第12話 熟慮のない選択
先ほどの部屋から扉を越えた奥。その部屋からさらに続く、半畳程度の部屋にオリは促される。白く人体構造学的に基づいた設計をされているような、滑らかな曲線の椅子だけが置かれており、それに座ると窓を挟んで、横目に何かを見ているユイだけが目に映るようにされていた部屋だった。
「それじゃあ、一応説明。フィルターをかけると言っても、エピソード記憶がそのまま引き出せなくなるということじゃない。記憶は知識としては残る。ただ、それがいつ誰と何をしたと言った具体的な思い出としては思い出せなくなる。思い出がただの知識になると言った形だね。前世の記憶が、どんなメカニズムでオリの意思回路に紐付けされているかはわからないけれど、この世界の出来事ではないと判断された、時と場所とヒトにはフィルターがかけられるようにするから、私の技術から逸脱した出来事が起こらない限り、二度とは戻らない。私でもこのフィルターを解除できるかと言えば、今の段階ではできないと言わざるを得ない。もう一度だけ聞くね……やめるならそう言って」
オリは思っていた。ここでやっぱりやめます、とでもいえば目の前のこの人は笑顔になるのだろうか。
……きっとどちらの選択肢でもオリは後悔するだろう。
であるならば、せめてこの人の笑顔への近道になる選択をと思った。
「お願いします」
再度の問いかけはなかった。
「今から私のいう言葉に、オリの頭の中に思い浮かんだ言葉を続けて。できる限り考えずに。……いくよ」
ブーンと低く響く音とともに部屋の電気が消え、オリには窓の外のユイしか見えなくなる。そうして言葉が届く。
「夢の星」
なぜか頭の中に自然と言葉が浮かんだ。
「……砂の場」
「線の種火。矍鑠とした標。燕尾の社」
不思議だった。意味のわからない言葉の羅列が頭の中に浮かんできて、それがどんな意味なのかオリが考える前にオリの口をついて出る。
「統制の蔵売り。赤青黒白黄色。飛魚最後のリンゴ」
「アビエイスタコルン。最古の最大幸福。中途半端なランディングスター。狂える幸福と傾いだエンドルフィン。エクスタット此の世界」
「チェリストの問い掛け。巻き戻す幻灯機。終わり狂うエミアンダレフ。捧げもつ明日。亞の世界昨日」
そうしてオリは確信する。真っ直ぐ自分を見つめてくるこのヒトの言うとおり、思い出は眠りの中に封じられて、自分はこの世界で生きていくことになることを。
照明が点き、明るさにホワイトアウトしそうなセンサーを守るためにオリは目を細める。
窓ガラスが解けて、開放感が増した部屋。窓枠は机に形を変え、二人は向き合って話をする。
「どう? 変な感じする?」
心配そうに問いかけてくるユイに、オリは何事もなく答える。
「いいえ。今のところ特には」
「そう。それはよかった! 私がオリにする事だから、万が一にも間違いはないけど、でも何か不調があればいつでも連絡してくれていいから。kukuriも繋げておくね」
「ククリ?」
「うん? 検索できない? サルメと繋がってない!?」
自信満々に欠陥なんてあり得ないと言っておきながら一大事と、顔面を蒼白にしながら飛びつくように問いかけてくる。
「……いいえ。あの騒がしい情報集積体は、嫌だと言っても勝手に接続してきましたけれども……」
疲れたようにいうオリの言葉に、ホッとしながらもユイはその内容にも関心を向けていた。
「へぇ。サルメが直接繋がってきたんだ。まぁそれはそうなるか」
サルメが昨夜言っていた通りオリの特異性の問題なのだろうが、そんなふうに納得されても、オリとしては実際それがサルメの利益にどう繋がるのかが分からなくて、持て余している問題でもあった。
「それじゃあ即座に検索できないことも、きっと前世の記憶の影響だろうね」
「そうなんですか」
案外前世の記憶が足を引っ張っていることが多かった。オリの知る数ある小説の中では基本的に前世の記憶が助けになっていたのだけれど。
「実際に何がどうなっているかはオリの頭を開けて精密検査と分析をしないとわからないけど。する? それとも、推測でいいならできるよ。聞く?」
「前者はいいえ。後者は、自分のことなのでできるのでしたら」
「いいねぇ。現状把握に貪欲なのは、お姉さん的にポイント高いよ」
「年上……なんですか?」
「うーん。さっきの話から精神年齢的には同い年かな」
はっきりと嬉しいとわかる声色で続ける。
「きっとね、オリの意思回路がヒトの脳に限りなく……ううん、ヒトと同等のものになっているからだと思う。経験を積み重ねて、最終的にはそうなる可能性のあるスペックにしていたのは確かだけど、積み重ねなく、人生スタートしてから急にレベルマックスになるのは想定していなかったからね」
「レベルが高いなら、それに越したことはいのではと思いますけど……」
「そうだね。レベルが高いことは悪いことじゃない。……けれども、経験という要素はできることを増やす上では、レベルの高低よりも重要なファクターになり得ることもまた事実なんだ。能力マックス、技量ゼロとでも言うのかな」
真面目な顔で真っ直ぐその黒瞳に見つめられると、吸い込まれそうで少し怖かった。
