第10話
「さあさ、いっぱい食べてね。ひさしぶりのお客様だから張り切っちゃった」
マーサが満面の笑みで私にマカロニチーズの入ったお皿を勧めてくる。私はそれを自分の皿に盛り付けながら、自分の斜め前に座っているえらく姿勢の良い女性に視線をやった。
サラ・ウィーランが、目の前にいる。普段はヘルメットをかぶっているからこうやって素顔をちゃんとみるのは初めてだ。シワはあれど、肌は透き通るように白いし、化粧も気の強そうな雰囲気でばっちり決めている。クイーン。その言葉がピッタリだ。その手にある赤ワインがめちゃくちゃよく似合う。
「コーシロウも来てくれてよかったわ。ひさしぶりだもの」
「都合があってよかったです」
隣の光子郎はマーサに優しく微笑みかけている。この間のことがあって以来、なんだか少しすっきりしたようだった。
アランの家で食事会。私がお願いしたのだが、本当にサラ・ウィーランが来るとは。
光子郎、水下愛と一緒に来たはいいものの、私はサラ・ウィーランと話す勇気がなかった。
反対に、高校生の水下愛はあっけらかんとしていた。女子高生のコミュ力なのか、もともと強化選手だったのでそういう大人と話すことに慣れているのか、楽しそうにサラ・ウィーランと話している。初めて彼女の英語を聞いたが、かなり流暢だ。
サラ・ウィーランも迫力こそあれど、水下愛の質問にはきっちり答えてくれているし、意外といい人なのかもしれない。
「えっじゃあ、最初はインドアスカイダイビングだったんですか?」
「そうだよ。まあ、今はもうないけどね。コンテンポラリーダンスに転向して、自分の体でいろんな表現をしたくてやってみたんだ。で、それを見ていた今の事務所の社長が声をかけてくれたってわけ」
サラ・ウィーランがスペースダンスをやり始めたきっかけの話らしい。なるほど、彼女も別にスペースダンスに興味があって始めたわけじゃないのか。
「まあ、最初は推進装置の使い方がわかんなくてね。機械に体覆われて、細々した操作が必要だし、こんなのダンスじゃねえ! って思ってたんだけど。でも、外に出て、完全に無音の中で音楽とだけ向き合える心地よさを味わっちゃったら、やめられなくてね」
あっはっはと笑い、サラ・ウィーランはアランの方を向いた。
「それでね、アランに推進装置の使い方を習いに行って、マーサと仲良くなったんだ」
「えっ、アラン、ミズ・ウィーランに教えてたんですか!?」
私はびっくりして声を上げた。だってこの間誰かに教えたことあるかと聞いたとき、教えたことはないって言ってたのに。
アランもその会話を覚えていたようで、肩をすくめた。
「いやあ……。あのサラ・ウィーランがパッとしない戦績の俺に教えてもらってたなんて、あんまり良い話にならないだろう」
どうやらサラ・ウィーランに気を使って黙っていたらしい。でもサラ・ウィーランの方は一切気にした様子もなく、ワイングラスをアランに突きつけた。
「いやいや、あんたは元パイロットだけあって、推進装置の扱い方は誰よりもうまいよ。今だってそこらの若いやつに負けてないんだから。それにあんた、女性に人気あるじゃないか」
確かにアランは体を使った細やかな表現よりも、アクロバティックな演技が得意だし、同年代の女性の人気も高い。
「ふふ、アランはかっこいいもの」
マーサが笑った。アランも照れながらも嬉しそうだ。本当にこの夫婦は仲が良い。
「……あ、あの、ミスター・メルヴィル。お願いがあるんですが、私にも推進装置の使い方、教えてもらえませんか?」
「え?」
水下愛がいきなりそんなことを言ったので、思わず声が出てしまった。それを非難と受け取ったのか、水下愛が慌てたように続けた。
「いや、満子さんの練習が嫌とかじゃないんです。ただ、私、満子さんの足を引っ張っている状態ですし、ミスター・メルヴィルなら、確かにすごい演技をされているし、ミズ・ウィーランに教えたことあるならと思って……」
確かにあのサラ・ウィーランに教えたことがあるなら、すごい実績だ。当のアランは特に悩む様子もなく了承している。
「俺は構わないけどね。マコが気にしなければ」
なぜか急に決定権を委ねられ、動揺してしまう。
「で、でも、アランだって大会があるんじゃ……」
「たかだか一、二時間程度練習できないからって演技がブレるようじゃ、素人だよ」
