ダンサー・イン・ザ・スペース
朋峰
第1話
今日のメインイベンター、サラ・ウィーランがゆっくりと宇宙空間へ泳ぎだした。銀色を基調とした彼女専用の宇宙服は、会場から遠くてもスポットライトで照らされてよく見える。
覗いている窓の横に併設された大型の中継モニターに目をやると、彼女がアップで映っていた。肩や胸の部分に大量のスポンサーロゴが張り付いていて、せっかくの宇宙服のデザインを傷つけていた。
けれどそんなことすら気にせず、彼女は胸を張っている。昔みたいなごつい宇宙服とは違って身体の線が出やすいが、今年で五十四歳とは思えぬほど引き締まった身体だ。
サラ・ウィーラン。スペースダンサーの中でも、ここ十年ほど一番有名で一番スポンサーがついている。ニュースでの見出しは必ずクイーンという単語が並ぶ。
彼女は両手を上に大きく伸ばし、ゆるやかに身体をくるくる回しながら観客に挨拶をしている。始める前から推進剤を使っているあたり、余裕を感じる。
周りからクイーンだ、と声が上がった。それを聞いて私は覗き込んでいた窓から離れた。
窓から下がった私とは反対に、他のひとたちはクイーンをひと目見ようと窓に駆け寄っている。日曜日だからか、あっという間にひとだかりができて、ミズ・ウィーランどころか窓すら見えなくなった。もともとモニターごしに見るつもりだったからいいけれど。
「あれサラ・ウィーランだろ。俺初めて本物見たな」
「こないだの大会でもソロ優勝してたよな。いくつになったんだっけ」
興奮したようにみんなが彼女について話している。命綱もなしに、両手両足につけた小型推進装置でバランスを取りながら、これから彼女は宇宙空間で踊るのだ。なんてクレイジーなんだろう。
クレイジーなそれは、スペースダンスと呼ばれている。
スペースダンス、とバカみたいな名前のついた競技が始まったのはムーンベースができてからほんの二十年後のことだったらしい。
最初は若い宇宙飛行士がおふざけでやったというが、本当のところはわからない。一部の陰謀説ではアメリカ政府のパフォーマンスだったんじゃないかと言われている。
だって命綱なしで宇宙遊泳をするなんて相当狂ったやつか、自殺願望のあるやつじゃないとできないからだ。下手すれば酸素がなくなるまで何もない空間を、ただ死ぬためだけに彷徨い続けなければならない。
それでも、誰かが始めた。
それは宇宙飛行士達の間で徐々に流行り、その内に地球へ中継されるようになった。重力に支配されない、全く新しい命懸けのショーに、誰もが興奮した。その頃には地球にも無重力フィールドもあったはずなのに、本物の宇宙を背景にしたものが好まれた。人は誰でも本物を好む。
もちろん事故もあった。死亡事故だってある。デブリとの衝突、機器の不具合。宇宙はまだまだ安全ではない。三年前にあったあの事故だって、宇宙服の不具合だった。
嫌なことを思い出しそうになって、頭を振った。今日は彼女を見に来たのだから、集中しなくては。
盛り上がるムーンベースの外側で、ミズ・ウィーランは動きをぴたりと止めた。くるくる回っていたところからのキレイな静止。行きすぎず、あくまで自然に止まる。当たり前のようなことだが、宇宙空間であの技をやってみせるのは熟練の技術が必要だ。
やがてアップテンポなジャズが中継モニターから流れ始めた。曲に合わせてミズ・ウィーランが手を上へと伸ばして、彼女の演技が始まった。最初は腕を広げてゆっくり華麗なステップ。まるで地上にいるようだ。どこかに固定されていればステップを踏むことは簡単だけれど、スラスターの噴射でバランスを取りながらあれができるひとはどれだけいるだろう。
ジャズダンスを取り入れた演技がひとしきり続く。表情はヘルメットで見えないけれど身体の動きで彼女が楽しそうに踊っているのがわかる。
