灰の乙女

 乾いた砂に埋もれ、芋と僅かなハーブしか育つことのない荒廃した土地。

 ここにはいつからか豊穣と雨乞いのために、世界で大規模に信仰されている宗教の他に、その土地にだけ信仰される所謂邪教があった。本尊とされる寺院は寂れ、朽ち、とても人の暮らせない危険な場所であったが、そこにはずっと昔からたった一人……巫女と呼ばれる女が暮らしていた。

 彼女は浅黒い肌と暗色の髪を持つ土地の人々とは違い、光が透けるほどに白い肌と砂のような淡い色の髪を持ち、食糧不足の土地に住んでいるとは考えられないほどの豊満で魅惑的な姿をしていた。そして不思議な力を持って死者と交信し、その意思を生きたものに伝え……神となった先祖と交信し雨乞いをする役目を負っている。

 もう、何年も……何十年も、何百年も……もしかしたら、何千年と、伝説上でも巫女は同じような姿で伝承されている。


 しかし、そのような力を持つ巫女を荒れ果てた寺院に住まわせ、祈りを捧げながら生活も、というのは些か無理のある話である。

 そこで十年ごとにひとり、世話係として女を選び寺院で共に暮らさせ、巫女の世話と寺院の修繕の手伝いをさせた。

 今年選ばれたのは、痩せた女だ。

 彼女はとても控えめで、巫女も彼女のことを気に入ったようだった。二人が言葉を交わすことは珍しく、無言のまま、ただ自分たちに与えられた仕事をこなし、夜は寝室を共にして眠る。

 その日も、巫女と女は寝室に入り何も言葉を交わすことなく眠るはずだった。……しかし、今日の二人の間にはいつものような穏やかな沈黙ではなく、重くのし掛かるような苦しい無言だけ。

 理由はつい三時間ほど前。

 巫女の元へ、長老より今年の作物は例年よりも不作だという報告が届いたのだ。彼はちゃんと祈祷をしているのか、供物はしっかり届けているはずだ、まじめに先祖と交信してくれないと困ると巫女に対し、刺すような無礼な言葉を幾度となくぶつけた。

巫女はただ、申し訳ございません、と謝り静かに長いまつ毛を伏せるだけ。

 一番そばで、巫女がその身を削るほどに祈祷し、死者の魂と交信するたびにひどくやつれている事を知る女は、長老に言い返したくて仕方がなかった。けれどもその度に、巫女は視線で女を制し、ただ押し黙って叱責に耐え続ける。


「巫女様。どうして、このような力を……巫女様一人が手に入れることになったのでしょう。みな、巫女様の力を勝手に無心して……利用するのに……」

 寝室で、薄い布団に包まりながら女は巫女に対して募る疑問を告げる。巫女に仕えてから数ヶ月、民は身勝手な願望を巫女に押し付けては勝手に満足し去っていく。

 その度に巫女はまつげを伏せて悲しそうな顔を見せるだけ。どうして何も言わないのだろう。……とても不思議だった。

「見て」

 巫女は固いベッドに腰かけると、引きずるほどに長いネグリジェを捲り上げて、女へ見せる。……その下は、本来ならあるはずの足がなかった。

 女は思わず息を呑んだが、不思議とその脚を気味がわるいと……嫌なものだと感じることはなかった。

「わたしは幽霊なの。もう何千年も前に体を無くしている。……死者の国に行く時に、神様から私の役割を命じられたのよ。……けれども、だんだん……その力も無くなっているわ」

 静かに、民に詰め寄られた時と同じように長いまつげを伏せて、巫女は女に自分の存在を語る。その声は今まで聞いたことのないほど震えていた。

 ……女は、巫女がとても哀れに思えた。

 満開の花のような白い手で女神のように美しい顔を覆い、しくしくと肩を震わせて泣いている。今まではとても高尚で、自分達など到底手の届かないはずの存在が……今はただの、自分と同じ女と感じられることができた。

 浅黒い、枯れ枝のような腕で柔らかな体を抱き寄せると、指に滑らかな肉が食い込んでゆくのを感じ……それがたまらなく愛おしく、女は腕に力を込める。大切なものを護るように、ぎゅっ、と力強く。

「私は……砂に還りたい。神様……どうして私を、ずっと空に縛り付けているの?」

 女に抱かれながら、巫女と呼ばれる女の幽霊はその晩中、子供のように泣くばかりであった。


 その日から、女は寺院の資料室へ籠ることが多くなった。

 巫女を、彼女の望み通り砂に返すことが目的である。先代の世話係達が修繕できる本をまとめていてくれたため、女はその中で巫女に関する記述のある本を修繕すればよかった。

 記されていた方法は簡単だ。

 巫女に、わずかな塩と魔除けのハーブを入れて温めたミルクを飲ませれば良い。

 最後の夜、二人は夜通し語り合った。

 長い長い月日を巫女として生きていた幽霊の、楽しかったこと……悲しかったこと。そして数多の女を世話係として迎え入れてきたが、彼女ほど心を許し、そして安らげた存在はいなかったこと。……初めて抱きしめてくれた時に、忘れかけていた生を実感したことも。巫女は女に自分の全てを伝えた。

 そして二人は別れの口付けを交わし、巫女は神の元へと送られた。

 しかし、女は死者の声を聞くことができなくなった民の怒りに触れて、罪人として惨たらしく処刑され……顔すらも分からないほど、ボロボロになった遺体は寺院に放置された。


 彼女が、新たな巫女である。

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