そよ風が吹いとる

入間しゅか

そよ風が吹いとる

「俺たちやり直さないか?」

 この男は何を言ってんねん。やり直す?なにを?疲れてるからかな。ちょっと理解が追いつかない。

「なにを?」

「なにをって、よりを戻そうって話だよ」

「いや、アホなん?あんた接近禁止命令でてんのわかってる?うちが通報したらいっぱつでアウトやで」

 私が嫌悪感丸出しで言い放っても、拓真は一切気にする様子もなくいつものジメッとした目つきで私を見つめながら言った。

「お前は通報なんてしない女だって俺は知ってる」

 は?うちのなにを知ってんの?アンタただの束縛男やったやん。ていうか、なんでうちはこんなクソと向かい合わせでスタバにおるんやろか。彼氏と来たかったわ。彼氏、今おらんけど。ほんまなんなん?世の中コロナやねん。感染者数エグいん知ってるやろ?梅田行くんもほんまは嫌やったんやから。でも、就活やったからしゃーない。なんでリモートちゃうねんとは思ったけど。知らん番号から電話きたから面接の直後やったしつい出てもうた。こいつってわかってたら出んかったのに。まあ、断りきれずに会ってまううちもうちやけどさ。ていうか、暑っついねん。八月で内定もらってないやつの惨めさわかる?二次面接までいくのに、最終で落ちまくる気持ち考えたことないやろ?

「なんか言えよ」拓真は何故かキレていた。もともと眉間にシワが寄っていて、目も細いのに、より一層シワを寄せて睨みつけてきた、細い目で。キモッ。うちはなんでこんなブサイクと付き合ってたんやろか。しかも、ヴァージン捧げてもうたんマジ後悔しかない!

「なんやねん、あんた女おるんちゃうん?今カノ大事にしたれや」

 うちがそう言ったら途端に弱々しい表情に変わって、ハの字に眉をゆがめてこう訴えてきた。

「聞いてくれよ、今の彼女束縛がひどいんだ。もう耐えられない。頼むから俺とやり直してくれよ」

 バカバカしい。うちを散々束縛しといて、どの口が言うかね。

「あんた自分がしたこと忘れたんちゃうやろね?てか、忘れたからそんなこと言えんのか。うちは今男いらんねん。今あんたと話してるんも時間の無駄やねん。就活中やから、家帰ってさっささエントリーシート書きたいんやけど」

「そんなこと言うなよ、お前と結婚するつもりで大阪まで来たんだ。それなのに別れたら来た意味がないと思って束縛してしまったのは謝るよ。ちゃんとお前の荷物家に置いてあるしさ」

「は?キモすぎん?うちら別れたん一年前よな?なんで持ってんねん。捨てろや。てか今カノおんのに何考えとん?なぁ、帰っていい?」

 うちが一口も飲んでいないフラペチーノを残して立ち去ろうとすると拓真はうちの腕を掴んできた。振りほどこう思ったけど悪目立ちしたくなかったから、仕方なく座り直す。

「なんなん?」

「お願いだ!やり直させてくれ!」土下座しかねん勢いで頭を下げて訴えてくるから、呆れてなんも言えんくなった。こいつほんまうちの気持ちとかどうでもええんやな。知らん。なんでもええわ。「アホくさ」とだけ吐き捨てて拓真を残してスタバを出た。拓真は急いで追いかけてきた。うちは渾身の力を腹に込めて言うたった。

「鬱陶しいんじゃ!しねー!」


 家に着いたけど、着替えんのもメイク落とすんも、めんどくさくてそのままベッドに突っ伏した。目を閉じる懇願する拓真の顔が浮かんで、殺意が湧いた。うちは何であんな男のこと一瞬でも好きやと思ったやろか。いや、待てよ一瞬でも好きってほんまに思ったか?