サラ・ウィーランが辛辣なコメントをくれる。なぜだか外堀が埋まり、私は頷くしかできない状態になっていた。
「えっと……じゃあ、よろしくお願いします」
なんで私が頭を下げているのかよくわからない。水下愛の練習なのに。
「そうしたら演技の方に集中できますし、満子さんだって自分の練習もできますもんね」
水下愛にそう言われて、顔を上げた。
「私の練習?」
「ええ。だって、ずっと私の練習に付き合ってくれていたから、ほとんどできてないでしょ?」
「それは、別に必要なかったから」
確かに練習はしていなかったけど、今のところ水下愛との大会以外考えてなかったので、特に練習する必要もなかった。
「社長からソロの大会出ていいって許可でましたよね?」
「ああ」
そういえば、一連の騒動で忘れていたけれど大会に出ることは許可されていた。ただ水下愛とその父親の勝負のせいで、自分のことを考えるのは後回しにしていた。
「今度の選考会のソロのほう、出ればいいじゃないですか」
「うん……ん!? なに言ってるのかな!?」
突拍子もない水下愛の発言に、びっくりする。
「選考会って、今度の世界大会の? なんだ、あんたソロで出るの?」
なぜかサラ・ウィーランが食いついてきた。慌てて誤解を解こうと手をぶんぶんと横にふる。
「違いますよ、デュエットで出る予定なんです。この子の進退がかかってるっていうか。ソロに出る予定なんてありませんよ。だいたい、今から掛け持ちなんて無理でしょ。準備期間が足りないって」
ただでさえデュエットの方が不安で仕方ないのに。
「そんなことないと思いますけど。それに私、満子さんはソロやったほうが良いと思います」
「やったほうが良いって……。いや、別にずっとやらないわけじゃないよ。今回はデュエットに集中したほうが良いと思っているだけで」
「出なよ。絶対に出な」
「なんでそんなにぐいぐい来るんですか」
身を乗り出しているサラ・ウィーランに呆れてしまう。子供みたいに期待に満ちた顔をしている。
「だってあんた、ソロででっかい大会に出ようとしたことないだろ? デュエットのときはあんなに散々出といて」
月子と組んでいたときのことを知っているのか。眼中にもないと思っていたから意外だ。ちょっとうれしくなってしまう。
「それはソロに転向したばかりだったので。いきなりそんな大きいのは気が引けたと言うか。それに結局、いつも微妙な順位ですし……」
そう言い訳みたいなことを言うと、サラ・ウィーランは至って真面目そうな顔で、けろっと言った。
「ワガママが変に遠慮してるからダメなんだよ。あんたは絶対ソロがいいよ」
面食らう。ワガママだって? 私が? どこが? 思い当たるフシがなくて、なにも言い返せないでいると、光子郎が横から口を出してきた。
「失礼ですけど、俺は秋月はデュエットのほうが向いていると思います」
「いいや、絶対にソロだね」
「彼女のこと、なにも知らないのによく言えますね」
「あんただってスペースダンサーじゃないのに、よくそんなこと言えるね」
な、なんだこれは。なんで光子郎とサラ・ウィーランが言い合いしてるんだ。口を挟む間もなく、ふたりはどんどんヒートアップしていく。
「秋月は相手に合わせて動いてるのに、自分を見失わないでいられる才能があるんだから、絶対デュエットに向いてるんです」
「そんだけ我の強い人間だってことだろ。だったらソロに向いてるに決まってるじゃないか」
「お、おいおい、ふたりとも。落ち着きなさい」
立ち上がった光子郎とサラ・ウィーランを、アランが宥めている。
「サラはどうせ、マコのダンスを見たいだけでしょう?」
マーサは困ったように笑った。マーサの言葉にぎょっとする。すごいことを言い出した。世界的に有名な選手が、ソロでは無名の私のダンスを見たい? そんなわけあるか、と否定しようとしたらサラ・ウィーランがどっかり椅子に座り直した。
「そりゃそうだろ。才能ある若手と競い合わなくてどうするのさ。スペースダンスは別に相手と戦うんじゃなくて、自分の演技を馬鹿な審査員に点数をつけてもらうんだから。いろんなダンサーから刺激をもらわないと、私だって限界に近づけないんだ。才能あるやつはどんどん大会に出たほうがいいんだよ」
ひえ。あのサラ・ウィーランに才能がある、なんて言われたら居たたまれない気持ちになる。そこで舞い上がれるほど自信がなかった。そしてふと、気づいたことがあり、サラ・ウィーランに尋ねる。
