第8話

「秋月」

 事務所の窓の外に見える地球を眺めていたら声をかけられた。来たか、とため息をつく。努めて愛想よく笑いながら、振り向いた。

「なーに、光子郎」

「社長がお怒りだな。昨日の練習の件で」

「あぁ、うん」

 ダメだ、気が重い。私はやれやれと立ち上がる。

 昨日はあれから訓練室を勝手に使って、水下愛と二時間ほど練習した。そのことが社長の耳に入っているのは明らかだった。お叱りは甘んじて受けよう。いや、あんまり怒られたくないけど……。

「しかし本当にひねくれ者だな……。応援しろって言った俺も俺だけど、まさかストップかかってからちゃんと練習見るとは思わなかった。どんだけひねくれてんだよ」

 光子郎が呆れたように後ろからついてくる。

「うるさいな、私だって必死なんだって。ていうか、なんでついて来るの」

「まあ、男手が必要なこともありそうだから」

「なにそれ」

 意味のわからないことを言う光子郎に眉をひそめた後、一昨日のことを思い出した。足を止めて光子郎を振り返る。

「あのさ、一昨日、私がこうなってるの光子郎の責任って言ってたけど、あれなんなの」

「それは……今度話すよ」

 露骨に目をそらされたので、諦めて社長室のドアをノックして入る。そこにいるのは社長だけじゃなかった。もう一人、社長と同じくらいガタイのいい男と、水下愛がいた。水下愛は元気なく項垂れている。

 ガタイのいい男は振り向いて、すごい剣幕で睨んできた。

「アンタか」

 力強い眼力に圧倒されて、思わず後退してしまう。

「は、はぁ」

 なにがだろう。私は曖昧に返事をする。彼はどかどか私の前に来ると、掴みかかるような勢いで顔を近づけてくる。

「愛はもう、ダンスをやることはない。勝手に練習に付きあわせないでくれ」

「えーっと、もしかして……水下さんのお父さんですか」

 見当がついて尋ねると、彼は顔を遠ざけた。

「そうだ」

 光子郎をちらりと振り向く。なるほど、男手が必要になりそうだ。でもこれ、絶対光子郎じゃ抑えきれないと思うけど。

「アンタが昨日愛に言って練習させたらしいじゃないか」

「お父さん、だから違うって。私の練習に付き合ってくれたんだって」

 水下愛が懸命に父親に訴えかけているけれど、彼は聞く耳を持っていないらしい。なるほど、これは頑固そうだ。嘘をついてしまいたくなる気持ちもわかる。

「もうリハビリも終わってるんだ。地球に帰るぞ」

「ねえ、だから、聞いてよ」

 父親の腕を掴んで、水下愛が懇願するが聞き入れて貰えそうにない。私はどうするべきか、社長を見た。社長はどちらの味方になることもできず、困った顔をしているだけだった。そりゃそうか。スペースダンスを否定することもできないし、かと言って、水下愛に味方することもできないだろう。

 昨日のことを思い出して、私は水下愛の父親に向き直る。

「あの、私、秋月満子と言います」

「名前なんぞ聞いていない」

 凄まれたが、今度の私は怖気づくことなく話し続けた。腹が据わるともう怖くなかった。

「私には妹がいました。彼女は三年前に演技中、デブリとの衝突で亡くなりました」

 父親が黙った。それ見ろと言わんばかりの顔をしているけれど、それでも黙っていてくれるあたり、一応聞く耳は持ってくれたのか。

「危険なスポーツです。私もお嬢さんにやらせるべきじゃないと最初は反対しました」

「だったら」

 父親が口を開こうとしたのを手で遮る。

「正直うまく説明できません。だけど……彼女とちゃんと話しているうちに、やってみないとわからないことがあるなら、確かめるべきだと思ったんです」

「やってみて、死んでしまったら意味がないだろう!」

 カッとなった父親が、そう怒鳴った。今にも掴みかかってきそうだったけれど私は説明を続ける。いざとなったら光子郎が間に入ってくれると心の中で祈りながら。

「そうかもしれません。でも、それって、残された人達が思うことですよね」

「何を言い出すかと思えば屁理屈か……!」

 うまく伝わらないことは承知の上だった。こんなに抽象的でワガママなことを言ったって、きっと娘を心配する父親に伝わるわけがない。納得してもらえるはずがない。でも言わずにはいられない。だって、そうだ。