 拓真とはTwitterで知り合って、DMで話すようになって、なんとなく会う流れになって、トントン拍子で付き合うことになった。好きって言われて、うちはなんとも思ってなかったけど、嫌いでもないからええよって言った。ほんまアホやったなぁ。そんときは周りの子みんな彼氏おったから、負けたくなかったんはある。

 付き合ってみたらどこに行くにも報告を求められて、少しでも連絡が遅いと鬼電してくる。でも、初めての男やったから、恋人ってこんなもんなんかなって思ってた。今からしたらアホな思い込みやで。拓真は関西の人ちゃうかったけど、仕事変えてまでして大阪に引っ越してきた。そこまでしてくれんねやってちょっとでも喜んだ当時の自分を全力でぶん殴りたい。蓋開けてみたら、うちの監視がしやすいように引っ越してきただけやった。ゼンリー入れさせられて、ちょっとでも、いつもと違うとこおったら即電話かかってくる。挙句の果てにうちが大学でなんの授業取ってるかまで把握されて、完全に身動きとれんくなった。さすがにおかしいって友達から言われるようなって、別れようって言ったら逆ギレよ。「お前のことネットに晒してやる」とか言い出しよる。「勝手にしいや」って言ったら家押しかけてきて、偶然留守やったから、玄関叩いたり蹴ったり、しまいに配管つたってベランダ入ろうとしたとこ大家さんが警察呼んでて御用。ほんで接近禁止命令ってわけよ。


「次止まりまぁす」バスの運転手の声がやたらとのっぺりべとついて聞こえてくる。運転手特有のくぐもった感じの発音になんか違和感を感じる。

「左にまがりまぁす」アナウンスはめっちゃ丁寧やねんけど、なんでこんなねっとり喋るんやろか。

「聞いてる?」と由美が怪訝な表情でうちを見てた。「え、うん」聞いてなかったけど、思わず誤魔化した。由美の話はだいたい一緒。彼氏の愚痴。そんな嫌なんやったら別れたらええやんって思うんやけど、この子は別れる気ないん知ってる。「大変やな」って言ってほしいだけ。そんな簡単に同情したらんぞって思うけど、同情してるふりくらいやったらいくらでもしたる。でも、その愚痴、ほんまに彼氏だけのせいなん?あんたがわがままなだけのパターン多いで。

「聞いてないやろ?」由美はちょっとキレてた。

「ごめん、今度は聞いてなかった」

「もうええわ」と言って由美は窓の外を眺めた。というよりはうちから顔を逸らした。なんかうち昨日から理不尽にキレられすぎやない?拓真といい、由美といい、なんなん?

「ごめんやん」

「もうええって」

「あ」と言って由美はうちの方に向くと「いいこと思いついた。話聞いてなかったから罰として昼食奢りな」

「はぁ」思わずため息が出た。この子はほんまに呑気でええわ。ま、この能天気さと自分の話しかせえへん自己中さがかえってやりやすかったりすんねんけどな。せやけど、うちは昨日の拓真の一件でろくに寝れんかったんよ。話し聞いたる余裕ないんよね。なんかこう、心の背中の辺りがゾワゾワする感じがして、もう輾転反側してた。輾転反側。最近覚えた四字熟語。ほんま四字熟語って有能よな。いろんなシチュエーションを四文字で言い表すんやから。

「まあ、ええよ。なんでも奢ったるやん」

「おっしゃ!言うてみるもんやわ。これで一限乗り切れるわ」

「アホくさ」

「なんて?」

「なんでもないわ」

「なんか言うたやろー」と言いながら、由美は肘でグイグイうちの肩をこずいてきた。「アホくさって言うたんじゃ」と言ってうちも反撃して脇こそばしたった。

 そんなアホなじゃれ合いしとったら大学前のバス停に到着。取得単位がヤバい由美は一限受けにいき、うちは特に今日はなんも大学に用はなかったんやけど、図書館に行くことにした。拓真が家凸してきたら嫌やから、できるだけ人のいるとこに居たかった。拓真と別れてからすぐ引越したんやけど、何するか分からん執着男やから用心せなな。

