第3話
月曜日、練習場のスケジュール確認をしに事務所に行くと、光子郎に呼び止められた。渋い顔をしていたので、なにかやらかしたのだろうかと心配になって身構える。
「社長が呼んでる」
「ええ……それいい話なんでしょうね」
今度はこちらが渋い顔。光子郎は首を横に振った。
「そんなわけないだろ。早くいってこい」
「今度は一体どんなお叱りなの」
思い当たる節は今のところない。光子郎がぼそっと呟いた。
「お叱りよりやっかいな案件だぞ」
「え?」
聞き返しても、彼は素知らぬ顔で早く行けと私を追い払うように手を振った。
仕方なく社長室まで行き、ドアをノックをしてみると機嫌の良さそうな声が返ってきた。意外だ。そして逆に怖い。
ドアを開けてみると、背が高くてガタイも良い、ひげ面の社長と、知らない女の子がソファーに向かい合って座っていた。
「あ、失礼しました。お客さんでしたか」
入ろうとした動きを止めて謝ると、社長は構わないから入れ、と合図してきた。
私は内心首を傾げながら、部屋に入る。そして女の子に軽く頭を下げて挨拶した。中学生か高校生くらいの子どもだった。黒く長い髪で、一見昔の日本美女を連想させるけど、身体は肩幅がしっかりしていて、筋肉質だ。きっと何か運動をやっていたんだろう。彼女は私と目が合うと、立ち上がり、礼儀正しく頭を下げてきた。
「はじめまして、水下愛です」
「どうも」
ずいぶんしっかり挨拶をされて戸惑う。座っている社長の方を向く。
「まあ、座れ」
社長の隣へ案内されて、素直に座る。水下愛という少女もソファーに座りなおした。
「こちらの愛ちゃんは、大学でお世話になっていた先輩がいてな、その人の娘さんなんだよ」
「はぁ」
唐突に始まった話に、私はいまだ飲み込めず、曖昧な返事をする。
「今、十六歳だったかな?」
「はい、今年で十七になりますけど」
社長の確認に、水下愛は頷いた。年齢を聞いて、一回り以上年が離れていることに気づき、くらくらする。もはや私にとっては新人類の域だ。私もそんな歳になったのか。
「で、お前、この子にスペースダンスを教えてくれ」
「……は?」
唐突な社長の言葉に、私は目を丸くした。
「あの、それは教室とかそういう……」
「いや、大会に出るための特訓だ」
言われたことを飲み込めず、冷ややかな目で社長を睨む。
「子どもは出られませんけど」
「それは前例がなかったからだろ。既定上は十六歳からだろ? 問題はないはずだぞ」
「今まで前例がなかったのは、誰もさせなかったからじゃないんですか? これまでだって最年少は二十二歳だったはずです。それに、ルールが十六歳以上でOKだからといって、簡単にやらせていいものでもないでしょう。お断りします。絶対イヤ。責任なんか取れないし、子どもが遊びでやるもんじゃないです」
「責任は自分で取れます」
水下愛が口を挟んできたので、そちらに視線を向けた。子どもにしては必死な表情だった。
「遊びでやるつもりはないです。船外活動のDライセンスだって取っています」
「そりゃすごいけど。でもね、命綱なしとありじゃずいぶん違うから。頼むなら他の人にしてくれない」
「お前と違って、みんな興行とレッスンで忙しいんだよ……」
社長が唸った。スターダスト事務所は、私を含めて十三人のスペースダンサーを雇っている。大体みんな、イベントや教室のレッスンの担当をしている。
もともと私と月子はスターダスト事務所の花形選手だったので、そういったことは免除されていた。大会で優勝すれば教室の呼び込みや、事務所の宣伝になるからだ。優勝し続けていたおかげでほとんどの時間を練習に使えていた。
「教室に通わせればいいじゃないですか」
ムーンベースに人が住み始め、手頃な値段で宇宙服を買えるようになってから、スペースダンスは宇宙飛行士だけのものではなくなった。