「確かめないまま生きていくのは、辛いんです」

 どうしたらいいのか、どうしたら伝わるか。もどかしい。私は胸元辺りをギュッと掴んだ。Tシャツの生地がずいぶん柔らかいことにホッとして深呼吸する。

「確かめないまま、大人になっていったら、きっと……ずっとなにもできません。進めないんです。なにかに夢中になることもないだろうし、ずっと心の奥で後悔すると思います」

 そうだ。私もそうだった。月子が考えていたことを知りたくて、ずっとひとりでダンスを続けていた。

 その言葉はもう、説得のためのものではなかった。真っ直ぐに水下愛の父親を見る。伝わらない。伝わるわけがない。でも諦めたくない。

「お嬢さんはシンクロ以外のなにかを見つけたくて、スペースダンスを始めました。実際にやってみて、全然楽しくないって言ってましたけど、でも、推進剤を使って真っ直ぐ進めたとき、気持ちよかったとも言ってました。自分でダンスを好きになれるかどうか確かめるために続けていきたいと言っています。私はそれを、応援したいんです」

「俺は娘を死なせたくない」

 目の前の父親が絶対的に正しい。私はただ無責任なことを言っているだけ。そんなことは痛いくらいにわかっている。

 私が説得できるなんて思っていない。でも、知っていてほしかった。水下愛がなにを考えていたのか。

「アンタと愛がなにを話したか知らないが、部外者がどうこういう問題じゃないんだ」

 さすがの私も黙った。だって彼女と出会って今日でまだ五日目だ。それに、私は彼女のことを本当になに一つ知らないのだ。どんな子なのか、なにが好きなのか、どんなことを考えるのか。全く尋ねないまま、ここにいる。

 そんな人間がなにを言っても説得力がないのはわかっていた。仕方ないので、私は妥協点を探ろうと尋ねた。

「外の大会に出ないなら、危険なことはないですし、それならいいんじゃないですか」

「それは嫌です! それじゃあスペースダンスをやってることにはならないじゃないですか!」

 すかさず水下愛が反対した。ここで嘘でもそう言っておけばいいのに、彼女はバカ正直に父親に向き合った。

「ねえ、お父さん。聞いて。私、このまま地球に帰ったらきっと後悔する。きっと私、秋月さんが言うように、なにもできないままだよ。普通に学校に行って、水泳部にでも入って適当に部活して、誰かと恋をしたりするかも。それで、卒業して、大学に行って、仕事して、もしかしたら結婚するかもしれない」

 一気にまくしたてられた未来予想図に、私は目を丸くする。父親の方も困惑しているようだった。

「でも、きっと今ここで帰ったら……自分の望んでいるものじゃなくて、そういうの全部、適当にすませちゃうと思う。これでいいかって、妥協しちゃうと思う」

「何をバカなこと」

「だってそうでしょ? 本当にやりたいのか確かめることができないままだったら、きっと私、ホントに望んでいるものがわからないままだよ」

「死ぬよりマシだろう?」

「ホントに? それって生きる意味あるの? 楽しいの? 幸せなの?」

「いい加減にしろ、そんなことどうだっていいだろう!」

 堪り兼ねて父親が怒鳴ると、水下愛も負けじと大声で言い返した。

「私の人生なの! お父さんが責任取ることなんてできないじゃん!」

 親の願いに、子どもは本当にバカみたいに逆らう。愛してもらっているのに。心配してもらっているのに。それでも子供は自分勝手に、自分のやりたいことを突き進もうとしてしまう。

「親より先に死ぬ子どもになるのかお前は!」

「ならないかもしれないじゃない!」

 ヒートアップしてきた二人に、私はオロオロするばかりだった。火に油を注いだのは私だったが、もはや着地点が見えなくなってきていた。そのとき、私の後ろにいた光子郎が前に出た。