「私の想定では、オリは当初機械的な情動から、ヒトとの生活の中で経験を積んで、最終的にはヒトとしての意識を持つに至ると考えていた。だから、今のオリは完成していると言ってもいいんだけれど、その体はヒトと同じものではなく、間違いなく機械なんだ。機械の体は機械の心が一番うまく動かせる。機械の体である上で一番便利で、一番最初に基礎機能として身につける事柄が、瞬時の情報検索機能になるはずだったんだ」
誤算も誤算と笑いながら告げる。
「だからオリの意思回路をレベルダウンできない以上、機械的自動的にその体を動かすことは諦めたほうがいいね」
「諦めた方がって……俺のこともそうですが……ユイ、さん的にはいいんですか? 自分が作ったものが自分の理想通りにならなくても」
ん? と不思議そうに首を傾げる。
「理想通り……、それは私の望んでいることとは違うかな。オリの成長に関して、私に理想はないから」
「人工生命の友達を作るって……」
「そうだね。それは私の理想であり夢であり希望。でもその友達は、私の理想の友達である必要はないんだ。もしかしたら友達になれない未来もあるかもしれない。それはちょっと悲しすぎて泣いてしまうかもしれないけれど」
その可能性を思い浮かべたのか、少し……どころか目に見えてわかるぐらい瞳が涙の膜で覆われたけれど、すぐに気を取り直して漆黒のストールで目元を拭っていた。
「友達になれるかはわからない。どういうヒトになるかはわからないからね。私もただ自分が作って、ただ確かな意識を持った人工生命だからといって、友人になる気はないから。生身のヒトでもエルロイドでも変わらない。好きなヒトとは友達になりたいけど、そうじゃないヒトとは積極的に関わりを持ちたくない」
それでは、とオリはユイの言葉を切る。
「生身のヒトだけではいけなかったんですか?」
「それは、うーん」
いうべきかどうか、困ったような笑顔。
「まだ内緒かな。それこそ友達になったら言えるのかも」
「それは……そうですね。立ち入ったことを聞きました」
「いいよ。聞かれただけで怒るような、心の狭い人間ではないからね」
頬杖をつきながら優しい笑みを浮かべる。
「それに少し嘘をついちゃったから」
「嘘?」
「理想はないなんて言ったけれど、オリの現状は私の想定より望んでいたものになっているんだ。経験を積んでいく上で、自動的で機械的な機能が身につけられていくことは避けられないことだったから。妥協というより、どうしても付随してしまうものだったけれど、意識の中で機械的な要素は極力ない方がいいとは思っていたんだ。生きていく上では不便なのは間違い無いから、オリには申しわけがないけど」
予想外に幸運を手にしたときに、喜んでいいのか、これが本当に望んでいたことなのか、不審がるような顔をしているこの人は、無条件に優しいかはともかく、真摯な人ではあるとオリには感じられた。
本当は言う必要がないのだ。他人の不幸を喜んでいると、とられるようなことを。それを言わずに済ませることが、優秀なこの人にできないはずがないと思う。
オリは真摯な人が好きだった。自分の狡さを、何かの綺麗な言い訳で包んでしまうような人間よりよっぽど、好きだった。それは、この変わってしまった体でもそれは変わっていない。
だから、このヒトと友達になれたならいいなと思った。当然のように思えた。
「少し話し込んじゃったね」
そんなオリの決意にも似た淡い希望に、気付いているのかそうでないのか、よっこらしょっと若くない掛け声を上げて、椅子から立つユイ。
「このままじゃなんか向こうの人に、私のコーヒーの備蓄を飲み干されそうだから、そろそろ戻ろっか」
扉を開けると、入り口付近で何やら四角いデバイスを眺めながら、水でも飲むかのようにカップを傾けているエイを指差しながらいう。
「あの人はコーヒー飲ませとけば機嫌がいいからね。豆知識。コーヒーだけに」
「知ってます。昨日存分に」
「そっか。……っていうことは、あらかじめインプットしていたものは正常に動作しているのかな。あんなアナログのコーヒーの淹れ方なんて知らなかったでしょ?」
「いえ。前世ではよく淹れていたので」
「なるほど。さっきのフィルタリングの時にも微かに見えたものがあったけど、機械文明としてはこっちの方が進んでいるみたいだね。……となると基本知識の方も怪しいか」
どうしようかな。なんて思考しながら呟くその横顔を見ながら、思い出したことがあった。
「でも……目覚めたばかりでぼうっとしていた時でしたけど、キューブとクリエイターについては、なんとなく使い方がわかっていた気がします。あれは前世では存在しなかったものでしたけど」
ピタリと歩みを止め、より深い思考に沈み込むユイだったが、次の瞬間、
「あーもうわかんない!」
床に倒れ込み、手足をバタバタさせながら体を回転させ、わからないわからないとその綺麗な声で叫び続ける。
そんな様子にビックリもしたが、先の読めない破天荒さは短い交流の中でも理解し始めていた。その奇行をやんわりと止め、軽く背中を支える。座らせながら、オリは申し訳なさから何かを言おうとする。
「楽しいね!」
その前に、顔を後ろに傾けてオリの顔を真っ直ぐに見つめ、笑いながらいうユイの様子に、安堵とともに確かな友愛の思いを募らせるのだった。
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