あの子はどうしてもできなかったんだろう。二十年ぶりに手紙を送ってきたと思ったら、本当のことを話してほしいと頼んできたんだ」
「どうして」
僕が呻くと、伯母が父を庇うように言った。
「ずっと自分の子として育ててきた子に、実の父親ではないと伝えた時、どんな反応をされるのか、あの人はずっと怖かったんでしょう」
「それがわからないよ。どうしてそんなことになったんですか」
「お母さんの由美さんと正二郎は婚約してた。賢一さんと美智子さんはもう結婚してたね」
確かめるように祖母が伯母を見ると、伯母は頷いた。
「まだ半年くらいだったわ」
「婚約したてだった二人のお祝いで、両家で飲んでた……まあ、もっとも由美さんとこは両親ふたりとももういなかったし、一人っ子だったから、うちの家族だけだったんだけどね。その時に……」
祖母が言葉を止めた。その先を僕に聞かせたくないのか、自ら口にしたくないのか、はたまた両方か。その後は、伯母が引き継いでしまった。
「その時に、賢一さんが、由美さんに乱暴したの。本人は酔っていたと言っていたけど、どこまで本当だったのか。あの人、きっと本当は由美さんのことが好きだったのね」
穢らわしいものを口にしたように、伯母は眉をひそめてお茶を飲んだ。自分の本当の父親がそんな犯罪者だったことに、僕は自分を恥ずかしく思い、急に自信を失ってしまった。
「じゃあ、悪いのは伯父さんじゃない。どうして父さんと母さんが出て行ったの?」
伯母が言いにくそうに俯いた。
「田舎の長男に悪いうわさがたつとどうなるか、なんて健太くんにはわからないでしょう? ましてや犯罪者だなんて。とんでもないわ。村八分にされて、最悪、家が途絶えるの」
「だからって、母さんは泣き寝入りしたってこと? 伯母さんは伯父さんのこと怒ってないんですか?」
「もちろん軽蔑してたわ」
「ならどうしてずっと一緒にいたんですか? 母さんが訴えれば、犯罪者だったのに」
「……犯罪者の妻は、田舎では共犯よ。家族が共犯であるように」
肩をすくめた伯母を見て、僕はようやくその時、祖母も、伯母も、母さんも父さんも、みんな家の保身のために黙っていたのだと気づいた。薄ら寒くなった。半ば狂っているんじゃないかとすら感じられた。だって犯罪だ。犯罪なのに、誰一人警察に突き出さず、誰一人世間に言わなかった。
「おじいさんが、正二郎に家を出て行くように言ったの。由美さんが妊娠していることが知られたら、まだ結婚していないのに正二郎の子にしては早過ぎる、誰の子だなんてうわさがたつからね」
伯母さんは遠くを見るように目を細めて、言葉を続けた。
「怒った正二郎さんが縁を切ると言って、おじいさんはそれを受けいれた。おじいさんは賢一さんの肩を持って正二郎さんたちを厄介払いしたかったのでしょうね。周りが絶縁の方に興味を持ってくれれば、賢一さんのやったことは隠し通せると思ったのよ。まあ実際、そうだったしね」
祖母の言葉に、仏壇に飾ってあった祖父の遺影を思い返す。あの人が、父さんを家から追い出したのか。
「でも、そのまま父さんの子だって言い張ればよかったじゃないですか。父さんと母さんも納得していたんですか? 町を出て行くことを」
父さんの方を追い出すなんて信じられない。出ていくべきなのは賢一の方だ。
「由美さんは賢一さんに怯えていたし、正二郎さんは賢一さんを殺しかねない勢いだったから、出て行くことに抵抗はなかったでしょうね。それに、私が言ったの」
「え?」
伯母が手を止めて、僕をまっすぐに見た。
「子どものことを考えて、と。もしバレたらその子は後ろ指をさされながら生きていかなくちゃいけなくなる。正二郎さんたちはそれで、出て行くことにしたの」
僕のためだったのか。父さんの顔が思い浮かぶ。僕のせいで、僕のために、家を出た。でも本当にそれで良かったんだろうか。
「私も何も言えなかった。あの子を守ってやれなかった」
祖母が悲しげにぽつりと呟いた。僕は慰めも言わずに、叔母に聞いた。
「伯母さんはどうして父さんと連絡を?」
「あの人たちは……私も被害者だと思ってくれてたの。お人好しだったのよ。一緒に憎まれても仕方ないのに。私も一緒に本当のことを黙っていたのに、旦那が乱暴を働いた可哀想な妻と思っていてくれたの。だから、連絡をくれたんでしょうね。由美さんが亡くなったと聞いた時はお葬式に出たかったのだけれど……他の人にバレるのが怖くていけなかったわ」
「今回健太くんが来ると美智子さんに言ったら、美智子さんが正二郎と連絡をとっていたことを初めて聞いたんだよ。正二郎の手紙にもそんなこと書いていなかったのに、美智子さんが連絡をとっていたと言い始めるから、驚いたねえ」
「正二郎さんに頼まれていたの。いずれ健太くんが真実を知るだろうから手伝ってくれって」
「どうして今だったの? ……伯父さんが亡くなったから?」
尋ねてからハッとして、僕は祖母たちを見た。祖母はゆっくり頷いた。
「手紙に書いてあったのは、健太くんが来るっていうことだけじゃない。本当の父親が死んだなら、きちんと線香をあげるべきだって、言っててね」
「だから、今……」
「本当は生きている内に合わせようかと考えていたみたいだけれど……正二郎さんは、私から聞いていた賢一さんのことを認められなかったんでしょうね」
「……伯父さんはどうしていたの?」
「私が正二郎さんと連絡をとっていたのは、たぶん、気づいてなかったんじゃないかしら。弱い人だったのよ。お酒のせいにして、逃げて。由美さんの妊娠の話を聞いて、真っ先にお義父さんに頼るような人よ。私も指一本触らないで、と言ったくらいだもの」
どうしたらそんな生活ができるのか僕には不可解だった。一体どうして、そんな我慢までして守る価値があると思えるのだろうか。家とやらが、そんなに大事なんだろうか。
祖母は先程から自分の息子の悪口を言われているはずなのに、さっぱり反応しない。彼女も呆れ果てていたんだろうか。それとも、この状況に疲れ果てているんだろうか。
僕は父さんを思った。
一体、どんな気持ちで僕を送り出したんだろうか。自分で父親ではないと言えなくて、そんな大事なことを他の人に任せてしまうなんて。言いたくなかったんだろうか。二十年間隠していたことを責められるとでも思っていたのだろうか。
――ああ。お酒を飲んだことを怒られたのも、そのせいか。気がついて、納得した。前後不覚になるまで飲んだことは、きっと父に伯父を思い起こさせたに違いない。僕は伯父の子どもだったのだ。伯父と同じ間違いを犯す、と思ったのかもしれない。
父さんが僕の目を覗きこむのも、きっと母さん似だからだ。その他のパーツは伯父に似ていて、見られたものじゃないのかもしれない。ああ、どう思っていたんだろう、父さん。年々、憎い相手に似てくる子どもを見て、父さんは、何を思っていたんだろう。
「……僕は、帰ってもいいのかな」
唐突な言葉に感じられたけれど、紛れも無い真実だった。
僕は父さんのところへ帰っていいのか? だって、僕は父さんの子どもじゃなかった。それだけじゃない、きっと誰よりも憎い相手の子どもなんじゃないか。
祖母がそれに一瞬目を伏せたかと思うと、
「手紙には、健太くんに選ばせてほしいと書いてあったよ」
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