彼女の身体が水平になった。宇宙空間には上も下もないけれど、私達から見れば完全に真横だ。
そのまま足のスラスターをうまく使い、大きく横に回転している。難易度の高い技に拍手が起こる。
そのまま今度は上へと登っていく。登る、がぴったりな表現だ。階段を駆け上がるように上へ行ったかと思うと、ぐるりと宙返りをしてまた元の位置へ戻ってきた。
最後は曲の終わりと同時に、完璧なタイミングでピタリと止まる。どうだ、と言わんばかりにミズ・ウィーランが両腕を上げた。
観客から歓声が湧き上がる。私はそれを尻目にその場を離れた。
気持ちよく踊れる彼女を見て、羨ましいという気持ちとどれだけの練習量なのだろうと冷めた気持ちが入り混じって、とても拍手する気にはなれず、そっとため息を付いた
「マコ・アキヅキ」
自分の名前が耳に入って、そちらに視線をやると通路の向こうで二人の男がこちらを見て何か話していた。彼らは私と目が合うと、気まずそうに背を向けて歩き出した。その反応に、二度目のため息。おそらく先月の大会の失態のことだろう。
ミズ・ウィーランと比較でもされたんだろうか。それなら少し光栄かもしれない。私だって一応スペースダンサーなのだから。
――それとも、妹の月子のことか。
どちらにしろ、ここ最近の成績を考えれば悪口だろう。せめて聞こえないところでやって欲しい。
買い物に行く途中で、ミズ・ウィーランが出ると聞いて穴場によったのが間違いだった。ここならあのスタジアムでやる演技がちょうど見られる。窓から見るにはさすがに遠いけれど、中継モニターがある場所なのだ。
彼女の演技を見たら、少しは参考になるだろうとぼんやり思って寄ってみたのに、結局彼女のすごさに打ちのめされ、楽しそうなダンスに嫉妬しただけだった。
自信と熱狂と歓声。私が失ったものを見せつけられた気がして、重たい気分のまま当初の目的だった買い物のために店へ向かう。低めの天井だけど、廊下は果てしなく続いている感覚に陥る。
ここ、ムーンベースが建設されてから五十年あまり。基盤ができれば結晶化のごとく、宇宙進出への進化は早かった。
ムーンベースの基礎ができた後、十年で民間人が住める場所が作られ、最近ではもうすぐ人類初の月面高層ビルも建つ。ここの低い天井よりも開放的らしい。
個人的にはそろそろ「基地」じゃなくて「都市」に改名してもいいんじゃないかと思うくらいの発展ぶりだ。
数十年前にナントカという偉い博士が反重力装置を発明し、そこから人類は新たな歴史を迎えた、らしい。
そのナントカという偉い博士の名前――高校の頃に習った知識を三十になった今、思い出すのは難しい。すごい発明というのは、発明した人と一緒に残ることはほとんどない。
今じゃ当たり前のように誰もが使っているインフラのネットや衛星の発明者なんて誰も知らない。人類にインパクトを残した人達は忘れ去られ、その発明品だけが残っていく。
じゃあ、歴史に名を残す人達は一体誰なのか。それは簡単だ。芸術家だ。作家、画家、映画監督、舞台監督、スポーツ選手。それから、
「それから、ダンサーか」
思わずそう呟いて、足を止めた。まだ窓を囲んでいるひとたちを振り返る。
名前は残る。その表現が素晴しければ素晴らしいほど。そしてそれは、命を懸ければ懸けるほどキリキリと張り詰められていき、こと切れる瞬間に美しい音が鳴るのだ。まるでそうしなければ表現できないように。
「命を懸けるほどのものでもないと思うけど」
口の中がざらざらする。本当にそう思えているか、もうわからない。そう思いたいだけかもしれない。
「秋月」
今度はずいぶん近くで名前が聞こえて、我に返る。呼ばれたのだと気づいて後ろを見た。そこにいたのはきっちり七三分けのメガネの男。おまけにスーツにネクタイと、小学生のときに教科書で見た一九九〇年代のジャパニーズサラリーマンの仮装かと思うが、彼は至って真面目にこの格好をしているらしかった。
