幸福の順番


 朝は六時に起床。

 部屋干ししたまま放置していた乾いた下着、肌着、シャツとテーパードパンツ、カーディガンを身につける。

 朝食は時間がないので水とプロテインで手軽に済ませる。

 化粧を直す手間を削るためには、費用がかかることなど気にせず、素直にデパコスに頼るのが一番。

 夏の湿気、冬の静電気に耐えうるように綺麗に髪を整え、そこで時刻は七時になる。

 仕上げに香水をひとふき。朝はシトラスの爽やかな香り、昼は甘いお花の香りになり、夕方はサンダルウッドの香りになる、お気に入りの香水だ。

 ピンヒールのパンプスをはいて、襟元にシルクのスカーフを結ぶ。

 これは百貨店で一目惚れをして、どうしても欲しいとはじめての給与で買った大切な宝物だ。……もちろん、初任給で何も高級品をご馳走することない親不孝な娘に、両親は今でも恨みを持っていて顔を見るたびにしっかり文句を言ってくるが。


 七時十五分。

 満員電車に揺られながら、スマホの着信やメッセージアプリの履歴を見て、そろそろ実家に連絡をしようと考える。

 ……きっと、いつも通り結婚を迫られるのだろう。

 実家にもどり親同士のつながりのある家の……実家から出る予定のないマザコン気味の冴えない男か、いい歳でチャラチャラ遊びまくってる男と結婚させられる。

 それも、幸せなのかもしれない。

 今だって、婚活を頑張っていても先に売れてしまうのはそういう女なのだから……私だって、そうなるべきなのかも。

 その方が、きっと私も幸せに生きられる。

 ただ……その時には、もう自分を奮い立たせるための、美しいシルクのスカーフもお役御免になってしまうだろうけど。


 七時五十分。

 途中コーヒーショップに寄りながら、ようやく仕事場に着く。

 私は今、憧れだったファッション誌の編集の仕事をしている。

 子供の頃は、そこにモデルとして関わるのだと思っていたけれど、今となっては裏方の……編集の仕事も悪くない。

「先輩、おはようございます」

 かわいい後輩もたくさんできた。私が手間暇かけて育てているからか、どの子も将来を有望視されているようだ。

 ……もう、自分の子供たち同然だ。

「おはよう。……へえ、いいじゃない。読みやすいし、あなたらしさも出てる」

 来月号に載せる原稿をチェックしながら褒めてあげると、後輩の三島という女は嬉しそうに頰を染める。その仕草がとても可愛らしく、時折羨ましくて……そんな自分が時々嫌になる。

 ふと、彼女はにんまりと、子供のように笑い私の耳へと淡いピンク色の唇を寄せる。

「そういえば、先輩……ふふっ、私聞いちゃって。あのぉ、専門誌の島田さんいるじゃないですか。……どうやら入社当時から先輩のこと、好きみたいですよ?」

「え」

 ……思わず間抜けな声をあげてしまった。

 島田は知っている。彼とは同期で身長が高い男だ。ただ、身長が高いだけで、話したことも片手で数えるほどしかないし、それ以外は何も認識していない男。

 それに入社してからもう六年経ってる。……そんな期間、私を?……無理無理、不可能だ。

「先輩、この間フラれたって言ってたじゃないですか。どうですか?島田さん」

 ……どうしてこんなにも、女という生き物は恋の話が好きなの?

 第一、私は仕事一筋で生きてきて……女として終わっていると言われてフラれたのだ、こんな私を好きになってくれるはずが……あるはずがない。

 ふと、視界の隅に島田の姿が映る。後輩だろうか、三島と良く一緒にいる男性社員と一緒にいる。彼はニヤニヤしながら島田の肩を叩くと、島田は痩せた体を居心地悪そうに縮こまらせて視線を伏せる。途端に頰に熱がこもるのを感じた。……もう、三島があんなことを言うからだ。

「あ……あ、青山さん、こんにちは。その、いつも思っていたんですが、そのスカーフ素敵ですね。やっぱりファッション誌の人はおしゃれだなあ……」

 ああもう、どうして男はこう……不器用に褒めるのだろう。

「……その、良ければ今度、ネクタイでも選んで差し上げましょうか」

 仕方のない男だ。

 ……この恋の始まりは、私からリードしないといけないらしい。

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