悪魔

 彼女は石の警告をすっかり忘れていた。


「誰に壊されたの? 回収されたら、どうなるの?」

「いけません。早くお逃げなさい。あなたも私のように壊されて、石拾いに――」


 会話の途中で、石ころは唐突に黙り込んだ。一体どうしたのかと、彼女が心配していると、また彼女に声をかける者がいる。


「やあ、初めまして」


 背後からした声に彼女が慌てて振り返ると、そこには黒衣をまとい目元を隠す仮面を被った、細身の人物が立っていた。


「私は『瞳』のイスセンスダ。キミの名前は?」


 知的で落ち着いた声に、彼女は安心感を覚えて、素直に答える。


「……わかりません。何も思い出せないんです」

「なるほど、なるほど」


 イスセンスダと名乗った人物は、彼女に近づいて誘いかけた。


「一緒に散歩でもしながら、少し話をしませんか?」

「えっ? はい」


 彼女は戸惑いながらも応じた。断る気にはならなかった。



 二人は無言で海辺を歩く。イスセンスダと名乗った人物は、自分からは何も語ろうとしない。しかたなく彼女は自分のことを話しはじめた。


「あの、ここはどこなんですか?」

「『どこ』と言われても困ります。ここは見てのとおり、この様な世界で。それ以外には表現のしようがありません」

「そうですか……」


 望んだ答えが得られず、彼女は落胆する。

 ここは彼女の知る世界ではない。それ以上の情報は得られそうになかった。


「これから私はどうすれば良いんでしょう……」


 途方に暮れて彼女が零すと、イスセンスダは優しい声で告げる。


「あなたには役割があって、この世界に喚ばれたのです」

「役割?」

「その話は後にするとして、まずはこの世界を知ってください」


 イスセンスダは顔を上げると、赤い海の反対側、内陸の方に視線を向けた。

 その遥か先には白い建物が見える。


「あれはこの世界で唯一の建造物、闘戯場コロセウムです。この世界で唯一の娯楽施設です」

「コロセウム?」

「口で説明するより、ご覧になった方が早いでしょう」


 イスセンスダは彼女を連れて、内陸にある闘戯場へと向かう。彼女はただ状況に流されるままだった。

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