レディ・ヘレンの憂鬱
僕の、僕たちの彼女はとても美しい。
艶やかな栗色の巻毛と、色鮮やかな青い瞳。薔薇色の唇と桃色の頬、ミルクのような肌と華奢な体は手足が長く、華やかなドレスもその身を彩る宝石も彼女の引き立て役にしかならない。
彼女に潤んだ瞳で見つめられ、花のような笑みと猫のように甘える声にはきっと、男女問わず誰もが虜になるだろう。
僕たちは、皆、彼女のおもちゃだ。
「……ねえ、ミシェル。聴いてくれた?彼の好きなもの」
「ええ、彼は心優しい……清楚で、人のために行動できる、そんな女性が好きみたいですよ」
「まあ……そう、そうなの。じゃあ、あなたはもういらないわ。さようなら」
……しかし、彼女には人を想う心がない。
目的のため、自分が誰よりも愛されていると自覚するため、そして人にアピールするために容易く人を誘惑し、そしてその目的が達成されたらあっさりと捨ててしまう。
そんな彼女が今、この世界で一番欲しいのは一人の男である。
彼はつい先日、役人としてやって来た貴族の男で、彼女が欲しがるような……目を見張るような美しさも、艶のある声も、彫刻のような肉体も、巨万の富も持っていない。けれどもとても仕事に熱心で誰にでも素っ気ない。……特に、女には。
彼女は自分に振り向かない男ほど欲しくなる女である。
甘い言葉で誘い、酒を飲ませあられも無い姿で誘惑した。……しかし、一向に男の心は揺らがない。
彼女は一番顔の良い奴隷に彼を誘惑するようにねだった。男色家なのかを知りたかったらしいが、どうやらそうではないようだ。
次に考えられるのは、精神的な病か……彼女が彼の好みに全く当てはまっていないか。前者ならともかく、後者ならば彼女のプライドが許すはずもない。そこでそれを調べるために適当に選ばれた奴隷が僕だ。
彼と職場が同じだからという理由で選ばれたものの、彼女の香水の、甘い花の香りと猫のような甘え声、華奢な体に擦り寄られ
「お願い……私、あなたのためならなんだってするわ」
と言われてしまったら、誰だって首を縦に振り彼女の欲しいものを与えるために奔走することだろう。
心の奥底では、深い……深い嫉妬ともに、ああ、あの男も不憫だ。彼女にさんざん振り回されて飽きたら捨てられてしまうのだと思っていたが。
必要な情報を手に入れた彼女は勝負に向けて準備を始めた。
清楚な自分を演出するために、膨大な衣装が詰まったクローゼットからドレスを選ぶ。可憐な花のような白い花を思わせるジョーゼット……繊細なレースを重ねた上品なドレスを身につけると、美しさを際立たせるような薄い化粧を施す。
仕上げに甘い甘い、花の香りの毒を纏い、欲望を満たすための彼女の戦の準備は整った。
「ごきげんよう、ロイスさん。今日はこれから休憩ですか?」
「ああ、ごきげんよう、ヘレン」
彼はいつも、役場からほど近いカフェのテラス席で昼食をとる。
彼女はそこで待ち伏せ、休憩をとる彼を同じ席に座るよう促した。そして同じコーヒーとサンドイッチを注文し、控えめな……まるで初心な乙女のように彼を誘惑するつもりなのだ。
しかし、彼はいつものように一定の距離感を保ち、彼女の誘惑に乗る気配はない。
……ふと、仕事で使っているメモに写真が一枚挟まっていることに気がついた。彼女は目敏くそれを見つけ、
「あら?それは……恋人のお写真かしら?」
と誘導する。すると彼はようやく、はにかんだ……まるで少年のような笑みで頰を染めた。恋人がいてもいなくても、彼女には問題ではない。にっこりと笑みを貼り付けながら、その向こうの奥底は……見てやろうじゃないの、その女を。そう忌々しそうに言っているかのようだった。
「田舎から出て来た時に、結婚を誓い合った女性です。彼女はとても心優しくて……自分のことより、家族や、僕のことを想ってくれる。物腰も品があって……ふふ、見てみますか?見惚れてしまうほど、とても美しい女性ですよ」
しかし、そこに映っていたのは、ほとんど開いていないように見える腫れぼったい瞼、団子のような大きい鼻、ぶ厚い唇と肥え太った体、とても……僕たちの常識の中では美しいと言えない……むしろ、醜女と自信を持って言える女性であった。
彼女の美しい顔が引き攣る。
離れた席から他の奴隷たちと一緒に様子を伺っていたが……僕たちは、その一瞬で彼のことが好きになってしまった。
みな、笑いを堪えるだけで精一杯だ。……ようやく、僕たちを振り回す彼女の見たかった顔を見せてくれた。
いつも自分を中心に世界が回っていると思っている女の鼻が、思い切りへし折られる姿を。
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