「選考会ってミズ・ウィーラン出ませんよね? ということは、見に来てくれるんですか?」
「え? シード選手がわざわざ選考会なんかいかないよ。本戦でやってよ」
めまいがしてきた。この人はつまり、あと数週間で準備して、私に世界大会まで上がってこいと言っているのだ。めちゃくちゃだ。
なんと返そうか迷っていると、水下愛が話しかけてきた。
「満子さん、この間、ミズ・ウィーランの演技を見たときに羨ましいと思ったって言ってたじゃないですか」
「え? ああ、うん……」
本人の前で言わないでほしいと思いつつ、もう仕方がないと諦めて流れに身を任せていた。
「私、ミズ・ウィーランの演技をすごいと思いましたけど、そんな風に考えたことなかったんです。羨ましいって、つまり、そうなりたいってことじゃないですか」
あ。
図星を指され、恥ずかしくなる。顔が熱くなるのがわかった。本人の前で言われたからか、高校生に指摘されたからか。はたまた、自分自身がようやく気づいたからか。
聞いていたサラ・ウィーランは、ああ、なるほどとわかったような顔をして、私にとどめを刺した。
「なんだ、マコ。あんたかっこつけてただけじゃない」
「う、うわあああ言わないでくださいよおお」
思わずテーブルに突っ伏して叫ぶ。急にやってきた自分のかっこ悪さに頭を抱える。
「え? なんだ? なにがかっこつけてたんだ?」
空気の読めない光子郎が聞いてくるが、答えたくなくて唸る。
「うるさい、あんたは一番聞かなくていいわっ」
「あらあら、マコ。大丈夫? お水でも飲む?」
マーサがよくわからない優しさを発揮してくれるが、邪険にも出来ず、私は水の入ったコップを受け取ってそれを一気に飲む。おかげで少し落ち着いた気もする。
そんなことはお構いなしにサラ・ウィーランは私を指差しながら、光子郎に言った。
「コーシロウ、この人、どーせ妹のことでグダグダ悩んでるのを建前に、自分でやりたい踊りが表現どころか、形として捉えられなくて、私のことを羨ましいって思ってたのさ。いわゆるただのスランプというか、自分のダンスと向き合ってなかっただけだろ。あーかっこ悪い」
サラ・ウィーランは私に一体なんの恨みがあるのか、全部ぶっちゃけてきた。というか今日あったばかりなのになんでそんなことがわかるんだろうか。
しかし違う、とは言えなかった。彼女の言っていることは悔しいことに真実だ。
「秋月……」
光子郎が私を見てきた。その視線の意味を読み取りたくなくてさっと顔を背ける。やめてほしい。いや、月子のことでずっと悩んでたのは本当だけど。そちらに気を取られすぎていたのかもしれない。でも数日前に思ったことすら、無駄だったのだ。
なにを目的に踊ればいい? ちがう。踊ることが目的なのだ。私たちは、スペースダンサーは、ワガママだ。命懸けで、自分たちの踊りを追い求めてしまう。
月子がいなくなって、私の踊りはゼロから構築しなければならなくなった。ただ、月子に見捨てられたような気持ちになって、そのせいにして、探すのをどこかでやめてしまっていただけだった。
だから羨ましい、と思っていた。サラ・ウィーランのあの気持ちのいいダンスを、自分でもやりたいと思ったのだ。
「ね、満子さん、ソロもでましょうよ」
水下愛が無邪気に勧めてくる。この子はたぶん、事の重大さをわかっていない。けれどその無邪気さが私の変なプライドを壊してくれたのかもしれない。
深呼吸をする。
水下愛に「どうしてずっとダンスをやってるんですか」と問われたときから、本当はもう答えは出ていたのかもしれない。
これしか、ないのだ。
あのときとは違うのは、他になにもないからじゃない。私にはこれしか、ないのだ。だってもう、他のなによりも当たり前のように、自分の居場所になっている。
踊らないなんて選択肢はなく、踊るための理由なんてなく。
――ただ、そうしたいから。
「あー……、なんか悩んでるのがバカバカしくなってきました」
私は思わず立ち上がる。みんなに注目される中、啖呵を切った。
「わっかりました、デュエットもソロも両方出ますよ!」
おーっと拍手されるが、全然嬉しくない。だってこれからの準備を考えると、その拍手すら、地獄への扉が開く音に聞こえた。
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