第2話


 月子が死んだのは、三年前のことだ。私たちは二人で踊り、大きいデュエット大会で優勝し続けていた。

 けれど、月子が一人で出場したソロの大会。小さなデブリとの衝突で酸素タンクが破損した。演技が終わる瞬間の事だった。


 タンクから空気が溢れだしていたが、それでも月子は推進剤でうまくバランスをとっていた。普通、演技の終わる頃には推進剤なんてほとんど残っていないはずなのに、彼女は天才的なバランス感覚の持ち主だった。おかげで吹き出す酸素によって回る身体でも、彼女の身体は宇宙のどこかへ行くことはなく、会場内になんとか収まったままだった。

 そうして彼女の右手が上へと持ち上げられた時、彼女はそのまま窒息死した。苦しむ素振りも見せず、穏やかに。


 助けに行く暇もなかった。救助は遅かった。


 私はムーンベースからそれを見つめていた。漂っている月子を見て、何の冗談かとその場にへたり込んでいた。周りが騒然となっているのがゆっくり聞こえてきた。

 元々天才的な日本人ダンサー・かぐや姫と呼ばれていた妹は、その死によって歴史に名を残す人になった。

 スペースダンサーの死亡事故は少なくない。けど妹の死は、かぐや姫が月に帰ったのだと報道されて、今では誰もが知る悲劇のヒロインになってしまった。

 未だに人は、私を見てその話をする。壮絶な最期。彼女の右手が優雅に上へとなびいた瞬間、それは誰かに助けを求めているとも、ダンスの表現のひとつだったとも受け取れた。

 最期まで、彼女はきらびやかだった。そして最期に差し出されたその右手は、月へと向けられていた。妹の右手は一体何を求めているのか、今でも分からない。


「満子ちゃん、私、ソロやってみようと思うの」


 月子がそう言ったとき、私はどういう顔をしていたのかわからない。少しの驚きと、かなりのショックで彼女を見つめていたからだ。返事は今でも覚えている。


「そう」


 たったそれだけだった。それでも月子は長い黒髪を揺らして、微笑んでいた。


「三ヶ月後の大会に向けて練習するから、夜遅くなるかも」

「じゃ、ご飯は各自で食べなきゃね」


 何でもないふりをした。

 そういうこともあるんだろう、と思おうとした。今まで二人でやってきたのに、一体どうして、と聞くべきだったのに、私はどうしても聞けなかった。

 置いて行かれた気持ちだった。確認したくてもできなかった。本当に置いて行かれるのも怖かったし、そういう気持ちを認めたくなかったのもあった。

 いくら想像しても、片割れの気持ちなんてさっぱりだった。そして、最後まで勇気がなくて聞けずじまいで終わった。

 月子がいなくなってから、その答えを知らないままでいるのは辛かった。だから妹がひとりで踊ったように、私も後を追ってソロで宇宙へと出た。

 ソロになって三年、正直結果は芳しくない。常に十位以内に入っても、優勝はできない。表彰台にも上がれない。上がらなければ名前も出ない。かぐや姫がいたから、私は優勝できていたのだと言われ続けている。

 それでもやめられなかった。どうしても月子がソロでやりたがった気持ちを知りたかった。それにやめたところで、たったひとりでなにをすればいいのかわからなかった。

 そうした挙げ句、優勝のイメージすらできないことを突きつけられたのだ。


「ソロじゃなくてデュエット復帰も考えてみたら」


 光子郎の言葉は、私にとってまるで甘い罠のようだ。

 独りの宇宙は恐ろしい。これまでずっと、パートナーを見ていたのに、独りになった途端、狭い視界の中でなにを見ていたらいいのか見失うのだ。

 月子がいなくなってから、なにを軸にしたらいいのかわからなかった。わからないまま、ひたすら踊り続けた。もがき続けてもいた。

 答えの見つからない演技に、半ばやけくそになっていたのかもしれない。それがいけなかったのだと思う。先月の事故は、幸運だった。だって、きっともっと酷いことになっていたはずだ。いずれにせよ限界は来ていた。

 演技中に右腕の推進装置が故障した。感圧によって噴射される推進剤の噴射口の部分だった。少し握るだけで、大量に推進剤が発射されてしまった。

 パニックになった私は、初めて宇宙に出た人のように、無様にぐるぐる回った。

 回っていたのはほんの二十秒ほどのはずだ。左腕の推進装置でようやくバランスをとれたが、途中棄権となり、大会の結果は悲惨なものだった。演技途中までの採点だったため、最下位に近い。過去最低の順位だった。

 機材の確認はしたはずだった。結果としてはできていなかったのだけど、確認をしたときに異常は見られなかったはずだった。たまたま起こった事故だった。

 けれど、どうしてか、なにもかもがうまくいかない気がした。もがけばもがくほど溺れていくように感じた。

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