「光子郎。その格好、今日も仕事だったの?」
竹山光子郎。古臭い名前だが、私も人のことは言えない。彼は私が所属するスターダスト事務所でマネージャーをやっている。
プロのスペースダンサーと呼ばれるのは、国際宇宙機構から正式に認められたスペースダンスの企業に所属している人間だけだ。宇宙開発へのポジティブなイメージのためか、国際宇宙機構は死亡事故が多いにもかかわらず、スペースダンスに寛容どころか、肯定的な姿勢を見せている。社長に直接聞いたわけじゃないから詳しいことは知らないが、スペースダンスの企業には国際宇宙機構から助成金が出たり、良いダンサーのいる企業には、優良なスポンサーも斡旋してくれるらしい。
今やスペースダンサーは、宇宙イベントに欠かせない職業になってきていて、いろいろなところから声がかかる。
私がいるスターダスト事務所は、規模は大きくないが歴史はそこそこという感じの中堅の事務所だった。
「午前中だけ出てきたんだ。さっき終わって帰るところだよ。秋月はひとりで買い物?」
ひとり、と決めつけることはないんじゃないだろうか。そう思ったけれど光子郎に噛み付く気になれず、素直に認めた。
「そうだよ。買い出しとお昼」
「そう。……じゃあ、一緒に食べる? 昼。俺もまだだから」
「え」
急な誘いに心の準備ができておらず、思わず声が出てしまった。光子郎が怪訝な顔をして左手でメガネを触った。薬指に指輪が見える。心臓がキュッとなって、目をそらした。
「なんだよ、嫌なのか」
「いや、そうじゃなくて。意外だったから。いこういこう。なに食べる?」
光子郎が考えるように天井を見上げた後、思いついたように私へ視線を戻した。
「そういや、サードストリートのところにムーンベース産の野菜が食べれるジャパニーズカフェができたらしい。秋月、そういうの好きだろ」
「えっ。あの飲み屋街のとこに? いいね、じゃあそこにしよう」
大昔、火星でじゃがいもを作る映画があったそうだが、今は月でも農業が盛んだ。もはや地球から独立してもやっていけるまでになっているのだ。
「買い物はあとでもいいのか?」
「うん、平日のご飯を買いに行こうと思っていただけだから」
サードストリートは小汚い感じの飲み屋街だ。いくつもコンテナが置いてあって、そこに飲食店、というか、大半は飲み屋が入っている。
ムーンベースができた頃にオープンした世界初の宇宙パブ「ムーン」を中心に、少しずつ店舗数が増えていって今の形になったらしく、意外と歴史が長い飲み屋街なのだ。地球からの旅行者にも人気の観光スポットで、夜は多くの酔っぱらいと旅行者で賑わっている。
光子郎に連れてきてもらったカフェはおそらくそういった類の居酒屋の居抜きなんだろう。オーガニックなイメージの明るい雰囲気だけれど、カウンターと小さめのテーブル席が四つほどしかなかった。まあそもそも店が入っているコンテナ自体が狭いので、どこの店も似たりよったりだ。
テーブルのひとつに通されて、光子郎と向かいあわせで座る。
ついこないだ一緒に食事をしたときはお互い喪服だった。こんなに明るい雰囲気でもなかった。こんな風に光子郎と食べるのは久しぶりな気がする。
「なんで急に一緒に食べる気になったの?」
メニューを見ながらそう尋ねると、光子郎は首を傾げた。
「理由なんてないよ。タイミング。俺も秋月もお昼食べようとしてたからだよ」
「ふうん」
「このシチューセットにする。秋月は?」
「待って、決めるのが早い」
慌ててメニューを覗き込んで、目についた彩りサラダのセットにすることにした。注文がすむと話すことがなくなり、沈黙が流れる。
「ミズ・ウィーランの演技見たのか?」