スペースダンスは今や、年代国籍性別問わず、宇宙生活の大人気スポーツ。室内の無重力空間でスペースダンスを習っている人はたくさんいる。スペースダンス教室を開いている所もうちだけじゃない。
「それじゃ、間に合わないんです」
水下愛がそう言った。
「なにに?」
「六月の大会に」
「は? え、ちょっと待って。あなた、六月の大会って……あれ、会場は外だけど、出場するつもりなの!?」
外、というのはもちろん宇宙空間に出ることだ。今は二月の半ばだ。彼女の言っている大会が、スペースダンスの大会のことならば、あと三ヶ月半ほどしかないことになる。室内大会ならともかく、本当のスペースダンス大会に出るなんて、死ににいくようなものだ。
「ええ、そうです。資格はあります。十六歳以上、船外活動免許も」
平然と言ってのけた彼女に、思わず怒鳴る。
「素人がたった三ヶ月で訓練して出られるわけないでしょう!」
スペースダンスをナメているとしか思えない発言に、腹がたった。
私の大声にも水下愛は眉一つ動かさず、じっと私を見返してきた。
「知っています」
彼女の声は落ち着いていて透き通るかのようだった。声を荒げた自分が恥ずかしくなってくる。
「秋月さんにお願いしているのは、六月の大会がデュエットだからです。できれば私に教えて頂いて、一緒に出場して欲しいんです」
「なんのために?」
完全に頭のおかしいプランだ。三ヶ月で素人を訓練して、パートナーとして演技を合わせていくなんて、絶対無理だ。
しかも彼女は私に一緒に出場してほしいと言った。初めて会う人間にどうして頼めるのか。デュエットパートナーというのは、いわば命綱だ。宇宙の中で、お互いしかいない状況で踊る。つまり、それには信頼関係が必要なのだ。
水下愛はすぐには答えなかった。しばらく沈黙した後、ようやく一言ぽつりと言った。
「私のワガママです」
まったく納得できない回答に眉をひそめる。
「私にメリットもないどころかデメリットなのに、あなたのワガママに付き合え、は、ないんじゃない」
「満子、いいだろう」
社長が口を出してきた。
「六月の大会は、アマチュアも多いし、そんなに格式張ったものじゃない。肩慣らしとして始めるにはちょうどいいだろう。愛ちゃんだって、お前がきちんと面倒みてくれればいい」
「だからって、いくらなんでも」
私がまだ反論しようとすると、社長がそれを止めた。
「そのうち言おうと思っていたが、お前はしばらくソロで大会に出るのは禁止だ」
「は?」
ガツンと殴られたようにショックが走る。思わず後ろによろけた。
「先月のこともある。ずーっと練習しっぱなしだったし、しばらく休業させる。愛ちゃんのことがなければ外回りに行かせるつもりだったんだ」
「そんな勝手に……! 大体、あれは機械の故障だったって言ってるじゃないですか!」
「点検ミスなんて凡ミスをするならなおさら出すわけにはいかない。それにな、お前はソロになってから優勝していないし、ここいらでデュエットに復帰してみたら……」
「だからって素人と組ませるなんて、なに考えてるんですか! 本気ですか?」
「きちんと面倒を見ろ。愛ちゃんとデュエットの大会に出たら、ソロの出場も考えなおしてやる」
そう言われると選択肢はなかった。出ればいい。なら、酷くてもいいのだ。とにかくこの子と出れば、私は大会に出られる。
「……わかりましたよ」
私が渋々頷くと、水下愛が目を丸くした。自分が頼んだのに驚いているようだ。けれど礼儀正しく、頭を下げてきた。
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
「ま、愛ちゃんは運動神経がいいからさ。すぐ慣れると思うよ」
社長の大笑いを聞きながら、私はうんざりして天井を仰いだ。
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