「すみません、ちょっと」

「なんだ!」

「私、この事務所でマネージャーをやってます。竹山光子郎といいます」

「部外者は黙っててくれ!」

「秋月が、うまく説明できなかったので、一応私もお話ししとこうかと」

「だから黙れと……!」

「秋月月子は私の婚約者でした。彼女が死んだ三ヶ月後に籍を入れる予定でした」

 私は思わず固まった。一体何を言い出すのかと思えば、この状況をもっとかき回す気か、こいつは。油を注ぎに行った。

 水下愛の父親も唖然としている。社長も空気を読めと言わんばかりに額に手を当てている。

 光子郎の言ったことは、真実だった。月子と光子郎は結婚するはずだった。彼の左手に光る、結婚式で使われるはずだった指輪。見るたびにいつだって痛々しくて、外してほしいと思うくらいだった。

「籍を入れる前に、彼女がひとりで宇宙に出ることに私は反対しました。でも、彼女はどうしても大会に出たいというので渋々OKしたんです。……俺は今でも後悔しています。あのとき無理やりにでも止めていれば、彼女は生きていた」

 彼の言葉に殴られたみたいな気分になった。光子郎がそんなことを悩んでいたなんて知らなかった。一度もそんな話をしたことはない。そして、月子を止めていたらなんて、そんなこと一度だって考えなかった自分を恥ずかしく感じた。

「だったら、あんたは俺の気持ちが……」

「わかります。すごくわかるんです。あなたが言っていることは正しいし、ぜひ娘さんを止めてほしいと思います。だって、絶対後悔するから」

 光子郎は水下愛の父親を見た後、苦しげに顔を歪ませた。

「でも……もし、もしも……月子がどうしてもあの大会に出たいと言ってきたら……。あの時に戻って、もう一度そう言われたら。未来を知っていたとしても俺は……きっと、彼女をもう一度行かせてしまうと思います」

 その場が一瞬静かになった。思いがけない言葉に、誰も何も言えなかった。いや、それでも水下愛の父親は、口を開いた。

「アンタは、アンタの婚約者をもう一度死なせる、ということか」

「すごく矛盾しているのはわかります。絶対に死なせたくないんです。生きていて欲しかったんです。でも」

 ちらっと光子郎が私を振り返った。けれど視線を父親に戻すと、またぽつぽつと話し始めた。

「大会に出る前、彼女が悩んでいるのを知っていました。自分は姉がいるから、スペースダンサーとして評価されていると。だから自分自身でやっていけるようになりたいと言っていたんです。彼女が自分の人生を生きようとしているのを、俺はどうしても止められなかった。反対できなかった。俺にそんな権利なんてないと思った。……同じようにあなただって、娘さんの人生を決める権利はないんです」

 ガン、と衝撃を受けた。この三年間、知りたかったことが目の前にあった。月子がなにを考えていたのか、光子郎は知っていた。どうしてソロでやりたがったのか、こんな時にわかるなんて。月子がそんなことを悩んでいたなんて、全然気づかなかった。

「俺は親だぞ」

「娘さんは、ひとりの人間です」

 その言葉に、月子が光子郎について嬉しそうに話していたことを思い出す。「彼は、私のことを尊重してくれる」と言っていた。きっと月子がソロで出ると決めたときもそうだったんだ。そしてその決断が、おそらく彼を三年間苦しめていたのだ。

「俺は宇宙にいる月子が、一番幸せなのを知っていました。見ていればすぐわかりました。彼女に幸せでいて欲しかった。彼女が自分で決めたなら応援したかった。あなただって、娘さんにそう思っているはずです」

「……それはそうだが」

 父親が唸るようにそう言った。幸せでいてほしいのに、どうしてか、自分の気持ちを伝えるとそうはならない。人は驚くほどやっかいだった。

 しばらく沈黙が続いた。誰も彼ものワガママが入り混じって、収集がつかなくなっていた。そこへいきなり、社長が口を開いた。

「……愛ちゃん、どうしても、ダンスをやりたいんだな?」

 水下愛は社長を振り向いて、黙ったまま頷いた。それを見て社長も頷き返した。

「よし、それならここはひとつ賭けをしないか」

「賭けだと?」

 なにをふざけたことを言うんだと再び激高しそうになった父親を、社長がすっと右手で止めた。

「ここでずっと言い争っていても埒が明かないでしょう。それに、愛ちゃんの性格から考えれば無理やり止めても隠れてやり始めちまうだろうし。そんなことになったら、なにかあったとき後悔するじゃないですか。それくらいなら、いっそお互いに続けるかやめるかを賭けて、納得できる形にしてしまったほうがいいんじゃないですか」