「うん、すごかったよ。でも出るって知らなかったな。あのひとって一般演技に出るイメージなかったけど」
「最近はちょいちょいチャリティーで出てるらしいよ」
「へえ。今度出るって話聞いたら教えてよ」
「秋月、別に他のひとのダンスに興味なかっただろ」
「最近スランプだから参考にしたいんだよね」
「なるほどね。再来月の大会には出るのか? 手続きしといたほうが良いかな」
マネージャーらしく確認してくる光子郎。彼の仕事はこうやって、各選手の大会やら一般演技の出演やらの手配も含まれている。
「あー、うん、まあ。そのつもりで調整はしてるけど。まだ社長に相談してないからなあ。まあでも、出たいなあ。先月失敗してるから、早めにいいイメージ取り戻したくて」
「俺はよくあの体勢から立て直したと思ったけどな。それにあれ、故障だろ」
一ヶ月前の大会で無様な演技をしてしまった。頭では大きな事故に繋がらなかったことを感謝すべきなのだとわかっている。
けれどいまだに練習中でさえ、あの日のことが脳裏をよぎってしまう。いや、失敗したことじゃない。そんな単純なことじゃない。あの日に感じた自分自身への失望が、なかなか拭えないでいるのだ。
「事前チェックの甘さだよ。それ含みでの演技でしょ」
これまでソロで優勝まではいかないものの、上位に入ることはできていた。それが機材の故障で初めてまともに演技ができなかった。
上位に入れなかったことで、プライドが傷ついたならまだマシだった。きっと次こそは、と奮起できるはずだった。
でも、気づいてしまったのだ。上位に入らなかったことで、自分がちっとも優勝台に登ることを考えていなかったことに。
自分がたったひとりで、見ているひと全員を黙らせるような演技ができるとは、ちっとも想像できないでいたのだ。
情熱も、自信もないことに気づいてしまい、そのまま次の大会が控えていることに、私は内心怯えていた。
「そっか」
光子郎は私の言葉に頷いたあと、ぽつりと聞いてきた。
「なあ、まだソロでやるのか?」
ざわっと鳥肌が立って、自分の腕を掴む。光子郎は真っ直ぐに私を見てきていた。まるで私がソロで優勝できるイメージがないのをお見通しのようだった。深めに息を吸って、ようやく返事ができた。
「別に今、誰かと組む気ないし。相手もいないしね」
スペースダンスには、ひとりで踊るソロと、パートナーと踊るデュエットがある。フィギュアスケートとか、社交ダンスみたいな競技だ。ただしパートナーは性別は関係なく組める。
私は三年前までデュエットの選手だった。
「社長も言ってたけど、秋月は誰かと組んだほうがいいと思うよ」
「ソロじゃ結果出てないからでしょ?」
「いや、そうじゃなくて」
光子郎がなにかを言おうとしたとき、料理が運ばれてきて中断した。店員が行ってしまうと、光子郎は「とにかく、ソロじゃなくてデュエット復帰も考えてみたら」とぶっきらぼうに言った。
「光子郎はそれでいいの? 私が誰かと組んでも」
「いいに決まってるだろ」
「じゃあ」
光子郎の左手の指輪を見つめる。
じゃあ、あなたのその指輪も外したら、は残酷な言葉だろうか。それでも光子郎がそれくらいやってくれないと、フェアじゃない気がした。口の中で一度言葉を転がして、結局飲み込んで優しい言葉に差し替えた。
「じゃあ、考えとく」
「うん」
最後まで私たちは、彼女の名前を出せずに終わった。お互いの深い傷に触れることができないままでいる。きっとまだ乾いていない傷なのだ。そして、お互いにその傷を触ると、自分の傷にも触れることになる。
私のデュエットパートナーで、光子郎と結婚するはずだった、秋月月子。
双子の妹でもあった彼女は三年前、競技中の事故で亡くなっている。
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