 図書館の二階の壁際に木製のベンチが設置されとる。壁はガラス張りになってて日差しがめっちゃ入る。陽だまりみたいになっとって休憩にはもってこいの場所やねん。図書館はちょっと寒いくらい空調効いてて、ここの日光の当たり具合でちょうどいい温度になる。なんか昨日めっちゃ疲れたからぼーっとしたくてベンチに腰掛けたらごっつ眠くなって、なんか遠くの方で誰か知らんけど何人かの声が聞こえてきた。なんやろう。図書館やのにうっさいなぁって思ったら、ベンチに腰掛けてんねんけど、いつの間にか周りが原っぱになっとる。そんで、遠くでやっぱり声が聞こえてくる。声はだんだん近づいてくる。うちは立とう思ったけど、うまく体が動かへん。声がわっしょいわっしょいわっしょいって言うてんのがわかった。それに混ざってなんや笛やら太鼓やら、笑い声や、怒声や、合いの手みたいなんが混ざってめっちゃうるさい。声は近づいてきよるけどうちの目の前には静かな原っぱが広がっとる。

「次止まりまぁす」喧騒のなか今朝のバスの運転手のべとついた声がやたらとはっきり聞こえた。どんちゃん騒ぎは遂に間近というか真後ろで聞こえる。そして、急にピタっと音が止んだ。でも、後ろになんか気配だけは感じる。うちは相変わらず立ち上がられへんし、なんなら振り向けへん。

「このクソ女が!」と聞き覚えのある、というか昨日聞いた声がした。つまり拓真の声。背筋がゾワっとした。なんで拓真が図書館おるん?いや、ここどう見ても図書館ちゃうな。

「このクソ女が!」と拓真がまた言う。クソ女ってうちのこと?胸ぐら掴んでいろいろ言い返したいけど、体が動かん。

「クソ女」「クソ女」「クソ女」「クソ女」「クソ女」「クソ女」

 わっしょいわっしょいのノリでクソ女の大合唱が始まった。耳を塞ぎたいけど、どうしても体が動かん。ひどいひどい、ちょっとやめてよ。目の前に広がる原っぱにそよ風が吹く。その心地良さがかえってクソ女の大合唱を際立たせとる。うちは泣きたい。でも、泣くことすら出来ない。もういや、つらい。逃げたい。なんで動けへんの?原っぱのど真ん中にポツリとベンチに座って背後から酷いこと言われる。うちはなんて惨めなんや。って待て。ここ図書館ちゃうってどいうこと?図書館おったよな。ってことは夢?はーん、そういうことか。わかったで。うちは鉛みたいに重たい体に「軽い軽い軽い」と言い聞かせる。少しずつ腕が上がるようになってきた。そっからは早かった。一気に体が軽くなって、立ち上がることに成功。勢いよく振り向くとそこには何もなかった。あるのは本棚と本を片手にうちをびっくりした目で見てる男子がおるだけやった。なんや、図書館やんけ。うちはベンチの前で立ち尽くしていた。


 ……昼休み。うちの奢った学食のカツ丼に可愛げなくがっつく由美に図書館で見た夢のことを話した。「めっちゃ悪夢やん」とカツを頬張りながら由美は言う。

「あんた飲み込んでから喋りーや」とうちは嗜める。

「オカンか」と由美はやっぱり頬張ったまんま喋りよる。

 なんかアホみたいややり取りやなって思ったら笑えてきた。

「私なんかオモロいこと言った?」

 由美がキョトンとした表情で私を見てるのがまたオモロい。なーんかアホくさいな。いい意味で。うちは朗らかな気持ちになってた。

「うち就活やめるわ」

「え、なんで?」

「なんとなく」

「なんとなくってどうするん?」

「どうにかするよ」

「どうにかするって……」

「由美、あんたは自分の単位の心配しいや」

「あー!それ言うなぁ!」

 うちはほんまに就活をやめた。ほんで、残りの期間を由美と遊んで費やした。由美は五年生が確定して、うちはニートが確定した。彼氏はまだいない。拓真はあれからなんともなかったけど、今カノと幸せにやってくれと思えるくらいには心に余裕がある。いや、たまに思い出すと腹立つんやけど、あの夢で見た原っぱは今では静かにそよ風が吹いとる。

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