「…………」

 さすがに水下愛の性格をよく知っているのか、父親は思案するように黙った。まあ親に嘘をついて宇宙に出ようとしていた子だ。このまま素直に引き下がるとは思えない。

「でも賭けって、なにを賭けるんです?」

 水下愛は乗り気だった。少しでも可能性があるのなら、やり遂げようというのだろう。

「出ようと思っていた大会は三ヶ月後だったろ」

「ええ、そうですね」

 社長の言葉に私が頷いてみせると、彼は大胆な提案をしてきた。

「来月、デュエットの選考会があるだろう。そこに出場して、みんなで決めた平均点スコアを上回れば愛ちゃんの勝ち。下回ればお父さんの勝ちだ」

 スペースダンスの得点の付け方は、審査員五人がそれぞれ十点満点で得点をつけていく。そしてその平均スコアを競うものだ。つまり、ここでその平均スコアを約束して、それより高ければ水下愛は宇宙に出られる。

「って……選考会って、年末の世界大会の選考会ですよね!? そんなのに出場しても恥かくだけでしょ! っていうか、デュエットってことは私も出るんですか!?」

 社長の提案に思わず反対した。プロ向けの選考会に訓練一ヶ月のダンサーが入るとかとんでもない。そしてそこに私を入れないでほしい。確かにあれはエントリー式なので誰でも出られるけど、私だってソロでもエントリーする気なかったのに。

「しかしグラビティドームでやるんだろ? さすがに事故はないだろうし、普通の室内大会よりも会場広いし、お前もついてれば安心だしな」

「やります、絶対に」

 水下愛は前のめりで賭けを承諾してしまった。……私も一緒に出なくちゃいけないはずなのだから、一応私の了承も聞いて欲しかった。

「じゃあ、その平均点のスコアは何点にするんだ。優勝か?」

 父親の方も乗り気のようだった。そりゃまあ、事故の少ない室内ダンスだし、しかもプロ向けの大会だったら水下愛が負ける可能性は高い。彼にとってもいい話だ。

「そんなの無理に決まってるでしょ! 私素人だよ!? 賭けにならないじゃない」

 水下愛が叫んだ。確かに今の私たちでは優勝どころか上位十位以内に入るのも難しいだろう。

 父親が腕組みして不満そうに私を指差してきた。

「だけど、こいつはプロじゃないのか?」

 人を指ささないでほしい。私はおずおずと言った。

「あの、一応参考までに言っておきますがお嬢さんは……ド下手です」

「……ド下手か」

 私の言葉に彼女の父親は神妙に頷いた。やっぱりな、というところか。

「ちょっと! ド下手ド下手言わないでください! 頑張ってるんですから!」

「いやでも、本当にド下手だから……」

 水下愛に詰め寄られて、私はしどろもどろになる。ド下手以外に言いようがない。

「だいたいパートナーに対してそんなこと言わないでくださいよ。褒めてください! 私、ちゃんと真っ直ぐ飛べたんですよ!」

「三日かかってるじゃん……」

 なぜか矛先が私に変わってしまい、水下愛から逃れようとそそくさと光子郎の後ろに隠れる。その間に父親が考えをまとめたらしく、口を開いた。

「十点満点だったな、スペースダンスは」

「ええ、はい」

 私が返事をすると、父親は渋々言った。

「……なら、半分の五点だ。半分も取れれば、まあ勝てなくともある程度できてるってことだろ? どうだ?」

 水下愛はちらっと私を見てきた。世界大会の選考会なので、たぶん、審査員の目は厳しい。五点も取れるだろうか。だけどそれ以下だと低すぎる気もした。ソロなら余裕なのになあと思いながら、それでも私はこくりと頷く。

「わかった。じゃあ、五点取れたら絶対反対しないでよ」

「ああ、約束する。お前もダメだったときすっぱり諦めて地球に帰るんだぞ」

 親子の約束を見ながら私は気が重たくて、ため息をついた。悠長なことはもう言っていられなかった。ついこの間まで三ヶ月でも焦っていたというのに、あとひと月でこのド下手を五点クオリティにしなければいけないのだ。

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